FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
休息の日は、あっという間に終わる。
窓の外はすでに藍色の夜へ沈み、丸窓から差し込む月明かりが、部屋に小さな銀の筋を落としていた。
星々は瞬きを重ね、風も涼やか。
本来なら、思わず見惚れてしまうような夜だ。
……なのに。
イバレラが横を向いた途端、その風情はものの見事にぶち壊された。
卓に上半身を投げ出し、口を半開きにした少年がひとり。
蝋燭の明かりに照らされながら、すっかり夢の中へ落ちている。
「ぐぉ〜……むにゃ……」
その遠慮の欠片もない寝息に、イバレラの眉間には見る見るうちに皺が寄っていく。
もともとエルフらしい端正な顔立ちも、こればかりは仏頂面にならざるを得なかった。
「いいご身分よね、ホント。大した働きもしてないクセに、食い意地と寝息だけは一丁前なんだから」
ついさっきまで身振り手振りで武勇伝を盛りに盛っていたイシドロも、今はようやく年相応の少年らしく、無防備な眠りに落ちていた。
イバレラは、しばらく苛立たしげな目をその寝顔に向けたままだったが。
やがて、ほんのわずかに肩をすくめる。
「……ま、今回はちょっとだけ頑張ったみたいだけどね」
毒づく声とは裏腹に、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
そんなとき──
「……イバッテラちゃん」
イシドロの頭上で胡坐をかいていたパックが、不意に声を掛ける。
いつもの茶化す調子ではない。
むしろ妙に真面目な顔つきで、じっと天井を見上げている。
いや、だからこそ──その呼び名が、余計に腹立たしかった。
「………」
イバレラのこめかみが、またぴくりと引きつる。
よりにもよって、こんな真面目な顔で。
まるで今から大事な話をするぞとでも言わんばかりの雰囲気で。
「……あのさ」
ゆっくりとパックへ顔を向ける。
「……ケンカ売ってんの? アンタ──」
しかし、すかさず。
「昨日の、あの黒い化け物……覚えてる?」
パックは真面目な表情を崩さぬまま、イバレラの言葉を遮った。
イバレラは最初むっと眉をひそめたものの、ふとパックの瞳を見つめる。
その澄んだ瞳を見れば、さすがの彼女も文句を続ける気にはなれなかった。
「……ああ」
黒い化け物。
そう──昨日、突如として広場に現れた、正体も知れぬ異形。
いや、あれはどちらかというと怪異と呼んだほうが近いのかもしれない。
生き物というより、どこか“現象”に近い。そんな奇妙な存在だった。
「……あのフニャフニャね」
「フニャフニャ?」
パックが首を傾げる。
「ムキムキじゃなくて?」
「こっちで見たのはフニャフニャだったの!」
「そっか」
パックは特に気にした様子もなく羽をひと振りすると、イシドロの頭上からふわりと降りてきた。
蝋燭の灯が、小さな身体をぼんやりと照らすなか。
二人の小妖精は、卓の上に置かれた欠けた皿を挟んで向かい合った。
「……おれ、見えたんだ」
先ほどよりも声を落として、パックが言う。
「何が?」
「イバッテラちゃんには、見えなかった?」
その問いに、イバレラはわずかに目を細めた。
同族──曲がりなりにも同じ妖精の仲間だからこそ、わかる。
パックの顔は、ただ何かを見つけた者のそれではない。
妖精の目にしか捉えられない何かを、確かに目撃したときの表情だった。
「ふわって……宙に散ったんだ」
「……?」
「ほら、あいつらが倒れたとき。一瞬だけ……青い、ちっちゃな粒みたいなのが」
パックは両手を広げてみせる。
指の間をすり抜けていく風を追うように、その手をゆっくり動かした。
「ふわぁーって浮かんで……そのまま消えちゃった」
「……粒?」
イバレラが眉をひそめる。
「うん。なんて言えばいいのか、おれにもよくわかんない」
パックは困ったように頭を掻いた。
「でも……あんなの、初めて見た。トロールでも使徒でも、あんなものは見たことがない」
「普通に死んだやつから出てくるものとも違ったんだ」
それは死者の霊魂や思念とはちがった。
もっと物質的で、それでいて儚い──“存在”と“無”のあわいに漂うような粒子。
まるで何かの生気が、ほんの一瞬だけ形を得て、空気の中へ溶けていくような。
パックの言葉に、イバレラは黙り込んだ。
蝋燭の灯が、二人のあいだでかすかに揺れる。
「……そう言われてみれば、私も見たかも」
イバレラが、記憶を手繰るように小さく声を漏らした。
「あのとき、一瞬だけ地面に残ってたのよ。薄ぼんやりした青い霧みたいなのが」
思い当たる。
氷魔法の余波だとばかり思っていた、あの淡い気配。
霧とも煙ともつかない揺らめきが、地面の上を這うように漂っていた。
けれど今にして思えば、パックの言う通りだったのかもしれない。
魔法の残滓にしては、あまりにも妙だった。
「あれはアイツからでたものだったのか……でも、なんだったのかしらね、あれ」
二人の間に、しばし沈黙が落ちる。
すぐ隣で眠るイシドロは、そんなことなど知る由もなく、相変わらず豪快な寝息を立てていた。
「ぐごぉ……」と時折寝返りを打つが、目を覚ます気配はまったくない。
やがてパックは、もう一度小さな身体を宙に浮かせると、その上で胡坐をかいた。
腕を組み、しばらく考え込む。
そして──
「……あれは、生命のエネルギーみたいだったよ」
あまりにも予想外の言葉に、イバレラが目を見開いた。
「生命ですって? あれが?」
「うん。でも生きてるっていうより……“流れてる”って感じ。そう。まるで生き物の中を流れてるものが、その役目を終えて外に出てきたみたいな……」
そこまで言うと、パックは困ったように眉を寄せた。
それ以上は、彼自身にも上手く説明できないらしい。それでも、その感覚的な言葉は妙に的を射ていた。
「たぶん……あの化け物は、あれをもとにして生まれたんだと思う」
「で、でも──」
イバレラの声が上ずる。
「あれが、どうやってあんな怪物を生み出すっていうのよ!?」
死者の霊魂。
残された情念。
そうしたものが、生きた者の残した痕跡に取り憑き、魔の物を形作る。
妖精である二人にとって、それ自体は決して珍しい現象ではない。
だが──
気配そのものが外へ流れ出し、別の形を得る。
それが物体となり、ひとつの存在として動き出す。
そんなことが、本当にあり得るのだろうか。
霊樹のもとで長く暮らし、霊的な世界に通じているイバレラでさえ、すぐには受け入れられなかった。
「これは、おれの仮説なんだけど」
パックは言葉を探し、少しだけ間を置いた。
「もしかしたら……憑かれてた賊の何人かが、あの微粒を浴びて──」
「……っ、嘘でしょ」
「まだあるんだ」
パックの声が、さらに低くなる。
「今日見たあの二人も、トルガルも」
「……」
「あの三人も、同じ何かに触れてた可能性がある」
「はぁ?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れる。
だが、パックは冗談を言っている顔ではなかった。
「感じたんだ。彼らから……確かに」
その言葉を最後に、パックは口を閉ざした。
ドクン──。
どこからともなく、鼓動が響いたような気がした。
それは自分の鼓動なのか。それとも、目の前にいるパックのものなのか。
もはや判別はつかなかった。
「……彼らは、何者なの?」
「わからない」
「一体、どこから来たの?」
「……」
どこから来たのか。
そして、どこへ向かうのか。
なぜ自分たちの前に現れ、これほどまでに強い痕跡を残していくのか。
考えれば考えるほど、わからないことばかりだった。
ただ──ひとつだけ。
これまでの出来事を繋ぎ合わせれば、どうしても頭をよぎるものがある。
「光の鷹だか闇の鷹だかが現れて、世界の理が変わりつつあるって話……」
イバレラが、ぽつりと呟いた。
「まさか、それと関係あるのかしら」
パックは答えられなかった。
考え込むように腕を組んだまま、卓の端に“供えられた”ベヘリットへ目を向ける。
幽世の深層と現世を結ぶ鍵
──あの五人の御使いを召喚するための呪物。
「………」
ベヘリットは、今はただ静かだった。
不規則に並んだ目も、口も、固く閉ざされ、その内側に何が潜んでいるのか、知る術はない。
『然るべき刻、然るべき者の手に在るもの』
いつの日か聞いた言い伝えが、記憶の底から浮かび上がる。
「然るべき刻、然るべき者の手……」
パックは、その言葉をなぞるように呟いた。
その瞬間、ひとつの推測が不穏に顔を出す。
もしも──
もしも彼らが、偶然ここへ現れたのではないとしたら。
(まさか、何かが彼らを……)
「──!」
直後、イバレラが弾かれたように顔を上げた。
「シールケ……?」
同じ宿の中。
馴染み深い、かすかな気配。
霊樹のもとで育った者にしかわからない、淡い結びつき。
けれど──
「……いない」
「え?」
「シールケの気配が、ここにない」
その気配は、すでに遠くへ離れていた。
細い糸のような気配だけが、かすかに感じ取れている。
そこでようやく、イバレラは思い出した。
──そうだ。
シールケは、あの者たちに惹かれていた。
あの得体の知れない力に。
そして、その力が残していったものに。
「……まさか、あの子」
シールケが向かった先──
その暗がりの向こうで、青い微粒子の残光が、ひっそりと揺れているような気がした。