メロンパン「私は、天使を見た」 作:さかは
昔から、人と話すのが好きだった。
「ねえ。貴女の名前はなんて言うの?」
知らない誰かに声をかけると、その人は大抵笑ってくれた。
その笑顔を見るのが嬉しくて、また誰かに話しかける。そんなことを何度も繰り返していた。
人と関わると自然と自分も笑顔になれた。
出会えたことが嬉しくて、同じ時間を過ごせることが楽しくて、私はただ、誰かのために一生懸命になっていた。
私は皆のことが大好きだった。
そしてきっと皆も同じように思っているのだと、疑いもせず信じていた。
『あの子、ウザくない?』
――それが違うのだと知ったのは、ずっとずっと後のことだった。
『わかるわー。こっちの気も知らないでいつでもヘラヘラヘラヘラ……
自分は善人ですっていうセルフプロデュースっていうの?』
『こっちのこと助けたいのは分かるけど、それでミスばっかり、あの子が助けに来なかった方が、やること少なくなったんじゃない?』
小学校の中学年になって、ようやく私は理解した。
どれだけ私が誰かを好きだと思っても。
どれだけ笑顔で接しても。
相手の中で自分がどう映っているのかは、まったく別の話なのだと。
むしろ私は、都合のいい標的だった。
失敗ばかりで。
皆んなが嫌っていて。
馬鹿にしたとしても誰の株も下がらない。
そんな丁度良い、会話でこき下ろす為だけのちょうどいい当て馬。
私は皆んなのことが好きだった。
けれど――それは、私だけだったらしく。
皆んなは、私のことが嫌いだった。
それでも。
思っていたよりも私は馬鹿だったらしく。
誰かと話すことも。
誰かを助けることも。
どうしても、やめることができなかった。
馬鹿だよね?
どうしようもないよね?
それでも、誰かの顔が曇ったなら、私はそれを笑顔にしたかった。
知らない人と出会ったのなら、その人との出会いを私は掛け替えのない出会いにしたかった。
『アンタさあッ自分が嫌われてる自覚とか無い訳?
アンタのせいで皆んな迷惑してんだよ?無能過ぎて空気も読めないの?』
最後に中学校の同級生と会話したのはそんなことだった。
結局、自分は無能な愚図のままだった。
それでも。
――助けたい。
その気持ちだけは、どうしても消えなくて。
どうして消えないのかも分からないまま、馬鹿な私はどんどん一人になっていった。
まるで、大きな山道に投げ出された“おむすびころりん”転がって、止まらなくって、最後は穴に真っ逆さま。
そんな時だった。
高専のスカウトマンに出会ったのは。
私の髪色は特別らしい。
呪術師としての才能があるのだと、そう告げられた。
喧嘩なんて、一度もしたことがなかった。
人を殴ったこともなければ、殴られたことすらほとんどない。
それでも私は呪術師としての道を選んだ。
『えーと、まずは自己紹介だよね!
“梔子ユメ”っていいます!これからよろしくね!』
そこからの生活は、どうだろうか。
『ユメッ!バカッ!前に出過ぎだッ!!』
『わーーッ!!ごめーんッ!!』
悟くんに叫ばれて慌てて返事をした時には私は宙を舞っていた。
美しい曲線を描いて、気の抜けるような声を上げながら。
劇的に変化したことはそれほど無く、相変わらず私は馬鹿で愚図で、結構どうしようもない感じだった。
唯一変わったことと言えば。
『まあまあ、焦らずに落ち着いていこう。』
『どけどけ。私がさっさと治してやるから。
ほら。ヒューとやってヒョイってね』
結構皆んなは、私のことを心配してくれていることだろうか。
『お前なあ……。
自分がどういう術式持ってるか、この前説明しただろーが』
呆れた声が降ってきて、思わず肩を竦めた。
『そんな術式持ってんのに弱いとか、意味わからん』
彼もそんなことを言いながらも、私に良くアドバイスとかをしてくれた。
なんだかんだ面倒見がいいんだと思うし、彼に面倒を見てもらいながら、何も成果が出ない私は相変わらずダメダメだった。
ーーーでも。それでも。
叱られて、呆れられて。
それでも、誰も私を置いて行かなかった。
皆んな、私の友達でいてくれた。
それがどうしてなのか、私はまだ上手く理解できなかったけれど。
ただ一つだけ、分かったことがある。
私は相変わらず、馬鹿で愚図で。
失敗ばかりで。
きっと、誰かの足を引っ張ることも多かったと思う。
それでも――。
手を差し伸べてくれる人たちが、ここにはいた。
だから私は、もう少しだけ頑張ってみようと思えた。
せめて一度くらいは。
ちゃんと誰かの役に立てるように。
*
『貴方が五条悟ですね。
ユメ先輩から聞いています。
私は、貴女のことが嫌いです』
『わーーッ!!ホシノちゃんッ!!ストップッ!!ストップッ!!』
お母さんへ。
後輩が出来ました。
色々あって私が高専に誘ったんだけど、まあ、ちょっと大変な所もあるけど、一生懸命でとても良い子です。
――そんな子は、今。
「あ……っ、ぐ……あ……っ……!!」
声にならない音が、彼女の喉の奥から零れ落ちる。
肺が押し潰され、息が吸えない。
視界の端が黒く滲み、世界が遠ざかっていく。
頭上から、見えない力によって無理矢理大地に縫い付けられる。
領域内の術式は必ず
恐らくだが、この男の術式は重力の操作。
それをここまでの規模でやって来る。
多分、特級クラスは余裕である。
逃げなきゃ、と思うのに、足が動かない。
術式を維持するために集中しようとすると、逆に意識が散っていく。
「貴女のその常識はずれの頑強さも、常に隈なく攻撃を浴びせられ続ける領域の中で、どれほど持つでしょうか?」
ずっと近くにいる筈のあの男の声が、今はとても遠くに感じる。
「領域……?嘘でしょ?」
呆然と漏れた私の声は届いたのか、男は小さく鼻を鳴らした。
「何を今更。
これは呪術界どころか、現代日本社会すら揺るがす案件です」
淡々と、楽しそうに。
「その程度も想定できていないとは。
随分と、学生気分が抜けていないようで」
嘲るように笑いながら、男はホシノちゃんの頭を踏みつける。
「ぐっ……」
喉が鳴る音が、胸に刺さる。
「気絶してしまえば、ヘイローは出せない。
貴女は厄介ですので。今ここで、落ちて貰います」
男が、ホシノちゃんの頭を掴んで、そのまま地面に思いっきり擦り付けた。
ザリザリと響く音。
まるで大根をおろす時のような、鈍く、嫌な音。
それを聞くだけで、内側を直接削られているような錯覚に襲われた。
どうしようもない感覚に、縋るように。
私は、その光景をただ見つめていた。
「………ッ!!」
そんな中で、ホシノちゃんは私の方を見た。
そして――笑った。
安心させるみたいに。
大丈夫だと、問題ないと言わんばかりに。
そんなはず、あるわけがない。
それを一番よく知っているのは、私なのに。
「――――」
ああ。
まただ。
この感覚。
あの男は、私を見ていない。
存在していないみたいに、最初から勘定に入っていない。
それなのに。
ホシノちゃんは、私を気にしていて。
守るみたいに、無理をさせて。
これじゃあ私は――
ただの、役立たずだ。
この任務に参加した時から、ずっと思っていた。
――私、ここにいる意味ある?
呪詛師が現れても、私は見ているだけだった。
傑くんが、悟くんが、ホシノちゃんが、全部片付けていく。
『ユメは何かあった時のために、ここで待機』
分かってる。
それは「任せる」じゃなくて、「下げる」って意味の詭弁だ。
何かが起きたところで、私にできることなんて、何もない。
前に出れば邪魔になるだけだ。
ごめんなさい。
弱くてごめんなさい。役立たずでごめんなさい。
役に立たないのに、助けになろうとしてごめんなさい。
そうやって自分を責めたとしても、状況は変わらないのに。
「……このッ!!」
「ほう?まだ立ち上がりますか?」
ホシノちゃんが立ち上がり、銃口を向けるが、アッサリと目の前の男に叩き伏せられる。
当然だ。術師との戦闘に於いて、領域に引き込まれない、領域に引き込むのは絶対だ。
入れば負ける。相手を入れれば勝てる。
だからこそ、術師は領域を絶対の切り札としている。
この領域に引き込まれた時点で、私たちはすでに敗北している。
それなのに、どうして?貴女は戦うの?
「滑稽ですね。勝ち目はないと分かったでしょうに。
ここから勝つ算段でもあるのですか?」
「残念ながら、無いんだなぁ。 これが」
すでに満遍なく打ち付けられた重力によって、彼女の身体はボロボロになっている。
多分、あの男はこの領域内でホシノちゃんに重点的に術式の対象にしているんだ。
もう殆ど、立てる筈が無いのに。
彼女の足はあらぬ方向に曲がり、片目は開かないのか硬く閉じられたまま。
それでも彼女は決して逃げるような素振りを見せることはなく、必死に這いつくばり、そして立ち上がった。
「これでも、呪術師ですから。
自分の命の使い所は、自分で決められます。
貴方に勝てなくても良い。私は、私が守りたい物の為に命を賭ける。
それだけで十分です」
それでも彼女は、逃げるという選択肢を一度も見せない。
必死に、地を這うように前へ進む。
多分あの男は分かっている。
この領域で、誰が一番邪魔なのかを。
だからこそ、ホシノちゃんだけが、徹底的に潰されている。
「これでも、呪術師ですから」
その言葉が、胸に突き刺さる。
勝てなくてもいい。
守りたいもののために、命を賭ける。
――違う。
違うよ。
あなたの方が、何倍も、何十倍も、ここに必要な人なのに。
だから、あなたの方が生きるべきなのに。
そう思っても、圧力に押し潰された喉から、言葉は出てこない。
呪術師にとって、弱さは罪だ。
弱ければ、生き方も、死に方も、選べない。
私 には、何も選べない。
「ホシノちゃん……」
掠れた声が漏れた、その瞬間。
「あぐッ!!」
彼女の身体が、蹴り飛ばされ、宙を舞った。
「申し訳ないが、私にも時間がなくてね」
淡々とした声。
命を奪うことに、何の感情も乗っていない声。
「今は高専に登録された術師として扱われているが、いつ天元に感知されるかも分からない」
彼は私を見ていない。
それなのに、ホシノちゃんは、最後まで私の方を気にしていた。
――まただ。
また、私は見ているだけだ。
役に立たないまま、守られる側で。
「……丈夫。」
声が聞こえる。
「大丈夫。大丈夫です。大切なあなた」
擦り切れた息の合間から、言葉が零れる。
「あなたが、あの日、手を取ってくれたから……私は救われました。
あなたが、希望を見せてくれたから……私は、生きられました」
それは、祈りのようで、告白のようで。
「私は、ただ……その恩を返しているだけです。
貴女が、私の名前を聞いてくれた。
それだけで、私は救われたんです」
意識して口にしたのか、それとも無意識の独白なのか。
それでも、彼女が何を指しているのかは、すぐに分かった。
『ねえ。私は梔子ユメ。
貴女の名前を、教えてくれない?』
ほんの少し前。
彼女と初めて言葉を交わしたときの、いつも通りの挨拶。
いつも通りのおせっかい。
――覚えていたんだ。
こんな、くだらない会話を。
でも、そうだね。
確かに、そうだった。
私は、たったそれだけのことで、誰かを救ってしまうことがある。
そして同時に、救われてしまうこともある。
……少しだけ。
自分が進むべき道が、分かった気がした。
私は昔から、間違った助け方しかできなかった。
それでも。
それでも、手を伸ばすことだけは――やめられなかった。
『お前の術式さあ、結構強いと思うよ。
俺ほどじゃないけど』
軽い調子で、悟くんは言っていた。
『盾を起点にした、数メートル限定の防御機構だけを残した簡易的な領域。
原理的には簡易領域だな。
それなら、領域の中でも……ちょっとは持つんじゃない?』
短い範囲。
攻撃性は皆無。
ただ、守ることだけに特化した――
それが、私の術式。
これなら。
ホシノちゃんを守ることくらいは出来るかもしれない。
……ううん。
できるかどうか、じゃない。
やるんだ。
私は、膝を引きずるようにして彼女のそばへ寄る。
「ホシノちゃん。起きて」
指先で、彼女の肩を揺らす。
「……ユメ……先輩?」
掠れた声。
それでも、すぐに意識は戻った。
「うん。ユメ先輩」
思わず、少しだけ笑ってしまう。
――わーお。
相変わらずだ。本当に。
この状況で、まだ目を開けられるなんて。
やっぱり、タフだなぁ。
だからこそ。
だからこそ今度は――
私が、貴女を守る番だ。
「……ん……」
ボロボロの身体に、無理やり命令を出す。
立て、と。
信じられないほどの重力が、容赦なく全身に叩きつけられていた。
内臓が沈み、骨が軋み、皮膚の下で何かが悲鳴を上げる。
血が、だらだらと流れ落ちる。
一滴。
また一滴。
それは血液というより、命そのものが零れている感覚だった。
身体の中から、取り返しのつかない何かが、確実に減っていく。
人間は、五〜六G位の重力が掛かると失神するらしい。
ふと、どうでもいい知識が頭をよぎる。
じゃあ、ヘイローを持った人間はどうなんだろう。
銃弾を弾けるくらい身体が頑丈なら、その分、耐えられる重力も増えるのかな。
許容量は、少しは上がっているんだろうか。
……まあ。
いいか。
考えるのを、やめる。
「……術式、展開」
普通の術式じゃ、無理だ。
それくらい、最初から分かっている。
耐えられない。
間に合わない。
守れない。
だから――
代償を払う。
大量に。
惜しみなく。
この先の時間も、未来も、命も。
全部、全部。
守るためだけに使う。
「……ほう?」
男の、興味を含んだ声が落ちてくる。
その声を前に、私はただ、立っていた。
壊れかけの身体で、覚悟だけを支えにして。
――今ここで、止める。
それ以外の選択肢なんて、最初からなかった。
*
パチリ、と乾いた音を立てて、梔子ユメが鞄型の盾を展開した。
彼女の術式は、原理的には簡易領域に近い。つまりそれは、対領域に対しても有効な、数少ない手段のひとつだ。
「それで、どうするんだい?
このままこの状態を維持したところで、この拮抗は一瞬で崩れる。
そうだな……六秒もあれば、余裕を持って君を殺せるよ。別に、君が死んでも構わないしね」
男はユメの言葉を嘲るように、口角を歪めて言い放った。
――侮られている。
その事実に、怒りは湧かなかった。
むしろ――その方が、好都合だ。
「―――ッ!!」
梔子ユメは、小鳥遊ホシノへ向かって駆け出した。
その視線の先を追い、男は彼女の意図を察する。
「……川があるね」
呪術高専は宗教系の私立と偽られた、都立の
景観維持のための森林が広がり、同時に水源として川が流れている。
山中の川へとホシノを投げ飛ばせば、少なくとも――
彼女は、高専の内部からは逃走できる。
「ダメですッ!!ユメ先輩ッ!!私を置いて逃げてくださいッ!!
お願いだからッ!!」
ホシノの叫びが、背後から突き刺さる。
けれどユメは、その声を敢えて振り切った。
もう、決めていた。
合理性も、判断も、正しさも――全部、今は要らない。
ただ、助ける。
それだけだ。
無理矢理に身体を起こし、引きずるようにして前へ出る。
血の気が引いた視界の端で、男がこちらを見ていた。
驚きも、苛立ちもない。
ただ、冷静に。状況を測る目。
それでも――
逃げられる。
このままなら、ホシノは逃げられる。
そう信じて、ユメは一歩、また一歩と足を運んだ。
重力に押し潰されながら、それでも前へ。
「――――」
ふっと、胸の奥が軽くなる。
ああ、やった。
助かった。
そう思った瞬間、心の底から笑みが零れた。
戦場で、決してしてはいけないこと。
それは、勝ちを信じること。
「――ッ!!」
その一瞬の綻びを、逃すはずがない。
空気が裂ける。
勝利を確信したその場所へ、男は泥を塗りつけるように踏み込んで来た。
「ユメ先輩ッ!!」
ホシノの悲鳴だけが、場違いなほど鮮明に、静寂を打ち破った。
領域内部に於いて呪力があれば術式は反応する。
/男は生まれた時から呪力を持たなかった。
男が手にした呪具は、ユメの術式を無に化した。
それは特級呪具。天の逆鉾。
その術式は、凡ゆる術式の強制的解除。
*
随分と、長く夢を見ていた気がする。
いつだったけな?
今はユメかな?それともウツツかな?
私には分からない。
『なあに、簡単よ
メタルグレイモンになる分にはいいけど、スカルグレイモンになると困る。
だからコロモンからやり直すって寸法よ』
ああ。そっか。
流石悟くん。詳しいなあ。御三家出身だもんなぁ。そういう教育うけてるのかな?
『君ねえ。あの子は暴れるのが通常運転だろ?
……どうだい?ユメ。飲むかい?』
傑くんは優しいなあ。こういう所は悟くんに見倣ってもら……いと。
『ああいうクズとは関わらなきゃいいのよ。
精神衛生上、その方がいいから。』
ありがとう。しょうこちゃん。
いつも私のこと、き遣ってくれて。
また、遊ぼうね。
「ユメ先輩ッ!!」
どこからか、ホシノちゃんの声が聞こえる。
アレ?変だな。ちょっとぼやけてきこえる?
まあ でもいいや。
げんきそうで、わたしもうれしいな。
ああ。そうだ。いつかはわすれちゃったけど、おもったこと、……るんだ。
きみにであって。きみとわらって。
たのしく……て
し ぜん と おもって たの
「ホシノちゃん、私ね。先生になりたかったんだ」