少し、遅くなりました。
「なっ……何故……」
ヒンメルとフリーレンは、いつまでもこない衝撃に疑問を覚えた。
まさか痛みもなく死んでしまったのかと頭に過るも、五体の感触と、触れ合う互いの温もりがそれを否定していた。
生きてる事、痛みもない事を不思議に思いながらも、恐る恐る目を開いた。
そこにあったのは、赤。
燃えるような赤い髪と黒い角、そしてその背中から貫通し血塗れになった影の槍だった。
「っ……な……」
辺りには砕けた影の槍が散乱していて、ヒンメルにもフリーレンにも傷一つついていない。
傷ついているのは一人だけ……ヒンメルとフリーレンの前に立つ、ミアだけだった。
「ロザミア!? 何故お前が……クソ、これじゃ魔王様の命が!?」
ミアに突き刺した槍から手を離し、シュヴァルは一歩、二歩とよろよろと後退する。
困惑した様子で、顔を歪めて。
そんな混乱のただ中にいるシュヴァルへと、体勢を整えたヒンメルは一息に近接した。
ついさっきフリーレンを抱き抱える為に手放した剣はそのままに、ただ感情のままに。
シュヴァルが反応したのは、その拳が顔面にめり込んでからだった。
「あぁあああっ!」
「なっぐぼぉ!」
そのままシュヴァルは殴り飛ばされ地面を転がるが、それだけ。
致命傷には程遠い上に、人間ごときに殴られた事で動揺も収まってしまう。
ギロリ、素早く身を起こしたシュヴァルの怒りに燃える瞳がヒンメルを睨み付けた。
「き、貴様ァ……!」
その瞬間、ミアの口が弧を描いた。
「ふふ……流石はヒンメルだな……」
「あぁ!? ロザミア! 貴様何を――」
激昂するシュヴァルに反応する事なく、ミアはただ一言、呟いた。
「『解除』」
ズドンッ!
「――言って……?」
シュヴァルの言葉はそれ以上続かなかった。
突如動きだし、振り下ろされた斧が、その体を両断したからだ。
許容範囲以上のダメージを負った体は、塵に変わっていく。
目を見開くシュヴァルは既に自分が助からない事を理解した。
最早痛みすら感じず、視界はボヤけ、自慢の魔力は霧散していくばかり。
それなら、助からないのなら……。
「きさ……まら……も……!」
道連れにしてやる。
言葉にはならなかったが、辺り一面に発生した漆黒の棘がその最期の、死に際の叫びを物語っていた。
影の棘は辺り一面、樹上からすら伸び、四方八方全てを覆い尽くしていた。
未だ自分の現状を飲み込めず事態の移り変わりに目を白黒させるアイゼンとハイター、無手で構えるヒンメル……そして、杖を構えたフリーレン。
「皆、目を瞑って」
フリーレンの静かな、けれど辺りに響き渡る声に誰もが素直に従った。
構えた杖の先に、今にも破裂しそうな光が見えたから。
次の瞬間、杖の先の光が破裂し、既に日の落ちた夜の森を真っ白な光が照らし尽くした。
辺りを埋め尽くしていた影は、その光に照らされてかき消えていく。
最期の悪足掻きすら失敗に終わり、更に消えきっていなかった体すら、光に溶かされ、消えていく。
視界は真っ白で体の感覚もなく、それでも……自分がこうなった原因へと、そこにいるだろう存在を、精一杯睨み付けた。
「くそ……がぁああ……! ロ、ザ……ミアァアアアア!」
最後に怨嗟の声を残し、『潜行のシュヴァル』は光の中塵へと還っていった。
光が収まった時、そこにはヒンメル達と……腹から夥しい出血をしたミアが立ち竦んでいた。
ヒンメル達の視線は、自然とミアへと集まっていった。
そして、身構えたままのヒンメル達へと、ミアはゆっくりと振り返った。
「…………ゴプッ」
柔らかないつもの笑みを浮かべて、開いた口から漏れたのは夥しい量の血だった。
膝は力なく折れ、グラリと傾いた体は、そのまま仰向けに倒れこんでいった。
とさっ
そんなミアの体を、すぐ後ろにいたフリーレンが思わず受け止めていた。
それを誰もが意外そうに見ていた。
誰であろう当の本人ですら、目を丸くしていた。
何故、自分は受け止めているのか。
ミアの体から垂れた血が自身の白い服を汚しても、フリーレンは支える手を離さなかった。
「……おっと、すまないな、フリーレン。後で洗濯に出しておいてくれ。今日の洗濯担当はアルフレッドだった筈だ……まだ幼いが働き者の少年で……」
「なんで庇った」
ミアの言葉を遮り、問いかけた。
ミアの行動はあまりにも不可解だった。
「あのままなら私とヒンメルは死んでた……人を食いたいお前からしたら、そのほうが良かったんじゃないの?」
フリーレンの言葉通り、あのままならば二人は即死しないまでも、致命傷に近い傷を負った事だろう。
それは、人を食らう魔族であるミアからすれば、歓迎すべき事。
ましてやフリーレン達はミアを倒そうとしていたのだから、庇う必要性など微塵も存在しない筈だ。
あまりにも解せない行動に、フリーレンは怪訝な表情でミアを睨み付けた。
「なんだ、そんな事か」
けれどミアは、なんて事ないように、カラリとした笑みを見せた。
「私にとってはな、フリーレン。君達が美味しそうと思う事と……君達に死んで欲しくないと思う事は……両立するんだよ」
フリーレンの顔を真っ直ぐ見詰めて放たれたのは、フリーレン達にとっては理解に苦しむ言葉だった。
困惑するフリーレン達を置き去りに、ミアは満面の笑みを浮かべた。
「なんせ、私は君達が大好きだからな! 無事で何よりだ!」
ハハハ、と大口で笑うミアに、いつもの笑いに、いつもの様子にヒンメル達の緊張は不思議とほどけていった。
呆れたようにアイゼンは目を伏せ、ハイターは苦笑を漏らし、ヒンメルはミアをまっすぐ見詰めていた。
気付けばそこにはこの一月の、いつもの空気が流れていた。
目の前の、フリーレンの腕の中にいるのは、結局のところ『旅仲間のミア』だった。
ミアの体を支える手を震わせて、フリーレンは小さく呟く。
「
「ハハハ、そうかもしれんな」
小さく笑みを浮かべたフリーレンに、ミアは笑い返した。
笑うミアの、今も血を垂れ流す貫通した腹部が……塵となり始めていた。
それをフリーレンは、なんとも言えない、複雑な表情で見つめていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
フリーレン達が屋敷に滞在して、一週間。
日々美味しい料理に舌鼓をうち、穏やかに過ごしていた。
一週間目の深夜、屋敷の主の部屋では、カリカリという何かを書き込む音と、紙を捲る音だけが響いていた。
「……ふぅ」
カランッ
やがて手を止めた部屋の主が放った羽根ペンが、ペン立てに置かれて小さく音をたてた。
パタン
それに気付いた白い客人は、読んでいた本を閉じて、部屋の主に向けて口を開いた。
「それで、終わり?」
「ああ、私が記すべき事はこれで全部だ。漸く……終われるな」
部屋の主は、燃えるような赤い髪を靡かせ、椅子に座ったまま後ろに振り向いた。
黒い角が頭の横から沿うように生え、人外である事を示している。
大魔族『悪食のロザミア』が、部屋の主の名前。
ロザミアは椅子に深く腰掛けると、不意に腹部をおさえて顔を歪めた。
その様子に客人、かつて魔王を討伐したパーティの一人、魔法使い、エルフ『葬送のフリーレン』は眉を寄せた。
「……痛むの?」
「死ぬ程痛いだけだ。まぁ、実際致命傷だったのだから当然だがな」
ロザミアは……勇者パーティと一時的に旅を共にした、旅仲間『旅人のミア』は腹部をおさえたままニヤリと笑った。
触れている服の向こう側、腹があるべき場所はがらんどう。
塵となりかけている魔族の腹だったのものがあるだけだった。
「それにしても、だ。フリーレン、君が弟子を取るとは思わなんだ。冒険を終えた時、アイゼンに勧められても断ったのだろう? どういう風のふきまわしだ?」
「……なんで知ってるの? ……まぁ、気が変わったんだよ」
「ふふふ、そうかそうか……優しいままに、良い方向に変わったものだな、フリーレン。安心したよ」
心底安堵したと笑うミアに、フリーレンは言葉に詰まってしまった。
不服な様子で黙り込むフリーレンに、ミアはより笑みを深くした。
「フェルンもシュタルクも、素直で良い子達だな。可愛らしい。それでいて魔法使いとして戦士として既に一戦級だ……素晴らしい。ハイターとアイゼンと関わりが深かったのも丁度良い。あの二人には……これを渡しておいてくれ」
そう言ってミアが差し出したのは、二冊の分厚い本だった。
それぞれに、『ハイター』『アイゼン』と刻まれている。
「……これは?」
「ハイターとアイゼンについて私なりに纏めた本だ。言っただろう? 君達に命乞いをする時、本を書き遺したい、と」
ミアは今、自身の魔法によって自分の時を止めている状態だ。
あの時、槍に腹を貫かれた時点でもう、ミアの体は致命傷を負っていた。
フリーレンの腕の中、自分の体が塵となり始めた時に、死にたくないと思ったミアは『時を止める魔法』によってその状態を固定した。
死ぬ事はないが常に激痛に苛まれ、何かを食べても体に吸収される事はない。
それは想像を絶する苦痛、自分だけが時から弾かれた状態で過ごす日々は、フリーレンですら僅かに共感出来る程度だ。
それでもミアはそれを選んだ。
そのまま死ぬ以上の苦痛を感じ、数十年の時を過ごす事を。
「この数十年、ずっと本を書き続けていた。私の全てを何かに遺す為に、ね。なかなかに辛かったよ。食べる事も出来ないからね。実を言えば君達に振る舞った料理自体も久々にしたものだから、かなり不安だったよ。味見も出来なくてね」
「そう、だね。前とはちょっと味違ったかも」
「たはー、それは参ったね。やはり料理しなければあっという間に腕は錆び付くものという事か……」
こうして会話している間も、死ぬのと同等の苦痛を味わっているというのに、先ほど顔をしかめてからは尾首にも出さない。
だからフリーレンもそれ以上言及する事はなかった。
「でも……前より優しい味になってたかも」
……それでも、多少のリップサービスくらいは、しても良いと思えた。
そんなフリーレンを見て、ミアは一瞬目を丸くしてから、ニンマリとした笑みを形作った。
「くっくっくつ……君からそんな言葉が出るとはね……よっぽど良い経験を積んだと見える……ふふふ、羨ましいよ」
「むぅ……笑う事ないじゃん」
からかいに頬を僅かに膨らませるフリーレンに、ミアはより笑みを深めた。
ミアの言葉に、羨望を感じて……けどそれをどうする事も出来なくて、互いにどうしようもないことを理解しているからこそ、二人はそのまま会話を続けた。
他愛もない、身にもならない、くだらない会話を。
ハイター、アイゼンとは文通をしていた事や、ヒンメルはたまに様子を見に来ていた事。
皆がそれぞれ、フリーレンは薄情だと笑っていた事。
孤児院が盛況で悲しいと、手紙が届くのが楽しみだと、髪が無くなって正直寂しいと。
こんな魔法が手に入ったと、ダンジョンでミミックに噛みつかれたと、寝過ぎて夕焼けだったと。
数十年の間に会わなかった間に起きた事を埋めるように、色んな事を話した。
やがて話題は尽きて、いつの間にかミアに差し出されていた甘く温かい飲み物もなくなって……部屋には静寂が満ちていた。
だが、その表情は対照的だった。
満足そうに笑みを浮かべるミアに対して、フリーレンは何処か落ち着きのない様子を見せていた。
眉を寄せて、口を引き結んで、僅かに足を震わせて。
二人の視線が交わり、思わず俯いたフリーレンを、ミアは優しい表情で見つめていた。
「……そういえば、エーラ流星群を見に行くという冒険に誘ってくれてありがとう、フリーレン。結局行けはしなかったが……私も君達の仲間のように思えて、凄く嬉しかった」
「……ミアも、仲間でしょ?」
その問い掛けに、ミアは静かに首を横に振った。
「そうだな、旅仲間だった自覚はある。けれど、やはり私は本当の意味で君達とは仲間になれなかったのだと思うよ。きっと28年前の君達の最後の冒険は……エーラ流星群は、君達四人で見るのが正しかったんだと思う。私はそれを、最後の君達の冒険を聞けただけで満足さ」
微笑んだまま、静かに言葉を続ける。
「結局、君達と再び旅に出る事はなかったが……私は満足さ。書きたい事は書けた。私の従者達も皆、ここを巣立っていった。残るのは物好きなアルフレッドだけ……こんなボロい屋敷だが、後は彼に任せて……」
真っ直ぐ、フリーレンを見つめて、ミアはゆっくりと、目を細めた。
「私の生を、終わらせよう。自分では『時を止める魔法』を解除する事は出来ない……死ぬとわかってる行動を、魔族の本能が無意識に止めてしまうんだ。だから、約束を果たすよ、フリーレン。私を、殺してくれ」
俯いたままのフリーレンは、ピクリと肩を震わせた。
そのまま、少しの間沈黙が流れる。
暫くして顔をあげたフリーレンは、眉間に皺を寄せたまま、小さく息を吐いた。
「ヒンメルとハイターがいなくなって……もうアイゼンしかいなくて、そのアイゼンにも老いを感じて……そんな状態で殺してくれなんて、ミアは厳しいね……」
「どうせ遅かれ早かれ、私の魔法はいつか解ける。所詮死期を停滞させているだけだからな……魔力を生成する事もない私の体では、永久に時を止めてはいられない。君ならもう、わかっているだろう? もうそこまで時間の余裕はない。それなら……せめて君に殺されたい。もう、解析は終わっているだろう? 君ならもう、私の魔法を解除出来る筈だ」
「……わかってるよ」
俯いたままのフリーレンが、その手をゆっくりとミアに伸ばす。
両手で挟み込むように肩に手を当てて、魔力を滾らせた。
ミアは俯いたままのフリーレンの頭に手をあて、ゆっくりと、優しく、流れにそうように撫でた。
「なあ、フリーレン。私は幸せ者だ。……私はな、死んでも何も遺せず消滅するだけの魔族として生きて行くのが、ずっと嫌だったんだ。人が生きて何かを遺し、繋げて新たなものを作り出す光景が、羨ましくて仕方なかった」
ミアはそこで、満面の笑みを見せた。
「それが今、私はこうして本という形で書き遺せた! いくつも書き上げる事が出来た! それに君も覚えていてくれるだろう? 魔族として産まれた私にも、遺せるものが出来た……これ程嬉しい事はないよ、フリーレン」
キラキラと、フリーレンの手が光を放ち始める。
それはゆっくりと、ミアの体を包んでいった。
「ありがとう、フリーレン。私に時間をくれて……お陰でもう、後悔はない」
「……此方こそ、ありがとう……ミアとの旅は、楽しかったよ」
フリーレンは優しい微笑みを浮かべて、ゆっくりと顔をあげた。
その顔は、ミアにしか見えなかったが……ミアは笑みを崩す事はなかった。
「はは……。ああ、やはり、素晴らしいな、人間は! やはり私は、人間が大好きだ! フリーレン、これからの君の旅の幸運を、祈っているよ。ヒンメルとハイターに……宜しく」
ミアは満面の笑みを浮かべていた。
フリーレンの手から溢れた光に包まれ見えなくなる、その寸前まで。
心の底から、幸せそうに笑っていた。
「『
屋敷の主の部屋、そこには白い客人一人だけが佇んでいた。
その頬を一粒の滴が伝い、その手に持つ本にポタリと落ちる。
その本の表紙には、こう書いてあった。
『葬送のフリーレン』と。
悪食のロザミアより、愛を込めて。
著、勇者達の友人、旅人のミア。
一先ず、無事にコロコロされたので、本筋はおしまいですかね……。
ただ、もう少しだけ続くんじゃ……。
誤字報告ありがとうございます。