どこか歪で賑やかな食事が一段落し、お空が最後の一口を飲み込んで「ふー、お腹いっぱい!」と満足げに息をついた頃。
さとりは、ようやく最後の一片を口に運び終えた半天狗へと視線を向けた。
恐怖と緊張で顔を強張らせ、まるでいつ処刑されるかを待つ囚人のような目つきでこちらを伺っている老鬼。その器の底に溜まった小さな安堵の波紋を、さとりは見逃さない。
「半天狗。あなたはまだ、地底に来たばかりで分からないことも多いでしょう?」
「ヒ、ヒィッ!? な、なんじゃ、急に改まって……。わしをどうするつもりじゃ……ッ!」
半天狗はビクリと肩を跳ねさせ、持っていた箸を危うく落としそうになる。そのあまりに過剰な反応に、お燐は苦笑いした。
さとりは構わず、穏やかな声で続けた。
「明日、少し時間を取って地底を案内してあげましょうか。あなたがこれから暮らしていくこの場所のことを、もう少し知っておいた方がいいわ」
彼女のサードアイが、半天狗の心の深層を読み解いていく。彼は「外の世界」の常識に縛られ、自分を「守られるべき弱者」か「他者を喰らう捕食者」かの二択でしか捉えられていない。
地底という、奇妙に調和の取れた狂乱の世界に馴染むには、まずその凝り固まった自意識を少しずつ解きほぐす必要がある。
「……勇儀にも声をかけておくわね。彼女は荒っぽいけれど、あなたが正直に接すれば、それに応えてくれるはずよ。お燐とお空も一緒に行く?」
「うん!行く行く!お爺ちゃんに地獄のいいところ、いっぱい教えてあげる!」
「あたいも行くよ!みんなで出かければ気分転換になるだろうしね!」
二人の無邪気な賛同に、半天狗は「ヒィ、ヒィ……」と力なく呻くことしかできなかった。彼にとっては、それは案内という名の「強制連行」にしか聞こえなかったが、同時に、今まで誰一人として自分を「知ろう」としたり「場所」を与えようとしたりしなかった事実が、小さな棘のように胸に刺さっていた。
「……勝手にせよ。どうせわしには……拒否する権利もないのじゃからな……」
顔を背けて呟く半天狗。だが、その心根には、恐怖に混じって「明日」という未知の時間に対する、ほんのわずかな……本当に微かな期待の欠片が芽生えていた。
それから一晩中、「明日は何をされるのか」「どんな拷問が待っているのか」という被害妄想を独り言で垂れ流し続け、一睡もできぬまま迎えた朝。
半天狗は隈の浮いた目で、さとりたちと朝食を囲んでいた。昨日お燐が丁寧に切り分けてくれた「食事」は今日も用意されていたが、緊張のあまり味などこれっぽっちもしない。
「……さて。そろそろ行きましょうか」
さとりの穏やかな声が、出発の合図となった。
「お出かけだー! お爺ちゃん、早く早く!」
「ちょっとお空、はしゃぎすぎだってば。……もう」
無邪気に跳ね回るお空を、お燐が苦笑いしながら宥める。地霊殿の玄関先に広がるのは、地獄とは思えないほど平和で微笑ましい光景だった。だが、半天狗にとって、その「光」が強ければ強いほど、自分の中の「闇」が晒されるような恐怖を感じていた。
(一人では無理じゃ。あんな化け物どもに囲まれて、一人で歩くなど……ッ!)
極限の不安に突き動かされた半天狗は、自身の片腕を躊躇なく食いちぎった。肉が爆ぜ、血が噴き出す光景にお空が目を丸くする。
「……がァッ!!」
腕の切断面から肉が盛り上がっていき、人型を形作ると、積怒が現れ、手にした錫杖の石突きをドォンと床に叩きつけて広間に震動を走らせた。
「……腹立たしいッ! なぜわしが、あろうことか読心妖怪なんぞと道中を共にせねばならんのだッ!!」
積怒は青筋を立てて吠え、肩に乗せた豆粒のように小さな本体を守るように庇う。本体は積怒の髪の中に顔を埋め、「ヒィ、ヒィ……頼むぞ積怒、わしを守ってくれ……」と情けなく震えていた。
「あら。一人では心細くて不安だった?」
さとりは動じることもなく、錫杖をギリギリと握りしめ鋭い視線を飛ばしてくる積怒に皮肉をぶつける。
「黙れッ! 貴様らのような得体の知れぬ連中、信用できるはずがなかろうが! わしらはわしらで身を守る……文句はあるまいッ!!」
「構わないわ。彼の方が足取りも力強いし、案内もしやすそうね。行きましょう。……まずは旧都からかしら。前は勇義とのことで見て回るどころの話じゃなかったでしょうし」
さとりに促され、積怒は不機嫌極まりない顔で錫杖を鳴らし、一歩を踏み出した。
先頭を歩くさとり、はしゃぐお空、それを見守るお燐。そして、怒り狂う鬼の肩で震える本体。
地底の住人たちでさえ二度見するような、奇妙極まる「地底案内ツアー」が幕を開けた。