「……ひ、陽の光……。それだけは、それだけは勘弁してくだされ……」
半天狗は震える手で湯呑みを握り、ポツリポツリと語り始めた。
部屋の隅に隠れるようにして身を縮めるその姿は、およそ人肉を喰らう化け物には見えない。
「わしのいた世界には、『鬼』という哀れな生き物がおりました……。太陽の光を浴びれば、塵となって消えてしまう。首を斬られれば、そのまま命を落とす……。あぁ、なんと脆く、可哀想な存在か……」
「ふーん。太陽が弱点ねぇ。こっちの吸血鬼みたいなもんかしら。でも、あんたもその『鬼』なんでしょう?」
霊夢は興味なさそうに欠伸をしながら問いかけた。
「左様でございます……。わしも、その一人。何も悪いことはしておらぬのに、ただ生きているだけで、刀を持った者たちが寄ってたかってわしを殺そうとするのです。……あぁ、恐ろしい。人間とはなんと残酷な生き物か……」
半天狗は額の瘤をさすりながら、被害妄想に満ちた言葉を吐き続ける。
自らが人を喰らい、その命を奪ってきた事実は、彼の脳内では「生きるための不可抗力」か、あるいは「自分を追い詰めた周囲のせい」として綺麗に書き換えられていた。
「それで? 太陽に当たると死ぬっていうなら、明日の朝にはあんた消えちゃうんじゃないの?」
「ヒィッ! そ、そうなのです! だからお助けを! どこか、陽の当たらぬ暗い場所へ……! わしのような弱者を、どうか見捨てないでくだされ!」
半天狗は畳に額を擦りつけ、必死に懇願した。
彼は自分の内側に潜む「喜・怒・哀・楽」の分身たちのことは、おくびにも出さない。それらは彼にとっての「自衛の手段」であり、下手に手の内を見せるような真似はしない。
ただ、この巫女がまとう「底知れぬ気配」だけは、本能が警戒を鳴らしていた。
「……ま、うちは妖怪を退治するのが仕事だけど、今は夜だし、あんたが大人しくしてるなら追い出したりはしないわよ。裏の納戸なら窓も少ないし、朝になっても大丈夫でしょう」
「あぁ……ありがたや、ありがたや……。巫女様は慈悲深いお方だ……」
半天狗は涙を流して拝んだ。
(……ククッ、チョロい。この巫女、わしを哀れな老人だと思い込んでおる。ここで力を蓄え、太陽を克服する術でも見つければ……)
内心で卑屈な計算を巡らせる半天狗。しかし、霊夢はそんな彼の本性を見透かすように、釘を刺した。
「でも、一つだけ言っておくわね」
霊夢が静かに立ち上がると、居間の空気が一瞬にして凍りついた。
「この幻想郷には、あんたよりずっと強くて、ずっと性質の悪い妖怪が腐るほどいるの。もしあんたが、ここで『食事』をしようなんて考えたら、その時は太陽を待たずに、私が塵にしてあげるから。わかった?」
「ヒ、ヒィィィィッ!! 滅相もない! わしのような弱者が、そんな恐ろしいことッ!!」
情けなく腰を抜かして震え上がる半天狗。
その恐怖の波紋に呼応するように、彼の体内で「積怒」が不快そうに舌打ちを漏らしたが、まだその姿が表に出ることはなかった。
翌朝、博麗神社の納戸。
半天狗は、雨戸の隙間から差し込むわずかな日差しにさえ悲鳴を上げ、部屋の隅の暗がりに這いつくばっていた。
「ヒィィッ……! 外が明るい、明るいッ! 殺される、わしは殺されるんだァ!!」
その様子を、朝食を終えた霊夢が縁側から冷めた目で見つめていた。
「あんたね、いつまでそうしてるつもり? うちにずっと居座られても困るんだけど」
「お、お助けをォ! 外にはあの恐ろしい太陽が……! どこか、どこか永遠に夜が続くような場所へ、わしのような弱者を隠しては下さらぬか……!」
半天狗は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、床を叩いて訴える。その姿は一見すれば同情を誘う老人のものだが、霊夢の目には、その奥に渦巻く「自分さえ良ければいい」という傲慢な自己愛がはっきりと見えていた。
(……この爺さん、反省もクソもないわね。自分の非を全部外に押し付けて、守られることだけを当然だと思ってる。まともに相手をするのも馬鹿らしいわ)
霊夢はお祓い棒で肩を叩きながら、ふと思いついた。
「んー……そうね。あんたにぴったりの場所があるわ。太陽も届かない、あんたみたいな『鼻つまみ者』たちが吹き溜まってる、暗くて温かい場所がね」
「ほ、本当ですか!? そこへ行けば、わしを虐める者はおりませぬか!?」
「ええ、みんな個性的で楽しい連中よ。根性ひん曲がった奴を叩き直すのが趣味みたいな連中もいるしね」
その瞬間、霊夢の口角が少しだけ意地悪く上がった。
霊夢が提案したのは、かつて地獄の一部だった場所――旧地獄・地底である。
そこは地上を追われた妖怪たちが暮らす無法地帯。そして何より、嫉妬や恨み、業の深い魂がうごめく「地下の世界」だ。
半天狗を置いてしばらく時間を置いた後、霊夢は半天狗を大きな風呂敷に詰め込み、妖怪の山麓の縦穴へと向かった。
「ひ、ヒィィ! 揺れる、揺れる! 乱暴にしないでくだされ、わしは骨も脆い弱者……」
「うるさいわね、少しは我慢しなさい」
霊夢はそのまま地下深くへの縦穴を下り、旧地獄の街道へと降り立った。
風呂敷から解放された半天狗は、目を開けて驚喜した。そこには空を覆う岩盤があり、毒々しくも美しい燐光が街を照らしている。太陽の気配は微塵もない。
「あぁ ここだ、こここそがわしの安住の地……!」
「良かったわね。じゃあ、案内人は呼んであるから。……おーい、お燐!」
「はーい! 呼んだかい、霊夢?」
背後から、二本の尻尾を持った火車――お燐が、死体運搬用の手押し車を引いて現れた。
「そのお爺ちゃんが新しい『お客さん』? ずいぶんと重たい業を背負ってるねぇ」
「ええ。地上のルールが通じない困ったちゃんよ。とりあえず、さとりのところに連れて行ってあげて。心の中を全部暴いてもらえば、少しは自分の異常さに気付くんじゃない?」
「ヒィッ!? 心を……暴く……!?」
半天狗の顔が引きつった。自分の醜い本性を、何より自分自身から目を逸らしてきた彼にとって、それは太陽の光よりも恐ろしい宣告だった。
「さあ、お爺ちゃん。地底の住人はみんな『はみ出し者』だけど、嘘つきだけは嫌われるよ。ゆっくり可愛がってあげるから、おいでおいで♪」
「待て! 待ってくれ! わしは弱者だ! 虐めるな、わしを虐めるなァァァ!!」
泣き叫びながらお燐に引きずられていく半天狗を見送り、霊夢はふぅ、と溜息をついた。
「あいつ、さとりの『眼』を見たら、何分で根を上げるかしら」
地底の熱い風が、半天狗の悲鳴を飲み込んでいった。