陽介は自宅へ少女を運び込むと、使用していない客間のベッドに壊れ物を扱うようにそっと置いた。
清潔なシーツの上で静かに眠る少女は、まるで祭壇に祀られた聖女のように静謐で、触れることすら躊躇われるような雰囲気があった。
「……さてと、これからどうするべきか」
ベッド脇の椅子に腰を下ろしながらも、陽介は深く長い溜息を吐いた。
常識的に考えれば、警察か救急車を呼ぶべきだろうが、あの登場シーンを思い出せば、それが最善手だとは思えない。
寧ろ余計なトラブルを招き、事態を悪化させる引き金になりかねないと陽介は判断した。
空の亀裂から落ちてきた少女── 普通の人間とは言い難いし、そもそも人間なのかすらも怪しい。
それに不可解なことがもう一つあった。
少女と出逢った当初は衣装や身体には擦り傷や汚れが見受けられ、ボロボロの状態だったはずだ。
しかし、背負って此処まで運んでくる間に傷は塞がり、今はどこにも怪我の痕跡が見当たらないのだ。
穏やかに眠るその横顔を見つめながらも、陽介の思考は空想の領域へと飛び火する。
別の星からやって来た異星人か。天上から舞い降りてきた天使や神の使いか。
あるいは小説やゲームでよくある、剣と魔法の異世界から転移してきた聖女様なのだろうか。
「……まさか、な」
不意に子供の頃に読んだ『かぐや姫』の童話を思い出す陽介。
物語の原典となった『竹取物語』では、帝からの求愛を受けたかぐや姫であったが、最終的には月から使者が迎えに来て月に帰るというオチであった。
目の前の少女の特徴は童話で語られるかぐや姫の姿に酷似しており、状況こそあべこべであるが、月から落ちてきたかぐや姫と例えるのがしっくりくる表現であった。
「かぐや姫、か……」
何とも突拍子もない考えだと自嘲しかけた、その時だった。
長い睫毛が微かに震え、少女がゆっくりとその瞳を開いた。
「──ッ」
目が合った瞬間、思わず少女に見惚れて動けなくなる陽介。
薄暗い部屋の中でもわかる淡い光を宿した瞳。
それはまるで夜空に浮かぶ満月のようであった。
コロンビーナの意識は、温かい微睡みの中にあった。
夢の中、彼女は重力のない薄暗い水面を漂っているような感覚に包まれていた。
(……身体が、軽い?)
今まで自分を縛りつけていた無数の鎖から解き放たれたかのように肉体が軽い。
それだけではない。
身体の奥底から際限なく力が湧き上がってくるのを感じる。
かつてないほどに純粋で、強大な月の力。
世界から己の存在そのものを拒絶されるようなあの嫌な圧迫感がない。
むしろ、この世界そのものが自分を歓迎し、祝福してくれているかのようだ。
枯渇寸前だった『月の神』としての権能は完全に戻った。
いや全盛期だった頃を遥かに凌駕するエネルギーが、指先まで満ち溢れている。
コロンビーナはゆっくりと瞼を持ち上げた。
視界が晴れると、見知らぬ天井と、見知らぬ男の顔が飛び込んできた。
「──ッ」
目の前で驚いた表情のまま固まっている茶髪の青年について、コロンビーナにはまったく心当たりがなかった。
敵意は全く感じられないが、そもそも此処が何処なのかすらも判らない状況である。
(……誰だろう?)
そんな疑問に首を傾げながらも、目の前で頬を赤くしたまま固まる青年と無言で見つめ合うコロンビーナ。
しかしベッドの近くにある窓から、優しい光が差し込んでいることに気づき、意識がそちらへと吸い寄せられた。
「…………」
──彼女の月神としての本能がその光を求めていた。
コロンビーナが窓から差し込む光に導かれるように外を眺めると、そこには星々が煌めく夜空があり、一輪の月が一際眩い輝きを放っていた。
「……あっ」
コロンビーナの瞳から、頬を伝うように一筋の涙が零れ落ちた。
それはテイワットで見た偽りの月ではない。
博士が欺く為に用意した機械仕掛けの月でもない。
遥か遠く、冷たく、けれど優しく包み込むように世界を照らす本物の天体。
──彼女が長い間、望郷の想いを抱きながら追い求めていた「本物の月」が、夜空に燦然と輝いていた。
次の大型アップデート「Luna IV」……1月14日が楽しみです。
「銀月の庭」が空っぽで、何時までも任務が進められないのが正直辛い。