禪院らしい呪術師   作:円字L 美異津

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第1話

 この世界にはゴミとカスしかいない。八歳の俺は、そんな当たり前の真理に気づいていた。地球上にいるほとんどの人間は、人間でありながら呪術が使えないカス。呪術師の大半が、ガキの俺よりも呪力量がないゴミ。俺以外の全ては、等しく価値のない存在だった。

 

 俺の生まれたこの禪院という家もそう。呪術界において御三家と呼ばれ持ち上げられているが、その中ですら呪力量で俺の右に出る者はいない。呪力とは術師の動力であり、一般人と術師とを分ける指標である以上、その量の多寡は術師としての価値に直結する。つまり、俺は禪院のどの術師よりも高い価値を持つということだ。

 

 呪力量だけが俺の特別さの指標ではない。頭の出来もだ。歳の近い人間はいくらかいるし、従姉妹にも一つ上の双子がいるが、誰と比べても頭がキレる。三つの頃には、言語を正確に操って、自己同一性を確立していた。母親の腹から出てきて水の入った桶で身体を洗われたこと、誰かに抱かれながら薄明りを浴びていたこと、生まれてからこれまでのすべてを覚えている。俺の術式によるところが大きいのは確かだが、しかしだとしても、生まれてからすぐに高度な術式制御ができているという点で、やはり特別だ。

 

「佳弥斗様、いらっしゃいますでしょうか」

 

 襖の後ろから女中の声が聞こえる。

 

「用件は」

「...ご当主様がお呼びです、第一鍛錬場へ来るように、と」

「ああそう」

 

 そう答えると、女中は襖の後ろから離れ、去っていった。

 

 今日この時間には何の予定も入っていなかった。唐突な呼び出し。だがそれはいつものことだ。六歳を迎えた二年前からどういうわけか、当主は夕闇が濃くなるこの時間帯に、アポなしで俺を呼びつけるようになった。間隔はまばらで、二週間空くこともあれば数日連続なこともある。一つため息をついてから、さっさと用件を済ますべく俺は立ち上がった。奴の気まぐれに振り回されるのは不服だし不快だが、癪なことにそれは俺にとって同時に望ましいことでもあった。

 

「来たか、佳弥斗」

「...」

「フッ、相変わらず不機嫌そうな顔だな。だが睨んだところで何も変わりはせん。呼び出した理由はわかっておるだろう、さっさと構えろ」

 

 そこには、酒の入った瓢箪を片手に抱えた禪院直毘人が立っていた。目的はそう、鍛錬。聞こえはいいが、気まぐれな酔っぱらいのピンぼけな喧嘩に付き合っている、といった感じだ。ただ雑に体を動かすだけで指導らしい指導もなく、ひたすら拳を打ち込み合い、蹴りあい、掴み合う。だがそれでも俺の強さを先に押し上げるという意味では、呪術界でも上澄に位置するこの男との戦闘経験を積むことは純粋にプラスだから、付き合ってやる。

 

 ス、と当主が構える。ほとんど言葉もなくいきなり始まるこれにも、もう慣れたものだ。俺も構えを取る。半身になり、どこからの攻撃でも対応できるよう余計な力を抜いて、目の前の相手に意識を集中させる。

 

 瞬間、当主の体がブレた。と思うと同時に、蹴りが俺の顔面めがけて飛んできた。それを上半身を逸らすことでギリギリ躱し、後ろ手で地面をついてバク転しながら返しの蹴りを放つ。が、当然防がれる。そして体勢の崩れた俺に次の蹴り。身長差が相当ある以上、やつの拳は俺には当たりにくく、結果蹴り主体のスタイルにならざるを得ない。俺は繰り出された蹴りを力を流しながら受けて、体勢を立て直す。そして息をつかせず、足に呪力を集中させて地面を蹴り、距離を詰める。拳を繰り出したが、弾かれる。もう一度繰り出す。弾かれる。気にせず何度も連打を放つが、そのことごとくが落とされた。

 

「攻撃に意識を割きすぎるな。単調な連打には得てして隙ができるものだ」

 

 言葉と共に、当主の足が俺の足を踏みつけていた。

 

「っ」

 

 一瞬動けなくなり、つんのめった俺を向こうが見逃すはずはなく、容赦ない膝蹴りが俺の顔面を直撃した。身体が10メートルほど吹き飛ばされる。鈍い痛みが顔と、打ちつけた背中から全身に広がってくる。

 

「まだまだ未熟だな。貴様のその驕り、強者であれば美徳となるが、弱いままではただの隙にすぎん。戦闘でつけ込まれるのは目に見えておるわ」

「...うっせえよ酔っ払い。殺してやる」

「口だけでなく、実行してみせい」

 

 チッ、と口から舌打ちを溢しながら、立ち上がる。そして再び構えをとった。それを見て、当主は笑みを深める。そして、お互いがどちらともなく歩み寄り、拳がぶつかった。

 

 

 

 

 

「今日はここまでにする。せいぜい、自己鍛錬を怠るなよ」

 

 当主はそう言って鍛錬場から去っていった。かれこれ20本はやりあっただろうか。俺の拳は数発奴の体を掠めただけで、大したダメージも当てられずに地面に打ち捨てられた。掛けられた言葉に言い返す余裕もないほど、俺は息を切らし、体を震わせている。

 

「俺やったら絶対すぐ辞めとるわ、あんな酔っ払いの相手」

 

 倒れ伏す俺の頭上から、男の声が聞こえた。だが顔を挙げることも、返事をすることもできない。絶え絶えになった息を10秒かけて整え、ようやく返事をする。

 

「...覗き見とか、趣味悪いことすんな」

「あれ、気づいてたん」

「隠れる気もなかっただろ」

「ま、そやね。なんも悪いことしとらんし。可愛い弟の頑張っとる姿を応援しとっただけやから」

 

 顔を上げるとそこには、いつものヘラヘラとした表情を張り付けた、俺の歳の離れた兄、直哉がいた。正確な年齢は知らないが、たしか17、8とかだった気がする。既に次期当主候補筆頭と囁かれ、内外から実力を認められた男。だが致命的に性格が終わってる。

 

「うざ。用がないならどっか行け」

「地べた寝っ転がりながら強がったって惨めなだけやな」

 

 苛立ちを抑えつつ、俺はゆっくりと立ち上がった。

 

「…余裕だよ、ぜんぜん」

「呪力操作が甘いから呪力の流れで動き読まれんのや。呪力が打撃に遅れたり先行したりしとる。わっかりやすうて今から殴りますって宣言してるようなもんやん」

 

 こちらの言葉も聞かずにずけずけとものを言ってくる。呪力操作が甘いと言ったって、それは直哉から見れば、という話だ。俺の呪力の流れを察知することができるのも、反応して隙をつくことができるのも上澄みの一部だけ。少なくとも禪院家にいる有象無象には不可能な芸当だ。まあそんなことを口にすればすぐさま、「有象無象と張り合って満足しとるん?」と煽られるのが目に見えているから何も言わないが。俺はさらにいら立ちが募って、直哉の顔をにらんだ。

 

「それに動きも無駄が多いわ。対人格闘なら予備動作くらい消さなあかんよ」

「...言われなくてもわかってるし」

「なら言われる前に直せや、自覚してて直せんほど愚図ちゃうやろ」

「...チッ」

 

 思わず舌打ちが溢れる。だが直哉はそんなこちらの感情など全く頓着していないように、うざいニヤケ面を貼り付けてべらべら喋る。

 

「あああと、今日術式使っとらんかったやろ。使ってへんのか使えてへんのかわからんけど、それじゃ宝の持ち腐れや。ほとんどお勉強にしか役立たん君の術式が唯一活かせるとこなんやから、近接格闘じゃバンバン出してったらええのに、ほんま」

「風呂行く」

「あれ、いじけた?褒めてあげんとすぐこれやからな、ガキは」

「しね」

 

 苛立ち紛れにそう吐き捨てて、俺は背を向け鍛錬場を後にした。直哉はまだ何か言っていたが、無視。

 

 俺はあいつより大人だからガキには付き合わない。さらにストレスが溜まるからな。真正面からやり合っても、あいつのペースになるだけで得もないし。

 

 深呼吸をして、無理やりに自分の感情を押さえつける。

 

 だが、と今の直哉の言葉を思い返す。言われたことは、悔しいが的を射ていた。呪力操作が甘い、格闘の技量が乏しい。どちらも本当だ。「自覚してて直せんほど愚図ちゃうやろ」とあいつは言ったが、それは俺が俺自身に対して思っていること。いつだったか、莫大な呪力量にかまけて繊細な呪力操作を疎かにしている、と指摘されたことがある。呪力をちまちま動かさなくても呪力出力だけで十分強力な打撃が成立するから、無意識にそれを蔑ろにしているのだ、と。最近になってようやく俺の方でもそれを自覚して、呪力操作の鍛錬をはじめてはみた。だが、一度植えつけられた無意識がまとわりついてきて、満足いくレベルまですぐに至るということはない。格闘に関してもそう。身体が出来上がっていないから思考と動作との間のラグが埋まらず、いつも一歩出遅れる。それに大人の使う身体技術は俺ではまだ扱えず、真似しようとして不出来な猿真似になる。

 

 ようはどちらも、中途半端なのだ。術式が使いこなせていないことも含めて、全部修正しないとダメだ。一から、綿密に、丁寧に、完璧に。凡人になり下がるのはごめんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 蝿頭程度しか祓ったことがない俺は、自分が何級の呪霊までなら払えるか知らない。だが、強者と呼びうるほどのレベルにないことは自覚している。だから訓練も初歩的で基礎を押さえたものを地道に行うことになる。もちろん、凡人とは違って工夫は加えるが。

 

 毎朝5時半に起きてから行うのは、坐禅による精神統一と薄皮一枚の呪力操作。一瞬たりとも乱すことがないように、常に神経を張り巡らせる。そこに、俺の術式を並行して行使するのだ。術式によって過去にあった不快な出来事、感情を「思い出して」いく。脳に焼き直されたそれらによって瞬時に苛立ちや、嫌悪や、苦痛や、恐怖が心にダイレクトに溢れ出てきて、呪力が揺らぎ、操作がおぼつかなくなってくる。だが、堪える。じとっと汗が垂れてきても、身体が痙攣して力が抜けてきても、ひたすらに意識を呪力だけに向け続ける。

 

 この訓練を1時間。そしてびっしょりと汗をかいた後、風呂に入るのが朝のルーティンだ。おかげで二か月前始めたときに比べて呪力操作はいくらかマシになってきたし、術式の精度も付随的に引き上げられている。

 

 この訓練を可能にしているのが、俺の「憶念術式」。簡単に行ってしまえば、すべてを「思い出す」術式だ。昔感じた気持ちや痛み、快楽などはもちろん、教師役から教わった勉強の内容なんかも完璧に頭から引き出すことができる。それを戦闘で応用すれば、どれだけ憔悴した状態だろうと、追い詰められて切迫していようと、常に最高の精神状態で居続けることができるし、膨大な知識量から最適解を引き出して行動を選択できる。それらは案外、命の取り合いじゃバカにならない効用がある。

 

 わかっている、今のままでは一線級の術式とは言えないということは。いくら心を平常に保ち、知識を引き出したところで、蟻が像に勝てないのと同じで、「本物」の術式を持った相手には太刀打ちできない。呪力量がいくら多くても、そもそもコスパの良い憶念術式を扱う上では宝の持ち腐れだ。家のボンクラどもからもそういう声は微かに聞こえてくる。

 

 この術式は禪院の、というより禪院分家に伝わるものだが、歴史はせいぜい100年足らずで、数人に細々と受け継がれていた。歴史が薄いため資料もさほど溜まっていないし、この術式によって大成したものはいない。準一級まで上り詰めた一部の輩も、その主戦術がフィジカルのごり押しだったらしい。十種影法術のような強力かつ歴史ある相伝なら腐るほど資料が眠ってるだろうし、かつての使い手の技術や応用、その到達点までもが知識として習得できるが、そうした事情から俺の術式はそれにも期待できない。

 

 まあ、だからどうという話でもないが。憶念術式の大成者がいないのも、術式の知見の蓄積が乏しいのも、過去の術師たちが雑魚だったから、というだけの話だ。誰もこの術式を完成させることができず、凡人のまま死んでいったにすぎない。それを俺が初めて完成させる、と思えば、高揚感が込み上げてくる。なぜ憶念術式が強いと言い切れるのか。そんなのは決まっている、俺の持つ術式が弱いなんてことはありえないからだ。強いに決まっている。弱い奴から下手に知識を得て先入観をもつこともなく、猿真似でない自分自身のオリジナルを作り出せるという意味で資料がないという状況はむしろ好都合。その力の全容を、いずれは呪術界のバカどもに思い知らせてやるつもりだ。

 

 さて、朝の訓練が終わって朝食を摂ったら次は一般教養の勉強。教師役に教えられ、読み書きそろばんや理科、社会まで、非術師の世界にも通底する知識を学ぶ。もちろん、ここ呪術の総本山禪院家じゃ最低限程度だ。呪力も持たないゴミたちの世界の常識は俺もさほど興味はないが、これらが俺の力にならないとも限らない。で、2時間ほどでそれが終わると次は呪術的教養の勉強。呪力、術式、結界術や式神術、呪物、呪具等に関する座学的知識、呪霊の発生事例やその地学的、歴史的な原因について、さらには世界の呪術師勢力図まで、学習領域は多岐にわたる。こっちは座学とはいえ熱を上げて教えられるし、俺も貪欲に理解に努めている。俺の術式は貯蓄した知識を瞬時に引き出して戦えることが強みである以上、知の量は力そのものだ。それに戦術や術式の応用を考えるうえでも、学という土台がなければ話にならない。

 

 座学の学習が終了すると昼飯。そして午後からは、一日において特別な時間、躯倶留隊との体術訓練がはじまる。

 

「よっしゃー、じゃあはじめんぞ」

 

 禪院家内の鍛錬場に、総勢30名以上の男たちが集められる。号令をかけるのは、躯倶留隊の隊長である禪院信朗だ。

 

「佳弥斗、今日は終わりまでぶっ通しで参加だ。ついてこれっか?」

「誰に言ってんだよアホ」

「相っ変わらず口わりいなぁ。当主様はどういう教育してんだか」

 

 はあ、とため息を吐きながら信朗は一人ごちる。ぼそりと、「まあ直哉よりはましか」と呟いたのも聞こえ、イラっとした。あんなのと比べられるのは不名誉がすぎる。

 

 躯倶留隊とは、禪院家に生まれた術式を持たない男子が所属し、武芸の鍛錬を義務付けられる実戦部隊。禪院家での立場としては主力たる炳の露払いにしか過ぎないが、鍛錬の相手としては十二分だ。体術、剣術の技術はもちろん、呪力操作や、集団での作戦行動までもが叩き込まれる。人材も豊富で、下は十代半ばから上は五十そこそこまで。それぞれが現場経験のある呪術師であることから、場数も踏んでいるし盗める動きはけっこうある。この中でぶっちぎりの最年少である俺だが、当主の命令により、数週間前からが参加が許されていた。

 

「おらぁ、佳弥斗。前に出ろや」

 

 さっそく信朗から声がかかる。俺が応じて出ていくと、続いてもう一人が呼び出されて歩み出てくる。

 

「将司も入隊したばっかだし、結構いい勝負になんだろ」

「…よろしくお願いします」

 

 向こうがペコリと会釈してくるが、ガン無視を決め込む。信朗が呆れかえる中、対面する相手はイラついた様子でこっちを睨んだ。歳は12、3くらい。躯倶留隊に入って日の浅い男だ。そりゃあ、自分よりひとまわり近く下のガキに舐められりゃイキリ立つのはわかるが、彼我の差もわからないなら無能確定だな。お互いに拳を固め、半身の構えを取って信朗からの合図を待つ。

 

「はじめ!」

 

 掛け声と同時に、俺だけが動き出す。向こうは待ちを決め込んでいて、構えた状態でこちらの動きを一挙手一投足見逃すまいとしている。なら、お手並み拝見。目線と肩、呪力の動きでフェイクを入れながら、一歩一歩クロスレンジへと踏み込んでいく。ストレートや蹴りなら届くがジャブや掴みは狙えない絶妙な距離感を維持しておけば、体格の差で相手の選択肢は制限され、俺が誘った通りの行動をとるしかなくなる。

 

 ほらきた、中段蹴り。俺はそれを半身で躱して、一歩で距離を詰めて相手の顎に呪力を乗せた拳を叩き込む。

 

「っぐぁ!?」

 

 反応で頭を逸らしていたらしく、拳は顎をかすめただけだったが、それでも脳は揺れたらしい。足をぐらつかせふらふらと動きを鈍らせたところで、鳩尾に回し蹴りをぶち込む。

 

「ぁ…!?」

 

 小さく声を漏らしながら、相手は吹っ飛ばされる。

 

「あらら、将司じゃ荷が勝ちすぎたか」

「話になんねえ。もっとマシなの用意しろよ」

 

 当主なら、あるいは直哉ならあの程度の拳、見てなくても躱してくるし、当たったところで呪力で完全に防がれたろう。呪力操作と体術の甘さから動きが読まれやすい、と指摘は受けたものの、やはり有象無象にそれが突けるほど明白ではない。正直こいつじゃ鍛錬にならないな。せいぜいがウォーミングアップ程度。などと、考えている間に、蹴り飛ばしたやつが地面に手を突きながら、なんとか立ち上がろうとしているのが視界の端に映った。

 

「っまだだ…」

「待ってやるとでも思ってんのか?」

 

 間髪入れず、痙攣する身体に鞭うって立ち上がろうとする相手の傍まで接近し、呪力を乗せた踵落としを顔面にくらわす。

 

「ッう…」

 

 濁った汚い声を漏らしながら、そいつは意識を手放した。十秒でけりがついてしまった。

 

「ヒュー、腕上げたな。呪力操作も良くなったじゃねえか」

「黙れ、上から言うな」

「いや上からっていうかさあ、さすがにまだお前には負けねえし」

「よかったな、人生のほんの短い間だけでも俺相手に威張ってられて」

「その口のきき方、当主のお気に入りじゃなかったらマジでぶっ飛ばしてるところだからな」

 

 腰に佩いた刀の鍔をトントンやりながら信朗は苛立ちと呆れの混ざったような様子でこっちを睨んでくる。が、その言葉に心底イラついたのは俺の方だ。「当主の息子」として扱われることが不快なのはもちろんだが、それ以上に、この肩書のおかげでさんざん得している自分自身に湧く憎悪。「あの飲んだくれの息子として扱ってんじゃねえよ、俺は俺だ」と言いたくても、躯倶留隊の訓練に参加できていることさえ当主のおかげだ。だから黙って聞き逃すしかない。なんて滑稽なざまだ、佳弥斗。お前、嫌ってるやつに手取り足取り世話してもらって、強くしてもらって、生かしてもらってやがる。

 

 ああ、イライラする。早いとこ、この苛立ちを誰かにぶつけたい。

 

「小僧、ワシが相手してやろうか」

 

 言いながら、ちょうどいいところで前に歩み出てきたのは、腰の曲がった、皺だらけの爺さんだった。にやけ面を張り付けているところがどこか直哉を彷彿とさせる。たまに鍛錬の見学に来ていた顔だが、俺の知る限り一度も参加してきたことはなかった。

 

 うざくてキモくて、気に食わない奴だろうな、という直感。苛立ちをぶつけるにはうってつけの相手らしい。

 

「勘助さん、あんま無茶せんでくださいよ」

「大丈夫、この子相手なら軽い運動にしかならんやろし」

 

 信朗が敬語を使っているところや立ち姿の風格からして、さっきの奴よりはやりそうだ。注意して観察してみれば、呪力の流れが流麗であることもわかる。しかしこんなジジイに俺が負けるとも思えないが。

 

「気を付けろよ佳弥斗。この人現役のころは準一級だったんだぜ」

「昔の話や、言わんでええ」

「よくわかってんじゃん老いぼれ。昔の話で粋がるほどボケが回ってなくてよかったよ」

「あ?」

「その誰に対しても態度を変えないところ、もはや清々しいよ…」

 

 信朗の言葉を聞き流しながら、俺とジジイは距離を取りながら位置に着く。

 

「小僧、後悔するぞ」

「させてみろよ」

 

 睨み合ったところで、信朗が声を上げる。

 

「そんじゃまあ、はじめ!」

 

 威勢のいいことを言っていたくせに、合図が出ても爺さんはその場を動かずニヤニヤしていた。初手様子見はさっきの奴もやってきたが、何か禪院的テンプレでもあるのかと疑いたくなる。

 

 とりあえず、どちらも動かなければ何も始まらないため、距離を詰める。何かしらアクションがあると予想して慎重ににじり寄ったが、向こうはまるで何も警戒していない様に、易々と俺をクロスレンジへと招く。さっき俺がこの距離から楽に勝ちを拾ったのを見ていなかったのか、それとも見ていて知ったうえで自信があるのか。

 

 いちいちビクビクするのは馬鹿らしい。試してみればいいか。

 

「青いな、誘いに乗ってすぐ手を出す」

 

 俺の右ストレートを、爺さんは左の掌で受け止める。いや、受け止められた、と思った瞬間、俺が地面に転がされていた。

 

「…?」

 

 地面に仰向けで打ち捨てられる俺と、それを薄笑いで見下ろすジジイ。その位置関係を知覚した瞬間、俺は身体を回転させてその場から離れる。そのすぐ傍を、奴の踵が踏み抜いていく。

 

「状況判断は早い、か。しかし足りんぞ、小童」

 

 出された足がそのまま掬い上げるように動かされ、未だ起き上がれない俺の身体を吹き飛ばした。だが呪力によるガードは間に合った。中空を舞うことにはなったが、ダメージはほとんどなく、すぐ起き上がる。

 

「効かねえよ」

「そのタフネス、歳に似合わない呪力量によるものか…」

 

 再び俺は距離を詰め、右ストレートを叩き込む。今度はさっきより鋭く、深く。

 

「学習せんなあ、通じんよ」

 

 が、ダメ。拳を叩かれ威力を殺された後、着流しの袖を掴まれ体勢を崩される。そして次の瞬間、顔面に地面が迫ってきていた。俺は咄嗟に受け身を取ってダメージを逃がし、そのまま勢いを利用してバックステップで距離を取る。

 

「呪力量は申し分ないが、それだけといったところ」

 

 もったいつけた態度でジジイがそう呟く。俺が無視すると、奴はさらに言葉を垂れ流す。

 

「直毘人殿の息子だからという理由で目をかけてもらっとるんやろうが、その温情も、どうやろなあ」

 

 明らかな挑発に爺の顔を覗き込むと、向こうはシワだらけの顔を歪ませて気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

 

「ハッ、なんね、こっちを睨みつけおって。ワシは心配しとるだけよ。人様の、それも直毘人殿の時間は大切や。無駄にしたらあかんなあって」

 

 遠回しな皮肉で、こちらの神経を逆撫ですること自体が目的で放たれた言葉。内心で首を捻る。このバカは何がしたいんだ。俺の冷静さを奪って戦闘を有利にでも進めるつもりか?

 

 だが、そうだとしても込み上げる怒りは抑えない。「当主の息子だから」。それは俺を最も怒らせる言葉の一つだ。言ってはいけないことを言ったのだ。とりあえず、こいつは半殺しにしよう。それを俺は心に決めた。

 

「直哉さんなら、もっとよお出来たもんやけどな。七光りいうのは君のことやったんかね」

「しね」

 

 苛立ち任せに放った拳は、またも空を切り、そして俺の身体が地に転がる。

 

「ほらな、やっぱりそうや」

「勘助さん、もうそのへんに」

「これは躯倶留隊の先輩からの指導や、止めんでええ」

 

 土だらけになった袴の汚れを払いながら、怒りで熱した頭で俺は考えていた。さっきから起きているのは、拳を振り抜くと何故か俺が地に沈んでいるという現象。だがそれを引き起こしているのは術式ではない。目の前のジジイは躯倶留隊の所属であり、躯倶留隊は術式を持たない男児で構成された組織。信朗の言った通りこいつが元準一級術師で術式を持っていれば炳の所属になるし、強くなくとも灯に入っているはず。故に、今の現象は術式ではなく純粋な体術か、結界術のような何らかの術式以外の技術ということになる。

 

 はあ、とひとつ息を吐き、思考を精査する。

 

「...さて、どうしようか」

「そういう、たまに冷静になるのがお前の良いところだよ」

 

 後ろで信朗が何か言っているが、聞き流す。

 

「何か企んどる?無駄やと思うけど」

「うるさい」

 

 言いながら、俺はすでに手を出していた。拳をジジイの目前に、ノーモーションで繰り出す。直哉に言われた、対人に向いた動きに改善することを意識して。

 

「っ」

 

 相手は反射的に、手をかざして受けようとする。俺はすかさず、拳を引っ込めた。

 

「...なんや、打ってこんのかい」

 

 そんな言葉も無視。自分の状態を確認する。倒れてはいない。

 

「ふッ」

 

 もう一度、掌底を繰り出す。またも相手は掌で受けようとしてくるが、それに触れる前に静止する。

 

「またフェイント。無駄なことばかりやりおる。頭はマシや聞いとったけど、違うみたいやな」

 

 くどくどと戯言が聞こえる。向こうはどうやらまだ余裕らしい。俺はステップを踏んでさまざまな角度から素振りを繰り出す。

 

 何も、起こらない。

 

「うっとおしいわ!!」

 

 ジジイが叫ぶ。が、奴はバックステップで俺から距離を取った。

 

「おいおい、逃げんのかよ。俺は何もしてないけど?」

「手も足も出とらん小僧が、舐めた口叩くなや」

 

 会話しつつ、考える。いくらフェイントを仕掛けても、呪力の起こりは見えない。結界術か何か、小手先の術かと思ったが、視覚的にはその様子はない。じゃあ転ばされるタネは体技かと思ったが、側面からの攻撃には掌で受けようともせず、申し訳程度に構えるだけ。掴もうとさえしない。さすがにそんな体技は存在しないだろう。

 

 と、いうことは、タネはひとつ。

 

「次の手を思いついた」

「何やっても無駄や」

「どうだろうなッ」

 

 俺は懐から石ころを取り出して、呪力を込める。それはさっきジジイに転がされていたとき、咄嗟に拾っていたものだ。俺はそれを、思い切り奴に向けて投げつけた。

 

「死ねジジイッ!!!」

「ッ」

 

 呪力強化した肉体で思い切り投げた石ころの速度は、時速200kmは出ている。そのうえ呪力を流し、貫通力も桁違い。銃弾と比べてもさほど遜色ないはずだ。

 

 ジジイを見る。奴は多少動揺した様子だったが、呪力の籠った石ころが迫るのを、ただ眺めているようだった。

腹部に石ころが直撃した。だが、石ころは奴の胴体をシュルシュルと滑り、後ろに逸れていった。

 

 やはり。

 俺は自分の推測が正しいことを確認しつつ、すぐに距離を詰める。今度は手に砂利を掴み、相手の視界を奪うように投げつけた。

 

「また小賢しい真似を!」

 

 それも手をかざすことも払うことも、瞬きすらせずジジイは対応する。顔面に当たるはずの砂利はすべて、その身体を、不自然な動きをして逸れていく。

 

 だがようやく、呪力の動きが見えた。物体が当たる瞬間、その箇所に薄く呪力が張り巡らされて、向かってくる物の軌道を変化させているのがわかった。

 

 そのことを確認しつつ、俺はまだ走るのをやめない。砂利は躱されたが、視界を遮ることには成功している。至近距離まで接近した俺は、奴の背後へと素早く回り、その折れ曲がった腰に掴みかかる。

 

「ッ小僧」

「ハッ、やっぱりな。衝撃は躱せても、掴みには対応できねえッ」

 

 俺は咄嗟に抵抗しようとする奴の背後から腰を抱え、体を反らせて後ろに思い切り投げ飛ばした。

 

「ジャーマンスープレックス...ってな!!」

 

 近接格闘を学ぶために、非術師のさまざまな格闘技術を学んでいた。スポーツ、格闘技は、悪くない教材だった。呪霊相手には使えないが、対人なら有効たりうる。

 

 プロレス技も、当然学習対象だ。

 

「ぐッ」

 

 背後に投げ飛ばし、地面に叩きつけたつもりだったが、ジジイは衝撃を咄嗟に逃したらしく、ゴロゴロと転がりながら俺から距離を取る。しかし、ノーダメージではない。奴は息を切らし、汗をかいていた。

 

「スッゲー技のキレ。付け焼き刃じゃねえな」

 

 信朗が言う。だが、それはハズレだ。プロレスは動画で見ただけで、誰かからの指導を受けたわけではないし、練習時間も一時間程度だ。

 

 だがそれでも、今できるベストのクオリティで技を使えた。それは当然、術式によるものだ。女中相手に片っ端から技を試し、上手く決まった技の感覚は、憶念術式でいつでも引き出せるようにしている。

 

 普通、練習で上手くできても、それを練習通りの精度を保って本番で運用するには、さらなる鍛錬が必要となる。しかし俺の術式は、その過程をスキップできるのだ。

 

 ジャーマンスープレックスも、まさに「練習通り」に上手く決まった。

 

「ッケホ、やってくれおったな、小僧」

「こんなもんかよ。いい練習台かと思ったが、意外と早く攻略できた」

「攻略?見くびられたもんやな。軽い一発で欣喜雀躍する、未熟者が」

 

 尊大な物言いも、今では雑魚の戯言にしか見えない。さっきまでは相手の格を測りかねていたが、すでに底は見えた。

 

「一発で攻略したっつってんだよ。その防御法のタネも割れた」

「...なんだと?」

 

 術式でも、体技でもない。先ほどの呪力の動き、物体の不自然な流れ方。あれを見れば、心当たりは絞られる。

 

「呪力特性だろ」

「...ふん、当たりや」

 

 不服そうに爺は鼻を鳴らす。

 

「ワシの呪力は特別性でな、滑らか、言うたらいいんかな。勢いを受け流すことに特化しとる。呪力操作も体術も隙のある君が相手なら、簡単に崩せるいうわけや」

「三下に相応しい、ちんけな特性だな」

「そのちんけなモンに負けるんよ、小僧は。今の手が二度通じるとは、思わん方がええ」

 

 二度通じない、というのは、言葉だけではないだろう。俺には掴み以外に奴にダメージを与える術がない。それをわかっているなら、俺が掴みの間合いに入った瞬間に別の技を合わせてくる。その程度ができないほど、無駄に歳を食ってはいないだろう。だが。

 

「はッ、負け惜しみかよ。三下はこれだから、みっともない」

 

 あえて煽る。

 

「なに?」

 

ジジイの薄笑いに微かなヒビが入るを見て、俺はほくそ笑む。

 

「元準一級って言うからどんなもんかと思えば、ただのセコ技使い。二度と通じない?お前の打撃の方こそ、俺に一度も通じてない」

「いくら呪力量が多かろうと、無限ではない。いずれ底をつく。自分を過信したらあかんよ」

「その発言で、俺の防御を貫く術がないの確定。いくら相手の攻撃受け流してもなあ、決め手にかけるんだよ。だから準一級止まりだったんじゃないの?」

 

 俺は煽りの言葉を止めない。それはあえて、意図的にある状況を狙ってのことだ。

 

「安い挑発。そんなんでワシから手を出すよう誘っとんのやろ。バレバレや」

 

 ジジイは俺の意図などお見通しと言わんばかりに笑う。まあ実際、当たっている。だがこっちも老獪な年寄りに見破られないとは思ってない。

 

「バレバレだからなんだ。そうやって自分から仕掛けるのにビビってるんなら、俺もこっちから手出ししない。そしたら引き分け。ああなるほど、大層誇りにしてた元準一級とかいう肩書きを、価値のないものだって自分で証明したいんだ。なら全然、構わないけど」

「チッ、言わせておけば」

 

 ジジイに迷いが見えるな。もし自身から仕掛ける際にもカウンターが使えるなら迷うことはない。さっさと攻めて、一方的に打ちのめせばいい。掴みを警戒していれば通用しない、と言うなら、なおさらだ。それをしないのは奴のカウンターが受動発動型かつ、自分で仕掛けるのを躊躇させるような縛りによって成り立っていることか。そのあたりのメッキもすぐ剥がれそうだ。

 

「ええやろ。そんなに身の程を知りたいゆうなら、わからせたるわ」

 

 その言葉に、メッキが剥がれる前に勝負がつきそうだ、と思った。

 さっきまでの腐った笑みを消して、ジジイは半身になり、摺り足でじりじりと近づきはじめる。一切の油断を捨て去っているのが、表情からわかる。挑発的な顔も、苛立った顔もない。集中の先にある、無だ。

 

 俺は宣言通り、奴の動きを見据えながら、一歩も動かない。最初とは真逆の構図。

世界が静止したように、無音だ。ギャラリーの躯倶留隊員も、先ほどまで喋りながら観戦していたのが、今は息を潜めている。

 

 さて、どう出る。

 

 ジジイが、ずいと一歩踏み込んできたのが見えた。

 

 次の瞬間。来た、掌打。足運びとずらした、タイミングの掴みづらい攻撃。今まで戦った躯倶留隊のボンクラどもとは、比べるべくもない速度。俺は奴の攻撃を、少し感心しながら眺めた。

 

 そのくらい、余裕があった。

 

「...らあッ!!!」

「ガッッ!?」

 

 ジジイの、首を狙った掌打を最小限の動きで躱し、反撃には俺の最大出力の打撃。

 

「クソジジイが。舐めすぎなんだよ」

 

 相手が目にも留まらない速さで、後方に吹き飛ばされていくのが見える。アイツの掌打より速くぶっ飛んでんじゃん、ウケる。

 

「グッ、ゴァッ」

 

 20メートルほど吹き飛んだ後、庭の巨岩に身体を思い切りぶつけて止まった。声にならない声を発して、ジジイはへたり込む。

 

 その眼はまだ、薄く開いており、憎々しげに俺を見据えている。

 

「ぬりいぬりい。毎日誰にシバかれてると思ってやがる。クソオヤジに比べりゃ、カスみたいな掌打だ」

 

 俺の煽りに、ジジイは反応しない。浅く呼吸をしながら、力無く身体を岩に横たえている。その岩は、まるでジジイ自身のプライドを表すように、ひび割れていた。

 

 張り合いのない相手の様子を見て、ため息が溢れる。

 

「...はあ。てめえのカウンター、それ落花の情の応用だろ」

「...ッ」

「禪院にいれば嫌でも見るから」

 

 御三家秘伝というだけあって、概念くらいならこの家の人間、全員が知っている。それに俺は、クソオヤジに一度実物を見せてもらったこともあった。だから実際に食らったとき、ピンと来た。

 

「落花の情、防御システムとしては優秀だが、攻撃に転じる際は呪力をそっちに集中させる分、カウンターが散漫になる」

「...それをわかって、ワシを煽ったか...」

「ま、いい線行ってた。落花の情に自分の呪力特性を併せて、新たな術に昇華してたし。初見だったら誰でも面食らうかもな。だが攻撃の方がヌルかった」

 

 そう、奴は御三家秘伝の防御システム、落花の情と、己の「滑らか」という呪力特性を活かして、合気という新たな術に昇華していた。通常の落花の情とは違い、逸らすという手段はおそらく格上の呪力出力にも対抗しうる。しかし、落花の情の本質的な欠点である、攻撃の際の隙に対しては、明確な回答を出せていない。もし、カウンターとして相手に与えるのが、「体勢を崩す」というパッとしない事象ではなく、必殺の一撃であったなら、話は違っただろうが。

 

「...ほんとうに、ほんとうに、クソガキ...」

 

 言いながら、ジジイは意識を失った。

 

 ざわざわ、と躯倶留隊のギャラリーから戸惑いと驚きの声が上がる。

 

「...こら、びっくらぽんだぜ」

 

 信朗の呟きが、喧騒の中、微かに耳に響いた。

 

 

 

 

 

 

「それでどうだ、ワシの倅は」

 

 シン、と静まり返った邸の中、和室に寝転び、酒を煽っていたのは、禪院直毘人だ。深い畳の匂いの中に、酒臭さが混じった空間。

 

「どう、と言われましてもね。バケモンでしょう、ありゃ」

 

 部屋に呼び出された、禪院信朗は端的にそう答える。正座を崩さず、礼節を尽くした態度だが、緊張は薄い。信朗は、佳弥斗が躯倶留隊の鍛錬に参加するようになってから、彼のお目付役として、直毘人への報告義務を負っていた。当然、佳弥斗本人にはそのことは隠していたが。

 

「ほう、お前からはそう見えるか」

「見えますね。呪力量、呪力出力に関しては禪院家の中で文句なくテッペン。課題だった呪力操作についても、目覚ましいスピードで改善されていってます。今日に至っては、鍛錬とはいえ勘助さんまでぶっ倒しましたよ」

 

 ありゃ暴れ牛ですよ、と信朗はごちる。呆れ、畏れ、興奮。そこには様々な感情を入り混じらせていた。

 

「ブッハッハ、勘助を、か。無才の身で、アレもよく出来た方だと思っていたが」

 

 術式を持って生まれず、呪力量も乏しい。そんな男が、禪院家で一定の尊敬を受けるに至るまで、どれほどの努力があったか。想像するべくもない。

 

「佳弥斗が才能頼りの子供なら、こうはならなかったと思います。あいつの怖さは、あの獰猛な表面の下に、妙な冷静さを飼ってるところですよ」

 

 信朗は、試合の後に佳弥斗に問うていた。「どうして最後の攻撃を見切れたのか」と。勘助の掌打は完璧で、信朗が見切れないほどに速かった。視線とタイミングによるフェイクも混ぜていた。佳弥斗はこともなげに答えた。「攻撃力の低さを、急所狙うことでカバーしようとするだろ、あのタイプは。来る場所わかってれば、余裕で返せる」。勘助の掌打は首を狙ったものだった。妥当な攻撃。それが裏目だったのだ。

 

「ますます、面白くなってきた」

 

 直毘人は信朗の話を聞いて、笑みを深める。

 

「笑い事ですかね。このままいくと当主候補筆頭格でしょう。直哉と揉めますよ」

「強い者が家を継ぐ。ただそれだけのことよ」

 

 あっけらかんと言い放つ直毘人に、信朗はため息をつきたかった。そのお家騒動で苦労するのは、信朗たち下々の者たちだから。

 

「女中どもが浮き足立っているのも、見過ごしてよろしいので?」

 

 そう、すでに禪院家でも下々の中の下々、立場の弱い女たちが、佳弥斗からの寵愛を受けようと、アピールを始めている。今までは当主争いはほとんど直哉のトップ独走といえた状況で、その庇護下に入れるものも限られていた。しかし、佳弥斗という新たな候補の登場により、一度その庇護の傘に入るチャンスを逃した者たちも、セカンドチャンスを求めて彼に群がっているのだ。

 佳弥斗の方も、好都合だと考えている。そんな彼女らの感情を利用して、ボロ雑巾のように扱っている。体術の練習に、一日中サンドバッグにされる者もいるほどだ。元術師の女中を相手にしているとはいえ、彼女らは半殺しの目に遭う。それでも佳弥斗に縋るのは、禪院家の歪みをまっすぐに表していた。

 

「フッ、十も超えぬ童を相手に必死なもんだが、まあいいだろう。倅も妾の一人二人、抱えて損はない。その胎から優秀な術師を産み落とすかもしれん」

 

 佳弥斗も直毘人が気まぐれで抱いた禪院分家の女から生まれている。禪院家の発展のことを思えば、むしろ好都合と言えた。だがそれはとりもなおさず、また新たなお家騒動の火種になるということでもあるのだが。

 

「...ほどほどに抑えてほしいところですがね」

「結果さえ出せば、鎖に繋ぐことはせんよ。真希と真依、どちらかを与えても、面白そうだ」

 

 夢は膨らむ、というように、直毘人は勝手なことを言う。しかしそれも当然、当主とは、禪院家の全てに決定権を有しているのだから。信朗の方も、与えられようとしている双子に対しての同情心など一片も湧かなかった。

 

「教育係は?なんと言っている」

「座学については術式の影響により、すでに高専4年間で学ぶ範囲のあらかたを習得した、と」

「流石に早いな」

「結界術に関しても天才的だと。すでに帳への簡単な条件付けをやってのけたとか。また、式神術の方も順調とのことです。そちらは実践レベルには程遠いそうですが」

「重畳だ」

 

 直毘人は満足気に頷く。

 

「あと一年もすれば、呪霊狩りに連れていってもいいだろう」

「はい、賛成です。佳弥斗もそろそろ、自分の力を試したい頃でしょう」

 

 屋敷内で収まる器では、当然ない。それは直毘人も信朗もわかっていた。

 

「俺からも、一つ伺ってよろしいでしょうか」

「なんだ」

「直哉と佳弥斗、どちらが当主に、より近いとお考えですか」

 

 その問いは、踏み込みすぎに思われた。信朗自身、聞くべきではないとわかっていた。次代当主を選ぶ立場にある直毘人に、躯倶留隊の隊長であるというだけの雑兵が、どちらを当主に選ぶつもりか、などと。炳の人間とて、そんな質問は易々と投げられないだろう。

 

「なぜそれを問う」

「...いえ、単なる興味で」

「...ふん」

 

 答えつつ、信朗は、佳弥斗に当てられたかもな、と内心思った。

 

 言葉を聞いて、直毘人は考え込むように、ぐびっと一口酒を口に含んだ。

 

「あぁ、そうさな。術式がもうちっとばかしまともなら、佳弥斗だったろうなあ」

 

 そう一言、直毘人は溢した。

 

 たしかに、それがネックだ、と信朗も思った。憶念術式。あれは曲者だ。全くの雑魚術式ではないし、使いようによっては禪院家に益をもたらすだろうが、いかんせん裏方向きだ。調べたところ、かつての憶念術式使いたちは、禪院家の人間データベースとして、ご意見番的役職に重用されていたらしい。およそ戦闘向きではない術式であり、佳弥斗が当主になる足を引っ張っている。

 

「もったいないですね」

 

 それは心からの言葉だった。あれだけの呪力量、出力、そして戦闘センスが、凡庸に終わるとは。

 

「だが」

 

 直毘人は面白そうに笑う。

 

「奴が新たにあの術式の可能性を見出したなら、そのときこそ、五条の坊の鼻を明かしてやるときよ」

 

 直毘人はそう言って、器に残った酒を全て飲み干した。五条悟の鼻を明かす。さすがにそれは、望みすぎではないだろうか。信朗はそう思ったが、いや、と考えなおす。佳弥斗のあの野心に満ち満ちた、飲み込まれるほど深い瞳。あれは他のどの術師にもできない、業に染まった目だ。

 

 自分がすでに諦めた側の人間だからだろうか。無限の欲望を秘めた、引き込まれそうになるような野性に、信朗は、どうしても期待してしまうのだった。佳弥斗はおそらく、その身が引き裂かれようと、呪いに身を焦がし自らを滅ぼすことになろうとも、力を求めて足を止めることがない。どこまでも貪欲に、あらゆる方法で強さを求めるだろう。場合によっては呪物すら喰らうのではないか、と思うほど。

 勘助さんの目にもきっと、佳弥斗は大層、眩しく見えただろうな、と信朗は思った。

 

 

 

 




呪術にわかなんです許してください...。
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