「フリーレンって、ナイフの使い方上手いよな」
とある街のレストランで、赤毛の青年が朗らかに笑ってそう口にした。
青年、シュタルクの前では耳の尖った銀髪の少女が、肉を切り分けているところだった。
その所作は流麗であり、みるみるうちに切られていくというのに、音の一つも響かなかった。
「…………まぁ、ね」
パクリ、切り分けた肉を頬張って、銀髪の少女……フリーレンは小さく頷いた。
「フリーレン様は昔からお上手ですよね。羨ましいです」
そんなフリーレンに羨望の眼差しを送るのは紫髪の少女、フェルン。
フェルンは慎重に肉を切り分けていたが、耳を済ませばキコキコ、キィキィと時折音を響かせていた。
そして、もう少しで切れる、となった所でフェルンの持つナイフに少し力がこもり……皿と強く接触してしまう。
キンッ
少しだけ大きく響いた皿を擦る音に、フェルンの眉間に思わずシワが寄った。
「むぅ……」
小さく不満の声を漏らしながらも、フェルンは切り分けた肉を頬張るのだった。
「あんまり気にしないほうが良いよ。食事はね、楽しんでするもの。マナーを守る事に固執して嫌な気持ちになるくらいなら、やらなくたって良い」
「そういうものですか……」
諦めてキコキコと音をたてて肉を切り分け始めたフェルンを、フリーレンは優しい目付きで見守っていた。
「へぇ、なんつーか勝手なイメージだけど、食事は栄養補給でしかない、みたいな事言うかと思ってたぜ」
フェルンに比べればまだ付き合いの浅いシュタルクは、感心したように笑った。
自身が幼少期からの付き合いであるフェルンはそのイメージに見た目だけなら、と内心で頷いていた。
服も髪も肌も白く、幼げとはいえ整った容姿をしている上に、言葉に抑揚があまりつかないフリーレンは、冷たい印象を与えがちだ。
故に、食事をそう捉えていると思っていても不思議ではないと思っていた。
けれどフェルンは知っている。
意外とフリーレンは食べる。
というか物凄い食い溜めをする時がある。
放浪していた頃の名残りと聞けば詳しく聞くことは憚られたが、食べているものは別に特別栄養価の高いものではない事から、時折ただいっぱい食べたくなるだけなのだろうと解釈していた。
「確かに言いそうですね。でもフリーレン様にはちゃんと好きなものがございますし、苦手なものもございます。あまり私達と変わりませんよ」
「そうだよな、わりーなフリーレン」
苦笑するシュタルクに、フリーレンは僅かに頷いて、小さく首を振った。
「……いや、まぁ、そうだね。そんな時期もあったから、そこまで的外れって訳でもない、か」
そう会話している間にもフリーレンの皿の肉は次々と消えていき、最後の一口を飲み込んでから、そう呟いた。
へぇ、とシュタルクが興味深そうにフリーレンの顔を覗き込む。
「じゃあなんで今は変わったんだ?」
「シュタルク様、レディの過去を詮索するのはあまり褒められた行いではありませんよ」
面白そうなシュタルクをフェルンが嗜めるも、その顔はフリーレンを見つめていて、気になっている様子を見せていた。
それを見て、フリーレンは呆れたように小さく息を吐く。
別に面白い話でもないというのに……。
「あ」
そこでふとフリーレンは思い出した。
芋づる式に紐解いていた記憶から、『約束』を思い出したのだ。
不意に動きを止めたフリーレンを二人訝しむように見つめた。
そのまま言葉を続けようとしたフリーレンだったが、ふとまだ手にナイフとフォークを持っている事に気付いて、口を閉じた。
そのまま真顔でナイフとフォークを置いたフリーレンは口元をナプキンで拭いて、そっと手を合わせた。
「御馳走様でした」
想いの強く籠った言葉と礼儀正しい態度に、何か言いたげだった二人は思わず口を閉じる。
背筋をピンと伸ばし、目を瞑り感謝を告げるフリーレンの姿は、ひどく絵になった。
神々しさすら感じる姿に二人が息をのみ……。
「用事を思い出したから、次の目的地はそこね。寄り道になっちゃうけど、良いよね?」
唐突過ぎるその言葉に、その神々しさは一瞬で霧散していった。
「「用事?」」
怪訝な表情の二人の声が重なる。
フリーレンはそれ以上詳しく言う事はなく、何気なく周りを見回した。
落ち着いた雰囲気のレストランであるこことは、まるで違う、そんな騒がしい中だった。
「うん。ちょっと会わなきゃいけないんだ。思い出せて良かった。これで……約束が果たせる」
そっと目を閉じる。
その言葉には、万感の想いが込められていた。
思いを馳せるのは、出会いの時。
かつて勇者一行として旅をしていた時。
たった十年の旅の中の、ほんの一幕。
とある
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「やあ、突然すまない、相席良いかな」
そう声をかけてきたのは、燃えるような赤い髪の女性だった。
「僕は構わないけど……」
対応するのは青銀の髪の涼やかな容姿の青年、ヒンメル。
ヒンメルは席を共にしている旅仲間へと視線を配った。
僧侶で人間のハイター、戦士でドワーフのアイゼン、魔法使いでエルフのフリーレン、三人は特に異論はないようで表情を変える事なく僅かに頷いた。
「うん、みんな大丈夫だって。どうぞ?」
「いやぁありがたい。かわりと言ってはなんだが一品好きなものを注文してくれ。奢らせて欲しい」
女性は笑みを浮かべながら感謝を述べて、六人がけのテーブルの席の一つ、フリーレンの隣に腰掛けた。
そんな女性の申し出に真っ先に反応したのはハイターだった。
「では、エールを大ジョッキで……」
「まだ飲むのか? 俺は葡萄で良い」
「私はメルクーアプリンかな」
思い思いに答える仲間をヒンメルは微笑みを浮かべて見回し、改めて女性へと顔を向けた。
「好意に甘えよう。そうだね、僕は……みんなで摘まめるようなものでも頼もうかな」
女性は笑みを返して、大きく頷いた。
「ふふふ、変な遠慮をしないでくれて、むしろありがたいよ。まぁ何はともあれ注文させて貰ってもいいかな? これでもそこそこ空腹でね、このままではお腹と背中がくっついてしまう」
「あはは、それは大変だ。なかなか美味しいよここは」
「それは楽しみだ。出先での食事は私の数少ない趣味でね。正に旅の醍醐味といったところだ。っと、注文いいかな? エールを大ジョッキで、それと葡萄とメルクーアプリン、オススメの食事とツマミを一つずつ頼むよ」
「はい、かしこまりました!」
辺りを見回せば店内は人で溢れ、給仕が忙しなく店内を行き来している。
ガヤガヤと騒がしい中、髪を後ろで結い上げた、所謂夜会巻きにしている女性はニヤリと笑った。
「いやあ、騒がしいが良い店だ。給仕にも笑顔が溢れていて気持ちが良い。人で溢れているのも納得がいくな。味はどうだい?」
女性が朗らかに言葉を紡ぎ、話し掛けたのは隣で黙々とパンとスープを頬張っていたフリーレンだった。
フリーレンはチラリと女性に視線だけ投げると、どうでも良さげに手元のパンに戻した。
「……別に。普通かな」
具のたっぷり入ったスープは未だに湯気をたて香しい匂いを放っているものの、フリーレンはそれを意に介した様子はない。
無表情に無感情に頬張る姿は、食事を楽しんでいるようにはとても見えなかった。
「……いかんな」
そんな様子を見て、女性の笑顔がふっと消えた。
ガタリと音を立てて席を立った女性は、フリーレンの背後に立つ。
そして、ボンヤリとパンをむさぼっていたフリーレンへと後ろから手を伸ばした。
「そんな仏頂面では、美味いものも不味くなりかねんぞ」
「んむ」
口元を左右から引っ張られたフリーレンの頬が、無理矢理吊り上げる。
笑みのようなものを強制的に浮かべさせられたフリーレンの瞳が、不愉快そうに細まった。
「……何するのさ」
「なあに、まずはちょっと頬を吊り上げてみるだけで良い」
フリーレンが鬱陶しそうに手を払えば、女性は即座にパッと離れる。
そのまま流れるように丁度給仕が運んできた料理を受け取り、テーブルへと並べていった。
アイゼンとヒンメルは並べられた料理に手をつけず、二人のやり取りを眺めるようだ。
「来ましたか、ではお先に失礼します」
ハイターはそのままエールの入ったジョッキを傾けていた。
そんな様子を気にした様子もなく、女性は言葉を続けた。
「食事は楽しんでするものさ。食自体の味だけではない、食べる場所の雰囲気も楽しみ、食を共にする者達と語らうのも良い。食事とはね、目で、耳で、鼻で、唇で、舌で、全てで味わい尽くしてこそ、食に対する感謝を示せるのだよ」
「……感謝?」
怪訝そうなフリーレンに、女性は力強く頷く。
瞳を柔らかく細め、言葉を続けた。
「そう、感謝だ。食とは命を頂くものだ。そのパンは麦という命を使って作られている。スープも使われている野菜達も全ては元は懸命に生きる命だ。……肉だけだと思いがちだが、植物も生きている限りそれを食らう我々は、その命を頂く事に感謝せねばならん」
女性の言葉に同意を示すように深く頷いたのはアイゼンだった。
ヒンメルは興味深そうに様子を伺いつつ、納得の色を見せている。
ハイターは半分程飲んだジョッキから口を離し、テーブルにそれを置くと粛々と祈りを捧げ始めた。
場所が満員御礼の食事処ではなく、祈りを捧げるのが酒でさえなければ、敬虔な信徒のようであった。
「……考えた事も、なかったな」
フリーレンは、食べかけのパンをまじまじと眺めた。
食べる事にそこまでの意義を感じていなかったフリーレンなのとって、それは新鮮な考えであり、納得出来る内容であった。
そうしてそうなれば、自分の行いを気にしてしまうのは至極当然と言えた。
「……どうしたら良い?」
フリーレンの問い掛けに、女性は笑みを深めた。
「なぁに、小難しい事を言ったが、簡単な事だ。食事を楽しむ! それだけで良い! 折角頂いた命だ、美味しく食べて糧にしないほうが失礼だろう? 手始めに、そうだな……とてつもなく不味いものでもない限り、笑顔でゆっくりと噛み締めて食すと良い! そうすれば自ずと食を楽しんでいけるものだ!」
「笑顔……ね……」
パンを頬張ったフリーレンは、頬を吊り上げると味わうように数度ゆっくりと咀嚼をしはじめた。
香ばしい皮を抜け、口の中に広がるのは小麦の香り。
仄かにバターの香りが鼻を抜けていく。
噛み締めれば香ばしさから顔を出す甘さ。
改めてゆっくりと味わったパンの味は、さっきと同じものなのにまるで別物のように感じた。
そこで目を見開いたフリーレンは、瞳を数度瞬かせた後、笑みを浮かべた。
ついさっきとはまるで違う、自然な笑みだった。
「……美味しい」
思わず溢れただろうフリーレンの言葉を聞いた女性は、笑みをより深くし、フリーレンの頭に手を置いた。
優しく、髪に沿うように撫でる手つきは手慣れているようだが、フリーレンは僅かに目を細めた。
「おお、すぐに実行出来るとはな。良い子だ」
「……子供扱いするな」
「おっと、レディに失礼だったな。失敬失敬」
即座に手を離した女性は笑みを浮かべたまま、フリーレンの隣に腰掛ける。
目の前にはサラダと、湯気の立ち上る肉ソテー。
更にパンとスープまでついたご機嫌な定食だ。
「……っと、そういえば自己紹介がまだだったな。歳を取ると説教臭くなって敵わんね。重ねて失敬」
頭を軽く下げ、女性は前髪をかきあげる。
黄土色の瞳が、一行を見回して柔らかく細められた。
「私の名前は……
ミア、と名乗った女性は両の手を合わせて料理へと頭を下げた。
ピンと背筋が伸びた瞬間、纏う雰囲気が変わる。
浮かべていた朗らかな笑みも消え、目を瞑った姿は何処か静謐な雰囲気すら漂っていた。
その雰囲気に、ヒンメル達は自然とのまれていた。
元より食事の手を止めていた事もあるが、ミアの挙動に目を奪われていた。
そのテーブルに訪れる一瞬の静寂を、ミアの声が打ち破った。
「いただきます」
手を合わせるのを止め、ナイフとフォークを手に取り笑みを浮かべた瞬間、その静謐な雰囲気は一瞬で霧散していった。
それでも、その一連の動作にヒンメル達はそれぞれ感じるものがあったようで……既に食べている途中だったというのに気付けばそれぞれ手を合わせていた。
『いただきます』
異口同音に響いた声に、ミアはナイフとフォークを握り締めたまま瞳を瞬かせていた。
その後は誰からともなく笑みが溢れ、顔を合わせて五人は笑いあう。
やがて、テーブルは賑やかな雰囲気に包まれ、周りの喧騒に紛れ……賑やかに、穏やかに、夜は更けていった。
それが、後に魔王を討伐する事になる勇者一行と、