メロンパン「私は、天使を見た」   作:さかは

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どうしてコンパクトに書けないの〜(嘆き)


小鳥遊ホシノは『黒服』を見た

 時は遡る。

 

 沖縄の観光を終えた四人は理子と黒井を連れて、高専内部である筵山麓を歩いていた。

 時刻は15時前……闇サイトで掲載されていた懸賞金のタイムリミットは11時。

 つまり、懸賞金は取り下げられ、高専にまでやってきたことによって、安全は確保されたも同然だ。後は理子を高専最下層まで送り届ければ、四人の任務は完了だ。

 

「みんなー、お疲れ様。高専の結界内だ」

 

「ふぅ…これで一安心じゃな」

 

「ですね」

 

 理子と黒井が息を整えている中、悟は何処か疲れた表情を見せている。

 

「悟、本当にお疲れ」

「ホント!悟くんのお陰で助かったよ!!」

 

 

 傑とユメが悟に労いの言葉をかける。

 

 この任務に置いて最高の貢献者は悟であろう。

 どんな時も、彼は脳に負荷のかかる術式を解かず、理子を守っていた。四人の中で1番疲れているはずだ。

 

「……心配すんなよ。俺からすれば、ちょっと、ジョギングに行った程度だっての」

 

 悟は悪態をつきながら、ホシノを見つめる。

 彼女は、一瞬、何を言っていいのか分からず困ったような表情を見せ、視界を右往左往とさせる。

 

「良いんじゃない?ホシノちゃんだって、偶には素直になっちゃえば」

 

 ウンウンと頷きながら、ユメは笑みを浮かべてホシノに語りかける。

 少なくとも、ホシノにとってこの護衛任務は滅多に得られない経験だった筈だ。

 

 同級生達とではなく、普段ならいがみ合う先輩とも協力して任務に当たる。

 

 ホシノには、きっと前とは違った視点が見えている筈だ。

 

 

「……その、ありがとうございました。

 色々、心配とかしてもらっちゃって……」

「ん??なんの話だ?

 ったく、これだから自意識過剰は……」

 

 悟の言葉に、素直じゃないな。と誰かが声をかけようとした、正にその瞬間だった。

 

「──悟くん!?」

 

 最初に響いたのは、ユメの悲鳴だった。

 全員が一瞬、その瞬間は何が起こったのか認識出来なかった。

 

 

 突如として、悟の胸から刃が突き出ていた。

 背後を見れば、口元に傷がついた大男が刀で悟の背中を刺し貫いている。

 

(バカな……!!ここは……高専結界の内側だぞ!!?)

 

 高専には常に結界を張り巡らせている。何者かが高専に入ればすぐに結界が反応するはずなのだ。だが結界には何の反応もなかった。

 

 いや、そもそもの話として、高専でも有数の実力を持った三人が背後からの一撃に、全く気付くことが出来なかった。今までの呪詛師とは格が違う。

 

「あんた…どっかで会ったか…?」

 

「気にすんな、俺も苦手だ…男の名前を覚えんのは」

 

 悟が苦々しく呟くが、男……伏黒甚爾は飄々とした掴みどころのない態度を崩さない。

 

 理由は不明。出自も不明、ただ、能力は間違いなく高い。

 

 そんな相手が、こんな態度を取っていること自体がそもそも不気味だった。

 

「悟先輩!!」

 

 ホシノが叫び、二人の間に向けて何かを投擲する。

 

「クソッ!ちょっと甘くなったな?と思った矢先にこれだよ!」

 

 その正体を察している悟は、慌てて剣を自分の身体から引き抜くと術式を使って距離を取る。

 

「へえ……」

 

 そんな悟の姿を見ても、男は何も言わずに空中で跳ねて方向を変えると、身体を捻りホシノの投げた手榴弾を林の奥に蹴り飛ばす。

 

「このッ……」

 

 ホシノが着地の瞬間を狙って銃弾を乱射するが、男は僅かな動きだけで着地した後、滑るようにして素早く射程の外にまで退避してしまった。

 

(この動き、明らかに術師との戦闘に()()()()

 呪霊や呪詛師とは違う。術師に特化した殺し屋、術師殺し)

 

「どくんだッ!!ホシノ!」

 

 傑が巨大芋虫の呪霊を召喚し、畳みかけるように甚爾を丸のみにする。

 

「無事!!心配すんな」

 

 悟が傑達の間に入るように割り込む。見たところ、止血が出来ている訳ではないが、呪力を込めて筋肉を強化することで出血を最小限に抑えているらしい。

 

「天内優先。あいつの相手は俺がする。傑たちは先に天元様の元まで行ってくれ」

「でも、悟くん……」

 

 ユメが悟に駆け寄ろうとする。

 だが、それすらも上手くいかない。

 予想以上に、この目の前にいる大人(おとこ)達の悪意はそこ深く、そして確実に彼女達を追い込もうとしていた。

 

「ーーユメ先輩ッ!!」

「ーーえ?」

 

 ホシノが叫んだ。

 林の先から、ユメに向けて降り注ぐ黒い塊の山。

 まるで津波のように突っ込んで来た“それ”に、一瞬全員の対処が遅れた。

 

「ーーきゃあッ!!」

「ユメ先輩ッ!!」

 

 全員が直ぐに防御体制を取ったが、ユメだけが遅かった。

 

 

 本当に、なぜ彼女を連れて来たのか。

 それを決めた奴に直ぐにでも問い詰めたい。

 だが、それを今考えているような暇があるわけではない。

 

 

「傑ッ!!」

「分かっている」

 

 悟の言葉に、傑は既に躊躇わずに答えた。

 今優先しなければならないのは理子の命。

 

 そこを履き違えるような真似はしない。

 

 マンタのような呪霊を出現させると、理子と黒井を連れて、勢いよく高専宮に向けて離脱した。

 

「行ったか。」

「ーー余所見か?」

「チッ!!」

 

 ほんの少し、傑の方向に視線を向けた隙に接近していた男の斬撃を術式を使わずに回避する。

 

 殆ど直感に近い物だが、この相手に変に油断することは避けたい。 また、こちらが相手を逃した場合、間違いなくこの男は傑達の後を追う。 故に、悟がするべきなのはこの男との戦闘による、勝利、若しくは時間稼ぎだ。

 ただでさえ脳が疲労している以上、長期戦は最悪。だというのに、逃げることも許されないのは、面倒なことこの上ない。

 

「……ホシノ、お前も傑の後を……

 ホシノ?」

 

 ホシノに傑の後を追うように伝えたかったのだが、そんなことに対する返事の気配は無かった。

 今この場所にいるのは自分と目の前の人物だけ。

 

「あの野郎……

 まさか!!」

「おっと。俺の相手はお前がしてくれるんじゃなかったかい?」

 

 可能性に気がついて彼女の後を追おうとしたが、それは叶わず大男に阻まれる。

 

 男が首に巻いていた、幼虫のような呪霊の口から、巨大な機械が吐き出される。

 

 ただの機械。

 その筈だ。

 術師との戦闘に於いては、死後に呪いに転じるのを防ぐ為に呪力・神秘を込めるか、特殊な呪具を用いるのがセオリーだ。

 

 だが、目の前の()が機械に呪力を込めるのは傀儡術の使い手で無い限り不可能だし、 傀儡術の使い手(そう)で無いことは自分の()で確認済み。

 

 それなら、呪具でもないただの機械。

 

 そんなものを恐れる必要は無い。

 

 だが、そんな思考も、彼自身が積み上げて来た術師としての勘の前には一瞬で吹き飛んでしまった。

 

 

 ゴン。 とこちらにまで地響きが聞こえそうなほど巨大な重厚音が、悟の耳を打った。

 コンクリートで作られた高専の道を、その機械はまるで氷の上に落とされた鉄球のように叩き割ってめり込んで見せた。

 

 どれだけの質量なんだよ。

 

 そう毒づきたくなるが、それ以上に悟は自身の感じた悪寒。それに従って全力で防御体制を取る。

 

「さあ、どうなるかな?」

 

 男は地面にめり込んだ機械を思い切り踏みつけた。

 

 まるで……そこから決して動かないように固定するように。

 

 

 機械に眩い光が集まり、その光が最頂点に達した瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー光よ。

 

 機械に集中した光は、極大の奔流として五条悟へと襲い掛かった。

 

「ハア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッ゙!?」

 

 ビーム砲とか。どんなビックリドッキリメカだよ。

 あ……いや、呪力の指向性を与えた放出か。

 

「どっちにしろ、どんな技術だよ……」

 

 余りにもそんなわけない現象に、毒づきたくなる気持ちが抑えられない。

 呪力で保護した右腕を前に突き出すことで光線を受け止め、明後日の方向へと弾いて逸らす。

 

(これ、呪力じゃなくて神秘か?

 マジで初めて見るぞ。神秘を放出する機械なんて。)

 

 

 目の前の事象を冷静に分析しながら、悟は呪力をその瞳で追い続ける。

 目の前の男は、呪力を持っていない。

 呪力から完全に脱却した天与呪縛。“フィジカルギフテッド”。

 呪力が無いのであれば、呪力を追って対策を取るという対策は難しい。

 が、相手は首に呪霊を巻きつけていた。

 それならば、その呪霊の気配を追えば良い。

 

 目の前を覆う光。

 これで自分を殺せると思っている野郎なら、高専に殴り込みなどして来る訳がない。

 

 もし、相手が自分なら、攻めて来るのは自分の死角。

 

「へえ……」

「っぶね……」

 

 自分に向かうギリギリで、呪力を用いて相手を弾き飛ばす。

 砂煙が舞い立ちながら、その中を男が駆け抜けていく。

 

「チッ……

 退けッ!!」

 

 目の前の男に苛立つように、悟は怒鳴った。

 

 

 

 悟は再び一瞬、周囲を見渡した。

 

 いるはずの彼女の姿が、ない。

 

——嫌な予感が、何度も胸の中に沈んだ。

 

 *

 

「――ッ!!」

 

 黒い塊の中で、ホシノは反射的に身を屈めた。

 視界は奪われ、空気が重く圧し掛かってくる。何が触れているのかすら分からない。ただ、押し潰されるような圧迫感だけが、全身にまとわりついていた。

 

「……ごめんね、ホシノちゃん……」

 

 すぐ近くにいるはずなのに、その声は妙に遠く聞こえた。

 自分の身体で囲った内側――ユメのいる場所から、震えを帯びた声が漏れてくる。

 

「……大丈夫です。このくらい……」

 

 そう答えながら、歯を食いしばる。

 正直に言えば、痛みはある。骨が軋み、内臓が揺さぶられる感覚もはっきりと分かる。それでも、腕の力を緩める気はなかった。

 

『――きゃあッ!!』

『ユメ先輩ッ!!』

 

 思い返せば、すべては一瞬だった。

 黒い塊が津波のように押し寄せ、ユメを呑み込もうとした、ほんの刹那。

 

 考えるよりも先に、身体が動いていた。

 割り込み、抱え込み、覆い被さるようにして庇う――それだけ。

 

 結果として、全身に走る鈍い痛みが残ったが、そんなことはどうでもよかった。

 少なくとも今、ユメは無事だ。

 

 それだけで、十分だった。

 

 ホシノは背後を振り返り、自分たちに襲いかかってくる黒い波を睨み据える。

 蠢くそれは、明確な悪意をもって迫ってきていた。

 

 耳に届く、不快な羽音。

 無数の羽ばたきが重なり合い、ざわつく空気そのものが嫌悪感を孕んでいる。

 

(……ああ、もう……気持ち悪いッ!!)

 

 理解した瞬間、背筋に悪寒が走った。

 これは意思を持って動いている。しかも、単体ではない。

 

 ――蜚蠊。

 黒い波の正体は、夥しい数の()()()()()()()だった。

 

 片手で無理やり体勢を立て直し、ホシノはショットガンを構える。

 理由は分からないが、こいつらは単なる集合体ではない。

 群れ全体が、一つの生物のように統率されて動いている。

 

 ならば、個体を撃ち抜いても意味はない。

 一点を潰す戦いではなく、流れそのものを断つ必要がある。

 

「……こんッのッ!!!」

 

 吐き捨てるように叫び、引き金を引いた。

 銃口は敵ではなく、足元――地面へと向けられている。

 

 轟音とともに、衝撃が走る。

 

 ――パチリ、と。

 まるで激しい稲妻が弾けたかのような音を立てて、銃弾が地面を穿った。

 

 岩盤が砕け、跳弾が四方へと散る。

 巻き上げられた岩石と金属片が黒い波を押し返し、ほんの一瞬――身体一つ分ほどの空間が生まれた。

 

 その刹那を逃さない。

 

 ホシノはその隙間へと身体を滑り込ませ、無理やり身を伸ばす。

 体幹を捻り、勢いのまま銃身を振りかぶると――

 

 叩きつけるように、蜚蠊の群れを薙ぎ払った。

 

「……ッ!!」

「いたッ!!」

 

 直後、宙に投げ出されていた身体が、容赦なく地面へと叩きつけられる。

 肺から空気が押し出され、短い悲鳴が漏れた。

 

 

「ホシノちゃん、大丈夫?」

 

 心配そうに、ユメが顔を覗き込んでくる。

 

「……平気です。それより、ユメ先輩は?」

 

 そう答えながら、ホシノは地面に手をついて立ち上がった。

 噛みつかれ、叩き落とされ、散々な目に遭ったはずなのに――身体に目立った傷は一つもない。

 

 パン、パン、と乾いた音を立てて、服に付いた埃を払い落とす。

 

「……それにしても、さっきの蜚蠊たち、何だったんだろうね?

 早く悟くんたちに追いつかないと……」

 

 そう言って歩き出そうとするユメに、ホシノは思わず胡乱な視線を向けた。

 

「……ユメ先輩。もしかしてですけど、気づいてなかったんですか?」

「んにゃ? なにが?」

 

 あまりに屈託のない返事に、ホシノの呆れは一段階深くなる。

 

「ご、ごめん!ホシノちゃん!!

 私、悟くんたちみたいに賢くなくて!!」

 

「……いや、そこまで言ってませんけど」

 

 一拍置いて、ホシノは淡々と告げた。

 

「いや、まあ……そこまで言っていないんですけど、さっきの蜚蠊達、()()()()()()()()()

 

 ホシノはそう言って、足元に落ちた蜚蠊を拾い上げる。

 

 ホシノはそう言って、足元に転がっていた蜚蠊を一匹、つまみ上げた。

 

「……でも、殺しても消えない」

 

 指先で摘ままれたそれは、既に動かない。ただの虫の死骸だ。

 けれど、そこから感じ取れる違和感が、はっきりと残っている。

 

「この蜚蠊は呪霊じゃありません」

 

 淡々とした声で言い切り、ホシノは一拍置いて続けた。

 

「……となると、心当たりがあります」

 

 そう告げて、ユメを真っ直ぐに見据える。

 

「特級呪霊《黒沐死》」

「……っ」

 

 名を聞いた瞬間、ユメの表情が強張った。

 

「蜚蠊への畏怖から生まれた、登録済みの特級呪霊です。

 能力は、呪力を帯びた蜚蠊の操作……だったはず」

 

「と、特級呪霊って……」

 

 ユメは喉を鳴らし、思わず辺りを見回す。

 

「どうして、そんなものが高専に……」

 

 その言葉が、完全に終わるよりも早く――。

 

「成程」

 

 背後から、静かな声が割り込んだ。

 

「特級呪霊の情報も、呪術界では既に共有されているわけですか」

 

 二人が振り向いた先に、人影が立っている。

 

「それとも、学園の教育方針、というやつでしょうか」

 

 愉快そうでもあり、試すようでもある声音。

 

「――いずれにせよ、実に面白い」

 

 その一言が落ちた瞬間、空気が目に見えて張り詰めた。

 

 コツ、コツ――

 無機質な靴音が、静まり返った空間に規則正しく響く。

 

 闇の奥から姿を現した“それ”は、夜をそのまま切り取ったかのような、真っ黒なスーツに身を包んでいた。

 だが、その佇まいは決して人間のものではない。

 

 呪霊が無理やり人の形を模した――そんな表現が、ひどくしっくり来る異形。

 手袋と袖の隙間から覗く地肌には、陶器がひび割れたような亀裂が走り、頭部に刻まれた裂け目からは、靄のようなものがゆらゆらと立ち上っている。

 

「お初にお目にかかります。暁のホルス殿」

 

「……んなッ!?」

 

 反射的に、ホシノは銃口を向けていた。

 

 視界に映るその姿。

 耳にまとわりつく、不快感を煽る声音。

 

 そのすべてが、ホシノの人生において一度も見たことのない“色”で、世界を塗り替えていく。

 

(呪霊……? いや、人間?

 ――なんなんだ、こいつ……)

(呪霊……? いや、人間?

 ――なんなんだ、こいつ……)

 

「私の名前は黒服。そうですね、単刀直入に言わせていただくと――」

 

 その言葉を最後まで聞くつもりはなかった。

 

 ホシノは一切の躊躇なく、引き金にかけた指へ力を込める。

 今、自分たちは“任務”の最中だ。現代日本の均衡そのものを背負った戦場にいる。

 相手が何者であろうと、無駄話に付き合う余裕などない。

 

 ――それ以上に。

 

()()()に、これ以上借りを作ってたまるか)

 

「ホシノちゃん!!」

 

 鋭い声が、背後から飛んだ。

 

「ッ!!?」

 

 一瞬の迷い。

 ほんの刹那、引き金に込めた力が緩む。

 

 

 

 

 

 淡々と、感情の一切を排した声で、宣告する。

 

「死んでもらいます」

 

 次の瞬間、パチリと乾いた破裂音が弾けた。

 

「――っ!」

 

 視界が反転する。

 ホシノの身体が、強引にかち上げられた。

 

 黒い塊。

 ――蜚蠊だ。

 

 背後から現れたそれは、再びホシノを包み込み、逃がす間も与えずに絡みついてくる。

 

(また……!)

 

 蜚蠊は渦を巻き、竜巻のように回転しながら、彼女の身体を上空へと引きずり上げていった。

 

 視界の端、地面を見下ろす。

 

 黒服は――一歩も動いていない。

 まるで、結果が最初から分かっているかのように。

 

「……ッ、この……!」

 

 歯を食いしばり、ホシノは銃身を思い切り振り抜いた。

 

「舐めるなッ!!」

 

 衝撃と共に、蜚蠊の群れが弾け飛ぶ。

 黒い羽音が四散し、空間に一瞬の静寂が戻る。

 

 重力に引かれながらも、ホシノは空中で体勢を立て直した。

 自由を取り戻した腕が、迷いなく銃口を地上の黒服へと向ける。

 

(――今だ)

 

 引き金に力を込めた、その瞬間。

 

「――ッ!」

 

 視界の端に、別の動きが映った。

 

 黒服の足元。

 地を這うように、黒い影が広がった。

 

「……っ!」

 

 ホシノは一瞬で判断を切り替える。

 

 狙いを定めていた銃口が、引き金を引く直前で軌道を変えた。

 

「ユメ先輩!! 伏せてッ!!」

「え――?」

 

 叫びと動作は、ほとんど同時だった。

 

「私ハ 鉄ノ味ガ 好キダッ」

 

 耳障りな声が、影の底から響く。

 

 次の瞬間、影が盛り上がった。

 

 黒布を無理やり内側から突き破るように、起伏のない漆黒の体が姿を現す。

 長大な触角。

 昆虫のそれを無理に擬人化したような、多眼の顔。

 腕の構造は虫、質感は人間――そのどちらにも完全には属さない、歪な存在。

 

 影から溢れ出るように、それは立ち上がった。

 

(……コイツが、黒沐死)

 

 理屈ではなく、直感だった。

 立ち昇る呪力。

 肌を撫でるように走る、ぞわりとした悪寒。

 

 間違いない。

 特級呪霊。

 

 見た目の特徴も、授業で聞いた情報と一致している。

 

 ――判断は、そこまでだった。

 

 銃声が炸裂する。

 

 遠距離から放たれた一撃が、黒沐死の動きを強引に止めた。

 

「―――ッ!!」

 

 ホシノは、着地と同時に踏み込む。

 落下の勢い、全身の体重、そのすべてを乗せて、銃身を振り抜いた。

 

 鈍い衝撃。

 

「何故 ジャマ スル」

 

 不快に歪んだ声が、間近で響く。

 

(……浅いッ!!)

 

 嫌な予感は、即座に現実になる。

 

 振り下ろした銃身は、黒沐死の腕に受け止められていた。

 

 ゴキリ、と嫌な音が鳴る。

 腕はあらぬ方向に折れ曲がり、関節の形すら崩れている。

 

 ――だが。

 

 相手は呪霊だ。

 この程度の損傷は、軽傷ですらない。

 

「このッ!!」

 

 ホシノは無理やり身体を捻り、間合いへ踏み込んだ。

 特級呪霊を相手に肉弾戦を挑むなど常識的な術師であれば一笑に付す愚行だ。

 

 ――だが、彼女は例外だった。

 

 振り下ろされる拳を柔らかな体捌きで逸らす。

 流れるような動作のまま、回し蹴りが顔面へと叩き込まれた。

 

 距離、ゼロ。

 

 引き金が絞られる。

 

 轟音。

 至近距離から放たれた散弾が、黒沐死の身体を打ち抜いた。

 

「鉄 ガ 何故 逃ゲル」

 

 黒沐死は蜚蠊らしく羽を広げると、そのまま空中で静止した。

 ズズズ、と空間そのものが軋むような音を立て、黒い肉体が歪み、伸び、再構築されていく。

 

 やがて、その腕から形作られたのは――

 一本の鉈のような異形の剣。

 

「――『爛生刀』」

 

 生と死が交雑する、魔剣。

 

 剣と銃身が噛み合い、ミシミシと空気が軋んだ。

 押し合う力は拮抗している――少なくとも、純粋な膂力だけを比べれば。

 

 だが、戦闘はそれだけで決まらない。

 

 次の瞬間、爛生刀の刃が脈打った。

 白濁した“何か”が弾丸のように刃先から撃ち出される。

 

「――ッ!!」

 

 それはホシノの肌に叩きつけられた。

 だが、硬質な感触を残して弾かれ勢いそのまま背後の木へと突き刺さる。

 

「ギィァァァアアァァァアアッ!!」

 

 悲鳴とともに、木の幹が内側から裂けた。

 飛び散る木片の隙間から、幼虫めいた呪霊がぬらりと顔を覗かせる。

 

(……うわ、気持ち悪い)

 

 一瞬で理解する。

 あれは“弾”だ。呪霊そのものを弾丸として打ち出す、性質の悪い攻撃。

 

(あれが体内に入り込んでたら――普通に、内側から食い破られてたな)

 

 背筋を、遅れて悪寒がなぞった。

 硬肌でなければ――今の一撃で、終わっていた。

 

(ほう……あれを弾きますか)

 

 黒服は、内心で小さく感嘆する。

 

 今、ホシノが相対しているのは特級呪霊・黒沐死。

 その単為生殖によって生まれ落ちた“子”だ。

 

 蜚蠊に対する原初的な畏怖の大半は親体に回収されている。

 それでもなお、残された力は特級に等しい。

 先ほど撃ち出した卵――あれは、並の術師であれば抵抗すら許さず貫いていた。

 一級相当であっても、例外ではない。

 

 それを――弾いた。

 

 術式でも、結界でもない。

 ただの、肉体の強度だけで。

 

 確かに、神秘を宿す人間の身体は脆弱ではない。

 銃火器に耐えうる程度の耐久を持つ者も、珍しくはない。

 

 だが、ホシノは違う。

 

 その域を、明確に踏み越えている。

 

(術師として、というより……生物として、一段上)

 

 黒服はそう結論づける。

 

 事前の調査では、彼女は特級には分類されていない。

 だがそれは、力が足りないからではない。

 単独で国家転覆を成し遂げうる“火力”を持たない――ただ、それだけの理由だ。

 

 純粋な防御力。

 肉体という器の完成度。

 

 その一点においてなら、特級を含めた術師の中でも、上から数えた方が早いだろう。

 

(実に……興味深い)

 

 黒服の口元に、わずかな歪みが浮かんだ。

 

 黒沐死の左右に、ぬるりと空間が歪み、二体の式神が姿を現す。

 

(……これ以上は、さすがに面倒くさい)

 

 ホシノは一瞬で判断を下した。

 このまま引き延ばされれば、時間も体力も削られるだけだ。

 

(ダラダラと時間と体力を無駄にする前に、さっさと終わらせるッ!!)

 

 そう判断すると、ホシノは地面を蹴って鋭く加速した。

 遠距離からのショットガンの威力では決定力に欠ける。

 ならば、近距離戦で接近して一気に終わらせるのが得策だ。

 

 出現した式神の一体を掴み上げ、そのままもう一体へ叩きつける。

 衝突と同時に、二体は悲鳴のような音を立てて対消滅した。

 

 間髪入れず、黒沐死へ肉薄する。

 

 腕を絡め取るように掴み身体を引き上げる。

 くるりと体勢を入れ替え、そのまま相手の上に乗り上げた。

 

「――ッ!!」

 

 肘を全体重ごと叩き込む。

 

 鈍く、重い衝撃音。

 黒沐死の体が揺らぎ、僅かに動きが止まった。

 

  その一瞬を、ホシノは逃さない。

 

「――ッ!!」

 

 勢いのままショットガンを突き出し、引き金を絞ろうとした――その刹那。

 

「……ちぃッ!!」

 

 銃口が、弾かれた。

 飛来した蜚蠊の群れが、壁のように割り込み、強引に照準を逸らす。

 

「何故 ジャマを する

 私ハ 鉄ノ味ガ 好キダッ」

 

 次の瞬間、鈍く、重い衝撃。

 

 爛生刀が、ホシノの腹部へと叩き込まれた。

 

 常人であれば、ここで終わりだ。

 内臓は潰れ、呼吸は止まり、抵抗する余地すら残らない。

 後は、喰われるだけ。

 

 ――だが。

 

「……つぅ、かまえたッ!!」

 

 ニヤリ、と。

 ホシノの口元が歪む。

 

 空いていたはずの腕が、いつの間にか伸びていた。

 爛生刀の刃を、素手で、がっちりと鷲掴みにしている。

 

 金属が軋むような音が鳴り、刀身が微かに震えた。

 

 そして――逸らされたはずのショットガンの銃口が、再び正面を捉える。

 照準の先にいるのは、黒沐死。

 

「――逃がすかよ」

 

 低く呟き、ホシノは引き金に指を掛けた。

 

拡張術式(EXスキル)・集中突破」

 

 宣言と同時に、銃身へと込められていた力が、極限まで圧縮される。

 次の瞬間――鈍く、重い轟音。

 

 まるで巨大な鉄塊同士が正面衝突したかのような衝撃と共に、黒沐死の巨体が弾け飛んだ。

 呪霊の肉体は空中で無様に回転し、そのまま地面へと叩きつけられる。

 

 吹き飛ばされたその軌道上から、黒服はひょいと身を翻して距離を取った。

 土煙の向こうで、彼は倒れ伏す黒沐死を見下ろしながら、どこか感心したように額へ手を当てる。

 

「いやはや……よく飛びましたね」

 

 特級呪霊であろうと、今の一撃を受けて無事で済むはずがない。

 それほどの威力だった。

 

 ――にもかかわらず。

 

 黒服の態度には、焦りも、動揺も、一切ない。

 

「次は……お前だッ!!」

 

 ホシノは即座にショットガンを構え、黒服へと銃口を向ける。

 だが、当の本人は、まるで散歩の途中で呼び止められたかのように、静かにこちらへ向き直った。

 

「やるじゃないか。現代の術師」

 

 その言葉を無視し、ホシノは引き金を引く。

 

 ――だが。

 

 黒服は、避けもしない。

 怯みもしない。

 

 ただ、静かに両手を上げ、反叉合掌の形を取った。

 

「……?」

 

 嫌な予感が、背骨をなぞる。

 

「だとしても」

 

 黒服は淡々と告げる。

 

「領域も使わないで私に勝てるなんて、希望論が過ぎると思わない?」

 

(まさか……)

 

 その予感に、ホシノは全力で後退の反応を示す。

 だが、それは既に遅く、呪力によって編まれた空間はそれまでの空間を塗り潰し。

 

「領域展開」

 

 (まさか――)

 

 瞬間、ホシノは全力で後退した。

 反射的な判断。理屈ではない。

 

 だが。

 

 遅かった。

 

 空間が、歪む。

 否――塗り潰される。

 

 呪力によって編まれた異界が、現実を侵食し、視界を奪っていく。

 

「領域展開」

 

 世界が、反転する。

 

 無数の歪んだ顔がうごめく幹。

 下部には、アフリカの呪術師を思わせる妊婦の姿。

 上部では、顔を剥ぎ取られ、磔にされた妊婦たちが、樹木を取り囲むように吊るされている。

 

 生命と死、祝福と冒涜が混ざり合った、見るも悍ましい象徴。

 

「――《胎蔵遍野》」

 

 顔に縫い目を持つその男は、怪しげに笑った。




頭に縫い目のある男。一体何者なんだ(すっとぼけ)
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