禪院らしい呪術師   作:円字L 美異津

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第2話

 九歳になった。毎日の日課は当初遅々として進行せず、焦れはしたが、一年以上の時を経て、ようやく実を結びつつあった。

 

 憶念術式を応用した、感情負荷と共に行う呪力操作鍛錬。効果はいま、はっきりと実感できる。薄皮一枚の呪力操作、戦闘中に動きが読まれない静かでブレない呪力の流れ。

 

 それによる大きな変化は、躯倶留隊での鍛錬における、戦闘時の立ち回りだ。以前から隊の下っ端や中位帯はもちろん、上澄連中を相手にしても勝ちを拾っていた。だがその手段はほとんど、呪力量と呪力出力のゴリ押し。たまにそれが通用しない相手は、動画を見て覚えた格闘技を使ってなんとかしていた。

 

 それが、日に日に呪力操作の精度が高まるにつれて、格闘技を使う機会が減っていったのだ。そのことに気づいたのは、呪力操作鍛錬を始めてから半年も経ってからだ。相対する相手がやりづらそうにしているのを、感じた。こちらが特にフェイントをかけたわけでもないのに、向こうの反応が遅れ、防御の奥に拳を届かせている。真面目にやってないんじゃないかと思って殺したくなったが、相手の顔を見ると、むしろ向こうのほうが苛立っているのがわかった。どうやら俺が思う以上に、呪力操作精度というものは、戦闘において有利に働くらしい。

 

 格闘技術の方も、それなりに練習を続けた。呪力操作精度が高まったことで、必要性は薄くなったが、俺の術式の唯一と言っていい強みである習得の早さを活かさないのも癪だった。

 

 相変わらず、体格は大人ほどではなく、身長も142cmと、身体を十全に使った武術の習得は、まだ待たれることになる。だが、それでも着々と、技のレパートリーは増えていった。非術師の格闘技術を、動画を通して吸収し、それを女中ら下っ端に試し続ける日々で、実戦投入可能な技は30を超えた。今はまだ部品をたくさん持っている、という感じだが、身体が仕上がるにつれて、統一的に運用することもできるだろう。

 

 一年の成果としては、まあ十分と言えるものだ。だが、当然この程度で満足する俺ではない。あいかわらず憶念術式の有用な使い道は思いついていないし、多対一の有効な技術も持たずにいる。呪力量と呪力出力は明確な強みだが、それを活かすためには接近してバカ真面目に格闘戦を仕掛けなければならないというのも、気に入らない。

 

 いくつかの課題を一気に解決する手段は思いついている。

 

 差し当たり、必要なものは、人材だ。それも女中らではなく、俺に忠誠を誓い、身も心も捧げるような人間。

 

 どうやって都合のいい人材を用意しようか。自室の畳の上に正座して、呪力操作の鍛錬をしながら計画を立てていると、廊下から人の気配を感じた。

 

「佳弥斗様」

 

 女中が襖の奥から声をかけてくる。

 

「なに」

「当主がお呼びです」

 

 よく通る、ハリのある女の声が耳に届く。

 

「すぐ行く」

 

 一年前から何度も繰り返している、女中とのやりとりだ。時刻は十六時、太陽が西に傾き、夕闇に家中が沈むとき。当主で、不本意ながら親でもある、直毘人からの呼び出し。

 

 カラリと襖を開けると、女中が傅いて待機していた。それを一瞥し、横を通り抜けて鍛錬場へ向かった。

 

 女中の振る舞いを見て、多少、家内での待遇も変わったな、と思う。一年前は、はずれの術式を持って生まれた婚外子として、ただ直毘人の命を履行せんがためだけに、俺に声かけをしていた女たちが、今ではこちらに気に入られようと、襖の後ろで傅いている。おそらく躯倶留隊での評判が作用しているのだろう。

 

 まあ、悪い気分じゃない。周囲の平伏は、俺の強さの証明だ。無能の雑魚でも、俺を気持ちよくさせる程度の役割はこなせるのだと思うと、周囲をちょろちょろと駆け回っているのを見ても、許すことができる。だが、直哉や甚一など、すでに禪院家において要職に就き、価値を示している人間に対しては、女中らは傅くだけではなく、通り過ぎたあとに背後からピタリと付いてくるということを知っている。

 

 まだ、舐められている。それを思うと、この程度の平伏で満足はできず、それどころか不快感、苛立ちすらこみあげてくる。いずれ、奴らより俺の方が上だと、女どもにさえ思わせてやる。

 

 

 

 

 鍛錬場にはいつものごとく、直毘人が佇んでいる。傲慢な態度で、あぐらをかいて座っている。だがその手に酒はなかった。いつからだったか、俺との鍛錬の際には、常に持ち歩いている酒入り瓢箪を持ってこなくなっていた。

 

「さて、始めるか」

「一ヶ月ぶりで、挨拶もなし?」

「フッ、してやったらやったで、五月蝿いと跳ね除けるだろうに」

 

 言いながら直毘人は楽しそうに笑い、立ち上がる。

 

 この鍛錬、最近は少し頻度が減っていた。夏に入り、呪霊が活性化し始めたというのも事情としてあるだろう。実際、うちの当主含め柄のほとんどは、毎日のように任務に出張っている。だがそれ以上に、直毘人は意図的に俺との鍛錬の時間を減らしているように思えた。根拠はない、ただの勘だ。

 

 だから俺は、フラストレーションが溜まっていた。躯倶留隊との鍛錬にはとっくに飽きを感じていた。俺としては、久しぶりのハリのある相手。

 

 奴が構えをとる。

 

 俺も、同じように半身に構えた。

 

「いい殺気を出すようになったな」

「黙れ。さっさと集中しろ」

 

 少しの沈黙。

 

 その後、爆発。

 

 俺は最大出力で、拳をストレートに直毘人の身体目掛けて振り抜いた。

 

「ッ」

 

 ズドン、という音と共に、直毘人の身体が跳ね上がる。拳に伝わる感触でガードされたことを悟り、俺はすぐさま距離を詰める。

 

 懐に入ると、今度は左フックを見舞う。直毘人はそれを、頭を動かすことで回避し、反撃に転じようとする。だが俺もそれをわかって、続け様に拳を振るう。

 

 繰り出されたラッシュに、直毘人はなすすべがない。ガン、ガン、と呪力が弾ける音が耳元に届く。亀のように防御を続ける相手に、俺は締めくくるように上段蹴りを繰り出した。

 

「ッフン」

 

 直毘人は、それもガードした。だが、それは腕を上げていた、というだけの話だ。いくらクリーンヒットしていなくても、俺の呪力量と呪力出力に対して、完全に無傷でいられる人間はいない。直毘人の足が地面から離れ、数メートル、後方に弾き飛んでいったのを見送った。

 

 俺は距離が離れたことで、呼吸を整える。そして、ふらつきながら着地した向こうの状態を一瞥した。

 

「どうした?反撃しないのか」

 

 直毘人は、多少息を荒くしていた。身体にはすでにいくつかの傷ができ、身に纏っていた着流しにも穴が空いていた。

 

 直毘人は、すでに構えを解いていた。

 

 久しぶりの食いでのある敵に興奮した熱が、冷え始める。

 

「やれやれ、ほんの一年足らずで、目を見張る成長速度だ」

「そんなこといい。構えろ」

「いつだったか、同じようにラッシュを叩き込まれたが、そのときはここまで鋭くはなかった。隙も減ったな。重畳だ」

「うっせえよ、ベラベラと」

 

 俺の問いに直毘人は呆れたようにため息をついた。構えを促すが、奴は腕をだらりと下げたままで、突っ立っている。

 

「まあ聞け、佳弥斗」

「...なんだよ」

 

 戦闘に水を差されたことに苛立ちがつのる。

 

「貴様はその歳で、すでに白兵戦ならば呪術界で上澄の域にある。特に半年前からは呪力操作の精度向上により、その腕力は一級相当と言っていい」

「だから」

「ワシとの組み手はもう不要ということよ」

 

 直毘人は手をヒラヒラさせながら、拳を受け止めた箇所を伸ばしている。

 俺は苛立ちが喉元にまで昇っていくのを感じた。目の前にいるこいつが、手を抜いた上、くだらない理由をつけて俺との鍛錬を終わらせようとしていると思ったからだ。

 

「なぜ。別に俺の腕が上がろうが、鍛錬が不要である道理はない」

 

 そう問うと、直毘人はしたり顔で告げる。

 

「わからんか。もはやその方面に伸び代は薄い、と言っている」

「のびしろ」

 

 呟きながら、多少向こうの言葉を咀嚼してやる。なるほど確かに一理ある。事実俺は、今の手札だけでは不足があると、ずっと考えてきたのだから。もちろん近接格闘でできることはまだあるし、伸ばせばそれなりの成果も出るだろう。が、所詮「それなり」止まり。俺はもっと上を目指したかった。

 

「躯倶留隊での鍛錬も、明日から行かんでいい。もはやあそこで得られるものはあるまい」

「...まあ、それは同感だけど」

「無駄を減らし、その分を有意義に使え」

「有意義に?」

「そう。当主になる気なら、最短距離で走れ」

 

 その最短の道とやらが、簡単じゃない。直毘人もそれくらいのこと、わかっていそうなものだが。

 

「今の貴様の、近接での強さは認める。得意に持ち込ませればそうそう負けんだろうが、上手い術師ほど敵の得意を避けるもの。術式を持つ曲者であれば尚更だ。お前は敵の術式を掻い潜り、得意を押し付ける術を手に入れねばならん」

「...チッ、そんなことが言いたくて呼びつけたのか?ボケ老人が」

 

 直毘人の言い様を聞き、俺はすぐに踵を返した。別に、腹を立てたわけじゃない。向こうの言わんとすることは理解した。「無駄を減らして時間を有効に使う」。奴が俺との鍛錬を放棄するなら、この場にいる意味はない。さっさと立ち去って、別の鍛錬を始めたかった。

 

「おい、どこへ行く?」

「帰る」

 

 当たり前のことを聞く直毘人に対して、俺は言った。

 

「待て待て」

「なんだよ、時間を無駄にするなって言ったのはてめえだろ」

 

 止められたことで不快になり、直毘人を睨みつける。

 

「小僧。当主の話は最後まで聞け」

「じゃあ、さっさと言えよ」

 

 肩を掴まれて引き戻されたので、仕方なく振り返る。

 

「貴様も自覚しておろうが、無駄を減らすだけで強くなれるわけではない。ワシから見て、今のお前に足りんのは一に経験。攻めが単調、機転が利かん。経験を積んで柔軟性を習得する必要がある。憶念術式の性質から言っても、豊富な術師、呪霊との戦闘経験は役に立つしな」

 

 ベラベラと御託が並べられるのを、俺は黙って聞いた。

 

「だから」

「呪霊狩りの許可をやる。外へ出て経験を蓄えろ」

 

 そう言われて、ようやく合点がいった。やる気のない格闘訓練と、「時間を有効に使え」とかいう抽象的な助言をするために俺を呼びつけたのだとしたら、ボケを疑うところだった。

 

「ああなんだ、そういうことか」

「納得したか」

「遅えよ、クソジジイ」

「待ち望んでいたなら、もっと喜べ」

「喜ぶかよ。むしろ遅すぎてイラついてたくらいだ」

 

 呪霊狩り。呪術師としての本職であり、存在意義。俺がその辺のカス術師には手の届かない実力を身につけたにも関わらず、歳が若いというだけで許されなかったもの。

 

 禪院家で飼っている呪霊とはいくらかやり合ったが、まるで相手にならなかったのを覚えている。それなのに外の呪霊を祓うことは頑なに禁止されていた事実に、俺は怒りを覚えていた。

 

「いかんせん、お前は歳若くして強くなりすぎた。まあ、これから任務を振ってやるんだ、許せ」

「...ハア、死ぬほどムカつくけど、納得しといてやるよ」

 

 直毘人の呆れを含んだ、しかしどこか喜色の混じった顔を、うんざりしながら眺めた。

 

「で、その任務はいつからだよ」

「気が早い。と言いたいところだが、用意しておいた。明日だ。二級案件、初任務にしてはなかなかの大仕事だが、問題あるまい?」

「笑えるな。二級に殺されるような俺なら、自分で首括って死ぬ」

 

 実際、二級にも敵わない自分なんて、俺は許しはしないだろう。もしそんなのに負けて逃げ帰ってきたとしたら、そのままロープ用意して自殺する。

 

「その自信に、身を滅ぼされなければいいがな。ワシもお前にはかなり目をかけているのだ、早々に死なれては困る」

「余計なお世話だ」

 

 直毘人の事情など知りはしない。聞き流すと、向こうは今日何度目かのため息をついた。

 

「この世にはお前よりも強い術師や呪霊がごまんといる。自分がまだ脆弱な雛鳥だということを忘れるな」

「そうかよ。まあ、脆弱な雛鳥って表現はムカつくが、俺より強いやつっていうのには興味ある。呪霊狩りをやってれば、お目にかかれるのか?」

 

 基本的に俺は、自分より強い奴が嫌いだし、そんな奴に会うと自分自身が許せなくなる。だが最近の、家中での鍛錬の張り合いのなさから、強者との戦闘を欲する気分になっていた。

 

「運が良ければすぐにでも会えるだろうよ」

「へえ、いいね。楽しみにしてる」

 

 そう答えると、直毘人は薄く笑った。

 

「明日午前10時に、送迎の車を出す。準備しておけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

禪院十和子という女

 

 当主直々に、私へ命令があった。禪院佳弥斗を任務地へ送迎すると共に、命の危険があれば補助せよ、とのことだ。

 

 禪院佳弥斗。近ごろ当主に猫可愛がりされている、例のドラ息子だ。

 

 何年か前、佳弥斗が訓練をしているところを見かけたことがある。大した呪力量、そして呪力出力。荒削りな戦闘スタイルで、数いる躯倶留隊員らを薙ぎ倒していた。

 

 なんとまあ、羨ましいことだ。当主の息子に生まれ、才能に恵まれ、何不自由なく生活している。あの歳で躯倶留隊への訓練参加を認められるというだけでも驚きだが、さらには当主自らが時間を割いて技術指導を行っているというのだから、本当に期待されているのだろう。

 

 まったく、本当に、羨ましい。二級相当の実力を認められながら、女であるというだけで軽んじられ、今回のような雑用ばかり任される私とは大違い。媚びろと迫る男をすんでのところで躱しながら、呪霊を祓い、少しでも家内での地位を上げようと必死に努力しているのに、あんなドラ息子が、実力も伴っていないのに、こんな特別扱いを受けているなんて。

 

 許されるなら私だって、直毘人様に鍛錬を見ていただきたい。そうすればもっと強く、優れた術師になれる。あんな、ハズレ術式を持って生まれた、呪力量の持ち腐れの息子などよりもずっと。

 

 イライラしながら、私は午前九時四十分、屋敷の前に車をつけて、禪院佳弥斗を待っていた。

 

 五分ほどして、門の奥から少年が歩いてくるのが見える。黒髪の短髪とおろしたての羽織、いいところの生まれであることが伺える日本男児風の端正で上品な顔立ち。だがその瞳だけは、他者への興味を持たない真っ黒な色を宿していた。

 

 呪力量も、目に見えて多い。術式が貧弱とはいえ、そこはやはり才能か。

 

 やっぱりどこから見ても、いけすかない。

 

「送迎係?」

 

 開口一番、佳弥斗がぶっきらぼうに尋ねる。

 

「はい。禪院十和子と申します。本日は佳弥斗様の送迎係兼、護衛をお任せいただいております」

「...チッ、あのクソジジイ」

 

 私が言うと、佳弥斗は不快げに舌打ちをした。

 

「...なんでしょう、何か気に障ることでも」

「護衛って、お前何級?」

 

 こちらの問いには答えずに、苛立ちを隠しもせずに聞いてくる。

 

「高専所属ではないので正確な等級はありませんが、普段は二級相当までの任務に当たっています」

「へえ」

 

 気のない返事だ。自分が本当に軽んじられていることがわかる。

 

「とりあえず、お前は送迎だけやって、護衛はいいから車で待っとけ」

 

 こいつ、横暴なことを。

 

「それはできません。佳弥斗様に何かあれば、私が責任を取ることになります」

「知るか。手出したら殺すから」

 

 それだけ言うと、私の方を見もせずに、車の後部座席の扉を勝手に開けて、乗車してしまった。

 

 まさにドラ息子。甘やかされて育ちやがって。

 

「シートベルトをお締めください。出発します」

「ああ」

 

 バックミラー越しに、佳弥斗がしっかりとシートベルトを伸ばして、装着しているのが見えた。

 

 そこは素直に聞くのかよ。

 

 

 

 

 到着したのは京都市郊外にある廃ビル。大通りに面した地上五階、地下一階建ての元オフィスビルだが、バブル崩壊とともに置物と化した。噂によれば、元持ち主の男はビルの屋上から身を投げたとか。

 

 都会に存在感を持って立っているにも関わらず、地元では心霊スポットとして有名で、年間何百人もの若者が肝試しに訪れる。結果、そのうちの何人かは霊障を受けたり、場合によっては行方不明になっている。私自身、三度このビルで仕事をしていた。祓っても祓っても湧き出てくる、まさに呪霊の宝庫だ。

 

 車から降りながら、私は隣のふてぶてしい子供に説明を加える。

 

「窓からの報告によれば、ここにいる呪霊の等級はおよそ二級。他に四級相当も数体、ビル内に巣食っているとか」

「ああそう」

 

 興味なさげに相槌を打つ姿を見て、本当に任務の危険性をわかっているのか、不安になる。

 

「佳弥斗様、呪霊を軽んじるべきではありません。二級であれば通常、術式は持っていませんが、それでも人の思考の裏をかく程度のことは、当たり前のこととしてやってくる存在です。細心の注意を払わなければ、死にますよ」

 

 私が老婆心で助言してやっても右から左、まるで聞こうとしない。佳弥斗は私を無視して、さっさとビルのほうへと歩を進める。

 

「待ってください」

「なんだよ、さっきから」

「...私が先行します。佳弥斗様は背後を警戒すると共に、接敵後は援護をお願いします」

「はあ、うるさいなお前」

「それが仕事なので」

 

 私が引き下がらずにもう一度提案すると、佳弥斗は少しの間、私の方を見た。こちらも目を逸らさずにいると、ようやく、向こうは諦めたように首を振った。

 

「じゃあ前行けよ」

 

 よし、勝った。こういう問題児相手は、引かないのが肝心。

 

「はい、では2メートル程度の間を空けて、ついてきてください」

 

 指示を出しつつ、帳を下ろしてから、私たちは廃ビルへと足を踏み入れる。入った瞬間、呪いの飽和した空間特有の、吐き気を催すような威圧感が襲ってくる。周囲で呪霊が蠢く気配がして、本格的に緊張感が高まってくる。

 

 以前来たときより、呪いの強度が上がっているように感じた。本当に、嫌になる。私だけならばまだなんとかなるだろう。でも、まともに動けもしない子供を守りながら戦うとなれば話は別だ。守ることは、私だってリスクになる。それでこっちが死んだらどうしてくれるんだ、と、佳弥斗の方を睨みつける。当然向こうは私の視線など気にもしていない。

 

「気配は屋上からですね」

 

 私が先導し、階段を登る。エレベーターはとうに動いていなかった。

 

 少しずつ慎重に進んでいると、二階と三階の間の踊り場に、緑色の影が見えた。芋虫のような身体に、歯が生えた薄紫色の頭部。全長は1メートル五十センチといったところか。

 

「呪霊ですね」

「見りゃわかる。それとも、確認しなきゃいけないほど阿保なのか、お前」

「...三級か、それ以下かと思います。お願いしてもいいですか?」

 

 彼の余計な言葉に反応するのはやめて、譲歩することにする。この程度の低級呪霊を祓わせて、満足してもらうのが無難だろう。あまりにも全てを私がやってしまうと、また文句が飛んでくるかもしれない。

 

「あんなゴミの相手ごめんだ。お前がやれよ」

 

 いらっ。

 

 お前は、なんのためにここに来たんだよ!!つーかさっきは私に手を出すなって言ってただろうが!!

 

 なんて、言えるわけもない。

 

「...わかりました」

 

 私は呪霊を祓うことを決め、術式を発動する。掌を、子供がするようにピストルの形にして、照準を対象に合わせる。そして、弾丸をこめるイメージで、呪力を指先に集中させた。

 

 呪霊との距離、3メートル。角度はあるが、急所は狙える位置に視認できる。

 

 ダンッ。

 

 弾ける音と共に、呪霊の頭部に直径五十センチ程度の穴が開く。そしてそれと同時に、呪霊の身体が塵のように崩壊していった。

 

 どうだ、と佳弥斗を見る。女だからと舐めていたのだろうが、実力を見せれば驚きもするだろう。などと思ってみたが、彼はほとんど表情を動かさず、つぶやいた。

 

「へえ、指弾術式ね」

「...よくご存知で」

 

 すでに知っていたらしい。それなら、驚かないのも当然か。理不尽とは自覚しつつも、少し不満を覚える。見返して、相手の表情が変わるのを見たかったのに。

 

「禪院分家の術式の一つだろ、知らないわけない。シンプルで派手さはないが、取り回しのよさは他の術式を上回る」

 

 私の不満をよそに、佳弥斗はそんなことを言った。

 

「え、ありがとうございます」

「別にお前褒めたわけじゃねえよ」

 

 無反応かと思われた相手から唐突に褒められたことで少し反応が遅れる。

 

「おい、さっさと行くぞ」

「あ、はい」

 

 一瞬フリーズしているうちに、佳弥斗は私を追い越して先へ行ってしまう。

 

「...待ってください。先行しないで」

「ほんとしつこいな」

「何度でも言いますよ」

 

 なんてやりとりをしながら、順調に階を登っていく。途中、低級呪霊が何度か現れたが、その度に私が一人で祓っていった。

 

 上階にいる呪霊の相手を彼に任せることはできないから、もしかすると今回は職場体験のようになるかもしれないな、と思った。でも別に悪いことじゃない。最初は現場の雰囲気に慣れてもらって、少しずつ仕事を覚えて行ったって遅くはないだろう。とりあえず、彼が負傷するよりはよほど、私が当主に詰められる可能性は低い。

 

 三匹ほど呪霊を祓ったところで、屋上へ続く扉の前に辿り着く。どうやら扉に鍵はかかっておらず、少しだけ開いて隙間から光が漏れている。

 

「ここですね」

「らしいな」

 

 まるで散歩にでもいくかのような軽いテンション。まあもう、仕方ないか。彼と危機感を共有するには、実際に危ない目にあってもらうしかない気がする。

 

「勿体つけずにさっさと開けろよ」

「...開けますよ。でも本当に、私から離れないでくださいね」

「はいはい」

 

 空返事を聞きながら、私は扉に手をかけた。軽く押すだけで、錆びた扉は小さな軋みを立てながら開いた。光が私たちの方に飛び込んでくる。暗かった階段の隅までがはっきり見えるようになる。

 

「呪霊は...」

 

 大きな呪力の反応を感じたのに、呪霊の姿は見えなかった。人気のない昼間の、どこにでもあるビルの屋上が目に映るだけ。

 

「隠伏系の呪霊でしょうか。気配は確かなので、しらみつぶしに」

「上だ」

 

 私の言葉を遮って佳弥斗が言う。私たちは背後を振り返った。

 

 今通ってきた扉の取り付けられた、屋上よりも少し高い位置にある場所。梯子の設置されたその先に、その姿はあった。

 

 人間のような四肢を畳んで、体育座りのような体勢をとって私たちを見下ろしている、緑色の姿。一つ目に、大きな口がついた顔は気味悪く、吐き気すら催す。呪霊だ。それも圧からして、二級の上澄か、準一級クラス。疑う余地もない。今回の任務の標的だ。

 

「っまずは私が」

「後ろにもいる」

 

 また、言葉を遮られる。咄嗟に振り返ると、たしかにいた。上に座っている呪霊の子分といった見た目の、色を姿も瓜二つな、ひとまわり小ぶりの半人型の呪霊。それが、およそ十体。

 

「どこからこんなに出てきたの...。というか、窓は何して」

「そんなこと、どうでもいいだろ。それより指示したいならしてみろよ。囲まれてるぞ」

「っ佳弥斗様は無理のない範囲で、近くの呪霊を引きつけてください。その間に私は上の首領格の相手をします」

 

 言われてすぐに、佳弥斗は前方の呪霊目掛けて飛び出していった。

 

 反応と、思い切りが良い。私は感心しつつ、すぐに彼から視線を外す。状況が状況だけに、護衛とはいえ、そっちに意識を向け続けるわけにはいかなかった。

 

 上の首領格に狙いを定める。さっさと片付けて、佳弥斗の援護に向かわないと。

 

 指を奴の頭部に向け、呪力の弾丸を込めていく。

 

「死ね...!」

「ガキャッ」

 

 発射した呪力弾を、首領格の呪霊は、まるで人間の体操選手みたいな動きで、アクロバティックに避けてみせた。

 

 そして、そのまま私目掛けて飛びかかってくる。

 

「ッ読めてるし」

 

 向かってくる体に、私はもう一発呪力弾を放つ。避けられないよう、別の性質の弾丸を。

 

「ッキィ...!」

 

 今度はヒット。呪霊は危機察知したか、空中で体勢を捻って躱そうとしていたが、吹き飛ばされ、体が扉に押しつけられる。

 

 私の術式、指弾術式には三種の弾丸がある。一つは私のメインウェポンで、貫通力が高い「翡翠」。次に、面の衝撃で対象を攻撃する、命中精度の高い「琥珀」。最後に、威力は皆無だが対象の動きを阻害する補助型の弾丸「瑠璃」。

 

 私の弾丸を見てから躱す相手には琥珀での面制圧。そこからの翡翠による急所への一撃が、私の必勝パターン、なのだが。

 

「キキキ」

 

 見た目からはダメージが入っているようには見えない。やはり、「琥珀」では有効打にならないか。

 

 すでに呪霊は動き回り、側面から私への飛びかかりを狙っている。

 

 硬く、そして速い。

 

「でも見えてるッ」

 

 また飛んでくるところを琥珀で迎撃。しかし向こうもすぐに立て直し、今度は地上から走ってこちらへ向かってくる。

 

「離れろッ」

 

 呪霊の拳が眼前まで迫っているが、なんとか琥珀で押し返す。

 

 呪霊側は、私の攻撃が有効打にならないことを学習し、恐れもなくしゃにむに向かってくる。

 

 それなら、まずは動きを止める!

 

「ッギャ?」

 

 蔦のように伸びながら射出された弾丸、瑠璃は、避けようとした呪霊の首や、手足に巻きついた。

 

「グウゥウア」

「動けないでしょ。じゃあ、死んでッ!」

 

 即座に指に翡翠を込め、撃ち出す。

 

「ッキ」

 

 風切音が耳に届く。弾は呪霊の頭を掠めて、遠く空へと飛んでいった。

 

 外した。いや、避けられた。

 

 そう気づいたのも束の間、呪霊は拘束を引きちぎり、またしても同じモーションで飛びかかってくる。

 

「しつこいッ」

 

 また、琥珀で押し返す。しかしさらに続けて、走って向かってくる。押し返しても押し返しても、雪崩のように何度も飛びかかられる。

 

 呪霊も学習したのだろう。瑠璃を打たせてはいけないと。今度の攻めは、弾を入れ替える隙すら与えない、連続的なもの。少しでも気を抜くと迎撃が遅れて殺される。

 

 どこかで隙を見て翡翠を叩き込まないと。翡翠の貫通力なら、頭部に命中さえすれば一撃で祓える。

 

 思考を続けながら、チラと周囲に目を配る。佳弥斗は大丈夫だろうか。

 

 首を動かさずに視野の端で彼の姿を捉えようとする。が、どうにも見当たらない。

 

 もしかして。

 

 嫌な予感が胸のうちに広がる。引きつけるだけでいいとは指示を出したが、あのプライドの高いドラ息子がそれで満足できるはずはない。先走ってどこかへ移動したか、あるいは踏み込みすぎてやられてしまったか。

 

 とにかく、あたりが妙に静かだった。まるで私と、相対する首領格の呪霊だけが存在しているかのように。

 

 飛んでくる。撃ち落とす。飛んでくる。撃ち落とす。

 

 佳弥斗の身を案じ、焦りながらも、ループを抜け出せずにやり合うこと、およそ一分。

 

 どうにか、どうにか隙を。

 

 なんて、焦りを深めていると。

 

「おせえよ」

「え?」

 

 さすがに、振り返ってしまった私は悪くないだろう。

 

「前見ろよ、来るぞ」

「え、あっ」

 

 気づいたときには眼前に迫って、臭い口を近づけている呪霊に、私は瞠目した。

 

 やばッ。

 

「ッギャアアア!?」

 

 そう思った瞬間、呪霊がものすごい速さで吹き飛ばされた。呪霊は屋上端のフェンスに叩きつけられ、琥珀を喰らった時とは大違いの反応で、痛みに悶えるように叫び、もがいていた。

 

「え」

 

 何が起こったのか。

 

 振り返ると、佳弥斗が相変わらずの退屈そうな顔で、欠伸しながら軽く脚を上げていた。

 

 数秒考えて、彼が蹴りを放って敵を弾き飛ばしたのだと気づいた。

 

「この程度の呪霊に苦戦してんの?マジで、センスないなお前」

 

 一瞬、時間が止まったように感じた。彼の身体からは、とんでもない呪力量が湧き上がり、それが全く揺らぐことなく流麗に、繊細に循環しているのが見えた。

 

「この程度っ...?二級の中でも最上位だと、思うんですけど」

 

 息を整えながら、なんとか反射的に反論を加える。私にだって、今までやってきたプライドがあったから。でも、それすら彼に鼻で笑われる。

 

「だからセンスないって言ってんだよ。二級って、ただのカスだろ」

 

 こともなげに、彼は言ってのけた。

 

 さっきまでは、まったく呪力で体を覆っていなかったのか。だから、この化け物が、ここまで規格外だと気付けなかった。

 

「だから普通は...、って、っいや、それより周りの呪霊っ」

「全部片したよ。そこに転がってるので最後」

 

 人差し指を向けて、自分が痛めつけた呪霊を示す。まるで羽虫でも叩くみたいに、軽い動作だったな、と思いだす。

 

「多少は経験値の足しになると思ったけど、無駄だったな。親父もなんでこんな雑用、俺にやらせるんだか、意味がわからない」

 

 苛立たしげに、吐き捨てるように彼は言った。

 

「...あの、とどめを」

「飽きたからお前に任せる。俺、先降りてっから」

「え、いや、ちょっと」

 

 佳弥斗はフリでもなんでもなく本当に、私にも呪霊にも、一瞥もくれずに、さっき通ってきた扉から、下へと降りていってしまった。

 

 いや、流石に勝手すぎるでしょ。

 

 ワガママ気分屋のクソガキ...。

 

 今日何度目かの、叫びたい気分。なのにさっきまでよりも怒りも苛立ちも起こらない。その理由はわかってる。

 

 だって彼は才能があって、強かったから。

 

 強いのだから、何をやっても許される。彼の今までのふてぶてしい態度に再解釈が起こり、尊大で暴虐な、しかしまさしく支配者として相応しい態度であるのだと修正される。

 

「ッギャギャア」

 

 呪霊が、フェンスにもたれながら、半死半生といった姿で立ちあがろうとしていた。

 

 私はそれを、冷めた目で眺めた。

 

 さっき、もっとずっと強大な存在感に一瞬でも触れたからだろうか。先ほどまでの焦りも恐怖も、呪霊に感じなかった。

 

「...佳弥斗様も言ってたけど、私もお前に、もう飽きた」

 

 そう呟いて、指弾を込める。

 

「だから死んで」

 

 翡翠は、真っ直ぐに呪霊の頭部を貫通した。あのダメージだ、避ける動作すらとれやしない。

 

「...さてと、早く戻らないと。」

 

 ボロボロに崩れていく呪霊の体を、私は見もしなかった。

 

 もはやこの場所に興味も関心もなかった。

 

 佳弥斗様を待たせるわけにはいかない。また何を言われるかわかったものじゃないし。

 

「待ってください、佳弥斗様!!

 

 散歩から帰るかのように気楽な態度で歩く、遠くなる背中を、私は息を切らして追いかけていった。女中たちがこの人に期待をかける理由が、少しだけ分かった。




次話以降は、原作キャラクターをどんどん登場、させたい...。
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