FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
目指す塔は、馬車を降りてから一刻ほど歩いた先にあった。
荒れた土地に並ぶ、似通った白布の天幕。
そのあいだを抜け、塔へ続く街道を越えると、やがて堀に囲まれた村落へと辿り着く。
外の世界が、あれほどまでに退廃していたというのに。
堀の内側には、驚くほど整った営みがあった。
道の両脇には商店や酒場、宿が並び、占い処の看板も見える。
住民のための石造りの家々も、雑然とした外縁の居住区とは異なり、一定の秩序をもって建ち並んでいた。
難民の一角もあるが、道中で見かけた徒営とは違い、そこに暮らす人々の顔に、飢えと絶望に沈んだ色は見られない。
石畳には排水のための溝が走り、その先には澄んだ水が流れている。
近隣を巡る支流は大河へと続いているらしく、村には簡素ながらも水利が整えられていることが窺えた。
周囲が賑やかさを見せる中、男はゆっくりとその一帯を見回した。
──これも、僥倖のなせる業か
淡茶色の長い髪を風になびかせながら、男は変わらぬ足取りで歩を進める。
眠っているかのように細められた瞳に映るのは──白い石造りの塔。
しかし、遠目から塔に見えたその建物も、近くで見ればだいぶ印象が違う。
それは塔というより、むしろ幾層も重なった小さな神殿群といった趣だった。
壁面を形づくる白石のあいだに埋め込まれた淡い白緑の石材。
夕刻の光を受けて輝く、随所に配された大理石がその神聖さを物語っているようだった。
入口に目を向けると、侵略から逃れてきた人々が列をなしている。
その顔は故郷を失った深い影が残っているものの、不思議と悲壮感は漂っていない。
この列の先には、癒しと希望があるという安心感からだろうか。
大人は難民とは思えぬほど穏やかな表情を浮かべ、子どもたちは順番を待ちきれないように、その傍らで小さく足を弾ませている。
男は人々の列を横目に見ながら、慣れた足取りで脇を通り抜け、
そのまま静かに塔内へ入ろうとした。
そのとき。
ちょうど用を終えたらしい父娘が、入口から出てきた。
「いやあ、間に合ってよかったわい。早いうちから並んだ甲斐があったな」
父親は、包帯の巻かれた腕を何度か曲げ伸ばししながら、感嘆したように続けた。
「やはり、あの姉さんの療術はすごいのう。あれだけ痛んでいた腕が、もうこんなに動く。おまけにあんなベッピンさんとくりゃあ──」
「ちょっと、お父さん。巫女様、でしょ?」
娘が呆れたようにたしなめる。
「そうそう、巫女様じゃった。だが、たった数度でここまで良くなるとはなあ」
父親は、痛みを忘れたように肩を回した。
「まったく、クシャーンの奴らめ。儂がもう少し若けりゃ、あんな連中まとめて叩きのめしてやるんじゃがな」
「はいはい──あっ」
娘が足を止めた。
男の姿に気づくと、ぱっと表情を明るくする。
「こんにちは」
笑顔とともに、小さく頭を下げる。
「おお。また世話になったぞ」
父親も、男を見て朗らかに声をかけた。
以前にも、何度か見かけた父娘だ。
男はわずかに微笑みを返し、小さく頭を下げてその後姿を見送った。
その後も、幾人かと顔を合わせ、その度に軽い会釈を交わしていたが。
後列の人々は順番が回らず終わってしまったためか、口々に不満をこぼしながらすごすごと塔の前を去っていく。
だが、待っている時と同様に、帰る時も彼らの顔には、不思議と悲壮感は見えない。
彼らは知っているのだ。
今日、自分の番が来なかったとしても──またすぐ次の機会があることを。
「……」
最後の一人が出ていくのを見届けると、男は塔の奥へと足を進める。
やがて辿り着いたのは、広い円形の間だった。
初めてここを訪れた者ならば、異様な場所だと思うかもしれない。
外の白さと穏やかさからは想像もつかないほど、室内は深い赤、紫、黒で覆われていた。
天井から床まで幾本もの柱が伸び、壁際の棚には魔術具や呪具の装飾品が雑然と並べられている。
禍々しい異形の彫刻。
見慣れぬ獣の骨。
光を吸うような鉱石と、用途の知れない硝子の器。
それらは、見る者に独特の不気味さを抱かせる。
だが、この場所こそが他でもない、傷つき疲れた避難民たちに手当てを施す場所だった。
「いつも、ご苦労さまです」
男は労いの声をかけた。
部屋の奥で黙して佇む巫女へ。
黒いコルサージュが、ほっそりとした身体を包んでいる。
白麻のヴェールの下から、金色の長い髪がさらりと揺れた。
*
「おかえりなさい。どうだった?」
高く、それでいてゆったりとした声が返ってくる。
女は振り返らなかった。
壁一面を覆う魔術具にも、棚に積まれた呪具にも目を向けず、ただ何もない壁だけを見つめている。
雑多なものに満ちたこの部屋で、そこだけが切り取られたような空白だった。
まるで“余白”を眺めているかのように。
あるいは、何もない“無”の境地に、静かに身を置いているかのように。
そんな様子も気にせず。
男はわずかに間を置き、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「勇気と恐怖の狭間で揺れている少年と」
「……」
「エルフが、一匹」
「……」
「以上です」
女は壁を見つめたまま、ぴくりとも動かない。
だが男には分かっていた。
振り返らずとも、その眉間には、わずかな皺が寄っていることを。
「……冗談ですよ」
はぁ、と小さな溜息が落ちた。
重大な話であればあるほど、あえて先に空気をほぐす。
それが男の癖だった。
もっとも、この人の前では、あまり効き目がない。
そんなことを、男は今さらながら思い出していた。
───
「はっきりしたことは申し上げられませんが、おおむね、お伝えしたとおりかと」
本来なら、目覚めるはずのないものだった。
いや。
目覚めるかどうかを論じる以前に、それは古い言い伝えの中だけにあるものだと、女も男もそう思っていた。
「“秩序の綻び。因果の流れに生ずる特異点”」
女は壁に顔を向けたまま、静かに言葉を継ぐ。
「“彼の地より召喚されし、御霊の依代がこれを排す”……か」
霊樹の森によって辛うじて保たれていたはずの均衡。
それを補うために遺された、ひとつの呪具。
長きにわたり、あの断崖の底に留め置かれていたもの。
いずれ目覚めるという者はいても、実際に目覚めるとは誰も信じていなかったもの。
それがいま、“何か”に呼び起こされた。
いずれにせよ、
生贄の烙印を刻まれながら、それでも現世に留まり続ける二人──本来ならあり得ぬ、その“異分子”を排するために、あの石が動き出したのは間違いないように思えた。
「生贄の烙印を刻まれた二人──それが、おそらくは『綻び』ということなのでしょう。そして、御霊の依代というのは……」
女が察したように、答えた。
「例の剣士と、淑女ってことね」
彼の地とは。
召喚されし御霊とは。
伝承の言葉だけでは、今確かなことは何ひとつ掴むことはできない。
だが──彼らを連れてきたであろうあの石を、
何が目覚めさせたのか。
そのことについてだけは、いくらか思い当たる節があった。
「黙示録に記された、五人目の誕生」
女は何もない壁を見つめたまま、淡々と口にする。
「それによって、現世と幽世の境が揺らぎ始めたことは、まず間違いないでしょうね」
本来、現世と幽世の均衡を繋ぎ止めているのは、世界樹に根を絡ませる宿り木──各地に存在する霊樹の森である。
それらは世界樹の力を吸い上げ、現世へ溢れ出ようとする幽世の気配を、辛うじて食い止めてきた。
しかし近頃、その霊樹が各地で失われつつあると聞く。
「ええ。それに加えて、“向こう側”で生じた何らかの異変」
男はゆるやかな声で続けた。
「それもまた、あれを呼び起こした一因ではないかと」
「異変?」
女が、ほんのわずかに顔を傾ける。
「彼の者たちが身に纏っていた、霧のようなものです。あるいは──幻光とでも申しましょうか」
はっきりと言語化することはできない。
そのため、男は手振りを交えながら、その様子を再現した。
「あの断崖にあった石からも、同じ気配を、ごくわずかですが感じ取りました」
「……!」
「そして興味深いことに──その幻光に触れたことで、あの地では起こるはずのない、奇妙な異変が生じていたのです」
「それがさっきあなたが話した……」
「ええ、無法者たちが次々と呑まれ、形亡き傀儡へと」
「……」
「いずれにしろ、二つの世の境界が揺らいだこと。そして、異なる理を宿す者たちの源流に、あの石が反応したこと」
男は、まるで独り言のように結んだ。
「いま思いつくのは……それくらいでしょうか」
だが、女はなおも腑に落ちないとでもいうように、ゆっくりと首を傾けていた。
彼の説明が誤っているとは思わない。
五人目の誕生により、揺らぎ始めた現世と幽世の境。
そして、“向こう側”から流れ込んだ、こちらの理にはない気配の充溢。
どれも、あの石が目覚めるに足る異変として納得できる。
だが、本当にそれだけだろうか。
それだけで、あれほどの存在を、世界の境を越えて引き寄せられるものだろうか。
何か、その力を揺り起こすほどの出来事があったはずだ。
(そう、例えば)
巨大な力の衝突。
それこそ、大地や大気を穿つほどの──
「それと、もうひとつ」
男の声が、女の思考を静かに断ち切った。
「彼らがあの遊色石に呑まれる直前、一人の人間が、ほぼ同時に呑まれたようです」
「人間?」
「はい。調べた限りでは、ただの人間です」
女は、ようやく何もない壁から目を離した。
その表情には、先ほどまでの退屈とも呆れとも違う、微かな警戒が浮かんでいる。
「彼の者たちは、その人物を追うようにして、石に呑まれたのかもしれません」
女は目を細める。
遊色石が、その人間の内にある何かを選んだのか。
あるいは、異郷の者たちを引き寄せるための囮として、先に呑み込んだのか。
どちらにせよ、理由を考えるより先に、言いようのない気味の悪さが胸をよぎる。
「石のくせに……自我でもあるというのかしら」
「しかし、もしその人間が、本当にあれに呑まれたのだとすれば……」
男は、そこで言葉を切った。
女はすぐに、その先を継ぐ。
「ええ。こちらには来ていないでしょうね」
声にあったのは、断定というよりも、知識に裏打ちされた冷たい推量だった。
「おそらくは“途中”で、彷徨っているはずよ」
その人物の生死はわからない。
だが、もしその者が、現世の理からわずかにでも外れた領域へ放り出されたのだとすれば──
「兎にも角にも」
女は視線を戻し、再び何もない壁を眺めた。
「これまでのことがすべて真実なら、彼らはいずれ、ここへ辿り着くでしょうね」
ゆるやかな声が、色彩の濃い広間に静かに落ちる。
「なぜ、そうお分かりに?」
「お告げがあったの。古い知人からね」
男は、その言葉の奥にある意味を察したのだろう。
背に手を組んだまま、もはや問いを重ねることはなかった。
「それにしても……ふふ」
女の声に、かすかな笑みが混じる。
「四方の陣、か」
面白い。
実に、面白い。
こんなところで、まさかその名を耳にするとは思わなかった。
四方の陣そのものは、数ある魔術のなかでも、もっとも基礎的な術式のひとつに過ぎない。
女の心を躍らせたのは、術の複雑さでも、その効力でもなかった。
その術を扱ったという魔術師の少女──
「あの人の、忘れ形見といったところかしら」
男は、予想どおりの反応に半ば苦笑する。
彼女の笑みには、遠い記憶への懐かしさも、少なからず滲んでいたのだろう。
女は金色の髪を揺らし、くるりと振り返る。
白麻のヴェールの隙間から、大きな青い瞳が覗いた。
「でも、もし本当に来るのなら──大所帯ね!
歓迎の準備をしておかなくちゃ」
その瞳には、まるで待ち遠しい祭りの日を数える子どものような、素直な光が宿っていた。
だが。
「烙印の者たちは、エルフヘルムへ向かうため、海へ出る予定だと聞いています」
男は、穏やかな声で告げる。
「こちらとは、まるで逆の方角です。彼らが、あの少女と行動を共にするかどうかまでは……」
女は、せっかくの楽しみを踏みにじられた子どものように頬をわずかに膨らませ、それから、ぷいと顔を背ける。
再び、何もない壁へと視線を戻した。
「でもさぁ……」
しばしの間を置き、女は反抗するような口調で呟く。
「もしそうなったら──ロマンチックだと思わない?」
「ロマンチック、ですか?」
「あの烙印は、魔の者を呼び寄せる」
女の声から、先ほどまでの軽さがわずかに消える。
「その肉を喰らうために」
生贄の血を求め、夜ごと闇から這い寄るもの。
本来なら、あの印が呼び寄せるのは、ただそれだけのはずだった。
「でも、あなたの話を聞く限り、いま彼らが呼び寄せているのは──」
女は、そこで言葉を止めた。
何もない壁を見つめながら、ほんの少しだけ笑う。
「まるで、彼らを喰らうための牙ではなく」
そして──
「彼らを生かすための──」
「それは、どうでしょう」
男は、その先に続く言葉を知っていたかのように、静かに答えた。
女は振り返らず、少し拗ねたように言う。
「ほんとうに夢がないわね。あなたって」
「よく言われます」
女は、傍らの卓から細身のパイプを取り上げ、
いつかの貰い物である小さな結晶でパイプに火を灯した。
そして、ひと息白い煙を吐きながら、ゆっくり窓辺へと歩み寄る。
夕陽が、塔の周囲を茜色に包んでいた。
視線を下へ向ければ、避難民たちが今日もまた、両手を合わせて祈りを捧げている。
失われた故郷のために。
残してきた者たちのために。
あるいは、明日も生きられるようにと。
「昨夜の月、綺麗だったわね」
女は空を仰いだ。
陽の名残が薄れてゆく彼方を見つめ、思い出すようにパイプをくゆらせる。
「ええ。それはもう」
男もまた、穏やかに答えた。
女はしばらく、何も言わなかった。
やがて。
「烙印を背負いし者たち」
煙が、窓の外へ流れていく。
「フローラの愛弟子。そして──異郷の者たち」
その声には、ささやかな祈りにも似た響きがあった。
「あなたたち全員が、あの夜、あの地で、同じ月を見ていたことを願うわ」
遠く離れた断崖で。
あの漆黒の闇の中で。
遊色の光が、変わらず、誰かを誘うように瞬いていた。