都会から離れたとある地方の薔薇農園の朝。
霧がまだ農園に残る静かな時間帯を、一人の少女が歩いていた。
肩にかかる程度の長さのウェーブがかった黒髪、黒い瞳の端正な顔立ちをし、胸元に黒い薔薇の装飾がある白いワンピースを着ている。
その黒い少女は白い薔薇が多いこの農園では一層目立つ風貌であった。
少女の名前は乃和。
この薔薇農園を管理している老夫婦に育てられ、今ではこの薔薇農園の管理を手伝っている。
両親が丹精込めて育てた花々はこの土地では少し有名であり、地域住民からも愛されていた。
乃和もまた、毎朝農園を散歩してみて回るくらいにはその白薔薇が好きだった。
「今日も元気だね」
小さく声をかける。朝露を弾いた。
その時、背後から足音がした。
「姉ちゃん!」
聞き慣れた声に振り返るとまだ少し寝癖の残った少年が手を振っていた。
「おはよう、玻璃人。まだ寝てても良かったのに。」
少女がそう返すとその少年は笑顔で近づいてきた。
彼の名前は玻璃人。
彼女を引き取った夫婦の息子であり、彼女の事を「姉ちゃん」と慕っている。
乃和より少し年下で、泣き虫で、無理をして背伸びをする癖がある。
一人息子ということもあり幼少期から彼は周囲に甘やかされがちだった。
故に彼女なりに厳しく叱ったりなどしたものである。
「俺もう子供じゃないし。農園の手伝いだってやってるんだよ?」
「姉ちゃんがいないと、薔薇が拗ねるんだぜ?」
そんな風に冗談めかして言うと、玻璃人は少しだけ胸を張った。
そんな彼ももうすぐ高校生。
かつては彼女がおんぶができるくらい小さかったのに今ではすっかり背を追い越され、あどけない少年だった顔つきも男性の風貌になりつつある。
「そうやって言えるならお姉ちゃんがいなくても大丈夫かな?」
「……それとこれとは別」
予想通りの返事に、乃和ははにかんだ。
成長しても、彼女にとってはかわいい弟であることに変わりない。
薔薇農園の家族は、穏やかだった。
両親は優しく、乃和も玻璃人も愛されて育った。
違うのは、乃和だけがこの家に「拾われてきた」ということ。
この薔薇農園にどこからともなくやってきたとのこと。
そんな怪しい彼女に対して両親は苦労して戸籍を用意し、通信教育も受けさせてくれた。
「姉ちゃん」
不意に玻璃人が言った。
「東京ってさ、どんなところなんだろうな」
乃和の手が、一瞬止まった。
「……どうして?」
「いや、なんとなく」
玻璃人は、視線を薔薇園の外へ向ける。
高校進学を機に、弟は両親と彼女をここに残して東京に行く。
彼自分の夢の為だと語り、必死に両親を説得していたのを覚えている。
結局彼に対して甘い両親は根負けし了承し、弟は喜びのあまり踊っており、乃和はそんな彼らを苦笑してみていた。
両親に「乃和も東京に言ったら?」と提案されたが断った。
これまでさんざん苦労をかけてきたのだ、これからは彼らに恩返しをしようと決めている。
それに玻璃人が姉離れするいい機会でもある。
風が吹いた。
農園の白薔薇が揺れ、胸元の黒薔薇も遅れて揺れる。
乃和はその様子を見つめながら静かに答えた。
世界は変わっていく。でも____
「変わることも、悪いことじゃない」
そう静かにつぶやいた。
その呟きを耳にした玻璃人はきょとんとした顔をした。
「急にどうしたの?」
「……なんでもない」
乃和は、それ以上言わなかった。