誰が焔を終わらせたか 〜覇王と影の戦記〜   作:スザキトウ

3 / 5
第2話 瓦礫の市場

 朝は少しだけ慌ただしかった。

 

 支度を整え、袋の中身を確かめる。干し肉は少量だが質は悪くない。父が用意したものだ。塩と布、それに油。覚えるほどの数ではないが忘れないよう、頭の中で順に並べた。

 

 戸口で靴を履いていると、ミアが近づいてきた。まだ眠そうな顔だが、もう着替えている。

 

「町、行くんだよね」

 

「うん。昼すぎには戻ると思う」

 

「じゃあ……」

 

 ミアは一瞬だけ考えてから言った。

 

「赤い飴、あったら」

 

「売っていれば、ね」

 

「うん。なくてもいい」

 

 そう言ってすぐに引っ込めた。欲しいとも、欲しくないとも言わない。いつものことだ。

 

 父は少し離れたところに立っていた。荷の結び目を一度見ただけで、何も言わない。

 

「行ってきます」

 

 アルがそう言うと父は短く頷いた。

 

「気をつけるんだぞ」

 

 それだけだった。

 

 母は何も言わず、水筒を差し出す。

 アルは受け取り、袋にしまった。

 

 家を出ると朝の空気がまだ冷たい。畑の向こうで森が静かに待っている。いつもの道だ。歩き慣れた道。

 

 背後でミアの声がした。

 

「早く帰ってきてね」

 

「わかった」

 

 振り返らずに答える。

 

 家はすぐに視界から消えた。

 森へ続く道を歩きながらアルは歩調を変えない。

 

 町へ行くだけだ。

 

 町に入ると音が一気に増えた。

 

 呼び声、笑い声、荷を運ぶ音。

 森の中とは違い、どこを向いても人がいる。視線を向ける先を選ばないと置いていかれそうだった。

 

 アルは人の流れに身を任せ、通りを進む。

 露店が並び、色と匂いが混ざっている。焼いた果実、油の匂い、甘い菓子。家では嗅がない香りだ。

 

 干し肉を売る前にいくつかの露店を覗いた。

 買うつもりはない。ただ見るだけだ。

 それでも足が自然と止まる。

 

 ここに来ると時間の進み方が違う。

 

 ようやく干し肉を並べるとすぐに声がかかった。

 値は少し低いが構わない。やり取りそのものが嫌ではなかった。

 

「今日は早いな」

 

 顔見知りの商人が言い肉を確かめる。

 

「数が少ない」

 

「質はいいはずですよ」

 

 銀が置かれ袋が軽くなる。

 

 干し肉が売り切れ、もう一つの用のためにアルは通りを戻った。

 

 目当ての露店を見つけて商品を覗き込む。

 塩の袋は並んでいるがどれも小さい。

 値札を見る。以前より高い。

 

 一つ手に取って、戻す。

 もう一度別の袋を見る。

 重さは変わらない。

 

「それしか残ってない。道が通れなくなってる。今はどこも高いぞ」

 

 商人が言う。

 言い訳するような口調ではなかった。

 

 アルは少し考え、銀を出した。

 袋は軽いが必要なものだ。

 

 布も同じだった。

 選べるほどの数はなく、色も限られている。

 

 油は最後の一本だった。

 商人は渡しながら何も言わない。

 

 袋の重さが増える。

 肩にかかる感触でそれを確かめた。

 

 用を済ませ、通りの端に寄った。

 赤い飴が木箱に並んでいた。

 

 一つだけ買う。

 包まれた飴は軽い。指先にわずかな甘さの気配が残る。

 

 袋にしまうと歩き出す前に一瞬だけ立ち止まった。

 

 町は嫌いではない。

 

 その直後、通りの空気が少し変わった。

 

「聞いたか。あの若い領主の話」

「またその話か」

「だって本当らしいぞ。隣の領主が戦争を仕掛けてきたらしい」

「本当かよ」

「少なくとも軍が動いてるのは確かだ」

「税が上がるかも」

 

 笑い声はない。

 否定する声もない。

 

「若い領主は愚かだとか」

「弟の方が優秀だとか」

「そんなの、俺たちには関係ない」

 

 一拍置いて、低い声。

 

「でも戦争になったら関係ないじゃ済まない」

 

 その言葉だけが、通りに残った。

 

 衛兵が通りを横切った。

 数が多い。歩き方が揃っていない。

 

「今日は、早く帰れ」

 

 誰に向けたとも知れない声が降る。

 

 町はいつも通りだ。

 そう言い切るには少しだけ歪んでいた。

 

 

 歪みは音から来た。

 

 金属が擦れた。

 短い。近い。

 

 次の瞬間、何かが壊れた。

 屋台だと分かるまで、少し遅れた。

 

 耳が追いつかない。

 音だけが残る。

 

 悲鳴が上がった。

 一つじゃない。重なって、形を失う。

 

 アルは振り向いた。

 そこに鎧があった。

 

 兵だ、と理解した時にはもう剣が振り抜かれていた。

 

 誰かが倒れた。

 倒れた、という言葉しか出てこない。

 

 血が広がる。

 色だけがやけに鮮やかだった。

 

 そのまま兵は血が滴る剣を掲げて叫ぶ。

「聞けッ!

 

 我らは正統なる領主ドゥルガン様の命を受け、

 この町を浄化する!

 

 新しきレオニス領の領主には悪魔が憑いている。

 その悪魔に与する者どもはもはや人ではない!

 

 人でないものに慈悲は不要だ!

 逆らう者、逃げる者、

 「すべて殲滅せよ!」

 

 町が、止まった。

 

 一拍だけ、音が消える。

 次の瞬間、すべてが壊れた。

 

 どれくらい止まっていたのか分からない。

 一瞬だったのか、長かったのかも。

 

 意味がわからなかった。

 何を言っているのか、頭が追いつかない。

 

 しかし、このままでは皆、斬られる。

 

 そう理解した町の住人は一斉に逃げ出した。

 

 人が走る。

 走る。前へ。横へ。

 押される。ぶつかる。肩。肘。背中。

 誰かが転ぶ。足。踏まれる。

 叫ぶ。違う声。近い。遠い。

 荷が落ちる。箱。木。割れる音。

 屋台が倒れる。何かが潰れる。

 走る。止まらない。

 

 叫び声が割れた。

 誰かが転ぶ。

 踏まれる。泣き声が上がる。

 

「伏せ――」

 

 声が聞こえた。

 意味を取る前に熱が走る。

 

 火だ。

 

 油の匂いが一気に広がる。

 喉が焼け息が詰まる。

 

 アルは袋を抱えて走った。

 考えた覚えはない。

 自分の足音が、誰のものか分からなかった。

 

 肩がぶつかる。

 腕を掴まれる。

 振りほどこうとして、足がもつれる。

 

 前が見えない。

 視界が揺れ、音だけが残る。

 

 気づいた時には裏通りに入っていた。

 

 狭い。

 壁が近い。

 

 逃げ切れると思った、その先で、足が止まる。

 

 行き止まりだ。

 

 背後で足音が近づく。

 重い。鎧が擦れる音。

 

「止まれ」

 

 声が落ちる。

 低く、近い。

 

 アルは振り返った。

 路地を塞ぐ影が二つある。

 

 剣。

 刃先が動かない。

 

 距離を測られている。

 

「荷を捨てろ」

 

 言葉が遅れて届く。

 袋の重さだけがはっきり分かる。

 

 手が動かない。

 指に力が入らない。

 

 息を吸ったはずなのに胸が苦しい。

 頭の中が白く、何も繋がらない。

 

 一人が踏み込んだ。

 

「逃げるなよ!」

 

 避ける間もない。

 胸を突かれ、息が詰まる。

 

 壁に背中を打ちつけた。

 視界が揺れ、膝が折れる。

 

 腕を掴まれた。

 強い。逃げられない。

 

 殴られた。

 どこを打たれたのか分からない。ただ、頭の中で音が鳴った。

 

 倒れる。

 石畳が近い。

 

「……っ」

 

 声が出ない。

 手を伸ばすが空を掴む。

 

 もう一人が近づく。

 剣が上がる。

 

 反射で、腕を突き出した。

 刃を掴んだ。

 

 焼けるような痛み。

 皮膚が裂ける感触。

 

 力任せに押し返す。

 体重を預け、相手に縋りつく。

 

 その瞬間、相手の手から剣が離れた。

 

「――っ」

 

 落ちる前に掴んでいた。

 

 重い。

 冷たい。

 

 距離が、近すぎた。

 

 アルは剣を振り回した。

 型も狙いもない。ただ、振った。

 

 刃が何かに引っかかる感触。

 柔らかく、嫌な抵抗。

 

 兵が声を上げる前に崩れた。

 

 音が遅れて届く。

 血が噴き石畳を濡らす。

 

 もう一人が動きを止めた。

「おい……」

 息を呑んだのか、判断したのか分からない。

 

 その一瞬でアルは押し出すように前に出た。

 足が勝手に動く。

 

 剣を突き出す。

 何をしているのか分からない。

 

 硬い感触。

 次に嫌な音。

 

 何かが折れる。

 

 兵は後ろへ倒れた。

 地面に打ちつけられ、動かなくなる。

 

 

 静かだった。

 

 

 アルは剣を取り落とした。

 指が震え、力が入らない。

 

 足元を見る。

 赤い。

 じわじわと広がっている。

 自分のではない、と分かるまでに少し時間がかかった。

 

 喉の奥がひっくり返る。

 飲み込もうとして、失敗する。

 吐き気が込み上げ、息が詰まる。

 

「……っ」

 

 声にならなかった。

 

 これは違う。

 狩りじゃない。訓練でもない。

 

 人だ。

 

 アルは袋を拾い上げ背負い直す。

 落としたくなかった。

 手が滑り、結び目を何度も確かめる。

 

「ミア……」

 

 名前が勝手にこぼれた。

 

 家。

 帰らなければならない。

 

 通りの向こうでまた何かが爆ぜた。

 火は、確実に広がっている。

 

 アルは走った。

 振り返らない。

 

 町にはもう居場所はなかった。

 出口へ向かう道はがれきと人で塞がれている。

 

 それでも、走る。

 

 息が切れても、視界が歪んでも。

 頭の中には家の位置だけが残っていた。

 

 早く帰らなければならない。

 今すぐに。

 

 その思いだけが、アルを前へ押し出していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。