半天狗が幻想入り   作:ろんぐそーど

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第十五話

 

「その前に、少し良いかしら」

 

 積怒と文、互いに闘志を昂ぶらせる二人の間で、さとりがパンっと小気味よい音を立てて手を合わせた。張り詰めていた空気が一瞬だけ弛緩し、全員の視線が地霊殿の主へと集まる。

 

「やるからには、ゴールは決めておきましょう。落とし所なしに戦われたら、歯止めが利かなくなりそうだし。……特に、あなたは」

 

 さとりは横目で、今にも雷を落とさんばかりの積怒に視線を送った。積怒は隠そうともしない不快感を顔に刻み、フンと鼻を鳴らして再び文を睨みつける。

 さとりは懐から懐中時計を取り出し、蓋を開いて吊り下げた。

 

「お互いに勝利条件を決めておきましょうか。制限時間は10分。射命丸文、あなたは彼の肩に乗っている、この小さな本体に一撃を与えること。それができればあなたの勝ち。修理代は……そうね、私が出してあげてもいいわ」

「えっ、さとり様が!?」

 

 お燐が驚きの声を上げるが、さとりは涼しい顔で続けた。

 

「積怒。あなたは10分間の間、その本体を守り抜きなさい。守り切れたら、あなたの勝ち。文には、もう二度とあなたを勝手に取材しないよう、約束させるわ。それと、あなたはやり過ぎる傾向があるから、彼女を殺すような真似は絶対にしないこと……良い?」

「最高じゃないですか! さとりさん、話がわかるぅ!」

 

 修理代の目処が立った文は先ほどまでの涙目から一転、現金なほどに表情を輝かせて翼を広げ、対する積怒は耳元で震えが加速した本体の悲鳴を聞き、さらに深く眉間に皺を寄せる。

 

「おじいちゃん、がんばれー!」

 

 お燐の隣でブンブンと無邪気に手を振り、半天狗にエールを送るお空。さとりは観戦場所へと移動し、お燐たちの隣に並び立った。

 

「それじゃあ……勝負スタートですね!」

 

 文が宣言した瞬間、積怒の視界から彼女の姿がかき消える。

 あまりの速さに呆気を取られていた積怒が、錫杖を構え直したその時だった。

 

「……積怒! 後ろじゃぁッ!!」

「ッ!?」

 

 耳元で悲鳴を上げる半天狗の声に、積怒は弾かれたように体を旋回させる。

 振り向いた彼の眼前には、不敵な笑みを浮かべ、肩の半天狗目掛けて脚を振り下ろしている文の姿があった。

 

「……ぐぅッ!?」

 

 積怒は錫杖を横に構え、その重い一撃を間一髪で受け止めるも、衝撃が石床を伝い、足元が蜘蛛の巣状に軽くひび割れる。

 天狗の脚力は、積怒が抱いていた「羽虫」という侮蔑を吹き飛ばすに十分な威力だった。

 

「あやや……。 今ので決めるつもりだったのですが、防がれちゃいましたか。さすが外の世界の鬼、反応だけは一級品ですね!」

 

 意外そうに声を上げた文を積怒は全身の力で押し返し、錫杖を石床に打ちつける。雷撃は空中を舞う文を狙うが、彼女はそれをなんでもないように軽々と躱してゆく。

 

「遅い、遅いですよ!幻想郷最速の私に、そんな大味な攻撃が当たるはずないじゃないですか!」

「チィッ……!」

 

 積怒は不愉快そうに舌打ちをすると、その眼光をより一層鋭く研ぎ澄ませる。

 文を捕らえるには自分一人の手だけでは足りぬと判断したのか、彼は一切の躊躇なく自身の手刀で、己の左腕を付け根から切り落とす。

 断面から鮮血が飛散する凄惨な自傷行為に、観戦していた魔理沙は、困惑半分、期待半分といった様子で身を乗り出した。

 

「おいおい、アイツなんでいきなり自分の腕を切り落としたんだ? 自棄にでもなったか?」

 

 そんな魔理沙に対し、隣で胡坐をかいていた勇儀がニッと笑みを浮かべる。

 

「ここからが、あの鬼の本領発揮さ。……ただの爺さんだと思ってると、火傷するよ?」

 

 積怒から切り離された腕は肉が溢れ出し、断面が盛り上がる。一瞬のうちにそれは筋肉質の新たな「鬼」の形を形成していった。

 

「クッハハッ! 戦じゃ戦じゃッ! やはりわしらはこうでなくては……なぁ!!」

 

 高笑いと共に現れたのは、八ツ手の葉を模した団扇を手にした楽の鬼、可楽。

 彼は顕現した瞬間に、宙に舞う文の姿を敵として捉えた。狂気に満ちた醜悪な笑みを浮かべ、手に持った団扇を力任せに振り抜く。

 可楽が放ったのは、単なる突風ではない。大橋の石材さえも削り取り、霧を消し飛ばすほどの指向性を持った超高圧の暴風だ。

 

「あややっ! 切り落とした腕からなんだか天狗っぽい人が出てきましたよ!?」

 

 文は空中で間一髪その風を回避したが、直後に耳元をかすめた破壊的な風圧に、頬の毛が逆立つ。

 

「可楽ッ! 空喜と哀絶も出せッ! 早くしろッ!」

 

 積怒は隣で愉快そうに笑っている可楽に怒号を上げながら、文から視線を離さないまま容赦なく雷を落とし続ける。

 

「分かっておるわ。お前は本当に短気な奴よなぁ?」

 

 可楽が自らの肉を裂き、その体を分かつと、次々に「喜」と「哀」を司る鬼たちがその姿を現した。

 背中から翼を生やし、怪鳥のような叫び声をあげる空喜と、十文字槍を構え、影を纏ったような陰鬱な空気を放つ哀絶。

 大橋の上に、喜怒哀楽、半天狗の分身が揃い踏む。

 

「ちょ……流石にそれは卑怯じゃないですか!? フェアじゃないですよぉ!」

 

 空を舞いながら、文が顔を引きつらせて抗議の声を上げた。四体の鬼は、それぞれが異なる殺気を放っている。

 

「初手で不意打ちじみた攻撃を仕掛けたお前なんぞに公平性を問われる筋合いなどない!死ねッ!!」

「今死ねって言いました!?」

 

 積怒は文からの訴えを怒声で一蹴し、雷撃を叩きつける。紫白色の閃光が熾烈に空を裂き、彼女の逃げ場を削り取っていく。

 

「……それで、わしらはどう動けば良いのだ? 積怒」

 

 積怒の横に、槍を引きずるようにして並び立った哀絶が、その石突をトンと床に突き、陰鬱な声で問いかけた。積怒は文への攻撃を一時も緩めることなく、淀みのない口調で指示を飛ばす。

 

「空喜、奴に張り付いて注意を引けッ! わしの雷と可楽の風で援護するッ! 哀絶、お前は本体の守りに徹しろッ!奴が空喜とわしらの攻撃を抜けてきた時の対処だッ!」

「面白い!あの騒々しい鳥娘、俺の自慢の爪で引き裂いてくれるッ!」

 

 背中の翼を羽ばたかせ、空喜が哄笑と共に垂直に舞い上がった。文に向かって風を切りながら一直線に飛んでいく。

 

「良いのう、空喜は。なあ積怒、わしもあの娘と直接拳でやり合いたいぞ。風を送るだけでは退屈で適わんわ」

 

 可楽は八ツ手の団扇で自分を扇ぎながら、欠伸でもしそうなほど退屈そうに息をつく。

 

「黙れッ! 翼も持たないお前がどうやってアレとやり合うつもりだッ! 異議を唱えることは許さんッ! さっさと動けッ!」

「おお怖い怖い。相変わらず余裕のない奴じゃ」

 

 可楽が口角を上げ、団扇を構え直す。

 積怒の統率により、四体の鬼は瞬時に「対・最速」の陣形を敷いた。

 

「ハハハハハッ! 逃げろ逃げろ、鳥娘!」

 

 空喜が金切り声を上げて急降下し、口から放たれる超音波の衝撃波が文の耳元で爆発する。

 

「うわっとっと!? 耳が、耳がキーンとしますよぉ!」

 

 文は空中でバランスを崩しかけるが、持ち前の反射神経で即座に体勢を立て直す。しかし、その刹那、可楽が不敵な笑みを浮かべて団扇を振り抜いた。

 

「逃がさんぞ!娘ぇッ!」

 

 可楽の放った指向性の暴風が、文の退路を壁のように塞ぐ。逃げ場を失い、一瞬動きが止まった文の頭上へ、積怒の容赦ない雷撃が牙を剥く。

 

「うわっ!? 本当に容赦がないんですから!」

 

 文は紙一重で雷撃を回避し、積怒へ接近する。その先には、いつの間にか彼の前に立ち塞がっていた哀絶が、冷徹な瞳で槍を構えて待ち構えていた。

 

「………」

 

 哀絶が放った鋭く、速い一突きが、本体を狙おうとした文の軌道を正確に弾き飛ばす。四体の連携は完璧に噛み合っていた。

 文は額に浮き出た一滴の汗を拭う。

 

「……思った以上にやりますね。手を抜いて勝てる相手じゃないってことでしょうか」

 

 一方、その様子をさとり達と共に観戦場所で眺めている魔理沙は、ポップコーンでも食べ出しそうな勢いで目を輝かせていた。

 

「おいおいなんだありゃ! 自傷したかと思ったらソックリな奴らが増えたぜ。こりゃ面白いな!」

「それがあの鬼の……半天狗の強みよ」

 

 半天狗の特性にはしゃぐ魔理沙を視界の端に入れ、さとりは以前半天狗の心を暴いた際に見た彼の背景を参照し、静かに口にした。

 

「自分を被害者として定義し、感情を細分化する。彼がやっていることはただの自己弁護だけど、その被害者意識からくる恐怖心と観察眼、残虐性と歪んだ自己愛……それらは生き残るための強力な矛や盾として機能している。数百年に及ぶ生存の歴史が、あの四体の連携を形作っているの」

 

 さとり達の目の前では、依然として数と連携で勝っている半天狗優勢の戦いが繰り広げられている。

 文は自分に喰らい付いてくる空喜をなんとか引き剥がし、大きく距離をとって一呼吸置いた。

 

「……なるほど。確かにあの四体を相手にしていたら、10分なんてあっという間ですね。ですが……」

 

 文の瞳から、それまでの焦りが消える。彼女は葉団扇を懐から取り出し、自身に凄まじい密度の風を纏わせた。

 

「ここからは天狗として……本気でお相手いたします。幻想郷最速の名、伊達ではないことを見せてあげましょう!」

 

 文の背中の翼が、かつてないほど激しく羽ばたく。

 

「おまえはどっちが勝つと思う? パルスィ」

 

 勇儀は大橋の背の高い欄干に背を預けたまま、ずっと沈黙を保っていたパルスィに視線を向けた。パルスィは、乱舞する風と雷が散らす火花を冷めた目で見つめ、ふぅっと軽く息を吐く。

 

「別に。さっきも言った通り、共倒れして谷底にでも落ちてくれるのが一番だけど……。まぁ、強いて言うなら、あのうるさい方が負けて惨めな顔をしてくれると、少しはスッキリするかしらね」

「アッハハ! 相変わらず捻くれた結論の出し方だねぇ」

 

 勇儀は豪快に笑い飛ばしながらも、その眼光は戦場の中心を捉えて離さない。

 

「私としては、やっぱり新人の方に勝ってもらいたいところだが……。ちょっとばかし、風向きが変わりそうだね」

 

 勇儀の言葉通り、橋の上の空気は一変していた。

 

「……あれは」

 

 積怒の眼が、かつてない険しさを帯びて細められる。宙に留まる文が構えたのは、可楽が振るうそれと同じ形状の葉団扇。

 しかし、そこから放たれる気配は似て非なるものだった。彼女の周囲で渦巻く風は、暴力的な質量を伴う可楽の暴風とは対照的に、不気味なほどに静謐で、鏡面のように澄み渡っている。

 その異質な濃密さに、誰よりも早く、そして最も愚かに反応したのは可楽だった。

 

「おお? なんだなんだぁ?団扇など構えおって。わしの真似事か? 面白い!」

「おい可楽ッ! 勝手な真似をするなッ!」

 

 積怒の制止も虚しく、可楽は享楽的な笑みを顔面に貼り付け弾かれたように地を蹴った。石床を砕き、砲弾のような勢いで文との距離を詰める。

 それを視界の端で捉えた文は、一切の動揺を見せず、手に持った葉団扇を流麗な所作で一振りした。

 

「クッハハッ!吹き飛べッ!」

 

 可楽もまた、自身の握る巨大な団扇を、文を叩き潰さんばかりの勢いで振り抜く。

 放たれた二つの風が正面からぶつかり合い、大橋を震わせる轟音を撒き散らした。瞬間、互いの風は相殺され、衝撃波が霧を円状に吹き飛ばす。傍目には、ただの引き分けに終わった光景に見えた。

 しかし、突如可楽の足取りが急におぼつかなくなり、数歩よろめいた。そして不意に膝をついた可楽へと、積怒が視線を向ける。

 

「カ……カハ……」

 

 その口から漏れるのは、掠れた、空気の抜けるような音。

 

「なッ……!? 」

 

 驚愕に目を見開いた可楽の首は、喉仏の直下から鮮やかに切断されていた。脊椎も血管も一瞬で断ち切られ、かろうじて首の後ろの皮一枚だけで繋がった頭部が、重力に従ってだらしなく胸元へと垂れ下がる。

断面からは、噴水のように熱い鮮血が溢れ出し、大橋の石床を汚していく。

 

「驚きましたか? 私の風はあなたほど暴力的ではありませんが……そうですね、『鋭い』んですよ。あなたの風が大槌だとしたら、私の風は刀。空気の層ごと断ち切らせていただきました」

 

 文は得意げに葉団扇で口元を隠すと、目を細めてクスリと笑った。その微笑みは、先ほどまで「修理代」を求めていた駄々っ子のそれではなく、強者の顔だった。

 

「……文のやつ、風を圧縮して刃にしたのか?あんなの、並の妖怪がまともに食らったら一瞬で細切れだぜ」

 

 魔理沙が頬を引き攣らせて呟く。

 

「……おのれッ!」

 

 喜怒哀楽の鬼は分身体ゆえに首を斬られた所でなんということはないが、再生するまでには僅かだが隙ができる。文のように素早く動き回る相手では、その僅かな隙でも油断すれば致命的になりかねない。

 余裕そうに解説を挟む文に、積怒は怒りの形相を向けながら雷撃を落とす。だが、その姿は一瞬で消えた。

 

「動きが鈍ってますよ!さっきまでの勢いはどうしたんですか?」

 

 文の声が積怒の四方八方から同時に聞こえる。それはもはや残像などという生易しいものではない。

 可楽の暴風を突き破り、積怒の雷の雨をすり抜け、本体へ肉薄する場面も増える。哀絶は文から放たれる風の刃になんとか対応はするが、それでもギリギリだった。

 

「ちょこまかと……!どこに行った!?」

 

 空喜が焦燥に駆られて超音波を乱射するが、文はその振動さえも推進力に変えるかのように加速していく。

 

「積怒、奴の速度が上がっている。わしの槍でも、もはや軌道が追いきれん。それに加えてあの鋭い風だ……このままでは持たぬぞ」

 

 積怒の横に付き、風の刃を弾いて本体を守っている哀絶も、苦渋の声を漏らす。

 

「……ッ!」

 

 積怒は奥歯を噛み締めた。文の動きを目で追うのは、もう意味をなさない。

 上弦の肆である半天狗、そしてその分身体である喜怒哀楽の鬼たちは、動体視力においては元いた世界の鬼の中でも傑出したものだった。しかし、それでも追いきれない。

 射命丸文が今見せているのは、彼らの積み上げてきた常識を真っ向から否定する。幻想郷「最速」という名の絶対領域だった。

 

(一体どうやってあれだけの機動力を手に入れている……! 鬼狩り達のような呼吸か? いや、アレはそんな単純な理屈ではない!)

 

 積怒は錫杖を握りしめ、雷撃を無差別に落としながらも必死に思考を巡らせる。

 

(物理的な速度だけではない……。奴の周囲、風の密度が異常だッ!)

 

 積怒は確信した。空喜が飛行のために「軽さ」を追求しているのに対し、目の前の鴉天狗は、その華奢な体躯からは想像もつかない質量を乗せた一撃を、速度を落とさずに叩き込んでくる。

 風を操ることで、自分にかかる抵抗を無に還し、逆に敵への衝撃を何倍にも増幅させている。

 旧都で勇儀が放った、大地を揺るがす怪力。萃香が酒を迫った時にも感じた、空間そのものが収束するようなあの奇妙な引力。

 こちらが血鬼術という異能を有しているように、この世界の住人達は、理屈を超えた力を有している。

 

「……ヤツの能力かッ!」

 

 積怒は憎々しげに吐き捨てながら、目にも留まらぬ速度で旋回し続ける文の残像を睨みつける。

 

「あ、気づいちゃいましたか? でも、それが分かったところで私を捉えることができますかねぇ?」

「…………」

 

 積怒の脳裏には、一つの「究極の解決策」が明滅し続けている。喜怒哀楽の四体を一つに束ね、憎悪を具現化させた存在ーー憎珀天。

 巨大な木龍を自在に操り、物量と圧倒的な制圧力をもってこの大橋を埋め尽くせば、この場は勝ちが拾えるかもしれない。

 

(……いや、だめだ。ならんッ!)

 

 積怒は内側から突き上げてくる衝動を、奥歯が砕けそうなほどの力で噛み殺した。

 くだらない賭け事の様な場で、憎珀天という切り札を切らなくてはならないほど、この戦いに価値はない。

 何より、この場にはあの古明地さとりがいる。一度でも憎珀天の具体的な姿を脳裏に描けば、彼女の能力を通して、自分たちが隠し持っている最後の防衛手段が向こうに筒抜けになってしまう。

 それは、常に「弱者」として振る舞い、牙を隠蔽し続けてきた半天狗という鬼の生存戦略において、最大の失策に他ならなかった。

 積怒は憎珀天のことを頭から振り払うかの様に、こちらを観戦しているさとりへ声を上げる。

 

「読心妖怪ッ! 時間はあとどれくらいだッ!」

「……残り時間は、あと2分といったところかしら」

 

 懐中時計を確認するさとりの声が、喧騒を貫いて静かに届く。彼女は激しく力がぶつかり合う状況を悠然と眺めながら、どこか楽しげにさえ見える落ち着きを保っていた。

 

「……空喜! なんとしてでもヤツに喰らい付けッ!可楽! お前の風はもう役にたたんッ!こっちにきて肉の壁にでもなっていろッ!哀絶!最大火力の一突きを出せるよう準備しておけッ!」

 

 積怒は、空いたもう片方の手の平より二本目の錫杖を出現させた。可楽の風が意味をなさなくなった以上、積怒がその穴を力尽くで埋めるしかない。

 

「フンッ!!」

 

 積怒が両手の錫杖を石床に深々と突き立てた。

 瞬間、物量を増した雷の雨が、結界で区切られた橋の全域を埋め尽くすかのような勢いで落とされる。その1発1発が高電圧の槍となり、文の超高速移動を物理的に「埋め立てる」ための檻と化す。

 

「あやや……! これは流石に、羽を焦がさずには通してくれませんか!」

 

 文は空中で急制動をかけ、網の目のように空間を埋める雷撃の間を紙一重で踊る。しかし、回避に専念せざるを得ない文の動きは、先ほどまでの自由奔放なものではなくなっていた。

 

「捉えたぞォ! 鳥娘ッ!!」

 

 回避に意識を割かざるを得ない文の死角を突くように、上空から空喜が急降下した。金剛石にも勝る鋭い爪が、文の背中を引き裂こうとする。

 喜怒哀楽の鬼達は共通の細胞で肉体を構成している関係上、空喜に積怒の雷は通らない。雷を無効化して突っ込んでくる空喜は、文にとって文字通りの特攻兵器だった。

 

「しつこいですね!」

「ガッ……!?」

 

 文は空中でコマのように反転し、最小限の動きで空喜の首筋へ向けて風の刃を叩きつける。音もなく、空喜の首が胴体から離れて宙に舞う。

 だが、落下していく空喜の顔には、勝利を確信した醜悪な笑みが張り付いていた。

 

「空喜ッ!」

 

 積怒の合図と同時、首だけになった空喜が、大きく開いた口から全霊の超音波を解き放った。

 

 ーーーーキィィィィィィィィィィィッ!

 

 至近距離。回避不能。

 鼓膜を直接揺らす破壊的な絶叫が、文の平衡感覚を強引に奪い去る。

 

「……ッ!?」

 

 文の視界は歪み、制御を失った翼が虚空を掻く。一瞬、彼女がその神速を止めた、致命的な「静寂」が訪れた。

 

「哀絶ッ!」

 

 積怒の咆哮に合わせ、哀絶が槍を限界まで引き絞る。その切っ先を一点に定め、解き放った。

 

「激涙刺突」

 

 哀絶の刺し穿つ必殺の一閃が、身動きの取れない文へ殺到する。文は何とか身体を動かそうとするも、積怒の両の錫杖から放たれた雷撃が、彼女の逃げ場を完全に消失させていた。

 

「そこまでだよ」

 

 勝負が決まったと思われたその瞬間、勇儀が雷をものともせず割って入り、哀絶の槍の切っ先を素手で殴りつけた。

 ギィィンッ! と鼓膜を打つ金属音が響き、軌道を逸らされた槍の一撃が橋の欄干を木っ端微塵に砕き散らす。

 

「なんのつもりだッ! 怪力女ッ!!」

 

 決着に水を差された積怒が、雷を止めて怒声を上げた。

 勇儀は積怒の方へ視線を流すと、重いため息を吐いて口を開いた。

 

「これは殺し合いじゃないんだ。今の槍、完全にコイツの首を狙っていただろ?おまえ達に関しては体質上死ぬことはないからと止めなかったが、コイツは首を落とされたら死んじまうからね。」

 

 積怒は肩を怒らせ、依然として殺気を孕んだ目で勇儀を睨む。

 一方で、耳鳴りに顔をしかめていた文は、ようやく平衡感覚を取り戻し、冷や汗を拭いながら着地した。

 

「危ないところでした……。まさか首だけになってもアレを出せたとは……勇儀さん、助かりました」

「礼には及ばないよ。だが文、おまえも調子に乗りすぎだ。死にたくなきゃ、もう少し相手を選びな」

 

 勇儀が文を軽く窘める中、さとりが静かに歩み寄ってきた。

 

「時間はちょうど10分。文、あなたは一撃も与えられなかったし、積怒、あなたも……最後の一撃はルールを逸脱していたわね」

 

 さとりは、まだ錫杖からバチバチと雷を散らす積怒と、そしてボロボロのカメラを抱えた文を見渡した。

 

「……引き分け、ということで良いかしら?」

 

 彼女の懐中時計をパチンと閉じる音が、勝負の幕引きを告げるかのように静かに響き渡った

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