あんまり笑ってはいけないカルデア24時 作:パワーワード大好きおじさん
あの日、カルデアの定義は塗り替えられた。
かつての「人理継続保障機関」は、今や「絶対笑ってはいけない24時・極地観測編」へと姿を変えていた。オルガ・マギカという不条理な特異点の出現により、カルデアのシステムそのものがギャグ補正という名の強力な神秘に浸食されてしまったのだ。
廊下を歩けば、角を曲がった先でトーストをくわえたオカマっぽいヘラクレスと遭遇し、食堂に入れば、エプロン姿の言峰綺礼が「隠し味は、私の愛だよ☆」とウィンクを飛ばしてくる。
誰もが必死に、その口角が上がるのを耐えていた。笑えば最後、どこからともなく出現するイリヤとクロエの、魔力増幅型ハリセンが火を吹くからだ。
「……ふぅ。今日も無事に一日が終わりそうだね、マシュ」
管制室でコーヒーを啜るロマニの顔は、あまりにも過酷な連日の「耐え」によって、まるで仏像のように無機質で静かなものになっていた。
「はい、ドクター。先輩も、先程のゴルゴーンさんの『石化にらめっこ』、よく耐えきりました。お見事です」
立香もまた、感情の起伏を殺し、悟りを開いたような目をして頷く。
今のカルデアにおいて、感情はリスクであり、笑いは死を意味する。
しかし、この狂気と引き換えに、信じられないような奇跡も起きていた。
「人理焼却」という人類史上最大の危機。本来ならば一刻の猶予もないはずの旅路だが、なぜか「面白いから」というメタな理由で、魔術王側が待機を快諾。さらには、原因不明の「ご都合主義」という魔力資源が無限に供給され始めたのだ。
「補給物質も魔力もカンスト状態……。聖杯も何個か勝手に増えてるし、もうこれ、旅に出る必要あるのかな?」
ロマニがモニターを眺めながら、乾いた笑いを漏らす。
カルデアは今、人類史上最も安全で、最も居心地が悪く、そして最も腹筋に厳しい聖域へと変貌を遂げていた。
「はーい、みんな! お仕事中失礼するわよっ! マジカル☆おやつタイム! ぷるぷる♡」
背後のドアが開き、ピンクのフリフリをなびかせたオルガ・マギカが、アラサーの美貌を最大限に無駄遣いしたポーズで現れる。
一同の肩が、一斉に跳ねた。
絶対に笑ってはいけない、だが滅びることもない。そんなカルデアの、長く、そしてやかましい一日が、また今日も続いていく。
アーチャー・エミヤは慣れた手つきで包丁を動かしながら、厨房の窓越しに騒がしい廊下を眺めていた。
そこでは丁度、ハリセンを食らったロマニが情けない声を上げて転がっている。
「……まったく。心構えがなっていないな、この組織は。平和ボケにも程がある」
彼はフンと鼻を鳴らし、皮肉げな笑みを浮かべた。
人類最後の砦が、これほどまでに無秩序なメタ時空に呑まれるとは。だが、絶望に沈んで明日をも知れぬ日々を過ごすよりは、これくらいの方が「マシ」と言えるのかもしれない。……いや、マシか? 本当にこれが正解か?
守護者としての倫理観が微かに揺らぐが、彼は即座に思考を遮断した。今、彼がなすべきことは、飢えた職員や英霊たちの胃袋を満たすことだけだ。
その時、カウンターの呼び出しベルが、これ以上ないほど不躾に、連打されるように鳴り響いた。
「おい、いつまで待たせるんだ! 注文だ、注文!」
聞き覚えのある、高く、そして妙に自信に満ち溢れた不快な声。
エミヤの手が、一瞬だけ止まる。
「ワカメ蕎麦、大盛りだ。できるだけ早くしてよね。この僕を待たせるなんて、万死に値すると思わないかい?」
カウンター越しに顔を覗かせたのは、青い縮れ毛を尊大に揺らし、これでもかとばかりに胸を張った少年――間桐シンジであった。
かつての友である彼が、なぜここにいるのか。概念召喚か、あるいはこの「何でもアリ」の波が生んだ単なるバグか。エミヤの脳裏に、生前……あるいは別の可能性の、忌々しい記憶が走馬灯のように駆け巡る。
「…………」
エミヤの眉間に、深い皺が刻まれる。
視線の先には、これ以上ないほど「ワカメ」が似合う男が、ワカメ蕎麦を注文しているという皮肉な構図。
シンジはこれ見よがしに指を鳴らし、エミヤを顎で使おうとしている。
「なんだい、その顔は。早く作りなよ、弓兵。あ、ワカメは増量してくれて構わないからね。僕のヘアスタイルに敬意を表してさ!」
エミヤの頬の筋肉が、ピクリと痙攣した。
(耐えろ……。ここで笑えば、あるいは激昂すれば、あの魔法少女たちのハリセンが飛んでくる……)
彼は無言で麺を茹で、出汁を注ぎ、これでもかとばかりにワカメを盛り付けた。
どんぶりの中は、もはや蕎麦が見えないほどに緑の海と化している。
「……お待ち。ワカメ蕎麦だ。存分に食すがいい」
鋼の意志で表情を殺し、エミヤはどんぶりを差し出した。
シンジは「ふん、当然だね」と鼻を鳴らし、ワカメの山を箸で掻き分けながら去っていった。
エミヤは、彼が背を向けるまで一言も発さず、彫像のように硬直して耐え抜いた。
……だが。
シンジが戻ってきて、わざわざカウンター前の席に座る。
「ワカメこそボクの食卓に相応しい……」
悦に浸りながら呟いた瞬間、エミヤの背中に冷たい汗が流れた。
「…………っ、……っふ」
あぶない。
今、ほんの数ミリ、口角が上がった自覚がある。
エミヤは震える手で、まな板の上のネギを猛烈な勢いで刻み始めた。そうでもしなければ、鉄の理性が崩壊して、このカルデアで初めての「アーチャー・アウト」が宣告されてしまう。
視線の先、シンジはどんぶりを見つめて「ふむ」と不満げに頷いた。
「でもわかってないよな。なんだい、こんなんじゃ全然足りないじゃないか。気が利かないね、これだから名もなき英霊は困るんだ」
エミヤは刻んでいたネギの手を止めた。
シンジはそう吐き捨てると、あろうことか自分の頭頂部へと手を伸ばした。
そして、まるでお色直しでもするかのように、その特徴的な青い縮れ毛をガシッと掴む。
「……よいしょっと!」
生々しい音と共に、シンジの髪が根本から剥がれ落ちた。
それは髪などではなく、絶妙な塩加減で煮詰められた本物の「磯のワカメ」だった。
彼はそのワカメを無造作にどんぶりへと放り込み、満足げに割り箸を割る。
「やっぱり獲りたて(?)に限るね! いただきまーす!」
ズズズッ、と勢いよくワカメを啜り始めるシンジ。
そして、ワカメを失った彼の頭部は、照明を反射して眩いばかりに輝く、ハゲ頭であった。
「……っ、…………っ……っふ、ふふ、……あははははははは!!!」
鉄の理性。守護者の矜持。無限の剣製。その全てが、眼前の「自給自足ワカメ野郎」というあまりにも低俗で、あまりにも破壊的な光景によって瓦解した。
エミヤは調理台に突っ伏し、拳でステンレスを叩きながら、腹の底からこみ上げる爆笑を止めることができなかった。
✳ デデーン! エミヤ、アウトー!
食堂に鳴り響く、本日何度目かの地獄の鐘の音。
「正義の味方も、笑いには勝てないみたいだね!」
「その顔、記録しといてあげるわ。さあ、年貢の納め時よ!」
どこからともなく飛来したイリヤとクロエが、エミヤの背後を完璧に取った。
彼女たちの手にあるハリセンは、投影魔術すら凌駕する圧倒的な「物理(お笑い)」の質量を伴っている。
「まっ、待て、これは不可抗……ぐはっ!?」
「せぇーのっ!」
バチンッ!!と、食堂全体に反響する乾いた衝撃音。
赤い外套を纏った背中を、魔法少女たちのハリセンが容赦なく撃ち抜く。
「っ……! ぐ、……おのれ、間桐シンジ……! 覚えて、いろよ……っ!」
エミヤは床に膝をつき、激痛に耐えながらも、視界の隅でワカメをツルツルと啜り続ける少年を睨みつけた。だが、その滑らかな頭部を見るたびに笑いの発作がぶり返し、お仕置きのループが止まらなくなる。
食堂には、ワカメを啜る音と、最強のアーチャーがのたうち回る絶叫だけが空虚に響き渡っていた。
白亜の壁に囲まれた会議室に、かつてのブリテンを支えた最強の騎士たちが集結していた。
ランスロット、ガウェイン、トリスタン、モードレッド、そしてアグラヴェイン。
この「何でもアリ」の時空において、生前の確執などどこ吹く風。彼らはただ一点、主君であるアルトリア・ペンドラゴンの呼び出しを待ち、厳粛な面持ちで整列していた。
「来るか……?」
ガウェインが低く呟く。その場に漂うのは、王を迎えるに相応しい重厚な緊張感。騎士としての格の違い、精神の練度。彼らは自負していた。何が起きようとも、王の御前で失態を晒すことなどあり得ないと。
重厚な扉が左右に開く。
そこに現れたのは、オルガ・マギカと同様の、あまりにも暴力的な「ピンクのフリフリ魔法少女衣装」を纏ったセイバー・アルトリアだった。
「待たせましたね、円卓の騎士たち。人理修復に向け、ハッピーな作戦会議を始めましょう。……えいっ♡」
王が真顔で杖を振り、スカートの裾を翻す。
だが、流石は円卓の騎士。ランスロットは不動の構えを崩さず、トリスタンは静かに目を閉じ、アグラヴェインは事務的に手元の書類に目を落としたままだ。彼らにとって、王がどのような姿であろうと、王は王。その精神は鋼鉄の如く硬い。
「……ふっ」
その沈黙の中、モードレッドがわずかに口角を上げ、慈しむような笑みを漏らした。
(なんだ……父上、本当はああいう可愛い格好がしたかったのか? 案外、可愛いところがあるじゃねえか)
それは、反逆の騎士としてではなく、一人の子として父の意外な一面を肯定する、あまりにも純粋で温かい微笑みだった。
だが。
✳ デデーン! モードレッド、アウトー!
「……はぁっ!?」
虚空に響き渡る無慈悲な宣告。モードレッドは驚愕して周囲を見渡した。
「おい、ちょっと待て! 今のは笑ったんじゃねえ! 敬愛だ! 敬愛の微笑みだろ!? なんで俺がアウトなんだよ!」
「はい、理屈はいいから! 緩んだ顔をした時点でアウトだよ!」
「王への不敬を『可愛い』で済ませようとした罪は重いわよ!」
イリヤとクロエが、爆音を立てて現れる。
彼女たちの手にあるハリセンは、対粛正防御すら貫通しそうなほど禍々しい魔力を帯びていた。
「待て、やめろ! 父上の前でこんな醜態を――ぎゃあああああああ!?」
「しぇいっ!」
「反省しなさい、反逆の騎士!」
バチィィィィン!! と、会議室全体が震えるほどの衝撃音が炸裂する。
物理法則を無視した一撃がモードレッドの背中を捉え、彼女は床の上を数メートル滑っていった。
「ぐっ、……あだだだだ! なんだよこれ、クラレントで殴られた方がまだマシだぞ! クソ、納得いかねえ……!」
悶絶するモードレッドを、アルトリアはフリフリの袖で口元を隠しながら、相変わらずの真顔で見下ろした。
「……モードレッド。魔法少女の道は、そう甘いものではありませんよ。……ぷりっ☆」
去り際に放たれた王の決めポーズ。
今度はランスロットの肩が、微かに震え始めた。
「待ちなさい。会議を始めるなら、もう一人の私も含めるべきでしょう」
廊下から響く、セイバー・アルトリアよりもさらに深く、豊穣な響きを伴った声。
扉から現れたのは、聖槍を携え、成熟した女性のプロポーションを持つランサー・アルトリアであった。
しかし、彼女もまた例外ではなかった。
暴力的なまでに詰め込まれたピンクのフリル。豊かな胸元を強調するあざといレース。そして、アラサーのオルガマリーすら凌駕する「大人の魅力」をこれでもかと魔法少女の衣装に注ぎ込んだ、あまりにも破壊力の高い姿。まさにアラサーを越えたアラサー。
彼女は優雅に歩を進め、セイバーの隣に並び立った。
「……ダブル・アルトリア・マギカ、推参です。……はぴぴ☆」
真顔で、しかし一切の妥協なく放たれた二段構えの「はぴぴ」。
それは、もはや精神修養の域を超えた、概念的な暴力であった。
ランスロットは「騎士道とは、王とは……」と呟きながら、白目を剥いて泡を吹き始めた。
敬愛する王が二人、しかもどちらもピンクのフリフリ。彼の脳内にある『理想の王』の姿が修復不可能なレベルで破損した。
ガウェインは「ははぁ……太陽の輝きよりも、眩しいです、な……」と、虚空を見つめながら乾いた声を漏らす。あまりの視覚情報に、脳が『これは神々しい後光である』と誤認して防衛本能を働かせた。
アグラヴェインは唯一無表情を貫いていたが、ペンを握る手が「ミシミシ」と音を立てて折れた。書類に「王、魔法少女、なぜ」と延々と書き殴り、最終的に「……女というものは」と呟きながら椅子から転げ落ちた。
しかし、この地獄絵図の中で、物理的に崩壊したのは彼だった。
トリスタンである。
彼は常に目を閉じ、悲しみの旋律を奏でることで外界の不条理を遮断してきた。
だが、今の彼は目を見開き、その瞳はかつてないほどに潤んでいた。
「……ああ、なんと。……なんと、悲しいことでしょうか……」
彼は愛用の竪琴を床に置き、震える指先で顔を覆った。
「王が二人。……そしてフリルが四倍。……この、あまりにも……あまりにも『似合ってしまっている』という残酷な真実……! 私は、私は自分の感性が、これを『アリ』だと思ってしまったことに……耐えられません……!!」
彼は椅子から滑り落ち、床に四つん這いになって笑みを浮かべて号泣した。
それは笑いではなく、騎士としての美的感覚が、現実に屈服した瞬間の絶叫だった。
✳ デデーン! トリスタン、アウトー!
「はい、情緒不安定もここまで! 現実を見なさい!」
「あんたのその詩的な言い訳、聞き飽きたわよ!」
イリヤとクロエが、爆速でトリスタンの背後に回り込む。
今回のハリセンは、トリスタンの奏でる旋律に合わせたかのような、リズミカルな連撃となった。
「しぇいっ!」
「そいやっ!」
「オマケよっ!」
パパンッ、パンッ!! と、医務室まで届かんばかりの快音が会議室に響き渡る。
「あああああ! 痛い! 痛いですが……この痛みすら、魔法少女の慈愛……! 悲しい……あまりにも、悲しいです……!!」
のたうち回りながらも悲哀の言葉を吐き続けるトリスタン。
その横では、既に意識を失いかけているランスロットと、両手で目をおおうガウェイン、無言で書類を噛み締めているアグラヴェインが、ブリテンの終焉を体現していた。
王たちは、その惨状を背景に、二人並んで小首を傾げた。
「……次は、円卓全員でこの衣装を纏う必要があるかもしれませんね、セイバー」
「ええ。人理を守るためには、羞恥すらも捨て去るのが真の騎士です、ランサー」
オルガマリーの用意したお菓子でおやつタイムを楽しむ立香たち。
色々と苦労はあるが、こういう時間も悪くはない。たぶん。
ゆるい空気が流れ出すその部屋に緊急放送が入った。
「――ロマニ、急患だ。至急医務室まで来てくれ」
管制室に響き渡ったその声に、一同は凍りついた。
低く、理性的で、それでいてどこか芝居がかった傲慢な響き。それは間違いなく、あの日オルガマリーを奈落へと突き落とした男、レフ・ライノールの声だった。
「……レフ? なんで、あいつの声が……」
ロマニが震える手でマイクを掴み返そうとするが、放送は無情にも続く。
「そこからなら……何秒だ? まあいい、すぐに来られるだろう。ふはははは!」
あまりにも「お約束」すぎるセリフ回し。
だが、このカルデアは何でもアリのメタ時空に変貌している。死んだはずの所長がいるなら、裏切り者のレフが医務室にいても不思議ではない。
「……行くわよ。今の私なら、あの男をピンクの魔力で消し炭にしてやれるわ!」
オルガ・マギカがフリフリのスカートを翻し、決然と走り出す。
立香、マシュ、そして顔面蒼白のロマニがその後に続いた。
一行が医務室の扉を勢いよく開け放つ。
そこには、スーツを着た後ろ姿の男が立っていた。緑色の、見覚えのある特徴的な髪型……?
「レフ! 覚悟しなさい……!」
オルガマリーの声に、男がゆっくりと振り返る。
だが、そこにいたのは「レフ・ライノール」という概念を物理的に超越した何かだった。
彼の頭髪は、異常なまでの魔力補正によって巨大化し、全盛期のディスコスターも驚くほどの「巨大な緑色のアフロヘアー」へと変貌を遂げていた。その直径はゆうに二メートルを超え、医務室の天井を擦っている。
「……遅かったな。だが、見ての通り、私は『最終再臨』を終えたところだ」
真顔で、かつての裏切り者の声を出して言い放つアフロ・レフ。
「――っぶ、……ぶはははははは!!!」
沈黙を破ったのは、オルガマリーだった。
彼女は腹を抱え、床を転げ回った。あまりにもショボすぎる復活と、その頭上の圧倒的なボリューム感。アラサーの美女が、涙を流しながら「嘘でしょ、何なのよその髪、爆発したの!? ギャグなの!? 存在がギャグなの!?」と酸欠状態で絶叫する。
✳ デデーン! オルガマリー、アウトー!
「はい、自業自得ー! 所長だろうと容赦なし!」
「主役が真っ先に脱落してどうすんのよ!」
虚空から現れたイリヤとクロエが、床で笑い転げるオルガマリーに全力のハリセンを叩き込んだ。
「しぇいっ!」
「反省しなさいっ!」
「あだだだだだだ!! ちょ、待っ、ハリセンに魔力乗せすぎ……! あは、あはははは! 痛い、でもあの髪、面白すぎる……!!」
そして。
オルガマリーの断末魔に紛れて、もう一人、静かに肩を震わせている者がいた。
マシュ・キリエライトである。
彼女は盾を壁に立てかけ、口を両手で必死に押さえていた。
だが、アフロの隙間からこちらを睨みつけるレフ(?)のあまりに鋭い眼光と、その頭上から「パサッ……」と落ちてきたひとつかみの緑色の縮れ毛に、彼女の「真面目さ」が完全に破断した。
「……っ、……ふ、……ふぐぅ……っ!!」
鼻から抜ける、耐えきれない奇妙な音。
✳ デデーン! マシュ、アウトー!
「ああっ、マシュちゃんまで!」
「いい顔してたのにね、残念!」
無慈悲な魔法少女たちが、今度はマシュに襲いかかる。
「ひゃうんっ!? い、痛いです、痛い、ですけど……! だって、あんなの、あんなの卑怯です……! 誰があんな魔力リソースの無駄遣いを……!!」
医務室は、笑い声とお仕置きの衝撃音、そしてアフロを揺らしながら「次は誰だ?」と問うレフの声が入り混じる、混沌の極致へと至った。
立香は、自分自身の太ももを血が出るほどつねり、ロマニと背中合わせになって「わたしたちは石だ、わたしたちは石だ……」と虚空を見つめ続けていた。
こちらを笑わせようと視界に入ってきて、アフロヘアーをボインボイン♪とリズミカルに揺らす、アフロ・フラロウス。その振動が伝わるたびに、立香とロマニの横隔膜は痙攣し、胃の内容物が逆流しそうなほどの圧力に晒された。
しかし、やがて満足したのか飽きたのか、レフ(?)は一言も発さずに踵を返した。
巨大な緑の球体が医務室のドア枠に引っ掛かり外へ出れない。今のは本当に危なかった!
ギュウギュウと押し付けられ、摩擦音を響かせながらも廊下へと吸い込まれていく。そのまま、シュタタンシュタタンと軽快な足取りで彼は去っていった。ただのスキップである。
「…………行った、か?」
ロマニが、血走った目で立香に問いかける。
立香は、自分の太ももをつねりすぎて感覚がなくなった手を震わせながら、深く、重い吐息を漏らした。
「……行きましたね。……なんだったの、今の」
「わからない。……わからないけど、一つだけ確かなことがある。あいつ、わざわざあのアフロを維持するためだけに、トップクラスの魔術回路をフル稼働させてたよ。無駄すぎる……リソースの無駄遣いにも程があるよ……!」
ロマニは顔を覆い、医務室のベッドに力なく腰掛けた。精神的な疲労が致死量に近い。
「でもドクター、よく耐えましたね。わたし、もうダメかと」
「……正直、危なかった。あのアフロがドアに挟まった瞬間、僕の中の何かが弾けそうになった。でも、隣で立香くんが白目を剥いて般若心経を唱えてるのが視界に入って、それで逆に冷静になれたんだ。ありがとう、立香くん。君の犠牲は無駄じゃなかった」
「わたし、般若心経なんて知りませんよ……。ただのうめき声が出てただけです」
二人は、まだ廊下でハリセンの余韻に悶絶している所長とマシュを横目に、戦友のような固い握手を交わした。
「……なあ、立香くん。人理焼却が待ってくれてるって、本当にいいことなのかな」
「考えちゃダメです、ドクター。それを考えたら、わたしたちの負けです」
荒い息をつきながら、二人は地獄のような平穏が続くカルデアの天井を見上げた。
補給物資は潤沢、魔力も満タン。だが、彼らの精神(メンタル)だけが、ガリガリと削り取られていく。
「……さて。次は誰が、どんな『オチ』を持って現れるんだろうね」
ロマニのその不吉な予言に応えるように、廊下の向こうから、今度は重厚な鎧の擦れる音と、なぜか楽しげなサンバのリズムが聞こえてきたのだった。
次回で終わりです。