半天狗が幻想入り   作:ろんぐそーど

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第十一話

 

 朝の澄んだ空気が境内を包み込む博麗神社。木々の隙間から差し込む陽光が、長い石段を白く照らしている。

 博麗霊夢は、朝のルーティンとして、まずは拝殿の前に置かれた賽銭箱へと歩み寄った。重い蓋を指で弾くようにして開け、中を覗き込む。

 

「…………。ま、いつものことよね」

 

 視線の先にあるのは、底に溜まったわずかな埃と、静寂だけ。期待という感情をとうの昔に捨て去った霊夢は、深いため息を一つ吐き出すと、そのまま蓋を閉めた。

 彼女は物置から使い古した箒を取り出し、昨日から溜まっていた落ち葉を淡々と払い始め、乾いた竹箒が石畳を擦る「サッ、サッ」という規則正しい音だけが静かな境内に響き渡る。一通り境内を清め、朝のノルマを終えた彼女は、台所で手早く済ませた朝食の後、縁側に腰を下ろした。

 

「ふぅ……」

 

 淹れたての茶を啜り、湯気の向こうに広がる幻想郷の景色を眺めながら、地底に放り込んできたあの「面倒な鬼」のことを思い出す。

 

「よぉ、霊夢! 朝から縁側で隠居じみた真似か? 相変わらず景気が良さそうだな!」

 

 けたたましい風切り音と共に、白と黒のシルエットが空から舞い降りた。霧雨魔理沙だ。彼女は愛用の箒から飛び降りると、慣れた足取りで縁側に近づき、勝手に霊夢の隣へ腰を下ろす。

 

「景気が良いわけないでしょ。賽銭箱は相変わらずの空っぽよ。あんたこそ、朝っぱらから何の用? 」

 

 霊夢は茶柱が立っているのを見つめながら、視線も合わせずに問いかける。魔理沙はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、背負っていた荷物をどさりと床に置いた。

 

「今日はちょっと耳寄りな噂を聞いてきたんだ。……例の、お前が地底に放り込んだって言う『外の世界の鬼』の話だぜ」

「……耳が早いわね。誰から聞いたのよ」

「萃香の奴から。地底に妙な『新入り』が入ってきたってさ」

 

 霊夢は手元の湯呑みの中で揺れる湯気を見ながら呆れたため息をつく。

 

「……あの酔っ払い鬼、地上でそんな話触れ回ってるの?」

「ああ。『地底に臆病で卑怯で、でも中々面白いジジイが来た』ってな。しかも、『外の世界の鬼』ときたもんだ。萃香の奴、久々に自分より酒癖の悪そうな――いや、根性の捻じ曲がった鬼を見て、気分が良さそうだったぜ」

 

 魔理沙の話を聞いた霊夢は茶を啜ったあと、湯呑みを縁側に置いて関心がなさそうな様子で欠伸混じりに体を伸ばす。

 

「あんなの、卑怯で臆病で、それでいて隙あらば人を喰おうとする救いようのない化け物よ。地底の連中なら毒を以て毒を制してくれると思って預けたんだけど……」

「へぇ、あの霊夢にそこまで言わせるとはな。萃香も『あんなに中身が空っぽな奴は珍しい。磨けばいい酒の肴になる』なんて言ってたぜ。……なぁ霊夢、そんなに面白い奴なら、私も一度拝んでおきたいんだが?」

 

 魔理沙が身を乗り出してくるが、霊夢は呆れたように空を見上げた。

 

「やめておきなさい。あんたが行っても、さとりに心を読まれて、あの怒鳴り散らす鬼に八つ当たりされるだけよ。せっかく静かになったんだから、あいつのことは地底に任せておけばいいのよ」

 

 霊夢は再び湯呑みを手に取ると、茶を啜ってホッと一息ついた。

 

「おやぁ?何かと思えば私の話かい?」

 

 ふらりと、陽炎のように現れた小さな影。

 

「げッ……!」

 

 霊夢は露骨に嫌そうな顔をすると、現れたその少女、伊吹萃香にシッシッと手でジェスチャーをする。

 萃香は、その華奢な身体に似合わないほど濃密な酒の匂いを漂わせながら、魔理沙とは反対側の位置を陣取り縁側に腰をおろした。そのまま霊夢の肩にぐにゃりと体重を預け、ダル絡みを始める。

 

「そんな邪険にしないでくれよ霊夢ぅ」

「ちょっと、重いわよ……ていうか酒クサッ!離れなさいよもう!」

「いいじゃん堅いこと言わないでさぁ。それより魔理沙、さっきの話の続きを聞きたいんじゃないの?」

 

 萃香は手にした瓢箪を傾け、琥珀色の液体を景気よく喉に流し込んだ。魔理沙は待ってましたとばかりに目を爛々と輝かせる。

 

「お、噂をすればなんとやらだな! なぁ萃香、あの話って本当なのか? 例の『外の世界の鬼』が、あの勇儀とやり合ったってやつ!」

 

 魔理沙の問いに、萃香は満足げに目を細め、視線を遠くの山々へと向けた。

 

「本当だよ。勇儀の口から直接聞いたからね。私は現場を見てたわけじゃないけどさ……あの勇義に『骨のあるところを見せてくれた』なんて言わせる奴、地底を探したってそうそう居ないよ」

「マジか、あの勇義が……?」

 

 魔理沙が驚きに目を見開く。旧地獄、鬼の四天王の一人。怪力の勇義にそこまで言わしめるとは相当な実力者に違いない。

 霊夢は湯呑みを持ったまま、意外そうなトーンで口を開く。

 

「へー。あいつそんなに強かったのね。まぁ、あっちの『怒鳴ってる方』の鬼なら確かに弱くはなさそうだったけど、勇儀を追い詰めるほどには見えなかったわよ?」

「あはは、霊夢は表面しか見てないんだから。あの鬼、追い詰められれば追い詰められるほど強さに磨きがかかるタイプだよ」

 

 萃香は瓢箪の栓を閉め、ニヤリと不敵に笑った。

 

「まぁ勇儀が気に入ったのは、その強さそのものっていうより、逃げ場のない中で見せた『感情』の密度だろうね。空っぽな中身に、あんな熱いもんを隠し持ってるなんて……鬼としては最高に愉快じゃない?」

「ふーん。私にはただの往生際が悪い爺さんにしか見えなかったけどね」

 

 霊夢は冷淡に言い放つが、その実、心のどこかで少しだけ安堵していた。地底という過酷な場所で、あの歪な鬼が「鬼」として受け入れられつつあるという事実に。

 

「あやややや、これはまた博麗神社に馴染みの顔ぶれが集まって……。特ダネの香りがプンプンしますね!」

 

 空を切り裂くような羽音と共に、黒い鴉の翼を広げた少女。射命丸文が颯爽と霊夢たちの前へ舞い降りた。

 文は萃香の姿を認めるなり、一瞬だけ「うげっ」という風に顔を引き攣らせたが、そこは新聞記者。すぐに営業用の貼り付いた笑顔を作り、会話の輪へと強引に割り込んでくる。

 

「……またうるさいのがきたわね。朝っぱらから、ウチは溜まり場じゃないんだけど」

 

 霊夢は萃香同様に、めんどくさそうな視線を文に向ける。

 

「まぁまぁ、そんな嫌そうな顔しないで。……はい、最新号ですよ! 霊夢さんに魔理沙さん、これさえ読めば幻想郷の裏事情が丸分かりです!」

 

 文は脇に抱えていた『文々丸新聞』の束からニ枚を引き抜き、二人の鼻先へ突きつけた。

 

「いらないわよ。どうせ焚き火の種にしかならないし」

「悪いな文、さっき萃香からナマの特ダネを聞いたばかりなんだ」

 

 二人から冷たく一蹴され、文は「あやや……相変わらずの塩対応ですね」と大袈裟に肩を落とした。しかし、すぐにカメラを構え直し、鋭い眼光を光らせる。

 

「で、皆さん。そんなに良い雰囲気で何を話し込んでいたんです? 私も仲間に混ぜてくださいよ」

「……私が地底に放り込んだ鬼の話よ」

 

 霊夢が茶を啜りながら答えると、文の羽がピクリと反応した。

 

「ああ!噂になってる『外の世界の鬼』とやらですか! 私も取材に向かおうとしたんですが、縦穴を降りたところでパルスィさんに『面倒ごとを起こされたら困る』って追い返されまして。実際のところ、その鬼とやらはどうなんです? 勇儀さんとやり合ったっていうのは事実で?」

 

 文は手帳を取り出し、萃香の方をチラリと見た。萃香は「まあねぇ」と瓢箪を揺らす。

 

「さとりに腐った心を暴かれて、根性叩き直す為に勇義のとこに送ったらしいけどさ。勇義の一方的な『洗礼』で終わるかと思ったら、中々良い勝負したみたいだよ」

 

 萃香は揺らしていた瓢箪を口へと運び、酒を喉へ流し込んでいく。

 

「ほうほう、やはり噂は事実だったのですね……!これは新聞のネタに良さそうです……!」

 

 文は興奮した様子で万年筆を手帳に走らせていくが、ふっと顔を上げて不思議そうに首を傾げる。

 

「でも不思議ですね。そんなに強いなら、地上にいた時にどうして大人しく霊夢さんに捕まっていたんです? 噂通りの性格なら、真っ先に逃げ出しそうな気もするんですが……」

「本人が言うには、『そっち側の鬼』は日光に当てられたら即座に死ぬみたいよ。私が拾った時は夜だったけど、あと数刻で夜明けって絶妙な時間帯だったし、妙な真似したら私が夜明けを待たずに塵にするって釘も刺したから、下手に動くことも出来なかったんじゃない?」

 

 霊夢は縁側の柱に背を預けながら、文の口にした疑問に答える。

 文は「霊夢さんに圧かけられたら私も震え上がります……」と若干半天狗に同情を示しつつ、興味深そうに手帳に聞いた話を書き込んでいく。

 

「だから地底なのさ」

 

 萃香が瓢箪を揺らし三人の視点を集める。

 

「あそこなら、四六時中『夜』みたいなもんだからね。日光っていう絶対的な死に抗えないアイツにとって、陽の光が届かない地底は楽園そのもの。まぁそれと同時に、さとりや勇義の監視の目と、そこに居着くしかないという意味では、アイツにとって逃げ場のない牢獄にもなっちゃった訳だけどさ」

 

 皮肉混じりにそう口にした萃香は、カラカラと笑いながら再び瓢箪の中にある酒を喉へ流し込んだ。

 

「……つまり、今のソイツは、地上にいた時よりもずっと厄介ってことだな?」

 

 魔理沙がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「厄介どころじゃないわよ。さとりや勇儀が手綱を握ってなきゃ、今頃地底で面倒ごと起こされて私が駆り出される羽目になってたわ」

 

 地上の光に追い詰められ、震えていた矮小な老鬼。それが今や、あの勇義に認められ、地底の強者の中に肩を並べているという歪な状況。

 

「……まぁ、あっちでうまくやってるならなんでもいいわ。こっちにさえ戻ってこなければね」

 

 毒を以って毒を制す、という当初の目論見通りになったかと言われると微妙であるが、少なくとも厄介な余所者を逃げ場のない場所へ拘束できたと言う意味では、地底に放り込んだ自身の判断は正しかったと、霊夢はそう結論付けることにした。

 

「あやや!!話を聞けば聞くほど、やはり直接その方にお会いして取材したくなってしまいますね……知的好奇心を刺激される究極の特ダネです!」

 

 文は背中の黒い翼をウズウズとさせ、今にも飛び立たんとする勢いで鼻息を荒くしている。

 

「決めました。今すぐ地底へ飛びます!その『外の世界の鬼』とやらの実態。このカメラに収めて文々丸新聞の特大号にして差し上げますよ!」

「おっ、面白そうじゃねーか。文、一人じゃ心許ないだろ? 私も付いてってやるぜ」

 

 魔理沙がニヤリと笑い、腰を浮かせた。勇儀が認めたほどの「鬼」の力、魔法使いとしてもその目で確かめない手はない。

 

「ちょっと二人とも……」

 

霊夢は心底嫌そうな顔で二人を止めた。

 

「やめときなさいよ。あいつはただでさえ面倒なのに、地底には勇儀だけじゃなくて、さとりまでいるのよ? あんたたちみたいな『隠し事の多い連中』が行ったら、身ぐるみ剥がされて泣く結果になるだけだってば」

「ははっ、隠し事がない奴なんて幻想郷にゃいないぜ!さとりには私のド派手な弾幕を見せて、心を読む暇なんて与えないようにしてやる!」

「そうですとも! 速報性こそ記者の命。霊夢さん、お土産話に期待して待っていてくださいね!」

 

 霊夢は額に手を当て、「もう止めても無駄ね……」と諦めた様子で二人を見る

 

「……勝手にしなさい。何かあっても私は知らないからね」

 

 霊夢の忠告を背中で聞き流しながら、文と魔理沙は弾かれたように空へ飛び上がった。

 目指すは妖怪の山の麓。地底へと通じる長大な縦穴だ。風を切る音と共に、二人の影はあっという間に小さくなっていく。

 

「あーあ、行っちゃった。……萃香、あんたは行かなくていいの?」

「んー、私はいいや。今はここで、霊夢の不機嫌な顔を肴に酒を飲む方が楽しいってもんさ」

「いやあんたも帰りなさいよ」

 

 萃香はカラカラと笑い、再び瓢箪を煽る。

 

「さてさて、次はどんな騒ぎを起こしてくれるかな。さとりも退屈しなくて済むだろうし、地底は当分賑やかになりそうだよ」

 

 そう言って笑顔を見せる萃香の笑い声が、神社の境内に響き渡っていった。

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