メロンパン「私は、天使を見た」   作:さかは

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沢山の感想ありがとうございます。
今回、オリジナル設定(二作品の世界観の擦り合わせ)がありますので、ご注意ください。


五条悟は小鳥遊ホシノを見た

 『私は、天使を見た。』

 

 呪術界の歴史で、やけに有名な一文だ。

 呪術の授業を受けたことのある人間なら必ず目にする。

 国語で言うなら“春はあけぼの”。

 数学で言うなら“微分積分”。

 呪術ではこれだ。

 

 明治の頃、加茂家のイカれた呪術師が“神秘”という、呪力に並ぶ、新たな“力”を発見し、それ以来、術師の世界はもう一つ別の枠組み……神秘を扱う少女である“天使”を持つことになった──

 

 そう教科書には書いてある。

 

 で、そこから先はお決まり。

 神秘がどうだの、ヘイローがどうだの。

 加茂憲倫がどれだけヤバい実験をしてたのかだの。

 まあ、眠くなる話だ。

 

 ──退屈。

 

 先が全部わかってる授業なんて、聞くだけ無駄だ。

 寝たほうがまだ建設的。

 うん、完璧な結論。

 

 そう判断した五条悟は、そのまま机に突っ伏して眠りに落ちた。

 

 

 *

 

 

 

 教室に乾いた声が響いた。

 

「……とる。」

 

 最初は囁くような小さな声だった。

 しかし、五条悟の耳には届かない。

 机に頬を押しつけたまま、彼は幸せそうに寝息を立てている。

 

「悟。」

 

 今度は少し強めの声。

 それでも、彼はぴくりとも動かない。

 白髪が微かに揺れるだけで、当の本人は完全に夢の世界だ。

 

 夜蛾正道は額に青筋を浮かべていた。

 授業中に寝ること自体は今に始まったことではない。

 だが、目の前の男は“注意”という概念が効かない。

 注意しても無視。叱っても無視。

 最終的には実力行使が必要なのだ。

 

 そして今日も、まさにその瞬間が訪れた。

 

「──悟!!」

 

 怒声と共に振り下ろされた拳は、まるで破裂音のような重さを帯びていた。

 

「ぎゃあっ!」

 

 五条悟の悲鳴が教室中に響く。

 ガバッと上半身を起こした悟は、涙目で後頭部を押さえながら夜蛾を睨んだ。

 

 その光景を周囲の学生たちは“またか”と言わんばかりの冷めた顔で眺めていた。

 五条悟の日常。

 呪術高専一年の平和な一幕である。は夜蛾正道の鉄拳制裁によって引き裂かれた。

 

 五条悟が馬鹿みたいな悲鳴を上げて机に突っ伏すのを見て、隣に座っていた夏油傑は深々とため息をついた。

 

「……悟。

 授業中に寝るのは別に構わんが、せめてバレないようにやってくれ。

 また私が負けたじゃないか」

 

 そう言って、夏油は財布から五百円玉を取り出し、指で軽く弾いた。

 そのまま教室の後ろでニヤついている家入硝子へ放る。

 

「イエー、私の勝ち。」

 

 硝子はひょいと指先で五百円を受け取り、満足げに笑った。

 

「傑、後でマジビンタな。」

 

 五条は呆れた声で文句を言う。

 どうやら自分の“バレる・バレない”を賭けの対象にされていたらしい。

 

 だが、まだ前方から突き刺さる夜蛾正道の視線を感じ、

 五条はそそくさと教科書を持ち上げた。

 

「ハイッ! 先生! さっさと授業進めましょうーー!」

 

 声だけはやたら元気だった。

 

 

 

 

 

 

「ハハハ。三人とも、本当に仲良しだね。」

 

 教室に三人とは違う、柔らかな声が響いた。

 皮肉でも嫌味でもない──本当に心の底からそう思っている声音。

 

 声の主は、前の方。

 誰も座りたがらない最前列で、背筋を伸ばして授業を受けていた少女だった。

 

 梔子ユメ。

 

 五条悟、夏油傑、家入硝子と机を並べる、四人目の同級生。

 彼女は三人の騒がしいやり取りを、微笑ましそうに見つめていた。

 

 薄い水色のロングヘアが肩に流れ、絆創膏だらけの手足が机の上で小さく揺れる。

 教室の蛍光灯に照らされるたび、彼女のヘイローは静かに淡い光を返した。

 

 その微笑みは、場の空気がどうであれ揺らがない。

 五条が騒いでいようと、夏油が呆れていようと、硝子が皮肉を飛ばしていようと──

 ユメだけは、ただ“嬉しそうに”三人を見つめていた。

 

 だが、それはどこか危なっかしいほどに真っ直ぐな優しさでもあった。

 

「理解力、ZERO。」

「大丈夫かー? 私たちなんかに意識向けてて、授業ついていけてるかー?」

「……ノーコメント。」

 

「ひぃん……! 味方がいないよ〜……!」

 

 三人から容赦なく飛んでくる皮肉に、

 さすがのユメも自身が完全アウェイであることを理解したらしい。

 涙目になりながら小さく肩をすぼめる。

 

 これが、梔子ユメの“いつもの扱い”だった。

 

 五条悟、夏油傑、家入硝子。

 この三人は確かに彼女を同級生として認めているし、悪意はない。

 ただ同時に──

 

 彼女がこの四人の中で最も鈍臭く、最も危なっかしい存在であることも、否応なく理解していた。

 

 だから皮肉を飛ばす。

 からかう。

 笑う。

 

 それは同時に、彼女への心配の裏返しでもあった。

 

 呪術の世界で“ああいう優しさ”は、あまりにも脆い。

 脆くて、繊細で、簡単に壊れてしまう。

 

 その現実を、夏油は知っていた。

 硝子も知っていた。

 そして五条悟も──彼なりに理解していた。

 

 だが、当のユメだけは気づかない。

 

 ただ、嬉しそうに微笑んでいるだけだった。

 

 その微笑みが、この世界にあまりにも不似合いであることにも。

 

 *

 

 

 

 

 

 

 “神秘”と呼ばれる力がある。

 それは明治期、加茂憲紀によって発見された概念であり、呪力とは別系統のエネルギーでありながら、呪力とほぼ同一の働きを示すとされる“未知の力”である。

 

 神秘について、分かっていることは少ない。

 

 ①神秘は何故か少女にのみ宿る。

 神秘の使い手は、過去に幾度となく現れてきたが、そのいずれもが少女であり、男性が神秘を持つという事例は未だに無い。

 

 その為これは神秘が少女達が持つ、共通の“何か”故に集まっていると考えられているが、それが何なのかは分かっていない。

 

 ②神秘の使用時、該当者の頭上には“ヘイロー”と呼ばれる、天使の輪に似た構造物が現れる。

 

 このヘイローの正体についても全くの不明であり、五条悟の六眼でもただそこにある物としか認識出来なかった。

 

 ③ヘイローの発生中、少女たちは術式の発現に加え、通常の呪力強化を超える“肉体の異常強化”を示す。

 

 拳銃などの近代兵器で撃たれても致命傷に至らない例も確認されており、その強度は呪術とは異質の増幅作用と考えられている。

 

 その在り方は、呪術師という体系の“変種”とも言えるだろう。

 だが、神秘の使い手は極めて少なく、いまだ学術的なサンプルが不足している。

 

 神秘がどのように生じ、

 なぜ特定の少女にだけ宿るのか。

 その答えは、現在も解明されていない。

 

(五条が眠っていた授業より引用)

 

 

 

 これは神秘と呼ばれる概念を使用する少女達と、呪いを扱う術者達。

 彼等が織りなす、青春の記録である。

 

 

 *

 

 私は、天使を見た

 序章

 懐玉・玉折

 

 

 

 

 *

 

 チャイムが鳴り、授業は終わりを告げた。

 

 授業が終われば、教室は教師ではなく生徒のものになる。

 

 二年の教室はすぐに、いつもの空気へと戻った。

 五条悟と夏油傑が互いに馬鹿をし合い、

 家入硝子と梔子ユメは机を並べて、のどかに談笑する。

 

 呪術師養成の学校とは思えないほど、穏やかで緩い時間だった。

 

「ユメさあ……聞いてたんだ。あのクズどもの会話。

 やめときなよ、あんなクズの話なんて。」

 

 硝子が煙草の箱を指先で弾きながら、眉を寄せる。

 ユメはこくん、と素直に頷いた。

 

「うん。ホシノちゃんもね、昔からああいう感じで……。

 だから、なんだか懐かしくて。」

 

 硝子は煙草を口に咥えず、呆れた目で見つめた。

 

「アンタ、よく最前列なんか座れるね。

 夜蛾先生の圧、すごいじゃん。」

「えへへ……。前の方が、みんなの顔もよく見えるし。

 それに……こうして四人で授業受けられるの、嬉しいから。」

 

 その笑顔は、本当に曇りひとつない。

 嘘も誇張もなく、ただそのままの言葉。

 

 その無防備な優しさに、硝子はふっと口を半開きにした。

 

「……ユメってさ、なんか……ほんとに“天使”みたいだよね。」

 

 何気ない一言だったが、

 その場にいた三人は──それぞれ違う意味で沈黙した。

 

 五条と夏油は後ろで騒ぎを続けながらも、

 その合間にちらりとユメの背中を見た。

 

 呪術の世界に、“天使”なんて存在しない。

 存在したとしても──

 そんなものは、きっと長くは生き残れない。

 

 その未来を、彼女だけが知らなかった。

 

 ユメはただ、嬉しそうに笑っている。

 

「まあ、一応私もヘイロー出せるからね。

 ホシノちゃんほど上手くはないけど……」

 

 控えめな自己申告に、すかさず五条が割り込む。

 

「俺、アイツきらーい!

 スッゴイ生意気だもん!!」

「コラ、悟くん。

 あんまそういうこと言うと、夜蛾先生に言いつけちゃうぞー?」

「おっと、それは勘弁。」

 

 ユメが口を尖らせて睨み返すと、

 五条はぺろりと舌を出し、そのまま軽やかに教室から逃走した。

 

「ほら、また逃げた。

 ああいうクズとは関わらなきゃいいのよ。

 精神衛生上、その方がいいから。」

 

 

「そうかな……」

 

 ユメは小さく俯き、指先をいじりながら呟いた。

 ほんの僅かな寂しさが、その声に滲んでいた。

 

 その表情を見て、硝子は眉尻を下げる。

 

(……あ、ちょっと言いすぎたかも。)

 

 訂正の言葉を口に乗せかけた、その時。

 

 ガラリ、と。

 古びた木の扉が重い音を立てて開いた。

 

「?」

 

「なんだろ……?」

 

 教室の視線が一斉にそちらへ向く。

 

 そこに立っていたのは、どうしても目を引く筋骨隆々の男──夜蛾正道だった。

 

「夜蛾先生?」

 

 硝子が目を丸くし、

 ユメも不安げに背筋を伸ばす。

 

 夜蛾は無言のまま教室を見渡し、

 五条悟の空席を確認すると、短く息を吐いた。

 

「……まず一つ、伝えておく。」

 

 その声は、授業中より明らかに低く、重い。

 

 教室の空気が、一瞬で引き締まった。

 

「お前たちに任務が入った。推定、一級相当の案件だ」

 

 ざわり、と小さな動揺が走る。

 ユメの喉が、ごくりと鳴った。

 

 任務。

 それは、この学校では“命の危険”と同義。

 

 夜蛾は続ける。

 

「詳細はすぐ説明する。……夏油、五条を呼んでこい。

 全員揃えて動く。」

 

 *

 

 任務の内容はこうだ。

 

 対象となるのは、郊外に位置する一軒家である。

 本来そこは、地元で複数の焼肉チェーン店を展開していた企業の社長一家が居住していた邸宅だった。

 

 しかし昨年七月、BSE問題が露見したことによってチェーン店は壊滅的な被害を受けた。

 経営は即座に悪化し、多額の借金が発生。

 その後、社長一家は心中したとされている。

 

 以後、邸宅は心霊スポットとして噂されるようになった。

 

 深夜の肝試しとして訪れた中高生、県外の大学生、フリーターなどが相次いで行方不明となり、行方不明者を追って訪れた親族や警官、その知人らも同様に消息を絶った。

 調査の結果、すべての行方がこの邸宅へと収束している。

 

 被害数は現在も増加中である。

 

 二日前、呪術高専は二級術師・庵歌姫および一級術師・冥冥を派遣したが、現在に至るまで連絡が取れていない。

 

 この事態を受け、呪術連は事案を重大と判断。

 特級術師・五条悟を含む、二級以上の術師数名を追加派遣するに至った。

 

 以上が任務内容である。

 

 *

 

「歌姫はともかくとして、冥さんがね〜。」

 

 任務内容を聞いた直後だというのに、五条悟はいつもどおり気の抜けた声を上げていた。

 

「悟くん、緊張感!」

 

 ユメが呆れ顔でたしなめる。

 だが、緊張しているのはどうやら彼女だけのようだった。

 

 夏油も硝子も、五条ほどではないにせよ落ち着き払っている。

 

「落ち着いて、ユメ。」

「冥さんが“何の連絡も出せずにやられた”程度の相手にしては、被害状況が小さすぎる。

 せいぜい強くて一級。準一級程度であってもおかしくはない。

 今回は呪霊そのもの。というより、術式が厄介なタイプだろう。」

 

 夏油の言葉は淡々としていたが、説得力があった。

 

 硝子がタバコの箱を指で弾きながら、ユメの肩を軽く叩く。

 

「気にすんな〜ユメ。

 アンタは正しいよ。心配するのも普通。

 ……コイツらがクズなだけ。」

 

「硝子ちゃん!?」

「事実でしょ?」

 

 硝子は眉を上げるだけで、まったく悪びれていなかった。

 

 四人は校舎前へ移動しながら、そんな調子で会話を続けていた。

 任務というより、どこか修学旅行の集合時間に向かうような軽さが漂う。

 

 移動には補助監督が運転する車を使うらしい。

 目的地が県外であることを考えれば当然だが──

 

(……本当に大丈夫なのかな……?)

 

 ユメだけが、胸の奥に微かな不安を抱えていた。

 

 だが、その不安を口にする間もなく。

 

 校舎の玄関を出た瞬間だった。

 外気に触れるより先に、張り詰めた気配が四人の足を止めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと来ましたか」

 

 長いピンク髪が風もないのに揺れる。

 薄い緑と黄色のオッドアイが、こちらを射抜くように細められていた。

 

 まるで“道を塞ぐ刃物”のような視線。

 

 少女は一言も発さず、ただそこに立っていた。

 

「遅いです」

 

 少女は、苛立ったようにその言葉を放った。

 

 梔子ユメの後輩──

 小鳥遊ホシノ。

 

「げっ……」

 

 五条悟が即座に渋い声を漏らす。

 普段の彼なら、誰が相手でも余裕の笑みを浮かべるはずだ。

 だが、ホシノだけは違う。

 

 ホシノもまた、五条の顔を見ると同時に眉間に皺を寄せた。

 

「“げっ”はこちらです、五条先輩。」

 

 声に感情はないのに、はっきりとした敵意だけが滲んでいた。

 

 その視線が横へ滑り──ユメへ。

 次いで、その隣に立つ五条へ。

 

 その瞬間、空気がひやりと冷えた。

 

「ユメ先輩から離れてください。

 不快です。」

 

「はぁ!?つーか、これから任務なんだよ!

 邪魔すんなよ〜チビ。」

 

 五条が軽い調子で返すと──

 ホシノの瞳が一段階、色を失ったように見えた。

 

 一度だけ瞬きをし、深い、深い溜め息を落とす。

 

「……はぁ。

 理解が遅いんですね、先輩方は。」

 

 その声は驚くほど静かで、

 しかし挑発の刃が隠されてもいなかった。

 

「今回の任務は、特級術師・五条悟と──

 それをサポートする“二級以上の術者”による共同任務です。」

 

 ホシノはわずかに顎を上げた。

 

「つまり。

 私も同行します。」

 

 言い終えたあと、彼女は五条を一切見ない。

 ただユメの方へ、そっと立ち位置を寄せた。

 

 *

 

 黒塗りの車両に揺られながら、五条悟はバックミラー越しに更に後部の座席を睨みつけていた。

 

 

 小鳥遊ホシノ。

 

 我らが二年のマスコット、梔子ユメの後輩。

 詳しい事情は知らないが、高専に上がる前からの知り合いで、ユメが彼女を引っ張ってきたらしい。

 

 ユメは昔からお人好しの化身のような奴だが──

 五条にとって、この小娘だけはどうにも受け入れがたい。

 

 別に、理由もなく苦手に思っているわけではない。

 

 

 

 

 

 対面式のときのことだ。

 

 一年生たちに軽く挨拶でもしてやろう、と気まぐれに足を運んだ教室。

 その中で、ホシノは五条を見た瞬間、躊躇いもなく言い放った。

 

『──五条先輩ですね

ユメ先輩から、貴方がどういう人かは聞いています。

私は、貴方みたいな人は嫌いです』

 

 あまりに直球すぎて、思考が一瞬止まった。

 

 気がつけば、五条は中指を立て、ホシノは拳銃を抜こうとし、周囲の空気はあわや殺気立ちかけ──

 結局、ユメが慌てて止めに入って収まった。

 

 ……自分でも、らしくないと思う。

 

 五条悟は強い。幼少期からその強さ故に家の者には常に遜られて来た。

 だから普通、誰かに突っかかられればむしろ面白がる。

 実際、親友の夏油だって、似たような部分があって気に入った。

 

 だが、ホシノは違う。

 

 最初から“好意ゼロ”の敵意だけを向けてくる。

 そこに理由も裏もない、純粋な“拒絶”がある。

 

 その無根拠な敵意が、五条悟のような傲岸不遜な人間ですらわずかに苛立つほどに、ホシノの存在は刺々しく、鬱陶しかった。

 

 

 

 

 

「なあ、傑。

 アイツ、な〜んでこの任務についてきてんだ?」

 

 五条の声は完全に不満で濁っている。

 

「悟、あまりこの場で輪を乱すようなことは言わない方がいい。」

 

 夏油は注意したが、五条の口は止まらなかった。

 

「他の一年坊は来てねーのに、アイツだけ来るのおかしくね?

 つーかあの態度、絶対友達いねーだろ。」

 

 言った瞬間、後部座席から淡々とした声が割り込んだ。

 

「別に七海と灰原とも仲良くやれてますよ。

 そもそも“私だって”、貴方と同じ任務に来るつもりはありませんでした。」

 

「ハァ〜なんだその言い方!」

 

 そう叫ぶ悟を横目に、夏油は小さく息を吐き、どうにも収まりそうにない空気に折れるように話を続ける。

 

「……悟、彼女は期待されているんだよ。」

 

「はぁ?そーなの?」

 

 五条は興味の無さげな声を上げる。

 夏油は淡々と、しかし確信を持った口調で説明した。

 

「神秘の平均的な能力は控えめだ。

 だが、ホシノだけは突出していた。

 神秘使いに初めて現れた“異能”。

 近頃、彼女のことを “暁のホルス” と呼ぶ者もいるらしい。」

 

 五条が眉をひそめる。

 ホシノはそっぽを向いたままだが、わずかに肩が強張った。

 

「いずれ──

 神秘の使い手として史上初の特級術師になるのではないか と言われている。」

 

 その言葉は、車内の空気を一瞬で変えた。

 

 硝子が煙草の箱をカチリと鳴らし、

 ユメだけが複雑そうにホシノの横顔を見つめる。

 

 

 

 五条だけは、なお不服そうに口を尖らせた。

 

「……ふーん。

 でも俺たちより弱いんだろ?」

 

 ホシノが即座に返す。

 

「当たり前です。

 貴方と比べられるほど傲慢ではありませんので。」

「だっっっせぇ言い方すんな〜」

「事実です。」

 

 車内の空気は、任務前とは思えないほどギスギスしていた。

 ユメが間に入ろうとオロオロしているが──

 正直、火に水滴を落とすようなものである。

 

「アイツ等、なんであんな仲悪いの〜?

 結構気が合いそうだと思うんだけどなぁ」

 

 硝子が首を傾げるが、誰も答えなかった。

 五条とホシノ、あの二人の相性の悪さに説明など存在しない。

 

 

 

 *

 

 

 

 結局のところ任務の真実というのは結界内で囚われていた二人の術師が、厄介な術式の影響で“内部時間”だけを数時間経験していた──

 実際にはそれだけの話だった。

 

 外での時間は二日。

 中は数時間。

 夏油の予想どおりの結末である。

 

「助けに来たよ〜歌姫」

 

 瓦礫に埋もれた庵歌姫に、

 五条は開口一番、心配のかけらもない声で呼びかけた。

 

 煽り以外の目的は無い。

 

「泣いてる?」

 

 さらに追い煽る。

 ホシノにはクソガキっぽい態度を取る五条だが、元々五条悟とはこういう男だ。

 筋金入りの本物のクソガキである。

 

「泣いてねぇよ!!!! 敬語!!!!」

 

 怒りの絶叫が屋敷跡に響く。

 先輩後輩の関係など、五条の前では意味を成さない。

 

「泣いたら慰めてくれるかな?

 ぜひお願いしたいね」

 

 相変わらず会話が噛み合っていないところへ、屋敷から無傷で出てきたスーツ姿にポニーテールの女性……冥冥が姿を見せた。

 

「冥さんは泣かないでしょ。強いもん」

「ふふふ、そう?」

 

 冥冥は笑い、歌姫は怒りゲージを上昇させ、現場の空気だけが賑やかになる。

 

 

「……何してるんですかね?あの人」

 

 ホシノが呆れ混じりに呟く。

 

 

「ホシノちゃんもそうだよ。

 五条くん、アレでも先輩だから。」

 

「“アレでも”って……ユメ先輩……

 ユメ先輩も結構言うんですね。」

 

 ホシノがわずかに頬を緩める。

 その柔らかさはユメにだけ向けられるものだった。

 

「~~~~!! 五条!!! 私はねぇ!!! あんたの助けなんていら──」

 

 歌姫がさらに噛みつこうとした、その背後。

 瓦礫がゆっくりと動き、

 頭蓋骨のような形状の呪霊が上半身を現した。

 

 

 ユメはその異形を見た瞬間、

 「本体は非力」と聞いていた情報とのギャップに頬を引きつらせた。

 

 だが、その“恐怖”すら一瞬で上書きされる。

 

 地面が、うねった。

 

 次の瞬間、巨大な芋虫のような呪霊が地中から躍り出た。

 不気味な大口を開き、先ほどの頭蓋の呪霊を丸呑みにした。

 

 

「……え、え……?」

 

 ユメの思考が追いつくより早く、

 夏油が歩み寄りながら呟いた。

 

「悟~。弱いものいじめはよくないよ?」

 

 穏やかな声とは裏腹に、足元には黒い呪力が渦巻いていた。

 先ほどの芋虫呪霊は、夏油の呪霊操術によって動いている。

 

 呪霊操術──。

 取り込んだ呪霊を自在に操ることができる、特異な術式。

 

 この術式ゆえに、

 夏油傑は非術師の家の出身でありながら、

 特級術師の一人として名を連ねている。

 

「何ビビってんですか?

 大した相手じゃなかったでしょう」

 

「ひ、ひいん……厳しい……」

 

 ホシノが呆れたように視線を向け、

 ユメは肩を落として項垂れている。

 

 その横で、夏油が軽く手招きしていた。

 

「ユメ先輩、なんか嫌な予感するんですけど……」

 

「同感……」

 

 二人が声を漏らした直後だった。

 瓦礫の影から、ハエのような形状の小型呪霊が一斉に現れ、空中へ散った。

 

 蠅頭──

 四級以下にも満たない弱小呪霊の群れ。

 先ほどの結界内部に隠れていたのだろう。

 

「雑魚だけど数が多い。

 そっちは任せるよ。私はこっちを取り込んでおくから」

 

 夏油はいつもの調子で淡々と言いながら、

 芋虫のような呪霊に捕えさせた骨状の呪霊を、圧縮された黒い塊へと変えていく。

 

 それを確認し、ひょいと飲み込む。

 

 取り込みの瞬間にも特別な緊張はない。

 ホシノはその光景を見て、ほんのわずかに眉を動かした。

 

(……よくあんなもの飲めますね。普通に尊敬しますけど……)

 

 呪霊をそのまま体内に取り込むという行為に、嫌悪どころか気後れすら見せない夏油傑。

 それが、彼を特級たらしめる所以なのだと、ホシノは改めて実感していた。

 

 

「任せて! 夏油くん!!

 って、あっ……ああ!!」

 

 張り切って拳銃を抜こうとしたユメだったが、焦りすぎて、そのまま手元から滑らせてしまった。

 

 乾いた音を立てて落ちる銃。

 ユメは慌てて拾おうとしてしゃがみ込む。

 

「……はあ」

 

 ホシノが静かにため息をついた。

 呆れというより、もはや日常扱いの反応だった。

 

 ホシノは自分のショットガンを肩に当て、群れとして散らばる蠅頭に向ける。

 

 ためらいは一切ない。

 

 引き金を一度だけ絞る。

 

 低い破裂音。

 放たれた弾は地面を浅く抉りながら瓦礫を巻き上げ、蠅頭の群れに突き刺さり、呪霊は軽い悲鳴もあげずに弾かれ、空中で霧のように霧散した。

 

 四級以下の弱小である以上、ショットガンの“物理”だけで十分だった。

 

「ってホシノォォォオオ!!

 やり過ぎよ! 私まで当たるところだったのよ!!」

 

 瓦礫の影から顔だけ出して怒鳴る歌姫。

 ホシノは銃身を軽く下げ、まったく悪びれず答えた。

 

「大丈夫です。

 歌姫先輩は強いですから。

 この程度では死なないと思います。」

 

「いや? 死ぬぞ? 普通に死ぬぞ?」

 

 歌姫が一瞬素で引いた声を出す。

 

 ホシノもなかなかの問題児だが、

 歌姫もまた、五条と夏油の近くにいるだけあって、

 ある意味で常識が歪むのは避けられなかった。

 

 その微妙な均衡の中で、歌姫は悟る。

 

(……ああ、コイツも結構ダメなタイプだわ……)

 

 五条、夏油、ホシノ。

 問題児の種類こそ違うが、根っこがどこか似ている。

 歌姫はそう結論づけると、

 唯一まともな空気を出している硝子の元へ逃げるように歩いていった。

 

 *

 

「彼女が噂の“暁のホルス”ちゃんかい?

 ずいぶん愛らしい子じゃないか?」

 

「冥さん、本当にそう思ってます?」

 

 現場処理がすべて終わり、五条と冥冥は軽く会話を交わしていた。

 その横では、歌姫がまだ瓦礫を叩きながら何か文句を言っている。

 階段を登っている夏油と共に、歌姫を煽るのも忘れない。

 

「俺からしたら、生意気の塊ですけどね!!」

 

 五条はわざとらしくホシノの方へ視線を向けながら言う。

 

 冥冥は肩をすくめ、興味深そうにホシノを眺めた。

 

「当然だろう?

 これほどの呪力……いや、彼女達の場合は神秘と言ったか。

 なかなかの器だ。

 今の呪術界では、あそこまでの“量”は珍しい」

 

 淡々と言いながらも、冥冥の目は値踏みそのものだった。

 

「今のうちに仲良くなっておけば、

 思わぬ儲け話のひとつも転がってくるかもしれないしね」

 

 五条は会話を切り捨てるように黙る。

 冥冥は、守銭奴という言葉では生ぬるい。

 その部分では、悟は誰よりもよく知っていた。

 だから、これ以上話していたら面倒なことになる。君子危うさに近寄らずという奴だ。

 

「何話してたの~?」

 

「お前がバカだって話」

 

「ひいん……」

 

「この……!」

 

「お、やるか?」

 

 ホシノが五条へ噛みつくように突進し、五条もそれを受けるように応じる。

 実力差がありすぎて喧嘩にすらなっていないが、周囲から見ればただの子供のじゃれ合いだった。

 

 その騒がしさに引き寄せられたように、夏油と硝子もゆっくりと集まってくる。

 

(……まあ、無事に終わったならいいか)

 

 誰もがそう思い始めたところで──

 

 冥冥が、何の前触れもなく一言落とした。

 

「それはそうと君たち……帳は?」

 

「「「「「あ……」」」」」

 

 冥冥の言葉に、学生五人は同時に固まった。

 

 呪術師として、基本の中の基本。

 その“帳”を張ることを、

 一同すっかり忘れていたのである。

 

 *

 

 高専の教室。

 悟、傑、ユメ、ホシノ、硝子の五人は、揃って正座させられていた。

 

 教室の奥のテレビでは、崩壊した例の屋敷の映像が繰り返し流れている。

 その前で腕を組み、夜蛾が五人を鋭く睨みつけていた。

 

「──この中に一人。“帳は自分で降ろすから”と補助監督を置き去りにし、

 その帳を忘れた奴がいるな。

 名乗り出ろ」

 

 問われた瞬間、

 傑、ユメ、硝子の三人は一斉に悟を指した。

 

 ホシノだけは指さしすらせず、容赦なく悟の後頭部を殴っていた。

 

 

 四人からの容赦ない攻撃に悟は縮こまりながら、小さく手を上げた。

 

「せ、先生!!

 犯人探しはやめませんか!!?

 そういうのって建設的じゃ──」

 

「悟だな」

 

 夜蛾の拳が迷いなく振り下ろされた。

 

 *

 

 夜蛾に徹底的に絞られた五人──実質的には悟一人だったが──は、放課後の体育館に集まっていた。

 ここは呪術師の学校とはいえ、授業の合間には普通にバスケもする。

 

「そもそもさぁ……帳ってそこまで必要?

 パンピーに見られたって別によくね? どうせ呪霊なんて見えねぇし」

 

 悟は座ったまま、気怠そうにバスケットボールをシュートした。

 

 呪霊は非術師には通常視認できない。

 だから一般人は存在に気づかないし、被害に遭ってもどうにもできない。

 そこだけ切り取れば、悟の言い分にも一定の筋は通る。

 

 だが、傑は飛んできたボールをキャッチし、ゴールを阻んだ。

 

「駄目だよ。

 呪霊の発生を抑える一番の材料は“人の心の平穏”だ。

 脅威は徹底的に隠さないといけない。

 それに……」

 

「わかったわかった」

 

 悟は傑の解説を途中で切り、軽くボールを奪い返す。

 そのまま数回ドリブルし、レイアップを難なく決めた。

 

「弱い奴らに気ぃ遣うのって、マジ疲れるんだよ。

 なぁ、ホシノ」

 

「私に同意を求めないでください。

 ……まあ、一理はありますけど。

 大人相手にまで気を遣う気は、私もありません」

 

 悟はバウンドするボールをホシノへ放った。

 ホシノは受け止め、そのままロングシュートを狙う。

 

 弧を描いたボールはリングに届かず、緩く落ちた。

 

「あれ?」

 

「ホシノちゃんドンマイ!」

 

「おーう。クズどもに負けんなよ。応援してる」

 

 悟が軽口を飛ばし、ユメが手を叩き、

 硝子は面倒くさそうに冷やかしを挟む。

 

 ──ただの放課後の風景だった。

 

 だが、その空気を断ち切るように傑が口を開いた。

 

「それでもだ。弱者が生き延びられる社会が、あるべき姿だよ。

 弱きを助け、強きを挫く。それが“呪術”の役目だ。

 悟、ホシノ。覚えておきなよ」

 

 傑はそう言いながら、軽くシュートを放つ。

 ボールはリングに弾かれ、無情に落ちた。

 

「それ正論? 俺、正論って嫌いなんだよね」

 

「……何?」

 

 傑の声がわずかに低くなる。

 

 悟はボールを拾い、指先だけで軽く投げ上げる。

 ボールは高く弧を描き、そのままゴールへ吸い込まれた。

 

「力に“責任”とか“義務”とかさ。

 そういうの押しつけてくるの、弱者の常套句だろ?」

 

 その言い方は明確な挑発で、

 傑の眉間に深い皺が刻まれた。

 

「ポジショントークで気持ちよくなってんじゃねぇよ。

 オッェーーー」

 

「……キモッ」

 

「あっ!!」

 

 悟の煽りに、ホシノは反射的に小さく吐き捨てた。

 悟が振り返り抗議の声を上げる。

 

 傑は静かに歩み寄り、悟に向けて言う。

 

「外で話そうか、悟」

 

「寂しんぼ? 一人で行けよ」

 

 傑は巨眼の呪霊を呼び出す。

 悟はあくまで余裕の笑みを崩さない。

 

 ホシノはその緊張の中心から距離を取ろうと、

 バスケットボールを拾うふりをして視線を逸らした。

 

 ──関わらない。

 そう決めた、その瞬間。

 

「オメエもだ、ホシノ」

 

 悟の指が自分を射抜く。

 

「“大人”だの“社会”だの。

 くだらねぇよ。

 そんなもん気にして、自分が高尚になったつもりでいんのか?」

 

 ホシノの足が止まった。

 空気が、ごく僅かに軋む。

 

「にっげろー」

 

 状況を察した硝子は、漫画のように全力で方向転換し、体育館から逃げていった。

 

「だから嫌いなんですよ。貴方みたいな人は」

 

 ホシノは淡々と告げ、カバンからショットガンを取り出す。

 リロードの音が体育館に乾いた響きを落とす。

 

 その瞬間、彼女の体表から紅い光……神秘が立ち上がる。頭上には薄いピンク色の輪が二重に重なって浮かんだ

 

「ちょ!ホシノちゃん。ダメだよ!“ヘイロー”まで出して!!」

 

 

 

 ユメが慌てて止めに入ろうとするが、それより早く──

 

「お前たち、いつまで遊んでる!」

 

 体育館の扉が開き、夜蛾が入ってきた。

 その一声だけで、殺気立った空気は霧のように消え、

 三人は何事もなかったように準備体操を始める。

 

 ユメは慌ててホシノの頭を押し、ヘイローを夜蛾の視界の外に下げさせようと必死だ。

 

「硝子はどうした?」

 

「さあ?」

「知りません」

「ひいん……」

「便所でしょ」

 

 ばらばらな返答だけが返る。

 

「……まあいい。今回の任務は、お前たち三人……それからユメに行ってもらう」

 

 夜蛾の言葉に、ユメは変わらぬ表情。

 一方で悟と傑は露骨にやる気を失い、

 ホシノはあからさまに嫌そうに眉を寄せた。

 

「なんだその(つら)は」

 

「「「いや別に」」」

 

 三人とも何か言いたげだが、反論すると面倒だと悟ったのか黙った。

 

「正直、荷が重い任務だが……天元様のご命令だ」

 

「「「!」」」

 

 天元の名が出た瞬間、三人の表情が一気に引き締まる。

 夜蛾は歩きながら任務内容を説明していく。

 

「依頼は二つ。

 一つ、天元様と適合する“星漿体”──その少女の護衛。

 そしてもう一つ──その抹消だ」

 

 

 

 

 




キャラクタープロフィール
 
梔子 ユメ
 
年齢:17歳
 
所属:東京都立呪術高等専門学校
 
高専入学方法:スカウト
 
等級:三級術師
 
好きな食べ物:スイーツ
 
嫌いな食べ物:ない
 
趣味・特技:みんなと遊ぶ事・昼寝・ゴロゴロすること
 
ストレス:みんなが喧嘩をすること
 
他の登場人物からの印象

悟→馬鹿
傑→見ていて面白い子、善性の子
硝子→妹分
 

オリジナル設定

神秘は呪力と似た性質を持つ別のエネルギー。
基本的に女性にしか発現せず、神秘の持ち主は肉体が銃弾を喰らっても気絶で済む程度の莫大な肉体強化を得る。

ヘイローは普段は透けていて見づらいが、一応見える。呪霊と同様に一般人には見えないが、呪霊が見える人間には何かあるな〜程度の認識は出来る。

神秘を持った人間が戦闘大勢に入るとヘイローがハッキリと認識出来るようになる。
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