【未完】個性と念。【引き継いでくれる人募集】 作:確かな勇気
「溜めろ」
河川敷に立つ緑谷に、男は短く告げた。
「今までと同じ纏(てん)を維持したまま、オーラの“量”を増やす」
「それが練(れん)だ」
緑谷は小さく息を吸い、吐いた。纏は崩れていない。いつも通りだ。その状態を保ったまま、胸の奥、腹の底、背骨の内側へと意識を向ける。散らさない。外に出さない。ただ、集める。
最初は何も起こらなかった。
だが数秒後、体の内側がじんわりと温かくなる。次第に、その感覚は“重さ”に変わっていった。水を含んだ布を体の内側に詰め込まれているような、不快な圧迫感。
(……これが、練)
一分も経たないうちに、額に汗が浮かぶ。呼吸がわずかに浅くなる。纏はまだ保てているが、オーラが均一ではない。胸のあたりに偏っているのが、自分でも分かる。
「偏るな」
男の声が飛ぶ。
「全身だ。骨、筋肉、内臓、皮膚の裏側」
「一箇所に溜めるな。まだ“攻撃”の段階じゃない」
緑谷は頷き、意識を散らそうとする。だが、溜めたオーラは思った以上に言うことを聞かなかった。増えた分だけ、動きが鈍い。まるで体の中で粘度を持ち始めたかのように、引きずられる。
(……まずい)
そう思った瞬間、膝が震えた。
纏がわずかに乱れ、内側に溜め込んだオーラが行き場を失う。皮膚の内側で、ぐわりと暴れる感覚。
「――っ!」
反射的に、緑谷は**絶(ぜつ)**に入った。
意識を切り替え、オーラの流れそのものを断つ。纏も、練も、すべてを止める。
次の瞬間、体から一気に力が抜けた。
その場に膝をつき、手を地面について呼吸を整える。内側の圧は消えたが、代わりに全身が鉛のように重い。
「判断は早かった」
男はそう言ってから、少し間を置いた。
「今のは失敗だが、悪くない失敗だ」
緑谷は荒い息のまま顔を上げる。
「……溜めすぎ、ですか?」
「正確には、“器を知らずに溜めた”」
男は淡々と続ける。
「練は、才能よりも段階だ」
「お前は今、自分の容量を測っている段階にいる」
緑谷は地面に座り込んだまま、拳を握った。確かに、限界は感じた。だが同時に、ほんの一瞬だけ――確かに“今までより強い状態”に近づいた感覚もあった。
「……時間、ですか?」
「そうだ」
男は頷く。
「最初は三十秒。それ以上は欲張るな」
「三十秒溜めて、解除する。それを何度も繰り返せ」
「練は、長くやる技術じゃない。“必要な時に必要な量を用意する”技術だ」
緑谷はその言葉を反芻する。
(戦いの中で……溜める……)
想像しただけで、背中に冷たいものが走った。動きながら、相手を見ながら、判断しながら、それでも内側に力を満たす。今の自分には、到底できそうにない。
「だから今は、失敗していい」
男は静かに言った。
「止められる場所で、何度でもな」
その夜、布団の中で緑谷は体のだるさに耐えながら目を閉じた。練をした後の疲労は、纏や体術の比ではない。筋肉痛とは違う、体の“内側”が使い切られたような感覚。
それでも、恐怖より先に浮かんだのは、奇妙な実感だった。
(……ちゃんと、積み重なってる)
派手な変化はない。だが、確実に自分の中の“器”は意識できるようになってきている。溜められる量も、止める判断も、昨日よりは少しだけ前に進んだ。
緑谷はゆっくりと呼吸を整えた。
オーラは今、静かだ。
だが、それは失われたわけではない。
眠りに落ちる直前、彼は思った。
(次は……三十秒、きっちりやり切ろう)
その小さな目標が、やけに現実味を帯びて感じられた。
練(れん)の修行は、いつの間にか“耐える”段階を抜けていた。強くすることより、乱さないこと。長く保つことより、必要な分だけ正確に扱うこと。男はそれ以上を語らず、緑谷もまた、言葉より感覚で理解し始めていた。
その帰り道だった。
夕方の商店街。人通りはあるが、どこか疲れた空気が漂っている。緑谷は纏(てん)を薄く保ったまま歩いていた。今では、無意識に近い状態でも維持できる。
――そこで、見てしまった。
通りの端、街路樹の影に座り込む少年。背中を丸め、肩で息をしている。
(……体調、悪そうだ)
一歩、足が前に出かけて、止まった。
(待て)
頭の中で、男の声が蘇る。
「善意は、時に最も目立つ」
緑谷は拳を握りしめた。纏越しに感じる違和感。ただの疲労ではない。オーラの流れが歪んでいる。詰まり、滞り、循環できずに内側で暴れている感覚。
(助けられる……かもしれない)
でも、その“かもしれない”が怖かった。自分は医者じゃない。ヒーローでもない。ただ、少しだけ人より違う感覚を持っているだけだ。
(もし、失敗したら?)
(もし、変なことをしたって思われたら?)
(もし……バレたら?)
心臓が早鐘を打つ。練を使えば、安定させることはできる。理屈は分かっている。だが、理屈と実行の間には、決定的な一線があった。
少年が、小さく咳き込んだ。
その音で、緑谷の迷いは決壊した。
「……だ、大丈夫?」
声は、思ったより震えていた。少年は顔を上げ、ぼんやりとこちらを見る。
「ちょっと……立ちくらみ、みたいな……」
(今だ)
緑谷はしゃがみ込むが、距離は保ったまま。触れない。絶対に触れない。男に何度も言われたことだ。
「えっと……一緒に、ゆっくり呼吸してみよう」
自分は最低限の練に入る。強めない。ただ、安定した流れを作る。呼吸を一定にし、オーラの揺れを抑える。その“状態”を保つだけだ。
少年は最初戸惑ったが、次第に呼吸を合わせ始めた。
数十秒。
一分。
少年の肩が、ゆっくりと下がった。
「あ……なんか……さっきより……」
「無理しないで。今日は、誰かに迎えに来てもらった方がいいよ」
少年は何度も頭を下げ、ふらつきながらも立ち去っていった。
緑谷は、その背中が見えなくなるまで動けなかった。
「……やってしまった」
「だが、逃げなかった」
背後から男の声がする。
「助けるか迷ったな」
「……はい」
「その迷いを忘れるな。無自覚な力ほど、危険なものはない」
緑谷は、深く息を吐いた。胸の奥が、まだざわついている。
その夜、路地裏で相澤消太は“いつも通り”の手順で仕掛けた。距離、死角、逃走経路。視線を固定し、個性を発動する。
――消えない。
一瞬、理解が遅れた。異形型ではない。身体構造は明らかに人間だ。それなのに、能力の兆候がまったく途切れない。
「……消えない?」
喉の奥がひくりと引き攣る。そんなはずはない。今まで例外はなかった。脳が警鐘を鳴らし、背筋に冷たいものが走る。
(何だ、これは……個性じゃない?)
次の瞬間、不可視の圧が飛んできた。反射的に身を捻り、壁を蹴って距離を取る。判断は一瞬だった。消せない以上、いつものやり方は通用しない。
「……想定外だ」
だが、混乱はそこまでだった。相澤は歯を食いしばり、呼吸を切り替える。
(個性に頼るな。原点に戻れ)
捕縛布を投げる。相手は弾き返そうとするが、動きが粗い。力は強いが、制御が甘い。相澤は床を転がり、死角から一気に間合いへ踏み込んだ。
布が腕に絡み、関節を締める。抵抗は激しいが、体術で崩し、重心を奪う。地面に叩き伏せ、膝で背中を押さえ込んだ。
「……動くな」
心拍は上がっていた。だが、声は低く、揺れていない。
(消せない力……そんなものがあるなら)
拘束は成功した。しかし、相澤の胸中に残ったのは、勝利感ではなく、はっきりとした危機感だった。
(これは、表に出てはいけない類の力だ)