(しまったな……)
自分と共に電車を降りる人の群れに、紡乃世詞音は顔をしかめた。
平日の朝、大学最寄り駅とくらべれば少ないが、予想していたよりは多い。
初詣をするにあたってあまりに人が多い所は避けようと、三が日の最終日を選び、参拝客が多くない神社を探したつもりだったのだが。
とはいえ後悔した所で今更だ。詞音は少し足早に駅の外へと向かう。
改札を抜けて周囲を見渡すと、待ち合わせ相手はすぐに見つかった。
青地の振袖を着た長い黒髪の少女、双葉湊音。
彼女は駅前から少し離れたところにある街路樹に背中を預けるようにして立ち、待ちきれないといわんばかりに周囲をきょろきょろと見回していた。
(湊音、本当に晴れ着で来たんだ)
今日の約束をしたとき「初詣と言ったら振袖! 今年は絶対振袖で初詣に行くんだ!」とはしゃいでいたのを思い出す。
改めて、それだけ今日を楽しみにしていたということだろう。
詞音は最初に何と声をかけたものか、と立ち止まり――けれど、このままでは湊音に見つかるのではと考え直した。
そうなれば湊音はこっちに人がいるのに駆けてくるんじゃないだろうか。
心配しすぎというにはあまりにも自然に、そんな光景が思い浮かぶ。
詞音はそうなる前に、と音楽を流していたマイク付きの片耳ワイヤレスイヤホンの再生を止めると、湊音の方へと駆けだす。
半分ほど近づいたところで、湊音は詞音の存在に気付いた。
「あ、詞音! おーい、詞音ー! おはよー!!」
案の定こちらへ向かって駆けてこようとした湊音へ、詞音は自分が行くからと、手を挙げてまったをかける。
「ふぅ……おはよ、湊音。あけましておめでと」
目の前まで近づいて詞音がそう言うと、湊音はそうだった! と背筋を正してぺこりと礼をした。
腰まである長い黒髪がさらさらと流れる。
「あけましておめでとうございます。――えへへ、今年もよろしくね、詞音!」
「……うん、よろしくね、湊音」
大人っぽく丁寧にあいさつしたかと思ったら、一転して子どものように素直な笑みをむけてくる友人の姿がいつもと変わらないことに、詞音も優しく微笑んだ。
「それで、湊音は本当に晴れ着着てきたんだね」
「うん! 前に言ったじゃん、絶対着てくるって。どう? どう? 似合ってる?」
フラメンコでも踊るみたいに、湊音はその場でくるくると回って見せる。
それは今日の空模様みたいに晴れ渡る青地に、松竹梅や毬、橘の模様があしらわれた一品で、元気いっぱいな笑みを浮かべる湊音によく似合っていた。
詞音はそんな感想を素直に伝えようとして、ふと――それが小学校の時、彼女が着ていたものに足元以外そっくりなのではないかと気付く。
「湊音、もしかしてそれって……七五三の時に着てたやつと同じの?」
湊音はバレたか、と悪戯に失敗した子供みたいに舌を出す。
「まあ晴れ着着るぞーっ、て言ったはいいものの、柄とか詳しくないしさ、結局一番思い出深いのとおんなじでいいかなって。もしかして、子どもっぽい? 似合ってない?」
「ううん、そんなことないよ。すっごく似合ってる。ただちょっと、懐かしいなぁ……って」
「それなら良かったよー。でも、詞音ったらよく覚えてたね」
「そりゃ覚えてるよ、大事な思い出だもん」
「えへへ、そっかぁ……」
湊音は少し照れ臭そうに指先同士をくっつけ、人差し指をくるくると回す。
「……そういえば! 詞音はいつもの格好なんだね」
「まあ、ね」
言われて、詞音は自分の格好を改めて確認する。
普段大学に通う時と一緒の、シャツとセーターにベージュのダウンコート、下はジーンズという日常感満載の服装だ。
「振袖なんて持ってないし、そもそも一人暮らしだと置く場所もないしね。それに持ってても一人じゃ着れないし……」
本当はレンタルすることも少し考えたのだが、予算だとか、一人で行くのとかを考えて結局やめにしたのだ。
「あー……そっか、普通はわたしみたいに気楽に着れる訳じゃないしね。ごめん、ちょっと考えなしだったかも」
湊音は、えへへと苦笑する。
「……やっぱり、着てきた方が良かった?」
「ううん! そんなことないって! 周り見ても普通の格好した人の方が多いし、わたしみたいに気合入ってる方が珍しいからさ! それに、わたしはこうして詞音が一緒に初詣に行ってくれるってだけで十――っ分に嬉しいから!」
心の底からそう思っている、と言わんばかりに両手を握りしめて湊音は熱弁すると、くるりとその場で半回転した。
「というわけで早くいこ! 詞音!」
「ちょっと湊音、前見ないと危ないって!」
言うが早いか前も見ずに歩き出そうとする湊音に対し、詞音は慌ててその隣に並んだ。
「それに、どこに神社あるのか湊音は知らないでしょ?」
「う、そういえばそうだった……それじゃあ詞音先生、案内よろしくお願いします……!」
「まったく湊音は――」
詞音は少しヒヤヒヤしつつ、けれどそれだけ楽しみにしてたのだと思うと怒れないなと苦笑した。
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「わぁ……都心からは離れてるとはいえ、やっぱり関東、すっごい人だねぇ……」
六列に広がった初詣の待機列。その最後尾右側に並びながら、湊音が参拝に並ぶ人の列に感嘆の声をあげる。
境内には、鳥居を超えるほどではないとはいえ、本殿から石畳全体の半分ほどまで人の列が続いていて、少ないながらも屋台まで出ている程だった。
詞音が思い描いていた、地元の閑散として、ある種神聖さすら感じさせる『人の少ない神社』からはあまりに縁遠い。
電車を降りた人が皆揃って同じ方向に歩いて行っているという時点で嫌な予感はしていたが、これほどまでとは思わなかった。
唯一幸いなのは混雑緩和の為か一度に複数人が横に並んでお参りする形式をとっており、このまま待っていさえすれば十分ほどで順番が回って来そうなことぐらいか。
「ごめんね湊音、こんなに人が多い場所とは思ってなくて……」
詞音は自分のリサーチ能力不足を悔やむ。
『人が少ない神社』で調べはしたのだが……今になって考えてみれば、そうやって検索上位に出てくる時点で一定以上の知名度がある、ということだったのだろう。
「……今からでももう少し人が少なそうなところ探す?」
地図アプリを開いて直接探せば、小さいところなら何とか見つけられるのではないか――詞音はスマホを取り出そうとして、けれど湊音は首をふるふると横に振った。
「ううん! これぐらい人がいてくれた方がお祭り感があっていいよ」
「けど、あんまり人が多い場所だとまた――」
詞音の頭に浮かぶのは、先日ハロウィンで繁華街に繰りだそうとした時のこと。
待ち合わせ場所で顔を真っ青にして蹲り、ぶるぶると震えていた湊音の姿。
「もう、そんな顔しなくても大丈夫だよ、詞音ったら」
言われて、詞音は自分が眉間に深い皺を寄せてしまっていたことに気付く。
「確かにこの間はちょっとしんどかったけど、今日はあの時よりずっと人も少ないし、これぐらいなら平気。それに今日は最初から詞音が一緒にいてくれるからね」
「本当に? 無理してない?」
湊音の笑みがかつての苦痛を押し殺したようなものでないと分かっていても、つい聞かずにはいられない。
「本当に大丈夫だって、詞音は心配性過ぎ。……まあ、そうやって心配してくれるのは嬉しいけどね、えへへ」
「……それならいいけど、しんどくなったらすぐ言ってよ? 初詣って、必ず三が日の間に行かなきゃいけないものでもないんだし、ダメだったらまたハロウィンの時みたいにやりなおせばいいんだからね」
「……うん、ありがとね」
湊音はちょっと申し訳なさそうに首をこてんと傾げた。
そうしている内にも列は少しずつ前に進んでいて、前の高校生と思しきグループが別れて手水舎へと向かっていく。
「詞音は行かなくていいの?」
湊音は一歩さがって高校生たちを躱しながら、詞音に訊ねてくる。
「だってそうしたら並びなおさなきゃいけないじゃん。湊音を一人にするわけにはいかないんだし」
「あ、そっか。そうだった。……えへへ、ごめんね? 変なこと言っちゃって」」
ポン、と手を打っている辺り、本当に気付かなかったのだろう。
「うーん……まだ自分の事とはいえ慣れないなぁ……もうすぐ一年経っちゃうっていうのにね」
気まずいのを誤魔化すように人差し指を回しながら湊音は苦笑する。
「謝ることないよ、それだけ私といる間は自然体でいれてるってことなんだから。むしろ私としては嬉しいかな」
「うぇ!? ちょっと詞音、流石にそれは聞いてるこっちまで恥ずかしくなるから禁止!」
詞音としては本音だったのだが、どうやら湊音的にはオーバーな表現だったらしい。顔を赤くして両手で大きくバッテンマークを作る。
そんな友達の様子に詞音は「ごめん、ごめん」と微笑んで、それから少し目を細めた。
「……それに、湊音は気が早いよ。まだ一年は経ってないって……まだ九カ月とちょっとだよ」
湊音と再会し、こうして一緒に出掛けるようになったのは、三月二十一日から。
詞音が大学進学を機に引っ越してすぐのことだった。
だから一年まではあと三か月ほどある。
「それもそっか。そうだよね、まだ二月には節分もあるし、三月はお雛様もあるしね! ……ってごめん、詞音の予定も聞かないで勝手に盛り上がっちゃって……」
楽しそうにガッツポーズをしたのから一転、申し訳なさそうに肩を縮める湊音に、詞音は首を大きく横に振った。
「ううん。予定、空いてるから」
「そっか……それならいいんだけど……」
湊音は口元をしばらくもにょもにょと蠢かせ、それから意を決したように詞音の目を見つめる。
雲一つない空を閉じ込めたビー玉みたいな目が、まっすぐに詞音へ向けられた。
「あの……前も言ったかもだけど、無理してわたしを優先しなくていいんだからね?」
「大丈夫、無理なんてしてないよ」
「けど! 詞音にも大学の友達とかいるだろうし、バイトもあるって言ってたし、課題だって……だからそっち優先で――」
「
湊音の肩がびくっ、と跳ねたのを見て、詞音は自分が低く、唸り声のような口調になってしまっていたのに気づく。
「あ、ごめん……湊音。……けど、本当に私は私がしたいから、湊音とこうして一緒に出掛けてるんだからさ」
「そっ、か……詞音がいいならわたしは嬉しいってか、大歓迎だから……その、ありがとね」
湊音は口元で複雑な感情を噛み殺すようにもにょりとして、それから思い出したように詞音から社殿の方へと視線を移した。
「――というか! まだ待つんだね! いやー、やっぱり地元と違ってこっちは人が多いねぇ……!」
今更感のあることを言いながら、湊音はぴょんぴょんと跳ねて前を見ようとする。
しかし湊音の視点が詞音より少し高いとはいえ、背丈は同じぐらいだ。男性交じりの人だかりを見通すには身長がだいぶ足りない。
「むぅ……みんな背高すぎ……! それなら、こっちから――」
代わりに二人が並んでいるのはちょうど列の右端で。
数度ジャンプして諦めた湊音は、列の横から体を乗り出して前の様子を伺おうとして――
タイミングを合わせたみたいに、湊音の後ろから歩きスマホをしている男が歩いてくる。
「! みな――」
二人が接触するまで距離は二歩もない。
今から湊音に言っても間に合わない。
頭の冷静な部分がそう結論を出した瞬間、反射的に体が動いた。
「――っ!!」
詞音は湊音の手を取って、踵を軸にくるりと回転しながら彼女を引っ張る。
ワルツを踊るように湊音と詞音の位置が入れ替わる。
結果は明らかだ。
詞音の肩にドンッ、と衝撃が走る。
「っ、すいません……バランス崩しちゃって……」
ジンジンとした感覚を押し殺して頭を下げる詞音。
男は一瞬目を見開き、それから怪訝な表情をしながらも頭を軽く下げる。
「……いえ、こちらも前見ていなかったので」
幸いにもしつこい男ではないらしく、スマホをポケットにしまった彼は、一、二度詞音の方へ振り返りながらも向こうの方へと歩いて行った。
男が姿が建物の陰に消えた所で、湊音が押し殺していた声を上げる。
「ごめん詞音! わたしが周りを見てなかったせいで……その、大丈夫?」
その声にはまるで自分が死んでしまうんじゃないかというぐらいに心配さが滲んでいて、詞音は大丈夫だとアピールするために微笑んだ。
「湊音ったら大袈裟だよ、これぐらいなら大丈夫だって」
「本当に?」
湊音はおろおろとしながら、どうするべきか手を空中に彷徨わせていて、実際にぶつかった詞音よりもよほどパニック状態だ。
それがなんだかおかしくて、詞音はすっかりと落ち着いてしまった。
触れた場所へ意識を向けてみても、多少まだジンジンとするような感覚はあるものの、後に引くような感じではない。
これぐらいで湊音を守れたのなら安いものだ。
「――うん、本当に大丈夫。それより湊音にぶつからなくて良かった。ダメなんでしょ、人に触れるの?」
「それは……そうなんだけど……」
「湊音の方は大丈夫? つい手、握っちゃったけど」
「それは全然! 詞音なら全然平気だから……!」
消えてしまいそうなほどに俯いていた湊音は慌てて顔を跳ね上げ首を全力で横に振った。
「なら良かった」
「うぅ……けど……ごめん、詞音」
「……そこはさ、ごめんじゃなくて『ありがとう』の方が嬉しいな」
「え?」
「だって、私は湊音を助けた王子様なんだからさ、物語でも助けられて『ごめんなさい』って言うお姫様はいないでしょ?」
……湊音を元気づけるためとはいえ、さすがにちょとばかしキザすぎやしないだろうか。
湊音が目を見開いたままこっちを見つめているのを見ていると、詞音は体が熱くなっていくような気がして――
「あ……そう、だよね……えへへ、ありがと詞音」
――けれど、それ以上に恥ずかしそうに顔を赤らめる湊音に、詞音はほっ、と息を吐く。
「うん、どういたしまして。それじゃあほら、順番まであと少しなんだから、ぶつからないようにもう少し私の方に寄って、ほら」
「え、でも…………うん」
湊音は少しばかり躊躇したものの、自分を助けた王子様の言うことには逆らえないというように、おずおずと一歩詞音へと身を寄せて。
けれど、どこか申し訳ないというように詞音の吐き出す白い息を見ていた。
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二人が賽銭箱の前に到着したのはそれから五分ほどだった。
詞音は用意しておいた五百円玉二枚を賽銭箱へと――少し躊躇したものの放り込む。
鈴は流れをスムーズにするためか取り外されていたので、湊音と並んで二礼二拍手一礼し――
――さて、何を願ったものかと詞音は迷う。
色んなお願いが頭の中へわっ、と溢れて、詞音は目をつぶった。
貪欲なつもりはなかったが、こうして自分と向き合うと、我儘ではあるのだなということが改めて思い知らされる。
詞音はしばらく複数のお願いを上手いこと言葉に纏めようとしたり、それらしく整えようとしたりと格闘して――結局、一番最初に思いついたことをそのまま願うことにした。
『このままずっと湊音と楽しい時間を過ごせますように』
目を開けると、隣ではもう願い終わっていたのか、こちらを見つめていた湊音と目が合った。
「終わった? じゃあ行こっか」
詞音は軽く頷き、湊音と並んで参拝の列から離れる。
少し歩いたところで、湊音が口を開いた。
「ねえ、詞音は何をお願いしたの?」
少し楽しそうに、ちょっと悪戯っぽく首を傾げる彼女に対し、詞音の心臓が跳ねる。
言葉に詰まって、けれど黙るのは不自然だと、誤魔化すように動かした口から出た言葉は、「そういう湊音は?」だった。
湊音は「んー、わたし?」と自分へ水をむけられたことに少し驚いたようだったが、すぐに破顔して。
「わたしはね『詞音が幸せな一年を過ごせますように』って」
「……せっかくの初詣なんだから、自分の事お願いすればよかったのに」
「えへへ、わたしはいいんだよ。もう充分に幸せだからさ」
本当にそう願ったのだろう、湊音は影のないキラキラとした笑みを浮かべている。
その笑顔が眩しすぎると感じるのは、自分勝手なお願いをしたのではないかという負い目があるからだろうか。
「それで? 詞音は何お願いしたの? あんな真剣な顔してお参りしてさぁ……もしかしていい彼氏でも見つかりますように、なーんて願ってたり……なんてね、えへへ」
「彼氏なんていいよ、面倒臭そうだし。私は…………そう、『
詞音がそう言った瞬間、茶化すようにニヨニヨと口元を緩めていた湊音は、顔を真っ赤にした。
「い……いやぁ! そんなこと願われるなんて、私ってば詞音に愛されてますなぁ!」
湊音は本当に嬉しかったのだろう。いつものように人差し指を回して恥ずかしいのを誤魔化していた。
昔からずっと変わらない彼女のその癖が、本心から喜んでいるのだという事実を詞音に突き付けてくる。
「……湊音ったら大袈裟だよ、結局私は自分が楽しめますようにってお願いしてるわけだし」
「でもでも、それに「わたしと一緒」であることを選んでくれてるんだから、友達としてこんなに嬉しいことはないよ……!」
詞音の気まずさを噛み殺した微笑に、湊音は喜びを噛みしめた笑みを返した。
「……ありがとね、詞音」
湊音は小声で呟くと、これでこの話は終わりというようにパンッと手を叩き、それから近くの屋台を指さす。
「それより詞音! 屋台だよ! 屋台! しかも甘酒だけじゃなくてちゃんとしたお店の屋台だよ! 折角だから何か食べて行かない?」
それが照れ隠しによるものだとは分かっていたが、今の詞音にはそれがありがたかった。
何でもいいから食べ物で、舌先に纏わりつく苦みを洗い流したい。
「いいよ、どれにする?」
「やったぁ! それじゃあね……うーん……たこ焼きとフランクフルトとベビーカステラとりんご飴かぁ……」
湊音は人生最大の決断をするような顔で悩みこむ。
「りんご飴とたこ焼きは夏祭りで食べたし、フランクフルトかベビーカステラ……ああでもたこ焼きも美味しかったしまた食べたい……」
「……そんなに悩むなら全部食べたら?」
「ダメだよ、お月見の時みたいに詞音が太っちゃう」
「……う、もう痩せたから平気だし」
痛い所を突かれた。そういえばそうだった。
最初はただ月見をしようという話で、食べるのも団子だけの予定だったのだが、月見シーズン限定商品を知った湊音がそれも食べてみたいと言い出し、いろんなチェーン店の月見商品を買って月見パーティーを開いたのだ。
結果は湊音が語った通りである。
湊音は散々に悩んでいたが、どうやら決まったらしく、良し! と威勢のいい声をあげる。
「ベビーカステラ! 詞音の姉さん、ベビーカステラでお願いします!」
「突然変な口調になってどうしたのさ。とういか、本当にそれでいいの?」
「え、どうして?」
「だって湊音、ベビーカステラは食べたことあるじゃん」
「あれ? そうだっけ?」
湊音は唇に人差し指を当てて考え込む。
冗談を言っている感じには見えなくて、詞音は不安に駆られるがまま口にする。
「ほら、小学校の頃、お祭りにいけないならせめて気分だけでもって私がこっそり持って行って、怒られたじゃん――覚えてない?」
「あー……それはそうなんだけどさ……ほら! 直接屋台で買ったのをその場でってのは、初めてじゃん?」
湊音は思い出した風を装っているが、本当はそうでないのは傍目にも明らかだった。
そもそも、屋台でできたてを食べるのも初めてではない。
詞音がベビーカステラを持っていったのは、湊音がお祭りに行ったら必ず買っていたからだ。
(――また、なんだ)
詞音は心臓を締めつけられたような心地に、唇をかむ。
湊音が昔のことを忘れてしまっているのはこれが初めてではない。そもそもお月見だって、昔は湊音の家でもしていたはずだ。月見団子を食べるのが初めてなはずがない。
湊音から湊音が零れ落ちていくような錯覚に、詞音は湊音の手を無性に握りしめたくなって。
けれど、代わりに小さく微笑んだ。
「……確かに、それもそうだね。じゃあ買いに行こうか?」
「うん! ありがとね、詞音!」
詞音は自分に言い聞かせる。
「今、湊音が楽しそうならそれでいいじゃないか」と。
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「いやー、良かったね詞音、美人さんだからっておまけして貰えて」
「お得はお得なんだろうけど、食べきれるかな……」
屋台でカステラを買った二人は、社務所の横、境内の人気が少ない一角に設置されたベンチに並んで腰掛けた。
詞音の抱えた紙袋には、普通サイズを買ったはずなのに、大サイズの見本を超える量のカステラが入っている。
「あー……確かに、ここで食べきるには流石に多いかぁ……」
「残った分は持って帰って、明日の朝ごはんにしたりしないとかな」
詞音個人の意見として、ベビーカステラは現地の雰囲気で味が嵩増しされているところが多分にある食べ物だ。
なので家に持って帰ると、例えあたためなおしてもそんなに美味しくないのだが――と、隣に座る湊音を見る。
少し申し訳なさそうではあるが、それ以上に山盛りのベビーカステラを見つめるワクワクとした眼差し。
――うん、これが見れたならそれでいいや。
詞音はベビーカステラを摘んで湊音の方へと手を伸ばす。
「はい湊音、あーん」
「ありがと、あむっ」
湊音はかぷっとカステラへかぶりつき、もきゅもきゅと咀嚼する。
「うーん……美味しい! 優しい甘さ、中のふんわり軽い食感と、縁のちょっと固くなった生地! おまけにそれが屋台のできたてとくれば美味しくないわけがない……!」
拳を握りしめてオーバーリアクション気味に語る湊音。
詞音はそんな彼女を微笑ましく眺めながら残ったカステラを口の中に放り込む。
美味しくないわけではないが……湊音みたいに感動できないのがちょっと残念な気がする。
「あー……ごめん詞音、ちょっとわたし、はしゃぎ過ぎだったかな、えへへ」
自分のことをじーっと見られていることに気付いた湊音はちょっと気まずそうな笑みを浮かべた。
詞音はそんなことないよ、と首を振る。
「ううん。ただ、そんな美味しそうに食べてると買った甲斐があるなあって思っただけ」
瞬間、湊音が勢いよく立ち上がった。
「そりゃそうだよ! 病院にいる間ずーっと食べれなかったんだもん!」
湊音は昔のことを思い出すように細めた目で空の向こうを見上げる。
「入院してる間ずっとこれしたい、あれしたいって思っててさ、退院したらやるんだーって自分を奮い立たせて……」
寂しげで、絞り出すような声。藪蛇だっただろうかと詞音がかける言葉を探していると、湊音は自分の頬をぴしゃりと叩いた。
「けどね、だから何をしてもいいってなった今、こうして詞音と一緒に色んな事するのすっごく楽しいんだ。お花見も、夏祭りも、お月見も、クリスマスも……ぜーんぶ楽しかった。もちろん今日も。多分このカステラの美味しさだって、半分は詞音のおかげだと思うし」
彼氏でも言わなさそうな歯の浮く台詞に詞音は苦笑する。
「……言いすぎだよ、湊音」
「本当だって! やりたかったこと色々させて貰ってさ、詞音には感謝してもしきれなくて……だからさ、ごめんね」
湊音はふわりと倒れるようにベンチへ座り込むと、苦虫をかみつぶしたような笑みを浮かべた。
「まだ、成仏できなくてさ」
抱えた色んなものを誤魔化すように、湊音は足首から先のない脚をぷらぷらと揺らした。
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――湊音が死んだ。
去年の二月十二日。空は晴れ渡っていて、暖かく、春の予感がする日だった。
卒業式まで後ほんの少しだった。
湊音の両親から連絡を受け取った私は真っ白な頭で家から飛び出して、気付いたら病室で息を切らしていた。
「湊音?」
声をかけたのは、そうすればいつものように目をあけてくれるんじゃないかというぐらい湊音の様子はいつもどおりだからで。
けれど昨日まで窓の向こうの青空を映していた目が開くことはなかった。
――おかしい、と思った。あれだけ頑張っていた湊音がどうして。
小学校五年生の時からずっと戦ってきてたのに。「退院したらまた一緒に遊ぼう」と約束していたのに。
それに、勉強だって。
湊音は私より成績が良かった。本人は「やることないし、ゲームも飽きちゃったから勉強するしかないんだよね」と笑っていたが、本当は薬の副作用で痛みに悶えながらも必死に体を起こして数式を解き、横になっても単語帳を開いていた。
「中学も高校もいけなかったからさ、大学は行きたいんだよね。できれば詞音と一緒のとこ!」と常々言っていた。
結局、試験が受けられる状態などではなく――なのに私が一次試験を突破した時には「詞音なら二次も大丈夫だって! だからさ、約束。絶対合格して、わたしの分までキャンパスライフを楽しんで来てよ。それで……たまにはわたしにも聞かせてくれると嬉しいかな」と言ってくれた矢先だった。
私は泣いて、喚いて――それでも何とかお葬式でお別れを告げて、湊音との約束を果たすために必死で勉強し、志望校に合格した。
そのまま慌ただしく入学手続きをし、入居先を選び、引っ越しを済ませて――けれど大事なものを置き忘れてきたような気持ちで荷ほどきをしている時だった。
まだ調理道具もないしコンビニでお弁当でも、とおもって玄関ドアをあけると彼女が立っていた。「……や、詞音、来ちゃった」
湊音は死んだ。死んで、幽霊になった。
――その日から私たちは時たま、休日にあって一緒にお出かけするようになった。
半分は過ごせなかった日々を取り戻す為というのもある。
そしてもう半分は湊音の心残りを果たして、ちゃんと行くべき場所に行けるようにするために。
幽霊となって私の目の前に現れたあの日の夜、湊音は遠慮がちに言った。
「その……さ、多分わたしがこんな風になっちゃったのって、心残りが多すぎるからだと思うんだよね。やりたくてもやれないことばっかりだったから」
それはそうだろう、湊音は私の話を聞くたびに、羨ましがって、退院したら一緒にそれをやろうと常々言っていた。
「――ただ、ひとりでしようってなると完全にポルタ―ガイストじゃん。詞音以外にはわたしの姿は見えてないみたいだからさ」
湊音はそう言って机の上に置いていたペンを持ち上げくるくると弄ぶ。検証のためにカメラを起動させていたスマホの画面では、空中でペンが回っていた。
「だから、図々しいのは分かってるけど、私の未練を晴らすのを手伝ってくれない?」
私は考える間もでなく頷いた。
「……当たり前でしょ、湊音」
「……えへへ、ありがとうね詞音。わたしも、できるだけ早く成仏できるように頑張るからさ」
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「ごめんね……まだ、成仏できなくてさ」
所在なさげに足先のない脚を揺らす湊音の顔は、病室でも見たことがないほど苦しそうで。
詞音は思わず湊音から顔を逸らす。
「謝ることなんてないよ。湊音がいけないのはまだ心残りがあるからってだけで、湊音のせいじゃないんだからさ――」
湊音の顔を見ていられなかったからではなく、「成仏しないでほしい」と願ってしまっている自分が合わせる顔などないと思ってしまったからだ。
「――だから、ずっと付き合うから、湊音が満足するまで」
「……えへへ、ありがとね」
何とか口元に弧を描いただけの湊音の表情に、詞音は胸を押さえる。
そんな表情はして欲しくなかった。自分と一緒にいるということに対して、そんな苦しそうな顔なんて。
けど、本当は詞音にも、今の状態が良くないんだろうということは予想がついている。
幽霊なんて自然な状態ではないだろう。だから早く行くべきところへ逝かせてあげるべきなんだと。
だけど、ずっとこうして湊音と一緒に過ごしたかった。
小学校停学年の頃のように、一緒に出掛けて、遊んで、笑って――だから湊音が幽霊になって現れ、「未練を晴らすのを手伝って」と言われた時、詞音が最初に感じたのは喜びだった。
(また、湊音と遊べるんだ)
ずっと願って、もう叶わないと諦めたことが可能になったのだ。
……けれど次に浮かんだのは恐怖だった。
(いつ、湊音が満足していなくなってしまうか分からない)
湊音は心残りがあるから幽霊になったと言った。ならばもし、その心残りがなくなってしまったら?
――だから詞音が真っ先に提案したのは、「一年の行事を全部体験してみるのはどうか?」というものだった。
そうすれば少なくともその間は、湊音にはまだ未練があるということで縛り付けられるから。
……だけどその一年も、もう過ぎてしまう。
湊音が死んだ時をはじまりにするならあと一カ月ちょっと、自分の前に現れた時を基準にしても二か月と少し。
その期間が終わったら――
「ねえ詞音、もう一個貰っていい?」
「え?」
詞音はいつの間にか俯いてしまっていた顔をあげる。
「その、ベビーカステラ。折角おまけしてもらったのに、冷えちゃうのはもったいないかなってさ」
「あ……そうだね、そうだよね」
詞音はぎこちない微笑を浮かべながらも、カステラを一つ手に取り、湊音の方へと近付けて――
「――やっぱりあなた、その子のこと見えてるんですのね」
詞音と湊音は同時に肩を跳ねさせ、声の方へと振り向いた。
いつの間にか社務所の裏口の扉が開いていて、そこから一人の巫女が体を半分ほど覗かせている。
(っ……!)
完全に油断していたのも悪かった。だが、その巫女が銀髪に整った目鼻立ちと、目立ちそうな外見に反して異様に影が薄いというのも原因だろう。
まるで、湊音に近しい存在のような――
一瞬の逡巡、詞音は口元に笑みを装うと、湊音を背中に隠すよう立ち上がった。
「どうしたんですか、巫女さん? 新年早々そんな怖い顔をして」
「シラを切っても無駄ですわよ。腰まで伸びた黒髪、青い瞳、年齢は高校生ぐらい。ですわよね」
紛れもない湊音の外見的特徴。それは彼女も湊音が見えているという間違いない証拠で、詞音は黙り込むしかできなかった。
「それから、あなたがしてるイヤホン。それもさしずめ誰かと通話しているように見せるための小道具なのでしょう。そんな工夫をしているということは、相応の期間その子と一緒にいるんじゃないですか?」
その通りだった。このイヤホンは幽霊になった湊音と初めてお花見に行ったとき、そのままだと一人で会話している変な人だと目立ちそうになって、慌てて買ったものだ。
今まで誰にも見えなかった湊音が見えるばかりか、こちらの事情まで見通すような巫女に対し、詞音の警戒レベルが跳ね上がる。
「最後に私は巫女ではなくて――いえ、今は巫女なんでしたわね……。本業だけじゃやっていけないなんて、世知辛いですわ……」
銀髪の巫女はおよよ、と遠い目をして、けれどすぐに咳ばらいを一つ、詞音を――そして詞音が背中に庇った湊音を見つめた。
「まあ落ち着いてくださいな。別にあたしはあなた達の敵じゃありません。ただ、ちょっと忠告と手伝いをしてあげようってだけですわ」
「手伝い……?」
「そう、その子が行くべき場所へ行けるようにするお手伝いですわ」
嫌な予感が的中した。
詞音は震えそうな喉に力を張り、拒絶の意を伝えようと――
「――本当、ですか……?」
それより先に湊音が後ろから縋るような声を出した。
詞音はギョッとして振り向く。
けれど湊音の目に映るのは詞音ではなく巫女の姿で。
「本当に、わたしが成仏できるように手伝ってくれるんですか?」
「ちょっと湊音! 何言ってるの!? こんな誰とも知らない相手、怪しいよ!」
「でもこの人、詞音以外で私のこと見えたんだよ!? 何か知ってるかもしれないじゃん!」
「なるほど、湊音さんと詞音さん……と」
熱くなる湊音と詞音に対し、巫女はあくまでも落ち着いた口調を保つ。
「まあ詞音さん、私の話を聞いてくださいな」
「あなたのような得体のしれない相手の言うことなんて――」
「今のままだと、湊音さんが悪霊になるとしても?」
一瞬で詞音の血が凍り付いた。内臓がうねって、声を出そうとした唇が震える。
このまま湊音が成仏できなかったらよくないのではないか――今まで漠然とした予想だったそれが、具体的な形となって襲い掛かってきた。
「もしそうなれば、それはもう詞音さんの知る湊音さんではありません」
聞きたくなんてない。聞かなければ、知らなければ、今までのように……けれど、そうしたら湊音は――
「そもそも湊音さんのような霊は周囲の生きた人間の感情、特に悪意の影響を受けやすい存在です」
――ハロウィンの時、繁華街近くで待ち合わせた時の湊音が思い出される。
――顔を青くして「ちょっとここは……嫌な事考えてる人が多くてダメかな……えへへ……」と言っていた。
「なので現世にとどまり続ければ段々と周囲の悪意を吸い、侵され、代わりに生前の記憶は消えていきます」
――ああ、だからさっきもカステラのこと忘れていたのか。
――今までできるだけ意識しないようにしていたことを、ほじくり出して目の前に突き出されているような感覚に、詞音の体から力が抜ける。
「最終的には元の人格すらなくなって、周囲へと溜まった悪意を振りまくだけの存在になる。……詞音さん、あなたは湊音さんにそういう存在になって欲しい訳ではないでしょう?」
「……当たり、前……です」
そんなの、死ぬのと変わらない。いや死ぬよりも酷い。
湊音でありながら、湊音ではないなにかになってしまうなんて。
なによりどこかで気付いていながら、自分は湊音をそんな目に遭わせていたのだ。
「だったら、少し湊音さんとお話をさせてくださいな」
詞音は気が遠くなるような感覚に身を任せて、ベンチへと倒れ込んだ。
俯いて目をつぶっても、二人の会話だけは聞こえてくる。
「その……本当にわたしの事、成仏させられるんですか?」
「ええ、あるべき場所へ帰っていただくのは口寄せの基礎にして最重要技術ですから。それに、あなた自身もそれを願ってるようですし」
「えへへ、まあいつまでも幽霊のままってのは不味いかなとは思ってましたから。……それで、いつならお願いできますか? やっぱり早いうちの方がいいかな、とは思うんですけど」
「対した時間はかかりませんから、やろうと思えば今すぐにでも――」
「――待ってッ!!」
気付けば詞音は叫んでいた。
「待ってください! なら、そんな簡単にできるなら、もう少しだけ……! せめて今日一日――いや、いつまでなら湊音は悪霊にならなくて済むんですか!? それまでにわたしが湊音を満足させてちゃんと逝かせてあげますから……!」
「――詞音!」
背後からの湊音の声で、巫女の肩を掴んで揺さぶっていた詞音は我に返る。
「みな……と……」
振り返ると湊音は、目を優し気に細めていた。
「いいの、詞音。もう無理しないで。わたしは充分に湊音からして貰ったから。これ以上詞音に迷惑かけたくないから」
「そんな……そんなこと……」
「そんなことあるよ。わたしが入院してる間、七年間も毎週のようにお見舞いに来てくれて、幽霊になっちゃってからもわたしがやりたかったことに付き合ってくれて、ちゃんとこの世からいなくなれるようにって協力してくれて、嬉しかった」
寂しそうに、けれど満面の笑みを浮かべる湊音の言葉は間違いなく最後のお別れのそれで。
「それに多分ね、最初の未練は詞音に最後のお別れができなかった事だと思うの。それで詞音に一言でも言えればって――けど、詞音が優しいから今まで甘えちゃってたのかも、えへへ」
詞音は何も言えずに、ただ黙って聞くしかできない。
「だから、もういいの。詞音は今までわたしのために時間を使いすぎだからさ、これからは自分のために使って欲しいんだ。……嫌、かな?」
「…………っ」
「……それじゃあ、友達としてお願い。詞音は詞音のために生きて、死んで、それからまたわたしにいっぱい教えてよ、こんなことがあったよって。病院で毎週話してくれてたみたいにさ。わたし、詞音の話聞くの好きだったからさ。ね、約束してくれない?」
――ずるい。友達としてそんな風に言われては。
視界が滲む、握りしめた手の平に爪が喰い込んで熱を発する。
けれど湊音は笑ってお別れをしてくれたんだ、それなら彼女の友達として、最後は笑って送り出さないと。私は震える唇の端をなんとか持ち上げて――
「――ヤダ」
口から出たのは抑えきれなかった本心だった。
「え……?」
予想外の返事に湊音は顔から表情を取り落として唖然とする。
詞音は無防備な湊音の手を思い切り握りしめた。
「ちょっと詞音! 私に触っちゃダメだって!」
「ヤダ、だって湊音がいなくなろうとするじゃんか!」
湊音に触れた部分からジンジンと、凍り付いているんじゃないかというような冷たさと震えが背中に向けて這い上がってくる。
その尋常ならざる冷たさが、まるで自分と湊音は別の存在だと言われてるみたいで。
それを否定するように詞音は感覚のない手をもう片方の手で上から押さえつけた。
ああ、やってしまった。言ってしまった。
けれど一度ブレーキを踏み壊してしまったからこそ止まれない。
「なんで湊音は勝手に一人で満足してんの!? なんでそんなにあっさり死ぬって決めてるの! なんで・一方的に約束押し付けようとしてるの!!」
湊音が心の底からそんな風に思っている筈ないのは分かっている。
湊音だって我慢して、でもそう見えないように頑張って笑顔を作っていたのだろう。
けれど私にはそれができなくて、いい友達の仮面を脱ぎ捨てて醜いエゴを剥き出しに、叩きつけた。
「……私はさ、最初っから湊音に成仏させる気なんてなかったんだ。さっきのお参りだってそう、本当はずっと一緒にいられますようにって願ってた。いっつも湊音と出かけるとき、今日こそ満足してどこかに行っちゃうんじゃないかっていつも怖かった」
「詞音……」
滲んでぼやけて湊音の表情は分からない。ただ両手の冷たさと、それとは真逆の熱いものが頬を伝う感覚だけが詞音のすべてだった。
「……巫女さん。いつまでなら湊音は大丈夫なんですか? 私に出来ることなら何でもします……だから、だから……そうすれば今度は、ちゃんとお別れしますから」
詞音は湊音の手を握りしめたまま、縋るように背後の巫女へと顔を向ける。
藁でもなんでも掴んでやる、少しでも湊音と一緒に居れるなら。
けれど――
「――いつまでなら大丈夫、などというものはないですわ。言ったようにこの世にとどまり続ければとどまり続けただけ、湊音さんは悪意を吸って、澱み、歪んだ存在になってしまう」
「そん、な――」
無慈悲な事実に頭の中が真っ白になりそうだった。
心のどこかでどこか都合のいい答えを期待していたのだと気付く。
「残念ですが詞音さん、あなたが本当に湊音さんの幸せを願うなら――」
「――分かった。いいよ、詞音」
巫女の絶望的な宣告を湊音の声が遮った。いつか聞いたことのある、やさしくて温かい声音。
「今まで詞音は私にずっと付き合ってくれてたんだもん。今度はわたしが付き合うよ、悪霊になっちゃうまでだけど」
「……ちょ、ちょっとあなたいきなり何を言い出すんですの!?」
取り乱したような巫女の声。
詞音も思ってなかった湊音の言葉に慌てる。
「で、でも悪霊になったら湊音は湊音じゃなくなっちゃうって……そんなの、もう一回死ぬようなものじゃん!」
「もう一回死んでるんだから二回も三回も同じだよ」
「全然違いますわ!!」
巫女が詞音の代わりに叫ぶ。
「肉体の死と違って悪霊化は魂の、存在の死。あなたという存在が完全になくなるんですのよ!」
「それでも構いません。それで少しでも詞音が喜んでくれるなら。巫女さんには少し迷惑をかけてしまうかもしれないですけど」
「少しじゃないですわ! 大迷惑ですわー!」
威厳も何もなくうがーっと叫ぶ巫女さんを無視して、湊音は詞音をじっと見据える。
「だ、ダメだよ湊音。そんなのイヤ。湊音がなくなっちゃうなんて……」
「えへへ、わたしが成仏するのもいや、悪霊になっちゃうのもいや、詞音ったら我儘だなぁ」
「それは……」
「だからわたしが選んであげる、わたしがわたしじゃなくなってしまうまで、一緒にすごそう、詞音」
そう言って湊音は満面の笑みで詞音の手を握る。
感覚は殆どなくなっていたが、それでもしっかりと握られているのを感じ――詞音は初めて湊音と出会った時を思い出した。
幼稚園の時、ひどい引っ込み思案だった詞音は自分から声をかけれず、友達の輪の中に入れず、いつもひとりで遊んでいた。
そんなある日手を差し伸べてくれたのが湊音だった。
『ねえ、わたしといっしょに遊ばない? ひとりより二人の方がたのしいと思うよ!』
幽霊となった湊音の手は氷のように冷たいはずなのに、あの時握ってくれたのと同じ温かさを感じて、詞音は湊音の手をしっかりと握りなおす。
「みな、とぉ……」
「大丈夫だよ詞音……わたしはここにいるから」
湊音はうなずき、巫女の方へと向き直った。
「というわけでごめんなさい。わたし、悪霊になっちゃうんで! その時はよろしくお願いします」
あっけからんと言う湊音に対し、巫女は頭を抱えた。
「ちょっと待ってくださいな……そんな勝手に話を進めて……というか、話が通じるのに自ら悪霊になろうとするとか……質の悪さで言ったらそこらの悪霊より酷いですわよ、あなた」
「えへへ、ということはもう悪霊みたいなものなので、いつ祓われても同じですよね? というわけで本格的に悪霊になってからまたお世話になります!」
「だから同じじゃないですわー!!」
巫女はヤケクソだと言わんばかりに両手を振り上げて叫び、それからがっくりと肩を落とした。
「はぁー……一応確認しますけど、あなた……湊音さんは例えどうなっても、できる限り詞音さんと一緒に居たいと、そういうことですわね?」
「はい」
わずかな迷いすらなく湊音は即答する。
「それで詞音さんは……一緒にいるためならなんでもすると言いましたよね」
詞音は睨むような目つきに一瞬ひるみ、けれど決まっていた答えを口に出す。
「言いました」
「その代償が一生のもの……例え死ぬまでであっても?」
「それで、一日でも湊音と一緒にいられるなら」
「……はぁ、説得の余地もなさそうですね」
巫女はため息をつき、それから急に真面目な顔つきになって二人へと手を伸ばす。
湊音と詞音の肩を掴み、小さな声で何かを唱え始める巫女。
耳には入るけど聞き取れないような、言葉というよりも音楽のような、そんな声。
本能的に動いてはいけないと思い、詞音と湊音はお互いの手を握ったままじっとしていた。
一分ほど経過した所で、巫女は手を離す。
「……ふぅ、ひとまずこんなものでしょうか。お二人とも、調子はどうですか?」
詞音は困ったように、巫女と湊音を交互に見る。どうと言われても特に何か変わった感じはしない。
湊音もそれは同じようで、どうすればいいのかときょろきょろ周りを見回していた。
「詞音さん、湊音とさんの手はどう感じますか?」
「え……あ……あったかい……?」
言われて、湊音の手が温かく感じることに気付く。
手を離さないということに意識を集中させすぎていて、今まで気付かなかった。
まるで生きている時のような感覚が信じられなくて、手から手首へ、肘へ、二の腕へと順に触っていき、触っても大丈夫なことに感極まってついに抱きしめる。
「湊音ぉ……っ!!」
「こ、ことね……大丈夫なの? そんなに触って」
「大丈夫! ほら、息も白くなってない……!」
「ほんとだ……詞音、ことねっ……!」
湊音とお互い抱きしめ合う。
湊音が幽霊になってからずっとしたかったけれど、叶わななかったことができている。
「ひとまず『結い』はうまくいったみたいですわね……」
「巫女さん、もしかしてこれって、一緒にいれるようにしてくれたんですか?」
「簡単に言うとそういうことですわね。ただし、その代わりに――少し離れてみてくださいな」
詞音は言われるがまま湊音と体を離し、それから一歩二歩、と距離を取ろうとして不意に体が動かなくなるのに気付く。
「その距離が貴方たち二人の離れられる限界、ということですわ。この先あなた方が一人になりたいと思おうが、仲たがいしようが、それ以上離れることはできません。後悔は……してないみたいですわね」
後悔なんてする訳がない。こんなことぐらいで、ずっと湊音と一緒にいられるのなら。その気持ちは多分湊音も同じで、目が合うと自然と頷く。
二人は同時に巫女の方へと向いて頭をさげた。
「「ありがとうございます」」
「言っておきますけど、離れられなくなる、というのは代償の一つに過ぎないですからね。感情が双方に影響したり、痛みを中心とした感覚が増幅したり……ああ、休憩時間の間に全部説明するのは無理ですわね、スマホを貸していただけます?」
詞音がスマホを渡すと、巫女はトトトと手早く操作し、電話番号を入力して返してきた。
「一月中に必ず一度、それから年に一回は私のところに見せに来なさいな。そこで改めてちゃんと結びつけを強めて、ついでに注意事項についてもお話しします」
「わざわざありがとうございます……!」
詞音が再び頭を下げようとすると、巫女は手で制する。
「お礼は結構ですわ、悪霊が生まれて困るのは結局私たちですから。それと! 今日は初回サービスということで無料でやりましたけど、次からはちゃんと相応の費用を払って頂きますから、そのつもりでいるように」
「はい、よろしくお願いします」
「ありがとうございます!」
「まったく、とんだ休憩になりましたわ……」
並んで礼を言う二人に対して、巫女は一仕事したといわんばかりにため息をつき、社務所の中へと戻っていく。
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詞音は扉が閉まる音でようやく頭を上げて、湊音の顔を見る。
自然と手が近づき、恋人のように両手を指と指を絡めて繋いだ。
「詞音、ありがとうね」
「ううん、湊音こそ私の我儘に付き合ってくれてありがとう」
「我儘なんて――」
「だって、湊音が私から離れられないってことは、ずっと私の人生に付き合ってもらうってことだから……」
「ううん、むしろ嬉しい。だって詞音と大学にも一緒にいけるし、旅にも出れるし、バイトとかも……お金は貰えないけどさ、えへへ」
湊音は今から楽しみで仕方がないという風に目を輝かせている。
「そんなの、今までだって言ってくれれば平日でも一緒にいてくれて良かったのに」
「だって、詞音には詞音の生活や人間関係やプライベートがあるし……幽霊のわたしが邪魔しちゃ悪いかなって。けど、これからは詞音と離れられない訳じゃない?」
代償という免罪符を手に入れてた湊音は心底嬉しそうに笑んだ。
詞音の口元にも自然と笑みが零れる。
「そうだね、もう離れられなくなっちゃったもんね、一生。……ふふっ、なんだかプロポーズみたい」
湊音が顔を赤くする。
心なしか握った手も少し熱くなったような気がした。
「プロポーズとか……詞音ったら情熱的だなぁ……でも、死ぬまで離れられないって言ってたし、死が二人を分かつまでって意味では確かにプロポーズ以上かも……えへへ」
湊音は照れ隠しなのか指どうしを絡めた手を握ったり緩めたりして。それからはっ、としたように。
「あ! でも詞音には結婚とかちゃんとして欲しいかも! わたし、詞音の花嫁姿を見るのも夢だったからさ!」
「いやいや気が早すぎでしょ湊音ったら……」
今までずっと湊音のことばっかりでそんな相手もいないし、これからもあんまりイメージできないのだけれど。
「それに……せっかく気兼ねなく湊音と過ごせるようになったんだからさ、しばらくは湊音との時間を大事にしたいかな」
「そっか……えへへ……」
湊音はくすぐったそうにはにかむ。
その柔らかく自然な表情は湊音が入院する前の顔の様で、詞音も思わずつられて笑う
「ふふっ」
そういえば、湊音が病院にいる間は楽しすぎる会話は彼女が悲しくならないように避けていた。
幽霊になってからは色々考えすぎて、変に遠慮してしまっていた。
けど今は――
「ねえ湊音、今日これからどうしよっか」
「今日? 今日はだってもう初詣に行って――そっか、もう詞音と離れられないんだし、午後からも一緒に過ごせるんだ」
「そうだよ、だからさ、何かしたいことある?」
湊音は急に真面目な顔つきになってうーん……と、しばらくのあいだ唸り。
「……凧揚げしたい」
凧揚げ。あまりにも子どもっぽい発想に思わず詞音は笑ってしまう。
「ふふっ、凧揚げって。確かにお正月にするものだけどさぁ……湊音は見えないんだよ? そうなったら傍目には私一人ですることになるわけで、女子大学生が一人全力ダッシュで凧揚げする?」
「えー、ダメ? 楽しいと思うんだけどなぁ」
もしかしたら既に湊音の精神から影響を受けてしまっているのかもしれない。
「いやダメとは言ってないじゃん。私もちょっと楽しそうかなって思ってる」
「ホント? それなら早速――って、それより先に凧買わないとだ。どこで売ってるんだろ?」
「うーん……あ、激安の宮殿なら置いてる、かも?」
「それって昔、詞音が変な商品いっぱい置いてあるって言ってたところだよね! 行きたい行きたい!」
はしゃぐ湊音に詞音は苦笑しながらも、手を引いた。
「それじゃあ行こうか、湊音」
行こう、あなたに話でしか伝えられなかった場所へ、伝えれなかった場所へ
「うん、行こう、詞音!」
あなたが教えてくれた場所へ、あなたもまだ見たことのない場所へ
――ずっと、いっしょに