半天狗が幻想入り   作:ろんぐそーど

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第二十四話

 

「あの怪力女、またわしをくだらぬことに付き合わせおって!」

「来る日も来る日も、旧都の連中の理不尽な要求ばかりじゃ……」

 

 夕暮れ時の地霊殿。玄関扉を力任せに開け放ち、乱暴な足取りでホールへ踏み込んできた積怒が、苛立たしげに錫杖の音を響かせた。

 その肩上にいる半天狗も泣き言を喚きながら彼に同調し、枯れ枝のような指をさらに積怒の髪へ食い込ませている。

 

「わしらの尊厳を蹂躙し、不快な感情を積み上げさせ、ここの連中は毎日毎日毎日毎日……不愉快極まりないッ!」

 

 怒号と共に積怒が錫杖を突き立てると、先端の遊環が激しく鳴り響き、迸った衝撃波がホールの空気をビリビリと振動させた。

 

「ちょっとちょっと、何の騒ぎ……て、積怒の旦那?」

 

 騒ぎを聞きつけダイニングの扉から慌てふためいた様子で飛び出してきたのはお燐だ。

 夕食の支度の最中だったらしく、割烹着に身を包み、手にはお玉を持ったままというあまりに生活感溢れるその姿は、修羅のような形相で立っている積怒との間に奇妙なコントラストを生み出していた。

 

「今日は勇義の姐さんと旧都の見回りって言ってなかったっけ?帰ってくるのが聞いてた話より早い気がするんだけど、どうかしたのかい?」

「どうしたもこうしたもあるものか!見回りを言い訳に朝から何件も飲み屋をハシゴしおって、馬鹿馬鹿しくて付き合ってられんわッ!」

「あー……」

 

 お燐は思わず苦笑いを浮かべ、猫耳をぺたりと伏せた。勇儀の「見回り」が実質的に「ハシゴ酒のパトロール」であることを地底の住人で知らぬ者はいないが、地底に来たばかりの彼らがそれを把握しているはずもない。

 体質的に普通の飲食ができない積怒にとっては、タダでさえ乗り気でない見回り(飲み歩き)など、己の神経を逆撫でするための拷問でしかなかったのだろう。

 結果的に堪忍袋の緒が切れ、見回りを途中でほっぽり出して帰ってきたらしい。

 

「それで、 姐さんはまだ飲んでるの?」

「知るかッ!『次の一軒で最後だ』と何回言った!? その度に別の店から別の馬鹿共が湧いて出てきたかと思えば、挙句に殴り合いを始めおった! よくもまあ、あの体たらくで今日まで旧都を維持できたものだな!」

「あはは……それは大変だったね」

 

 お燐はなだめるように半天狗の様子を伺う。積怒の激しい憤りに呼応して、本体である半天狗の顔色は土色を通り越し、今にも心臓が止まりそうなほどに引き攣っていた。

 

 女苑が命蓮寺に帰還してから早一週間。半天狗は以前さとりから提案された「やりたいこと探し」の社会見学の続きとして、旧都の住民との交流を嫌々ながら試みたのだが、それが完全に裏目に出る。

 最初こそ地底の「新人」として歓迎されていたが、煽られれば乗せられてしまう積怒の短気さと、何をされても悲鳴を上げるだけで反撃してこない半天狗の臆病さが、旧都の住人たちの悪い癖を刺激した。

 いつの間にか彼らは「地底の何でも屋」のような扱いを受け、良く言えば頼りにされているのだが、実態はただの「都合の良い使い走り」という、本人が最も望まない立ち位置に収まりつつあった。

 

「どいつもこいつも良い加減にしろ……!わしは、無惨様に認められた上弦の――」

 

 己の誇りを誇示しようとした叫びは喉の奥でつっかえ、積怒は血が滲むほどに奥歯を噛み締める。

 元の世界であれば、上弦と聞けば鬼殺隊の鬼狩り共は絶望に伏し、同胞の鬼ですらも畏怖の念を自分に向けていた。

 しかし、この幻想郷においてその肩書きは空虚な響きしか持たない。何故なら、そもそもここには自分と同じ意味での鬼が存在した過去がないことに加え、上弦に匹敵しかねない化け物や、概念そのものを操る神のごとき存在が平然とそこらを闊歩しているからだ。

 半天狗が見てきた例で言うなら、前者は星熊勇義が、後者は依神女苑がそれに当て嵌まるだろう。それにあの聖白蓮という女も、あの時は終始笑顔を浮かべていただけだったが、その佇まいから只者ではない人物だと直感で感じ取っていた。

 

「……初めて見た時から気になってたけど、旦那の両目って黒目が文字の形になってるよね?上弦ってそれと関係ある話?」

 

 言葉を詰まらせた積怒に、お燐は首を傾げながら無邪気な問いを投げかけた。その純粋な瞳には、彼が元の世界で向けられていた「上弦」という位への畏怖など微塵もなく、ただ、積怒の両目に刻まれた文字に対する好奇心だけが宿っている。

 

「………ッ!」

 

 積怒は錫杖を握る手に力を込めた。血管が浮き出し、錫杖から発せられる雷がバチっと音を立てて周囲の空気を焦がす。お燐が「わわっ」と驚いて一歩身を引くが、積怒の怒りは彼女個人へ向けられたものではなく、この「幻想郷」という世界の理そのものへの拒絶だ。

 

「積怒、地下へ行ってくれぇ……。はよう、はよう……」

「言われずとも分かっている!」

 

 耳元で小さな悲鳴を上げている半天狗の言葉を受け、積怒は吐き捨てるように言い放つと、お燐の横を荒々しくすり抜ける。

 

「お燐、少し良いかしら」

 

 地下へと続く通路へ足を向けようとした所で、ホールの反対側から静かな、しかし確かな存在感を伴った声が響く。

 

「さとり様、どうかしたんですか?」

 

 古明地さとり。

 積怒が最も嫌悪し、最も警戒している「読心」の主。自分が呼び止められたわけではないことは分かっていたが、積怒は反射的に足を止め、振り向いた。そして、お燐の肩越しに彼女と目が合う。

 

「半天狗たちも一緒に居たのね、丁度良かった。お燐と、あなたにも話があるの。書斎まで来てくれるかしら」

「……何の用だ、わしは今虫の居所が悪い。くだらん用件なら、その頭をかち割るぞ!」

「ヒィィ!! 読まれる、全部読まれてしまうぅ……!」

 

 積怒は威嚇するように錫杖を床へ一突きした。

 だが、剥き出しの殺意もさとりの前では虚勢に過ぎないのか、動揺を微塵も感じさせない態度で、彼女は応じる。

 

「あなたが怒っているのはいつものことだし、今更気にしないわ。子供じみた自己憐憫を一々解剖するほど私も暇ではないから、安心しなさい」

「貴様ぁッ……!!」

 

 怒号を上げた積怒だったが、さとりは既に背を向け、悠然とした足取りで廊下の奥へと消えていった。後ろに回り込んだお燐に「ほらほら!」と背中を押されながら、積怒は煮えくり返る怒りを抑え込み、重い足取りでさとりの後を追う。

 

 

 書斎の扉を開けると、そこには既にテーブルを挟んだソファーに腰を下ろしたさとりが、卓上に中規模の箱を一つ置いて待ち構えていた。

 

「二人とも、座って頂戴」

「……さっさと用件を言え。おまえのその眼に見られているだけで、内臓を素手で掻き回されているような不快感が込み上げてくる」

 

 積怒はソファーに沈むことを拒んで立ち尽くし、お燐は彼へ苦笑を浮かべながらさとりの正面に腰掛けた。

 

「それでさとり様、お話って? 夕食の前になんて珍しいですね。しかも、お爺ちゃんも一緒だなんて」

「そろそろ騒がしい旧都に飽き飽きしている頃だと思ってね。一つ、『おつかい』を頼もうと思っているの」

 

 期待と不安の入り混じった声でお燐が尋ねると、さとりは箱の蓋をゆっくりと開ける。

 

「これって……鉱石ですか?」

「ええ」

 

 箱の中には、地底で採掘されたのであろう、青黒い鉱石がいくつか収められていた。結晶の表面には複雑な模様のような筋が走り、時折、内部からは微かな輝きを放っている。

 

「『灼熱の地底石』?アタイが見たことある物よりずっと冷たくて、重たい感じがしますね」

 

 お燐が興味深げに身を乗り出すと、さとりは静かに頷き、その中の一つを積怒の方へ差し出す。

 

「地底の深層に近い場所で見つかったらしいわ。用途は加工次第で様々なのだけど、採掘できる場所の関係上、地上では高値で取引されているのよ」

「それがどうした。まさかもっと採ってこいと、わしに鉱夫の真似事でもさせる気か?」

 

 積怒は忌々しげに目を細めて鉱石を彼女へ投げ返したが、さとりは動じることなくそれを受け止め、首を横に振った。

 

「いいえ。実はこれ、数ヶ月前に紅魔館の魔法使いから欲しいと頼まれていた物なの」

「魔法使いって……あの本ばっかり読んでる魔女のことですか?」

 

 お燐が記憶を辿るように言うと、さとりは手元の鉱石を箱に収め直しながら肯定する。

 

「パチュリー・ノーレッジ。彼女が魔法の研究用に使用したいから、質の良い物がないかって私に話があって。本当は私が直接紅魔館へ届けようと思っていたのだけど、生憎と今日は仕事で手が離せそうにないから……そこで」

 

 言葉を区切ったさとりは、目の前の二人を見据えた。

 

「二人には、私の代わりにこれを紅魔館まで届けて欲しいの」

「紅魔館……」

 

 積怒の脳裏に、以前温泉街で伊吹萃香から聞かされた話が蘇る。運命を操る吸血鬼、そして、自分に興味を示しているという傲慢な主。

 あの酔っ払いの言葉が真実だとするならば、この依頼は単なる使い走りではない。向こうからすれば、願ってもない「獲物」が自ら首を差し出しに来るようなものではないのか。

 

「なぜわしが会ったこともない吸血鬼の所にまで出向いて、石ころを運ばねばならんのだ! 」

「あら、不服?これはあなたの本体である、半天狗のためにもなる話だと思うのだけど」

「……どういう意味だ」

 

 積怒の低く、鋭い問いに対し、さとりは表情一つ変えずに続けた。

 

「レミリア・スカーレットはあなたと同じく日の光を弱点とする吸血鬼。会って言葉を交わしてみれば、克服とまではいかなくとも、日光に対抗できる何かが得られるかもしれないわよ」

「ッ!!」

 

 積怒の動きが止まったと同時に、彼の髪の中に身を隠していた半天狗が、さとりの言葉に弾かれたように顔を出す。その赤い瞳には、臆病な猜疑心と、それを上回るほどの強烈な「渇望」が混濁している。

 日光の克服は『こちら側の鬼』にとっての悲願であり、あの鬼舞辻無惨が何よりも求めていたものだ。もし、その吸血鬼が日の下を歩く術、あるいはそれに準ずる知恵を持っているのだとしたら……。積怒の胸中で、拒絶と好奇が激しくせめぎ合う。

 

「もっとも、共通点はあっても種としての理は違うから、必ずしも望む結果が得られるとは限らないけれど。でも、旧都の酔っ払い相手にイライラして一日を終えるよりは、建設的な時間の使い方だと思わない?」

 

 積怒はテーブルの上に置かれている鉱石が入った箱をじっと見つめた。

 心の内を見透かしたさとりの発言自体は気に食わなかったが、確かに一理あると納得の置ける話ではある。

 

「日光! 太陽の下を歩けるというのか!? もし、もしわしがそれを手にすれば……あのお方は何と仰る……!!」

 

 積怒の耳元で、半天狗が期待と歓喜の入り混じった独り言を吐き散らす。相変わらず声こそ震えていたが、それは怯えの感情ではなく、魂を揺さぶる底なしの飢餓感から来るものだった。

 

「良かったじゃん!運が良ければ太陽の下で日向ぼっこできるようになるかもしれないよ?」

 

 お燐が、彼らの渇望を知ってか知らずか、能天気な声を上げる。しかし、その無邪気な振る舞いこそが、逆に彼の迷いを断ち切った。

 積怒は乱暴な手つきで箱を掴み取り、鼻を鳴らす。

 

「良いだろう、紅魔館へ行ってやる。だが勘違いするな、わしはおまえの命令に従うつもりはない。その吸血鬼が価値のある情報を持っているかどうか……それを確かめに行くだけだ」

「それで構わないわ。お燐、あなたは道案内をお願い。紅魔館側には『今夜伺う』と話は通してあるけれど……彼らがトラブルを起こさないよう、見ていてあげてね」

「任せてくださいさとり様! よし、ご飯食べたら早速出発しよっか!」

 

 お燐が弾んだ声を上げ、ダイニングへ戻ろうと足早に去っていく。

 積怒は手元にある箱の重みを感じながら、依然としてこちらを見据えているさとりに、不機嫌な視線を向けた。

 

「……随分と手回しの良いことだな。わしが首を縦に振ることを、まるで最初から確信していたようだ」

「そちら側の鬼が持つ、日光という抗いようのない絶対的な死。それを天秤に掛けてしまえば、あなたの中に答えは一つしかないもの」

 

 さとりは胸元のサードアイを優しく撫で、静かに目を閉じる。

 

「要するにあの猫娘は監視で、石運びはわしを紅魔館へ行かせるための建前に利用したということか。こっちの足元を見おって、どこまでも憎たらしい女だ……!!」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 そう言って意地の悪い微笑を浮かべたさとりへ舌打ちをし、積怒は書斎を後にした。背後で扉が閉まる音ですら、今は自分を嘲笑っているかのように聞こえる。

 不快であることは確かだが、日光に抗うための鍵が見つかるかもしれないとなれば、ここで身を退く選択肢はない。

 

「日光さえ克服できれば、わしはもう、太陽に怯え、震えて暮らさなくて済む……あのお方にも、最高の手土産になる!元の世界に戻る価値も生まれる……きっとわしを特別だと認めてくださるに違いない。ヒヒッ、ヒヒヒッ!」

「 まだそうと決まったわけではない、早合点するな!」

 

 よだれを垂らさんばかりに呟いている半天狗へ喝を入れた積怒だったが、その浅ましいまでの期待感は分け身である彼にも影響し、煮えたぎるような屈辱と同時に、それと同等の「熱」を帯びさせていた。

 レミリア・スカーレットが日光を克服する術を持っているのなら、奪い取ってでも必ず手に入れる。それが「上弦の肆」としての自分の役目だと、積怒は錫杖を握りしめた。

 

 

 それから数十分後。

 手早く食事を済ませた半天狗は、積怒を伴ったまま地霊殿正門前にて、お燐を待っていた。

 

「お待たせー! お空が一緒に行きたいってごねちゃってさ。説得するのに時間掛かっちゃった」

 

 地霊殿の大きな門を開けて現れたお燐は、軽やかな足取りで駆け寄ってくる。夕食の時の割烹着姿から一転、いつものリボンをあしらった黒いワンピースを纏い、手には使い古されたランタンを持っていた。

 

「遅いッ! 待たされるのはわしが嫌うことの一つだと、その足りぬ頭に刻んでおけ!」

 

 積怒は苛立たしげに錫杖を鳴らす。その声は普段よりも一層低く、張り詰めていた。彼が右脇に抱えている箱の中には紅魔館への届け物である地底石が収められているが、積怒にとっての真の目的は、その先にある「情報」だ。

 

「ごめんごめん。さ、行こっか!」

 

 慣れた手つきで積怒の怒りをいなすと、お燐は旧都へ続く階段へと足を向け、先を歩く。

 

「それにしても、積怒の旦那はずっと怒ってるねえ。たまには肩の力抜かないと、血圧上がって倒れちゃうよ?」

「やかましい!わしはそもそもがそういう存在だ!おまえ如き獣畜生に、どうこう指図される筋合いはない!」

「それは分かってるつもりだけど、ずっと何かに怒ってなきゃいけないなんて、アタイからすればちょっと損してる気がしちゃうな。たまには可楽の旦那みたいに笑ってみたりしても良いんじゃない?」

 

 お燐は階段を軽快に下りながら、自分の後ろに続く積怒へと悪戯っぽく片目を瞑った。

 

「よりにもよって、わしにあの能天気な阿呆の真似をしろと言うのか! 断じてお断りじゃ!」

 

 積怒が階段に錫杖を叩きつけると、一筋の雷が段差を這い、お燐の足元でバチっと弾ける。

 しかし、彼女は驚くどころか肩をすくめるだけで、一向に怯える様子はない。

 

「はいはい冗談だよ。でも、怒るにしてももう少し勢いを抑えてくれないと困るよ?紅魔館の吸血鬼は、旦那の気の短さに引けを取らないくらいわがままなんだから。アタイ、板挟みになるのは嫌だからね」

 

 わがままな吸血鬼。

 他者の都合など知らぬ存ぜぬで、己の欲望と気まぐれだけで引っ掻き回す傲慢な存在。本体である半天狗と同様、それは喜怒哀楽の鬼にとって、元の世界で仕え続けてきた鬼舞辻無惨の影を想起させるものだ。

 彼から与えられた血を色濃く宿しているからなのかは分からないが、一時は恐怖の支配から解放されたと喜んでいたものの、今も彼らの思考の根っこには、無意識的に主への忠誠が居座っている。

 数百年という長い時間、無惨の機嫌一つで生死を握られてきた半天狗たちにとって、幻想郷の住人が語る「自由」や「わがまま」は、どこまでも底が浅く滑稽に映った。

 

「遂にこの時が来た……!わしを追い回した鬼狩りどもめ。太陽の下さえ歩ければ全員血祭りにしてくれる……ああ、楽しみじゃ……ヒヒ……ヒヒヒッ!」

 

 積怒の耳元で半天狗が口元を醜く歪め、笑っている。さとりから紅魔館の話をされてからずっとこんな調子だ。ニタニタと気持ちの悪い形相で期待を垂れ流す半天狗の独白を、積怒は無表情のまま聞き流す。

 

「日光を浴びて塵にならぬ身体……そんなものが、本当に存在するのか」

 

 不意に口から零れたそれは、己の疑念を問い質すための自問自答に近かったが、前を進んでいるお燐が彼の独り言を拾い、考え込むようにして答えた。

 

「アタイも詳しくは知らないけど、紅魔館の吸血鬼が昼間に日傘を差して外を歩いてる所は何度か見たことあるよ。でも、弱点から身を守るって感じよりかはもっと普通っていうか……。お爺ちゃんや旦那たちみたいに、太陽から必死に逃げ隠れしてるって印象はないんだよね」

 

 「逃げ隠れ」という言葉に積怒は不快げに眉をひそめる。しかし、お燐の言わんとすることは残酷なまでに本質を突いていた。

 恐怖によって隠れるのではなく、不都合を避けるために日傘を差す。それは「生存のための執着」ではなく、単なる「生活の工夫」に過ぎないのではないか。

 その決定的な精神性の違いに、積怒は認めがたい嫉妬を覚えた。

 

「おい、猫娘。紅魔館はここからどれほど離れている」

「縦穴覚えてるでしょ?この前地底を案内した時に見せた、大橋の先にあったあれだよ。あそこを登っちゃえば、そこまで距離はないかなあ」

 

 お燐の話を聞きながら階段を下り終え、一行は旧都の騒がしい街並みに入る。

 漂ってくる酒の香りと、妖怪たちの野太い笑い声。石畳を踏み鳴らす足音。積怒はその喧騒の中を、まるで汚物の中を歩くような面持ちで進んでいた。

 

「旦那、顔が怖いよ」

「ここはいつ来てもわしを不快にさせる……腹立たしい!」

 

 酔っ払った妖怪が千鳥足でお燐にぶつかりそうになると、彼は無意識に錫杖を突き立て、地を這う雷で威嚇する。

 

「もう、そうやって殺気を振りまくから逆に目をつけられるんだよ。ほら、さっさと抜けちゃお?」

 

 お燐は積怒の腕を強引に引き、路地裏のショートカットへと滑り込む。

 

「気安くわしに触るな!」

「嫌なら一々周りに噛み付かないの!キビキビ歩く!」

 

 触るなと言いながらも、積怒は振り払う力が自分に欠けていることを悟っていた。正確には、やろうと思えば振り払える力はある。

 しかし、お燐の言う通り一々酔っ払いどもに構っていては、夜が明けるどころか「紅魔館」に辿り着く前に己の神経が焼き切れてしまう。彼女の言い分には理があると判断した積怒は、渋々ながらもお燐に引かれるままに旧都の入り組んだ路地を足早に抜けていった。

 

 そうしてしばらくしてから旧都を抜け、地底の巨大な裂け目に架かる「大橋」の上を渡っていた、その時だ。お燐が突然振り返ったかと思うと、人差し指を立てて口を開く。

 

「……そろそろパルスィが出てくると思うけど、絶対に、ぜーーったいに喧嘩しちゃダメだよ?」

 

 その表情はこれまでにないほど真剣な顔つきで、積怒へ言い聞かせるように念を押す。彼とパルスィの初対面時のピリピリした現場をお燐も見ていたのだから、まあ当たり前の牽制だろう。

 あの時は勇義が場を上手く纏めてくれたおかげで丸く収まったが、そうでなければ彼とパルスィがぶつかっていた可能性は否定できない。

 

「あの陰気な女か。釘など刺さなくとも、奴とマトモに取り合うつもりなどわしにはない」

 

 積怒は一瞬不機嫌に眉間の皺を寄せたが、わざわざ自分から面倒事に首を突っ込むほど酔狂ではない。今の彼にとって、紅魔館へ向かう道中にある障害はすべて、忌々しい「遅延」でしかなかった。

 

「そう?ならいいけど……あ」

 

 お燐が視線を先へ向けると、橋の欄干に身を預けてぼんやりと佇んでいる水橋パルスィの姿があった。

 最後に会った時と変わらない、ドロドロとした暗いオーラを纏わせそこにいた彼女は、一行の気配に気付くなり、無表情なままこちらへ歩み寄ってくる。

 

「お燐じゃない。こんな時間にこっちに来るなんて珍しいわね……仕事?」

「あーうん、そんな感じかな。さとり様におつかいを頼まれてさ、ちょっと地上にね」

「ふーん……」

 

 お燐が努めて明るい声で応じるが、その視線はすぐに彼女の横を無言で通り過ぎようとする積怒へ向けられ、パルスィの瞳には冷ややかな光が宿った。

 

「最近調子はどう?『地底の何でも屋』さん」

「…………ッ!」

 

 パルスィの口から放たれたその言葉は、積怒が最も触れられたくない、この一週間の屈辱を煮詰めたような一言だった。足が止まり、握りしめた錫杖の遊環が彼の怒りを代弁するように激しく打ち鳴らされる。

 

「聞こえてない?旧都の連中から聞いたわよ。頼めば悲鳴を上げて何でも代わりにやってくれる『便利な奴ら』だって。あれだけ私に啖呵切ってた癖に、使いっ走りに落ちぶれるなんて……滑稽で笑えるわね」

 

 瞬間。そこまで言い終えたと同時に、積怒の錫杖から放たれた雷がパルスィの真横で爆砕し、轟音を伴って石瓦礫を打ち上げた。

 

「その薄汚い口を閉じろ。次は当てるぞ」

 

 積怒の瞳は激しい怒りと不快感を湛えて揺れ、肩をワナワナと震わせている。

 だが、パルスィは顔色一つ変えない。それどころか、彼の放つ殺意を深呼吸するように吸い込み、愉悦に満ちた歪な微笑を浮かべた。

 

「当てれば良いじゃない。そうやってすぐに感情を爆発させて八つ当たりできるんだから、あんたは楽で良いわよね」

「死ね!」

 

「ストーーーーーーップ!!」

 

 錫杖を振り上げようとした積怒の腕にしがみ付いたお燐が、大きく声を張り上げた。

 

「喧嘩しちゃダメだって言ったでしょ! パルスィも、態々火に油を注ぐようなこと言わないで!」

 

 お燐は積怒の左腕を全力で押さえ込みながらパルスィを睨みつける。

 だが、組み伏せられんばかりの勢いでお燐に止められている積怒を、あろうことかパルスィは嘲笑うような目で見つめ続けた。

 

「『やりたいこと探し』だったかしら?でも現実はこれ。旧都の連中に良いように顎で使われるだけの繰り返し。まさかあんたに自分から首輪を掛けて犬になる趣味があったとはね」

「貴様ぁああああああ!!」

「パルスィ良い加減にして!旦那、行くよ!!」

 

 お燐が積怒の腕を抱え込み、強引に彼を前方へと引きずり出す。パルスィとの距離を引き剥がすその力は、普段の彼女からは想像もつかないほど重く、鋭かった。

 

「放せ猫娘!奴の首をへし折ってーー」

「さとり様からのおつかいのこと忘れてないよね?届け物の鉱石が割れたりしたらどうすんのさ!」

 

 お燐は積怒の抗議を完全に無視し、彼をズルズルと引っ張りながら大橋を全力で駆け抜ける。

 積怒は何度も振り返っては眼光だけで八つ裂きにせんばかりの殺意をパルスィへ向けたが、お燐の火事場の馬鹿力とも言える牽引に、不本意ながらも足を進めるしかなかった。

 

 

 

「……ほら、さっさと上に上がっちゃお」

 

 パルスィの毒言から逃げるように大橋を渡りきったところで、お燐はようやく積怒の腕を放す。見上げる視線の先には、地上へと続く巨大な縦穴が上へ伸びている。

 積怒は乱れた着物を乱暴に整えると、パルスィがいた背後の大橋を忌々しげに睨みつけた。

 

「あの女……殺してやる!絶対に許さん!」

「もう良いって。ああなったパルスィは止まらないんだから、相手にするだけ時間の無駄だよ」

 

 お燐は積怒の背中を優しくポンポンと叩くが、彼の怒りは収まるどころか、腕に力が入りすぎて抱えている箱がミシミシと悲鳴を上げている。

 

「お、終わったのか……?あの女は……わしは助かったのか……?」

 

 気配を殺していたのであろう半天狗が、積怒の髪から恐る恐る顔を覗かせた。

 今こんな調子で、このあとレミリア・スカーレットに彼を会わせても本当に大丈夫なのだろうか。お燐はため息を吐きながら、縦穴に設置された昇降機へと積怒を促す。

 

「これに乗って。地上まで一気に行くよ」

 

 積怒は無言で昇降機に足を踏み入れたが、その瞳には依然として怒りの火が灯っている。

 ガタガタと音を立てて昇降機が動き出しゆっくりと上昇し始めると、お燐は暗い縦穴を見上げながら口を開いた。

 

「パルスィが言ったこと、あんまり気にしなくて良いよ。旦那たちが地底でできることを探そうとしてくれてるのは嬉しいし、さとり様もちゃんと見てくれてるからさ。『便利』って言葉の選び方自体は失礼だなーとは思うけど、それは旦那たちの力を認めてることの裏返しでもあるんだよ?」

「慰めのつもりか……くだらん。わしがおまえたちに認められようと、そんなことに価値などない」

 

 積怒は吐き捨てるように言い、昇降機の鉄床に錫杖を突く。

 不安定に揺れる足元と、周囲を包む土臭い匂い。上昇するにつれて、地底特有の重苦しい空気が少しずつ薄まり、代わりに地上の月明かりが上から降りてくる。

 

 そして数分後、昇降機は重たい音を立てて停止した。積怒の全身を撫でたのは、地底の淀んだものとは違う、涼やかな澄んだ夜風だった。

 

「着いたよ! ここから少し歩けば霧の湖が見えてくるからね」

「空気がうまい……ヒヒッ、日の光のない夜の空気は最高じゃ!」

 

 半天狗が積怒の肩で狂喜の声を上げ、縮こまっていた体を精一杯伸ばした。

 地底とは対照的に、地上の夜風は木々のざわめきと土の香りを運び、彼の本能を心地よく刺激する。積怒もまた、不快げな表情こそ変えないものの、視界に広がる広大な月夜の風景に、僅かながら昂りを感じていた。

 

「……地上」

 

 踏みしめた土の感触は地底のそれよりも柔らかい。元の世界で幾度となく狩場として見慣れてきた夜だが、この幻想郷の夜はどこか不思議なほどに静謐で、彼らが知る凄惨なものとは別の顔を持っている……そんな奇妙な感覚が肌を走った。

 

「さ、こっちだよ旦那! 迷わないようについてきて!」

 

 お燐がランタンを振り、暗闇の中を先に歩く。彼女の足取りは驚くほど軽く、まるで散歩にでも出かけるかのような無防備さだ。

 その足取りに誘われるように、積怒もまた、青白い月明かりの奥へと足を踏み入れた。

 

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春風先生の作品に触れて唐突に書きたくなった小説です。▼ナツキ・スバルの人生上映会をいせかるのスバル陣営を除く3つの陣営に見せる内容です。▼


総合評価:14884/評価:8.62/連載:66話/更新日時:2026年05月21日(木) 00:00 小説情報

アラスター、幻想入りする(作者:まったり愛好家)(原作:東方Project)

電波の向こうの皆さんにも、無事に届いているでしょうか。▼そうでしたら、何よりです。▼悪魔ではない皆さん、初めまして。▼あるいは、お久しぶりですね。▼私はハズビンホテルの管理人を務めています、アラスターと申します。▼また、地獄でラジオパーソナリティとして活動していおります。▼今回は少し趣向を変えまして、▼私自身が体験した、少し不思議な出来事を、▼物語という形で…


総合評価:291/評価:9.67/連載:15話/更新日時:2026年01月10日(土) 19:48 小説情報


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