半天狗が幻想入り   作:ろんぐそーど

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第十四話

 

 旧都の喧騒を完全に背に押しやり、一行は「地殻の下の大橋」へと差し掛かった。

 橋の上には、地上の湿気と地底の熱気が混じり合った、刺すように冷たい霧が立ち込めていた。かつて地獄の入り口として機能していたこの場所には、特有の重苦しい沈静が漂っている。

 

「……パルスィがいないわね。いつもなら、この辺りで顔を出してくるのだけど」

 

 さとりのその呟きは、霧に吸い込まれるように消えた。

 いつもなら、橋の番人である彼女が霧の向こうから現れ、一行の「幸福」や「平穏」を妬む言葉を投げつけてくるはずだ。しかし、橋の中ほどまで来ても、あの独特な負の気配は微塵も感じられなかった。

 

「まだ旧都から戻ってないんじゃないか? 」

 

 勇儀はあっけらかんとした様子で答えた。だが、その視線は鋭く霧の先を射抜いている。

 

「あるいは、縦穴の方で何かあったのか……」

 

 さとりの言葉に、勇儀は答えず、ただ顎をさすった。さとりは口元に指を当て、考え込むようにサードアイを微かに震わせる。物理的な音ではなく、精神的な「静寂」がこの場所には漂いすぎていた。

 そんな緊張感のある前線とは裏腹に、後方では疲労の色が濃くなっていた。

 

「ねえお燐……もう疲れちゃった。」

「ちょっと、お空! 急に身体を預けないでよ、重いってば……もう少しなんだから、頑張って!」

 

 歩き疲れたお空が、ふらふらとした足取りでお燐に体重をかけた。お燐は困ったように眉を下げつつ、苦笑しながらその体をグイグイと押し返す。

 そんな二人の様子を、最後尾の積怒は不機嫌の極致といった様子で見せつけられていた。

 

「ええい、ダラダラと見苦しいッ! さっさと歩かんかッ!」

 

 積怒が怒鳴りつけ、錫杖の石突で橋の石床を激しく叩く。シャンッと、金属音が冷たい霧を切り裂いて響き渡る。

 霧が一段と濃くなっていき、その先にある縦穴の影が巨大な怪物の口のように見え始めたその時、勇義が足を止めて前方を指差した。

 

「どうやらパルスィがいない理由は、あっちが『混んでる』せいらしいね」

 

 勇儀の低い声が霧の重なりを押し割り、一行の意識を前方へと釘付けにした。

 巨大な縦穴へと続く大橋の終端、そこには橋の番人としての矜持を漂わせるパルスィの後ろ姿と、その通行を阻まれている二つの人影があった。

 

「何度来ようが、この先には進ませないわよ。取材は受け付けないって前にも言ったでしょ。その執着心を少しは別のことに使ったらどう?」

 

 パルスィの背中からは、隠しきれない苛立ちのオーラがどろりと漏れ出していた。対峙する二人の人影ーー射命丸文と霧雨魔理沙は、そんなパルスィの剣幕をどこ吹く風と受け流している。

 

「いいじゃないですかぁ。減るもんじゃありませんし、ちょーっと取材したらすぐに地上に帰りますから。地底と地上の融和を象徴する、歴史的な一枚を撮らせてくださいよ!」

「そうだぜ。私たちは別に橋の構造に興味があるわけじゃない。霊夢が地底に放り込んだっていう『外の世界の鬼』に会いに来ただけだ。そいつを拝ませてくれれば、すぐにお暇するぜ」

 

 文がカメラのレンズを弄りながら唇を尖らせ食い下がり、魔理沙は箒に腰掛けたままヘラヘラとした調子で笑みを浮かべている。

 パルスィは深く、重いため息をつく。その時、背後から近づく足音に気づき、彼女は視線を横に流した。

 

「パルスィ」

 

 さとりの穏やかな、しかし拒絶を許さない声。パルスィはその視界の端にさとりと勇儀、そして、お燐とお空の後ろに控える「問題の鬼」を捉えた。

 

「さとり……こいつら、どうにかして」

 

 パルスィは心底嫌そうな表情を浮かべ、指先で文と魔理沙を指した。その動作の最中、一瞬だけ彼女の視線と、最後尾にいた積怒の視線がぶつかり合う。

 旧都での一件もあり、互いに最悪の第一印象を刻み込んだ二人の間には、目に見えるほどの火花が散る。

 パルスィは軽蔑を込めて鼻を鳴らすと、見せつけるように顔を背けた。

 彼女の態度をみた積怒の額には青筋が浮かび、ギリ……と奥歯を噛み締める音が響く。錫杖から漏れる放電が「殺してやろうか」と言わんばかりに激しく明滅したが、積怒は相手にする価値などないと自身に言い聞かせ、強引に意識をパルスィから引き剥がす。

 

「あやや……! お噂をしてたらご本人登場ですか!」

「おおっ、本当にいたな! 霊夢の言ってた通り、随分と機嫌が悪そうなヤツだぜ」

 

 文が素早くカメラを構えそのレンズを積怒へと向け、パルスィの制止を無視して一歩前へ踏み出した。

 

「まずはお名前を聞かせていただけますか? 外の世界から来た鬼ということですが、どういった経緯で幻想郷へ?」

「ええい! 寄るな! 鬱陶しいッ!!」

 

 積怒はカメラを構えて詰め寄ってくる文に怒声を浴びせ、不愉快の極致といった様子で視線を向けた。

 肩に乗っかっていた豆粒のような本体は、文の勢いに気圧され、ガタガタと歯を鳴らして積怒の髪の奥へと潜り込む。

 

「えっとねー。おじいちゃんは半天狗って言うんだよー!」

「ちょ、ちょっとお空!」

 

 積怒の返事を待たずに勝手に名前を開示したお空。案の定、積怒は殺気すら籠もった憎々しげな顔をお空へ向け、それを見たお燐が慌ててお空の口を両手で塞いだ。

 

「半……天狗? あなた、鬼でありながら天狗の名を冠しているんですか……!?」

 

 文の瞳が、職業病ともいえる異常な好奇心でギラリと光る。

 

「面白い! 天狗と鬼のハイブリッド? それとも単なる自称? どちらにせよ大ニュースですよ!こちらの小さい方はなんなんですか!?」

 

 文は積怒の全身を舐め回すように観察し、レンズをさらに近づける。積怒は本体を庇うように腕で隠すと、肚の底から響くような声で食ってかかった。

 

「いい加減にしろッ! 先ほどからわしの許可なく勝手に話を進めおって!見世物ではないぞッ!」

「良いじゃないですかぁ。数枚写真を撮らせてもらえれば、それでお暇しますから。さあ、こっちを向いて!」

 

 文が好奇心のままにレンズを積怒へ向け、人差し指がシャッターを切ろうとした、その刹那だった。

 積怒の、齢を感じさせぬ凄まじい速度で振り抜かれた腕が、文の手首を冷酷に払い除けた。

 

「あ……」

 

 文が声を漏らした時には、すでに手首に走った衝撃と共に、カメラは手元から離れていた。

 放り投げられた愛機は、地底の暗い空に無防備な放物線を描く。

 

「フンッ!」

 

 積怒は止まらない。空中で舞う精密機械を見据えると、容赦なく錫杖を石床に突き立てる。

 刹那、裂くような紫白色の雷光が地を走り、カメラを正確に貫く。

 

「あああああああああああ!?」

 

 鼓膜を突き刺すような爆音の後、カメラは火花と黒煙を上げながら、カラカラと乾いた音を立てて文の足元へ転がっていく。

 天狗の特別製ゆえか粉々にはならなかったものの、レンズの奥からはプスプスと嫌な煙が立ち上り、完全にその機能を停止させていた。

 文はその場にぺたんと座り込み、幽霊でも見たかのような顔で、変わり果てたカメラを抱き寄せた。

 

「な、何するんですかぁ……! 私の、私のカメラ……。今までの特ダネ全部入ってたのにぃ……!!」

 

 その瞳には涙が浮かんでいる。文にとってカメラは、命の次に重い商売道具だった。

 

「こりゃあ、ご愁傷様だな……。地底の鬼よりよっぽど手が早いぜ」

 

 横で見ていた魔理沙は、口では同情をしながらも、その表情には隠しきれない面白さが滲み出ていた。むしろ「いいものを見た」と言わんばかりのニヤケ面だ。

 

「羽虫がッ! お前に直撃させなかっただけ感謝しろッ!」

 

 積怒は冷たく言い放つと、まだバチバチと放電している錫杖の先を、放心状態の文に突きつける。一切の容赦も、慈悲もない。それが半天狗の「怒り」の在り方だった。

 

「あーあ。さとり様、どうします……?」

 

 お燐が呆れたように、カメラを抱いて泣いている文を指差す。

 さとりは、その光景を眺めながら、重い、本当に重い溜息をついた。

 

「……自業自得とはいえ、カメラを壊したのは少しやり過ぎだったかもしれないわね。地上の鴉も、もう少し相手を選べばいいのに」

「まぁまぁ、にとり辺りにでも頼めば、修理してくれんじゃないか? そう気を落とすなって、文!」

 

 魔理沙が座り込んだままフリーズしている文の背中を、慰めというにはあまりに乱暴な手つきでバンバンと叩く。

 

「……修理で、データが戻るでしょうか……。ああ、私の特ダネがぁ……」

「いい気味だわ。これに懲りたなら、人の忠告には耳を傾けることね。勉強代だったと思って大人しく受け入れなさい」

 

 パルスィは溜飲を下げたのか、どこか晴れやかな表情で、鼻を鳴らして座り込んでいる文を見下ろした。橋の番人として散々無視された彼女にとって、文の受難は最高の「妬み」の清算だったのかもしれない。

 

「…………ください」

 

 ふと、沈黙し、俯いたまま小刻みに震えていた文が、消え入るような声で何かを呟いた。

 

「ん? なんだって? ショックで喉が枯れちまったか?」

 

 彼女を励ましていた魔理沙が、その小さな声を拾おうと耳を近づける。

 

「修理代……修理代、あなたが払ってくださいィィィ!!」

 

 文は弾かれたように跳ねて立ち上がると、積怒の胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。

 

「はあぁ!? なぜわしがお前のために金を出さなくてはならんのだッ! 愚か者がッ!!」

「だって、だって……! 壊す必要なんかなかったじゃないですかぁ! 撮られたくないなら、一時的にカメラを没収するだけでも良かったじゃないですかぁ……! 鬼のくせに器が小さいんですよ!野蛮! 横暴! 破壊魔ぁっ!!」

 

 文は涙を流しながら、ポカポカと積怒の頑強な腕を叩いた。地上の最速を誇る天狗も、今はただ駄々をこねる幼子のように感情を爆発させている。

 

「離れろッ! 鬱陶しいと言っておるだろうがッ!」

「嫌です! 弁償の約束をするまで絶対に離れませんからねッ!!」

 

 積怒の青筋が限界まで膨らんだその時、黙って見ていた勇儀が「やれやれ」と頭をガリガリと掻きながら一歩踏み出した。そして、文の襟首を大きな手でヒョイと掴み上げ、積怒から強引に引き離す。

 

「その好奇心を優先して、後から泣きを見る癖、いい加減どうにかしな。今回に関しては、文……おまえが悪いよ。地底の流儀を無視して土足で踏み込んだ報いだ」

「そ、そんなぁ……勇儀さんまでぇ……!!」

 

 宙ぶらりんになった文は、足をバタバタさせながら、今度は勇儀に泣きつこうとする。しかし、勇儀の鉄壁のような正論と握力には抗いようもなかった。

 

「フン、当然の報いじゃッ!」

 

 積怒は乱れた着物を直し、唾を吐き捨てるように言い放った。肩の上の本体も、文が物理的に引き離されたのを見て、ようやくひょっこりと顔を出し「……欲をかきすぎるからじゃ、欲をかきすぎるからじゃ……」とクツクツと勝ち誇ったように笑っている。

 

「……まだ諦められません! 私と勝負してください! 私が勝ったら修理代、あなたに全額出して貰います!」

 

 勇義に手を離され、地面にヘタっていたはずの文が、バッ!と弾かれたように顔を上げた。その瞳には、特ダネを追う時のそれとはまた違う、執念に満ちた炎が宿っている。彼女は震える指先で積怒を真っ直ぐに指差し、宣戦布告を叩きつけた。

 積怒の額に、ピキピキと音を立てんばかりの青筋が浮かび上がる。もはや怒りの沸点はとっくに超え、周囲の空気は焦げたような匂いと放電の熱気に包まれていた。

 

「くどいッ! おまえのような羽虫のために払う金など、一銭たりとも持ち合わせてはおらぬわッ!!」

「もう五月蝿いですね! 金がないなら何か価値のあるものを差し出しなさい! 私のカメラとデータは、それほどまでに重いんですッ!」

「知るかッ! 消えろ、失せろッ、この疫病神めッ!!」

 

 怒号と叫びが木霊し、収集がつかなくなっていく。その様子を見かねたさとりが、重いため息を吐きながら、二人の視線の交差を断ち切るように間に割って入った。

 

「……もう、収まりがつかないわね。積怒、彼女に付き合ってあげなさい」

「読心妖怪ッ! 貴様、そいつの肩を持つつもりかッ!!」

 

 積怒は矛先をさとりへと向け、今にも錫杖を振り下ろさんばかりの勢いで怒声を浴びせる。しかし、さとりはその凄まじい反抗心を、柳に風と受け流しながら片目を瞑ってみせた。

 

「いいじゃない。あなたも地底に来てからというもの、散々な目に遭って鬱憤が溜まっているのでしょう? 目の前の鴉天狗に八つ当た……いえ、解消したらいいわ」

「は、八つ当たりだとッ!? 貴様、わしを何だと思っておるのだッ!」

「あら、あなたの力を地上の妖怪に見せつける良い機会でしょ?」

 

 さとりのその言葉は、積怒の自尊心を絶妙にくすぐった。そして、文の方も「願ってもない!」とばかりに、壊れたカメラを懐にしまい込み、積怒に向き直る。

 

「いいでしょう! 最速の天狗から逃げ切れると思わないでくださいね!」

「……面白くなってきたじゃないか。おいパルスィ、周囲を壊さない程度に結界を張ってやりな。特等席で拝ませてもらおうじゃないか!」

 

 勇儀が楽しそうに囃し立て、パルスィは「……面倒くさいわね。でも、派手にやり合って共倒れしてくれるなら、少しは妬みが晴れるかしら」と毒づきながらも、指先から負の感情を編み込み、周囲に不可視の境界線を張り巡らせ始めた。

 積怒は肩の上で「ヒィィ、戦いは嫌じゃあ、隠れさせておくれぇ……」と震える本体を乱暴に髪の中へ押し込むと、錫杖を構え直した。

 

「……よかろう。その生意気な口、二度と開けぬよう粉砕してやるわッ!」

 

 地底の怒れる雷と、地上の最速の風が、激突の瞬間を迎えようとしていた。

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