FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
静かに扉を閉め、陽の差さない廊下へ出る。
もう外は明るいというのに、そこにはまだ夜の名残があった。
古びた壁に掛けられたランタンが、薄暗い光を頼りなく投げかけている。
その淡い明かりの下で、ファルネーゼは扉の脇に身を寄せたまま、しばし目を閉じた。
本当なら、すぐに師のもとへ向かうつもりだった。
昨夜の戦いで疲弊した彼女を、一人にしておくべきではない。
今の彼女には、誰かの言葉よりも、ただ傍にいることのほうが必要なのかもしれない。
そう思っているのに、足が動かなかった。
先ほどまで胸を満たしていた、青空と陽の光。
ようやく見え始めた、進むべき道。
その明るさの底に、まだ昨夜の光景が頭に焼き付いて離れてくれない。
──いや
昨夜だけではない。
これで、二度目だった。
一度は、あの廃村で。
そして二度目は、この町で。
まるで、禍なすものを残らず祓うかのような──
あの、鮮烈な火焔。
「…………」
初めて目にしたとき、ファルネーゼはただ恐ろしいと思った。
それは、過去の自分を断罪する炎に見えた。
幼少のころから、聖都で幾度も目にしてきた異端者たちの火刑。
そして、騎士団にいた時分に自ら手を汚した数々の罪人の焼却。
人を焼き、罪を焼き、異端を焼き、そして──
その炎を正しいものだと信じて疑わなかった、あの狂気。
炎の奥で揺らめいていた人々の顔とともに、それらは今もなお、忌まわしい記憶として鮮明に残っている。
だからこそ、あの火焔を目にした瞬間、ファルネーゼの胸にはかつての恐怖が蘇った。
けれど──
あの炎は、彼女の知る炎とはまるで違っていた。
誰かを裁くための炎ではない。
罪を焼き、異端を罰し、神の名のもとに人を葬るための炎でもない。
ただ、立ちはだかるものを薙ぎ払い、前へ進むための道を切り開くために、猛っていた。
あまりにも激しく。
あまりにも強く。
あの烈火を前にすれば、かつて聖都で見た火刑の炎など、形ばかりの焚き火にすら思えてしまう。
それなのに──
(どうして……)
ファルネーゼは胸元へ手を添えた。
(どうして、こんなにも……)
恐ろしいはずなのに。
目を背けたくなるほど激しい炎だったはずなのに。
その光景を思い出すたび、胸の奥には奇妙な熱が残っている。
まるで──心の奥底まで照らし出されたような。
ファルネーゼは、廊下の壁に掛けられたランタンへ目を向けた。
小さく揺れる灯火は、あの剣士の炎とは、比べものにならない。
何かを焼き尽くす力も、闇を一息に薙ぎ払う激しさもない。
それでも──
暗がりにいる者の足もとを、確かに照らしている。
その光を見つめながら、ファルネーゼはふと気づいた。
(……そうか)
ゆっくりと目を開く。
薄暗い廊下が、ぼんやりと視界に映った。
(私の心は……まだ、あの幼い日の夜の中にいたんだ)
隠れ蓑だった信仰を捨て、黒い剣士ガッツを追い、数々の憂き目に遭ったことで、ファルネーゼは少しずつ学んできた。
“秩序の光明亡き闇の中でも、生き抜く術”を。
だが、それは闇を克服したということではなかった。
ただ、そこから目を逸らさずにいられるようになったに過ぎない。
幼い日に植えつけられた恍惚と恐怖。
信仰という名で正当化してきた罪。
そして、それらを見ないふりをして生きてきた自分自身。
──そのすべてが、まだ心の奥底に残っている。
だからこそ。
胸の奥に残る、この微かな熱が不思議だった。
罪の記憶と疼く痛みの先に、ほんの少しだけ温かな光が差し込まれたような──
ファルネーゼは、今一度、あの激しい火焔を思い出す。
(もしかしたら……あれこそが)
言葉が、胸の奥で形になりかける。
(迷いの中に立つ私を……もう一度、正面から照らし出すための──)
その先に続く言葉は、まだ見つからなかった。
最後の一言だけが、どうしても形にならない。
ただ、消えずに残る炎の気配だけが、胸の奥で静かに揺らめいている。
そのとき──
扉の向こうから、くぐもった声が聞こえた。
「……でよ、……なこと……」
「……あんたも……わよ」
途切れ途切れの会話。
聞き慣れた声と、相変わらず騒がしい調子。
──その現実の気配に、ファルネーゼははっと顔を上げた。
胸の奥で燃えていた炎が、ふいに遠のく。
代わりに、いま自分が立っている廊下の冷たさと、扉の向こうにいる仲間たちの存在が、はっきりと感じられた。
(わかっています。今は、少しでも先へ……!)
向かうべき場所は、決まっている。
シールケのいる部屋は、この廊下の先だ。
そしてそこには、キャスカも眠っている。
ファルネーゼは、胸に残る微かな熱を抱いたまま、ゆっくりと歩き出した。
消え入りそうなランタンの火が、まだうっすらとその足元を照らしていた。
*
夢を見ていた。
いつから眠っているのか、エレーンにはわからない。
今朝、横になったばかりだったのか。
それとも、ずっと遠い昔から眠り続けているのか。
時間というものは、もう彼女の中で形を持たなかった。
朝も、夜も。
昨日も、今日も。
すべてが遠い水の底に沈んでしまったようで、
ただ、深い眠りの中にひとすじの光だけが浮かんでいた。
それは水面から差し込む光のようでもあり、果てのない
エレーンは、その向こうを眺めていた。
自分と仲間たちの旅路を──
何を考えているのか、自分でもわからない。
何を感じているのかさえ、はっきりとはしない。
ただ遠い闇の中から、夢の景色をぼんやりと見つめている。
光の中を歩く者たちは、それぞれ異なる感情をエレーンへ向けていた。
ある者は、笑いながら振り返る。
ある者は、恐怖ですすり泣く。
ある者は、激しい怒りや嫉妬を剥き出しにして、こちらを睨みつける。
そしてある者は──振り返りもしない。
けれど、エレーンにはわかっていた。
振り返らないその影は、決して彼女を見捨てたのではない。
ただ、いつもそこにいるような顔で、ずっとこちらを見守っている。
彼らの旅は、過酷で、恐ろしくて──それでいて、どこか穏やかだった。
笑い声が聞こえた気がした。
怒鳴り声も、泣き声も聞こえた気がする。
けれど、どこへ向かっているのかはわからない。
ただ、夢の底にいるエレーンの手を、誰かの細い腕が掴んでいた。
優しく、けれど決して離すまいとするように。
その手だけが、暗闇の中にいる彼女と、光の中にある旅とを繋ぎ止めていた。
──ふと、光が薄れ始めた。
白く霞んでいた景色が、遠くから夜に呑まれていく。
仲間たちの姿が消える。
歩いていた道も消える。
彼らの声も、叫びも──ひとつ、またひとつと、闇の向こうへ吸い込まれていった。
最後まで残ったのは、あの大きな影だけだった。
振り返ることのなかった、黒い影。
どこまでも黒く、どこまでも牙をむき出して燃え盛ろうとする炎。
その輪郭だけが、光の失われた世界の中で、かえって鮮明に浮かび上がっていた。
炎は、エレーンを焦がそうとはしなかった。
ただ、小さな灯を守るかのように、隣で猛り続けている。
激しく燃えながら、その熱を彼女へ向けることはない。
その炎が、何かを警戒している。
そう思った瞬間だった。
暗闇の彼方に、見慣れない光が生まれた。
胸の奥が、にわかに騒ぎ始める。
夢の中にいるはずなのに、鼓動だけが現実のもののように速まっていく。
光はひとつではなかった。
やがてそれは輪郭を持ち、鮮やかな色を帯びていく。
赤。
そして、青。
先ほどまでの光景とは違い、そこには人の顔も、姿もなかった。
ただ、赤い光は黒い炎に劣らぬほど激しく燃え上がり、青い光は、いまにもこちらを貫かんばかりの鋭さで輝いている。
敵意──
最初に、そう感じた。
赤い光と青い光が、エレーンと黒い炎へ向かって迫ってくる。
まるで、二つの異なる力が、彼女たちを襲おうとしているかのように。
だが。
その二つの光もまた、こちらへ迫ろうとしながら、どうしても最後の一歩だけを踏み出せずにいるようだった。
燃え盛る赤の奥に、何かがあった。
凍てつく青の底にも、何かがあった。
それは、エレーンには理性のようにも、抗う意志のようにも見えた。
敵なのか、味方なのか。
エレーンにはわからない。
ただ、赤と青の光は、彼女たちの前で相克しながら、なお何かを示そうとしているようだった。
その証のように、目の前の景色が次々と移り変わる。
黒と赤の激しい衝突。
空を覆い尽くす、四色のオーロラ。
そして、耳を裂くような咆哮とともに、目の前を横切っていく、獠牙のような一条の光。
断片的な光景が、意味を持たぬまま現れては消える。
それでも、赤と青の光は、同じ一点を指し示すように、暗闇の奥へ伸びていった。
その先にあったのは、
あの世とこの世の境。
いや──境と呼ぶには、あまりにもあの世に近い場所に思えた。
一歩でも足を踏み外せば、二度と人の世へ戻れない。
生者の理は届かず、死者さえ迎えには来ない。
そんな、人ならざる領域の片隅に。
“それ”は浮かんでいた。
浮かんでいるというより、何ものにも触れぬまま、暗い水の中を漂っているようだった。
……人だった。
騎士のような風貌の男。
武器は持っていない。
ただ目を閉じ、何かを待つように、そこに留まり続けている。
赤と青の光が、男の姿を指し示す。
そのとき、男の内側から、何かが零れ落ちた。
声ではなかった。
唇も動いていない。
それでも、その言葉だけが、暗闇に佇むエレーンのところまで、まっすぐに届いた。
──クライヴ様
それが、遠い遠い眠りの底で彼女が受け取った、ただひとつの言葉だった。