半天狗が幻想入り   作:ろんぐそーど

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第十六話

 

「あのぉー……ところで引き分けになった場合って修理代の方は……」

 

 勝負の熱気が冷めやらぬ大橋の上で、文が壊れたカメラを大事そうに抱えたまま、縋るような、あるいは一縷の望みを懸けた視線をさとりに向けた。その瞳は、特ダネを追う時の鋭さを完全に失い、ただただ悲哀に満ちている。

 さとりは優雅に歩み寄ると、いたずらっぽく、それでいて慈愛に満ちた微笑を浮かべて口を開いた。

 

「修理代を出すという話は、あなたが彼に勝った場合の話だったでしょう? 残念ながら、結果は引き分け。……もちろん、修理代はあなたの自腹よ」

「そんなぁー……! 危うく死にかけたのに……あんまりです……」

 

 淡い期待はあっさりと打ち砕かれ、文はガックリと肩を落として項垂れた。やはり修理代という現実の重みには勝てなかったらしい。

 

「いやぁ〜、良いもん見せてもらったぜ! 派手で見応えのある勝負だったな」

 

 観戦場所にいた面々が、勝負の余韻を楽しみながら歩み寄って来ていた。魔理沙は相変わらず唇を尖らせてぶつぶつと不満を呟く文の肩に手を置くと、同情しているのか面白がっているのか判別しがたい手つきで、ぽんぽんと叩いて励ました。

 一方、お燐とお空は、凄まじい殺気を放っていた喜怒哀楽の鬼たちの元へ、緊張感もなく駆け寄っていく。

 

「お疲れ様ー♪ 地上の天狗相手にあそこまでやれるなんて、流石だねぇ」

「おじいちゃんたち、かみなりビリビリーってすごかったー! 花火みたいで綺麗だったよ!」

 

 お燐が覗き込むような仕草で積怒へ労いの笑顔を向け、お空はその周りをぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねる。さとりもまた、文から視線を移し、静かに佇む積怒へと歩み寄った。

 

「お疲れ様。……どうかしら、少しは気が晴れた?」

 

 さとりは小首をかしげて問いかけた。しかし、積怒は何の反応も示さない。錫杖を握ったまま、石像のように微動だにせず、ただ前方を凝視している。

 

「……どうかした?」

「おじいちゃん、どうしたのー? 固まってるよー?」

 

 彫刻のように硬直したままの積怒に、さとりは微かな違和感を抱いた。周囲に佇んでいる他の三人も、不自然な無表情のまま動かなくなっている。

 心配になったさとりが、そっと積怒の肩に指を触れた、その刹那。

 ――パラパラと、積怒の肉体が乾いた音を立てて塵となり、崩れ落ちていく。

 

「えっ……!?」

 

 お燐の驚愕の声が響く。積怒だけではない。槍を構えた哀絶も、団扇を握った可楽も、翼を休めていた空喜も、一斉に風化するようにしてその姿を掻き消していった。塵となった彼らを、地底の風が攫っていく。

 

「ヒ、ヒィィもうダメじゃ、維持できん……。積怒の奴め、力を使いすぎじゃ……。力が出ぬ、腹も空いた……。死ぬ、わしは死ぬんじゃあ……!!」

 

 喜怒哀楽の鬼たちが完全に姿を消した後に残されたのは、元の大きさに戻った本体の半天狗だった。彼は着物を引きずり、青白い顔で石床にグッタリと這いつくばっている。

 10分間、文相手に四つの意識を同時に操り続け力を使い続けた代償は、貧弱な本体にとって、あまりにも重すぎる疲弊だったようだ。

 

「……旧都で勇義と戦った時も、似たような結果だったわね」

 

 さとりは、芋虫のように丸まって震える半天狗を見下ろし、呆れつつも、少しだけ感心したように溜息をついた。

 

「ま、文相手によく踏ん張ってあそこまで追い詰めたもんだ。おまえさんはすごいよ」

 

 半天狗の前でしゃがみ込んだ勇儀は、ニッと笑みを見せ、その背中をバンバンと叩いた。半天狗は叩かれる衝撃に合わせ、押すと音が鳴る玩具のようにヒーヒーと悲鳴をあげる。

 

「余韻に浸るのは良いけど、アンタたち、これどうするつもり?」

 

 静観していたパルスィが口を開き、惨状と化した橋の真ん中で冷ややかに辺りを見渡した。

 結界を張り、ある程度の衝撃は吸収していたはずだが、それでも二人がぶつかり合った代償は大きかった。橋の欄干は一部が吹き飛び、石床は抉られ、あちこちで燻った煙が上がっている。

 パルスィは、氷のように冷たく不機嫌な視線を、文と半天狗の間で交互に行き来させた。

 

「わ、わしは何も悪くない……! 全ては、そこの欲深い鳥娘が暴れたせいだ!わしはただ、か弱き身を守るために仕方なく、そう、仕方なく抵抗したんじゃ! 不可抗力、不可抗力なんじゃあ……!」

 

 地面に這いつくばったまま、半天狗はガクガクと頭を抱えて泣き喚いた。その姿には、先ほどまでの喜怒哀楽の面影など微塵もない。

 

「なな……ッ! そもそも、あなたの分身が私のカメラを壊さなければこんなことにはなってませんでしたよ! 全部あなたが発端じゃないですか、私に責任転嫁しないでください!」

 

 文も負けじとボロボロのカメラを突き出しながら驚愕と怒りの声を上げる。

 パルスィは深いため息を一つ吐くと、苛立ちを隠そうともせずに腕を組み、言い争う二人を遮るように声を尖らせた。

 

「どっちのせいとか、そんなのどうでもいいわよ。この大橋は旧都にとって、地上からの物資搬入にも使う重要な場所なの。この状態のまま放置されるなんて……ああ、妬ましい。何の後腐れもなく暴れられる身分が本当に妬ましいわ」

 

 パルスィの背後に、どろりとした嫉妬の黒いオーラが立ち昇る。

 

「責任をとりなさい。二人で、今日中にこの橋を元通りに修繕すること。……良いわね?」

「ええええええっ!? 修理代も出ないのに、橋の修理はさせられるんですかぁ!?」

「ヒ、ヒィィッ! わしのような老いぼれに重労働を強いるか! 鬼畜じゃ、人でなしじゃあぁ!!」

 

 絶叫する文と、さらに縮こまって震える半天狗。

 

「……まぁ、パルスィの言うことも一理あるわね」

 

 さとりはパルスィの提案を認めるように頷くと、お燐とお空の二人へ合図を送った。

 

「お燐、お空。二人を手伝ってあげてくれる?頑張ってくれるなら、あとでおやつを持ってくるから」

「了解しましたさとり様!ほらおじいちゃん。アタイたちも手伝うからさ、一緒にがんばろ?」

「わーい!おやつだー!」

 

 お燐は未だに泣き言を喚く半天狗の背中に手をやり、優しく撫でる。対するお空はおやつという言葉に目を輝かせ、早速瓦礫を片付け始めた。

 

「遊んだ後はお片付けだ。私もあとで手伝ってやるから。ほら文、おまえも頑張りな」

 

 勇儀はペタンと座り込んでいた文の襟首を掴み上げると、強引にその場に立たせた。文の足はまだ頼りなく、その手には魂が抜けたような顔で壊れたカメラが握られている。

 

「それじゃ、私はそろそろお暇するぜ。外の世界の鬼の隠し芸もたっぷり拝めたしな。じゃあな、文」

 

 魔理沙は満ち足りた表情でニカッと笑うと、愛用の箒にひらりと跨り、ふわりと宙に浮いた。

 

「どうせなら魔理沙さんも手伝ってくださいよぉ! 薄情者! 本泥棒! キノコバカ!バカバカバカーッ!!」

 

 文の悲痛な叫びを背中に受け流しながら、魔理沙は「あー、聞こえねーぜー」と手を振り、縦穴の方へ軽やかに飛び去っていった。

 

「……はぁ。カメラは壊されるし、結局修理代は自腹。おまけに後片付けまでするハメになるなんて……霊夢さんの忠告、聞いておくべきでした。……うぅ」

 

 文はトボトボとした足取りで、剥がれ落ちた石材を拾いに歩き出した。その隣では、同じく「被害者」の顔をして縮こまっていた半天狗が、お空に「おじいちゃん、こっちの石運んでー!」と急かされ、泣き言を漏らしながら作業に取り掛かっている。

 

「自業自得ね」

「……」

 

 パルスィは溜飲を下げたのか、不機嫌な表情をわずかに緩め、欄干に寄りかかった。

 隣のさとりは、お燐に励まされながら石を積む半天狗の背中に、穏やかな、しかしどこか底冷えするような眼差しを向けた後、地霊殿へと戻っていった。

 

 

 地上の空が茜色を通り越し、夜の帳が静かに下り始める頃。地底の大橋でもようやく、作業の音が止んだ。

 途中から勇義が石材を担いで合流したこと、そして何より、さとりがお菓子の差し入れと共に、半天狗へ持ってきた食事が功を奏した。

 空腹を満たし力を回復させた半天狗は、再び喜怒哀楽の鬼を顕現させ、四体の鬼がそれぞれの特性を活かしたことで作業効率は劇的に向上した。

 パルスィによる厳しい検分も経て、合格の印がでたことでその場で解散となり、お燐とお空に連れられ、半天狗もまた自らが身を置いている地霊殿への帰路についた。

 重厚な地霊殿の扉がギィと音を立てて開くと、暖かな灯りの中でさとりが静かに微笑んで出迎えてくれる。

 

「お帰りなさい。お疲れ様……あら?」

 

 労いの言葉をかけていたさとりが、ふと半天狗の姿を捉えて首を傾げた。

 いつもなら、半天狗を守る随伴者として表に出ているのは、怒り化身である「積怒」だ。本体はその積怒の肩に乗り、彼の髪に隠れて震えているのが常だった。

 だが、今そこに立っていたのは、葉団扇を握り享楽的な笑みを浮かべた楽の鬼、可楽だった。

 

「おぉここが地霊殿か! 積怒の中に混じって見てはおったが、実際ここに足を付けたのはこれが初めてだ!」

 

 バサバサと手に持った葉団扇で自身を扇ぎながら、物珍しそうに内装を見渡している可楽。その肩の上では、本体の半天狗が相変わらず「ヒィィ……」と情けない声を漏らしながら、可楽の首に必死にしがみついている。

 

「今回は積怒ではなくあなたなのね。可楽」

 

さとりが意外そうに口を開くと、可楽はケラケラと笑い飛ばした。

 

「積怒の奴、あの鴉娘との決着に水を差されたのがよほど気に食わなかったのか、修繕が終わったと見たらわしにお守りを押し付けて消えおったわ」

「意外と繊細なのかしら……彼」

「繊細というよりただの短気よ。 まあ、わしとしては自由に動き回れて儲け物じゃ」

「ヒィィ、誰でも良い、誰でも良いからわしを守ってくれ……もう戦いは、たくさんじゃあ……」

 

 可楽の肩の上で、本体は相変わらず丸くなって震えている。

 

「あら。それじゃあ今夜は、積怒の文句を聞かずに済みそうね」

 

 さとりは皮肉混じりに微笑を浮かべながら、お燐とお空にも労いの言葉をかけた。

 

「お燐、お空。二人もよく頑張ってくれたわね。……今夜は可楽も一緒に、少し賑やかな晩餐にしましょうか」

「やったー! 晩ごはんー!」

「あはは……賑やかすぎて耳が痛くなりそうだけどね」

 

 お空が歓声を上げ、お燐がやれやれと肩をすくめる。

 地底の長い一日が終わり、地霊殿にはいつもとは少し違う「楽」の空気が流れ込んでいた。

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