一話分の括りが終わる際は本文の文末にて、必ず「終わり」を付けますので、ない場合はまだ続くと思って頂いて構いません。
ライダーは、出ます。
ドアノブを掴む手が空を切り、ひなたは前につんのめる。この場から逃げ出す唯一の出口は、新たな
「あれ、お姉さんじゃないスか」
あいも変わらず大きく鋭い目がひなたを見下ろす。
こちらの事情を知ってか知らずか、鼻をスンと鳴らし、嫌みったらしい笑みを顔に張り付けた。
「なんで、ここに……!」
暢気に首を掻く男を、これほど憎たらしく思ったことはない。男が探しているのは、鯛もどきで間違いないはずだ。なのに、思わせぶりな行動に、冗長な所作。いっそ、この悪夢はこの男が仕掛けたものだと、難癖をつけたい気持ちさえある。
こちらの非難の視線を受け流し、男は続ける。
「自分は勘でここに来ただけスよ。お姉さんこそ、ここでなにを?」
「なにを……って! 説明してる時間なくて! 後ろに──」
振り向いた先には、空っぽの廊下。後ろに迫っていた鯛もどきの姿形もない。
「え……」
急速に口の中が乾いていくのを感じる。気味の悪い汗が背中を伝った。廊下を見通した先のダイニングまで空っぽで、この距離からでは死角の関係で、みつきの姿も見えない。
「いない」
「いない?」
確かに追ってきている気配を察知していたはずなのに。ひなたは、ものの一瞬で消えた鯛もどきの姿を探し続け、ふと、頭上に視線を感じて天井に視線を巡らせた。
「……ギャゥ」
見つかっちゃった、とばかりに弱々しく鳴く影が、壁に身体をつっかけて、天井付近で留まっている。その爛々と光る魚眼と、眼が合った。
「ガァッ!」
天井に張り付いた鯛もどきは、魚らしくない咆哮で喉を唸らせ、背後の壁を蹴り大口を開けながら突撃してくる。
身構える隙は当然ない。鯛もどきの肥大化した顎が、無情にもひなたに襲いかかる──直前で、ひなたは自身を後ろに引っ張る力と、浮遊感を感じた。
一体何が──、ひなたがそれを認識しようとする頃には視界がぐるっと回転して、気づけばひなたはビルの屋上を見ていた。
給水塔、ソーラーパネル、ベランダの洗濯物、道路を行き交うトラックの天面、次々流れていく視覚情報によって、ようやっと自分の脳が「遥か上空」という高さを認識した。
「うっ、うええええ!?」
「おっと、舌を噛んじゃうっスよ」
腰の辺りから男の声が聞こえる。どうやらひなたは小脇に抱えられて運ばれているようだった。許可無く女性を粗雑に抱えることもそうだが、ビルを飛び石に見立てて上空を駆ける、男の非常識さたるや。
抱えられてる態勢の関係で、男が下降する度に迫ってくる落下の恐怖と、上昇する度に襲ってくる途方もない浮遊感のダブルパンチ、いやコワイコワイコワイ──、
「いぃひぃゃあああああ!?」
文句のひとつでも言ってやりたいのに、口から出るのは情けない悲鳴ばかり。
本当に、本当に……。
人力スカイフォールから解放されたのは、すぐ後だった。埋め立て地に作られた市街地を突っ切る河川沿い、その堤防下にひなたは降ろされた。日はすでに落ち込み、空は菫色に染まっている。
平衡感覚を失った身体を四つん這いで支えるしかない状態で、ひなたは丹田の下に力を込めて、叫んだ。
「いい加減にして!」
俯いた視界に男物のスニーカーが入り込む。顔を見なくても、誰のものかは容易にわかった。努めて視線を下に固定したまま、ひなたは続ける。
「今日は、もうさんざん……。おかかは食べられないし、みつきに首を締められるし、みつきが……化け物に、襲われて……」
不満を口にすればするほど、涙混じりになっていくのを止められない。
「なんなの? アレ」
スニーカーが身をよじる。男は少し躊躇ったような気配を見せ、「ガイラーシュだ」と、質問に答えた。
「ガイラーシュ。あんたが見たとおり、人を襲って生きる生物。……スよ」
「……ああ、そう。じゃあ私は、アイツに餌だと思われてるわけ?」
「そういうこと。今は動かないほうがいい」
男がしゃがみ込んでこちらに差し出してくる手を、ひなたは押しのけた。押しのけて、まだ竦んでいる足に鞭打って奮い立たせる。男に顔を見られないように。
「なにするんだ?」
「戻る。戻って、みつきのこと、見ないと。みつきは私の親友だから」
「無謀だよ。あんたとは今日の仲だけど、それじゃ親友は助からない」
「あなたに……あなたに、何ができるの?」
ひなたは男に振り返った。瞳に水が張った、頼りない眼差しを向ける。彼は嫌みったらしい笑みや、冷たたく見下ろすのとは違った、憂いを帯びた目でひなたを見ていた。
そこには他者を助け救う慈悲が垣間見え、同時に憎しみの炎を燃やしていようにも見えた。
「俺は、奴らを駆除するために来た。化け物を倒すために」
男は、ひなたの前だからだろう、言の葉に一欠片の情緒も乗せず、言い切った。それがかえって、並々ならぬ内情を秘めてると、思わせるに足ることでも。
背後で何かが降り立つ。見るまでもなく、それが鯛もどき──ガイラーシュであることはありありとわかる。
「ギュゥ……」
湿った足音や、喉を転がるガイラーシュの唸りが、あの瞬間を思い出させる。みつきの表情が固まった、あの一瞬を。
ひなたは目をぎゅっと瞑った。呼吸が浅くなるに連れて、吹き飛ばしたはずの恐怖が背中をじわじわと這い上がってきて、面と向かって相対する勇気が出ない。
そこに、ポン──と。温かい掌が、肩に触れた。
人にしては温かすぎる、これがこの男の体温なのだろうか。親が子に触れるような、心地よい熱。
それが、ひなたの恐怖を氷解させるには、充分だった。
「信じて。信じて、逃げろ。俺が仇を取る」
ひなたがガイラーシュを見ないで済むように壁となって、男が間へと入り込む。彼女は頷いて、背中を向けて走りだした。
堤防の上まで走るまで走って、また足が竦んで転けるように蹲ってしまう。男に言われたはいいものの、ひなたには歩く気力すら残っていない。
堤防下の、一人と一体を見下ろす。
ひなたはこの戦いを見守るしかなくなっていた。
「食事は済んだみたいだな。もう餌はいらないんじゃないか?」
男が先ほどまで噛み殺した感情はどこへやら、その顔には再び、戯けたような笑みが張り付いていた。
対するガイラーシュは、みつきを襲った時とはまた異なる姿をしていた。人型に変化した身体に、石灰岩を思わせる白と灰色の軽鎧を着込み、腕に曳かれていたベールは干からびて、腕部カッターの形状に変えられている。
「グルゥ」
ガイラーシュが身を低く屈め、地を蹴り地面と平行に跳躍。ひなたを急襲してみせたロケット頭突きだが、男は身を翻して躱してみせる。
頭突きと共に嚙み合わされた顎で、足元のコンクリートがすり鉢状に消えた。
ガイラーシュはしばらく獲物を見失って、腹這いになりコンクリートにがっつく。しばらくして、いくら顎を鳴らしても何も変わらないことを察したのか、身体を海老反らせ、頭の横まで足を持ってくると、そこで踏みしめて軟体動物めいた柔軟性を使い身体を起こした。頭でっかちな顔もスルリと足の間を抜けて元の位置へ。
男は感慨なく砕かれた道路から目を離すと、半身になって構える。その顔には挑発的な笑みが浮かび、奇妙な動きを見せるガイラーシュに恐れを抱く懸念は全くない。
すると、ガイラーシュの腕部がボコボコと波打ち始め、ヒレ状の腕部カッターを覆うコンクリの装甲が生み出されていく。
「腹一杯になったのに、まだ食えるのか? 食い意地張りすぎだろ」
夕立ちを集光し、ギラついた反射を見せるガイラーシュの腕が閃く。
「そんなに殺気立たっても、意味ないぜっ
──と!」
首筋を狙う凶器を身体を捻って回避し、攻撃の出掛かりを見切って己の腕で動きを阻害することで捌く。お返しに足を腹に突きたて押しやると、怯んだのも束の間、綺麗な宙返りジャンプで男の頭上を取って、男の頭の上でステップでも踏むかのように連続蹴りを繰り出す。
曲芸師かと、男の顔が呆れるように歪んでいるのが見えたが、攻め立てられている状況では回る口も回らない。
「くっ……」
上空へとガードを上げるも、脇の締まっていない防御ほど頼りなく見えるものはないだろう。足でのラッシュに弾かれ、それを踏み台にもう一回転と反転したガイラーシュは、その体格を自由落下に任せて男へと迫った。
「グルャァアア!」
崩れた体幹では、覆いかぶさるように降ってきたガイラーシュを避けることはできない。瞬く間に巨大な顎の射程範囲に持ち込まれ、もつれ込むように地面に倒れこんだ。
上を取られ、如何な構造物をも砕く顎が男を襲う。
「う、おぉ!」
危機一髪だ。男は腕を上下に広げ、即席の顎の真似事で、ガイラーシュの顎と拮抗させる。
明らかに劣勢だった。力の差では人間と化け物での歴然とした溝がありありと可視化される。
なのに、男の笑みは消えるどころか深まるばかり。
ひなたにはその余裕がどこから来るのか、理解できなかった。でも……と、彼の言葉を信じた手前、その劣勢ぶりに危機感を感じるはずなのだが、不思議と頼もしさを感じるのだ。
ひなたは心の中で「頑張れ」と、念じる。
つと、周囲を底冷えさせるような、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
「くっ、ははははは!」
声の主は男だ。まるでこの形勢不利を笑い飛ばす哄笑っぷりだ。
「こんなんで満足してもらっちゃ困るんだよ! 害獣ヤロウ!」
瞬間、空気が爆ぜる音がして、ガイラーシュの身体がくの字に折れる。そのまま空中に弧を描いて化け物の体躯を押し退ける。
受け身を取ることもできず、腹這いに地面に落ちたガイラーシュが悶え、男は先程の拮抗していた姿勢から解放されると、にわかに立ち上がり、ズボンの土を払って見せる。
「こっからが、メインディッシュだぜ。ゆっくり味わえよ」
犬歯を覗かせる男の中心が赤く燃え上がる。
いや、文字通り燃え盛っていた。黒いレザージャケットの下、同カラーに揃えられていたシャツの裾が焼け焦げたように食い破られている。
その奥、腹部。臍に当たる箇所にポッカリと穴が空き、ごうごうと赤熱していた。
よく見れば、同じように黄金色に溶けた物体が、腹の炉に蓋をするように集まって、ベルト? の形を成している。それは腹から火を受け止めるコンロのような形状の中心部と、何かを調節する用のハンドル、レバーが組み合わさった複雑な機械のようで。
男がさらに手を伸ばすと、その手に収まる──、
「ん?」
殊更、手を伸ばす。
──なにも、来ない。
「あれ? どこ行った?」
ひなたはガクッと斜めに傾いた。あまりにも仰々しいもので、何が始まるのかと身構えていたのに。どうやらうまく行ってないようだった。
「え〜と、ああ、そうだ」
ゴホン、と咳払いし、気を取り直して。男は手を、ガイラーシュへと伸ばした。
途端に、うつ伏せで倒れこんでいたガイラーシュが身悶え始める。バタバタと腕を天へと仰いで、非常に苦しそうだ。ひとしきり暴れに暴れて、口からポンと吐き出されたものが、炎を纏って男の元へ。
「よし」
その手に掴んだのは、6Pチーズのような円柱型の機械。男が側面のスターターを押すと、表面がタイマーの液晶表示のように光り、ベルトのコンロの上へセットすれば、右手側のレバーと合わせて、フライパンにも見える。
ガイラーシュが立ち直り、迫るのにも構わず、男はベルトの操作を冷静に続ける。左手側の開栓バルブめいたハンドルに手を掛け、指を滑らせる要領で回した。
"
化け物のコンクリ補強された腕部カッターが男に触れる直前、今度は突如現れた球体に弾き飛ばされてしまう。ガイラーシュを阻んだのは、男のベルト操作によって空間を裂いて現れた。見た目は願いを叶えそうな、これまた燃え盛る
男はその球体を捕まえる素振りで手を伸ばし、掌を返す。妙な動きは、ひなたの目に儀式めいて映った。何かを始める前触れなのだと。
「変身」
掲げた手を振り下ろしながら右手側のレバーへ触れ──
"
ベルトのレバーを押し下げた瞬間、男の鎖骨、肩甲骨、三角筋の継ぎ目が作る肩口のアーチから、左右で三本一対、6本の光の腕が飛び出し、周囲の玉を掴みとる。それは瞬く間に、淡い幻像の腕から、独特なパターン構造がうかがえる多面体で構成された腕へと移り変わった。それらが、肩を包むように、鎖骨の延長線上を交点として、三本一対の腕が手を組み合う。そして組み合った箇所を中心として、光の波紋を解き放った。
その眩さに思わずひなたは腕で顔を覆った。腕の端から辛うじて見える男の姿はさらに二度、三度と放たれた光の奔流が後光となり、黒いシルエットに変貌していた。彼と判別できない程に歪んだ輪郭はまさしく鬼だ。
キーン、キーンと、鐘の音と共に光の波紋は尚も放たれ続ける。
その波紋が彼の輪郭をなぞるたび、黒いシルエットが剥がれ、異形めいた姿の真実をモノクロ色で削り出し、モノクロの色彩は茜色に色づいていく。
夜明けが世界を照らすように、段々と。暗く蠢く重たい闇を灼き払うように、燦然と。
彼こそが、一日を告げる朝の到来のように。
燐光を背負って姿を
彼はその姿を、後にこう語った。
"
男
黒い不審者、言葉の端々に出てきた「ス」は慣れない敬語が現れたもの。仲のいち関係では出ないことが多い。
ミシュラへと変身する。
ガイラーシュ
怪人の総称。名前の由来は「外来種」。
今回は鯛もどきなので、タイモドキ・ガイラーシュのようになるが、元々付けられていた名前から取り、「トキスケ」と呼称されることになる。