振り返った時、間違いなくあの瞬間が人生の岐路だった。
「役者に興味はある?」
クラスメイトの綾瀬沙羅の母親である綾瀬麗華にその道を進む選択肢を告げられた時。そう言われたとき琴音は即答できなかった。
けれど――
テレビに出たらめっちゃモテそうじゃね?という馬鹿な考えが、すべての始まりだった。
◆ ◆ ◆
琴音はそもそも演技など出来ない。前世は普通の社畜だったから当たり前な話である。
役者としての道を進むにあたって本来の琴音として出来ることはなく、必然的に身体をその都度適応させて要求をこなすことになる。
どんな演技も完璧にこなさせる、ダンスだってお手のもの。表情管理も最適な表情を作れる。発声でミスすることもない。カメラに映った姿はどのシーンを切り取っても絵になる。
琴音がそれをやると決めた瞬間、欠点の無い完璧な存在となる。
琴音はデビューした一年目のうちに日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
授賞式の壇上で、拍手とフラッシュの嵐の中で『琴音』は求められる振る舞いを返すのだった。
(……なんか思ってた感じと違うな。)
引き返せない所まで来て漸く琴音は気づく。なんにも出来ない自分を表に出す瞬間など無く、ただ完璧な物語を紡ぐ琴音を眺めているしかないことに。
そこで辞めるとは言えないのが琴音だ。期待の声も、応援の言葉も、善意に満ちた賞賛も琴音には捨てられなかった。それが『琴音』に向けられたものであっても。女優を辞めてその想いを無下にしてしまうことに、罪悪感を感じてしまうから。琴音の感性は普通過ぎたのだろう。
逃げるには遅過ぎた、気づけば琴音という女優は知らない人がいないくらいに有名になっていた。まだまだSNSの発展途上で情報を得る方法が狭かったからこそテレビで有名になるということは、効果的に琴音というブランドを宣伝出来ていた。
舞台、ドラマ出演、CM撮影、映画出演、失速することなく飛び続けた。琴音が止めない限り、『琴音』は完璧に全ての役をこなし続ける。神様から与えられた身体に失敗などあり得なかった。
皮肉なことに女子人気も爆発していた。女性誌のアンケートで「なりたい顔ランキング」1位を取っていた。
琴音の望んだモテるという望みは叶っていた。尚、その情報を目にした本人は複雑な表情をしていたとかいないとか。
ファンレターの山、男性、女性からの熱烈な告白。「結婚してください」という手紙。
当然それは“九条琴音”宛てじゃない。一度でも仮面を被ってしまえば、その下にある顔なんて誰もみていないのだ。
気づけば適応して身体に任せてしまっている時間が、適応していない時よりも長くなっていた。
◆ ◆ ◆
『九条琴音、ハリウッド超大作に出演決定』
「来年公開予定のアクション超大作――
タイトルは『OPERATION: WORLD COLLAPSE』!」
まさかまさか、悪の組織の親玉たちが手を組んだ!?対抗するのは各国のエージェントたち。
本来なら協力関係にない各国のエージェントたちは、世界崩壊レベルの陰謀を止められるのか!?ド派手な爆発。心踊るカーチェイス。ハラハラドキドキのガンアクション。世界各国のエージェントが登場する、群像スパイアクション。
一癖も、二癖もあるエージェントたち、こいつら癖があり過ぎる!
美男美女たちの集合写真の中にはエージェント001、霧島レイ役として九条琴音の姿が映っていた。
◆ ◆ ◆
【アメリカのエージェント、ジャック役視点】
ハリウッドに何年もいると、だいたい分かる。スターになるやつと、消えるやつの違い。
容姿でもない、努力量でもない、運がいいやつでもない。スターになれるのは決まって“カメラに選ばれるやつ”だ。俺はずっと、自分がその側だと思ってきた。
顔合わせの日、スタジオに各国キャストが集まっていた。イギリスの名優、フランスの色男、中国のアクションスター、そして、日本から来た若い女優。
一際注目を集めたのは彼女、九条琴音だった。
正直な第一印象?こんなに美しい人間がいるのかという驚きだった。職業柄いろんな美女に会ってきたけど、文字通り目を奪われた。こんな経験、ジュラシックパークを初めて目にした時以来だ。
ここだけの話だが琴音はエージェントレイとして演技をしている時の方がマシなんだ。演技をしていない時の素の彼女は、……国すら簡単に落とせちまうだろう。
瞳を覗けば吸い込まれそうになる、仕草一つ一つに視線がいく、思春期の少年みたいだなんて思わないでくれよ?あれは目を離せなくなるような美しさだ。
でもまあ、ハリウッドは甘くない。容姿だけでどうにかなる世界じゃないと最初はそんな風に考えていたが、一瞬でもってる側の存在だってことを分からされた。
ジャックは俺の役だ、陽気で皮肉屋、でも仕事は一流のアメリカ人エージェント。エージェント001、霧島レイの淡々と仕事をこなすクールな感じとは正反対の性格だ。
アクションリハーサルで彼女もスタントマン無しでやると知って驚いたね。
屋上セット、ワイヤー装着。俺はスタントも自分でやる主義だし、身体作りもしている。それと違って見るからに彼女は細い。正直、ワイヤーに振り回されると思った。
俺は笑って言う。
「スタントマンはいらないのか?日本のエージェントさん。」
「大丈夫です。」
彼女は首を振って答えた。どこにも緊張した様子なんてない。まるで散歩の延長線上みたいだった。
彼女が走りだし、踏み切り、飛ぶ。それから完璧な着地。まるで重心がぶれていない。スタッフが小さくざわつく、アイツらも出来るとは思ってなかった口だろ。まあ俺もその一人なんだが。
俺は思わず口笛を吹いたあと口にする。
「本物のエージェント霧島がいるのかと思ったよ。」
本音だった、正直子供みたいにはしゃいでいたと思う。だって日本には忍者がいるって話だろ?
「で、実際の所属はどこだ?CIA? MI6?」
周囲が笑う。彼女は一拍置いてから答えた。
「それは機密事項です。」
実際のエージェント霧島のセリフだ。言い返しに俺は思わず手を叩いた。
「最高だよ、気に入った!」
◆ ◆ ◆
豪華なオペラハウスの地下にて、悪の組織の親玉たちの秘密会合が開かれていた。
各国のエージェントたちが集結していたが、初戦は敗北といった所だった。連携なんて取れる筈もなく、それぞれのワンマンプレーでどうにか形になっているだけだった。
ヴィランの親玉たちにはまんまと逃げられ、エージェントたちは脱出出来ずにいた。
アメリカ所属のジャックが時限爆弾のタイマーを止め、中国所属のリンはヴィランを殴り倒し、イギリス所属のアーサーはハッキングで施設内の機器に干渉して敵の増援を食い止め、フランス所属のリュカは優雅にワインを飲んでいる。
天井が崩れ始めた所でジャックが叫ぶ。
「いいニュースと悪いニュースがある!」
パソコンから目を離さずそれにアーサーが冷静に返す。
「悪いニュースから聞こう。」
「建物があと三分で崩れる!」
リュカが肩をすくめる。
「で、良いニュースは?」
ジャックがにやりと笑う。
「俺たち、まだ生きてる。」
その瞬間、爆発音と共に施錠されていた扉が吹き飛んだ。そこから現れたのが日本所属のエージェントレイだった。
「脱出ルートは確保済みです。」
「来ると思ってたぜ、ジャパニーズ。俺たちがピンチになるタイミングを狙ってたろ?」
「いいえ、そのような状況に陥らない事を願っていましたが。」
アーサーが小さく吹き出す。まだまだ敵は残っている。建物の崩壊も合わさって時間も残されていないと急ぎ脱出しようとする。
「議論はあとだ。レディ、ダンスのお誘いだ。」
「男性パートを踊れるようになってから誘ってみては。」
「前言撤回だ、今のは聞かなかったことにしてくれ。」
敵を制圧しながら五人はギリギリで外へ飛び出し、爆発。背後でオペラハウスが崩れ落ちる。
◆ ◆ ◆
舞台は中東の廃空港。ヴィランの目的の一つを看破しそれぞれのルートからエージェントたちが集結していた。
飛行機には爆薬が詰め込まれており、機体が都市へ向かえば被害は壊滅的なものとなるだろう。
既にジャックの大型トラックが滑走路を並走しており、荷台には油圧式可動ランプが載せられている。
リンがバイクで加速しているのを確認したあと、展開して鋼鉄の板が即席のジャンプ台となった。ジャックはリンに向かって言う。
「保険には入ってるよな?いや、君の場合“常識”のほうが未加入か!」
「口閉じてハンドル握ってなさい、ジャック!」
リンはバイクで飛行機に向かってフルスロットルだ。
それに合わせて滑走路中央の誘導灯が点滅パターンに変更された。フランスのエージェント、リュカが管制塔から操作していた。
緊急停止を求めるシグナルだ。パイロットとしての訓練の記憶が本能的にブレーキ判断を迷わせ、ほんの僅かだが加速を躊躇わせる。
その瞬間を見逃さない。バイクがジャンプ台を駆け空へ射出され、機体の主翼を越え胴体上部へ着地。リンは転がりながらも、すぐに体勢を立て直しハッチを破壊して強引に機内へと突入した。
機内を制圧して終わり、かと思いきやーーー
『V1を超えてる、今から止めるのは難しいぞ。失敗すればこの場所がドカンだ。』
アーサーからの通信を聞いて事体がまだ収束しないことを理解する。
「おいおい、マジかよ。お前らと心中するつもりなんてないぞ!って、なんだあれは!」
滑走路の奥から走ってきたのは重量車両だ。
「あれはレイか、止める方法があるのか!?」
「あります。」
「頼むから“気合い”とか言うなよ!?」
レイはジャックの物言いに眉ひとつ動かさない。タイミングを計っているのだろう。
「物理です。」
廃空港に残されていたのは、砂と錆だけではない。
滑走路脇の退役整備区画。かつて軍用機の着艦訓練に使われていた簡易装備の残骸が、半ば砂に埋もれて眠っていた。レイが目をつけたのはそこだ。
重量車両――放置されていた空港用トーイングトラクターを無理やり起動し、後部には格納庫から引きずり出した高張力ケーブルを巻き付けている。巻きつけ先は古いドラム缶を固定したもので巻き取り装置に仕立てた。レイがやろうとしているのは即席アレスティング装置の代わりだ。
機内に乗り込んだリンがコックピットを制圧し、ブレーキをかけ始めた。高速度域でのフルブレーキは、タイヤに多大な負荷をかけるがそんなことを気にしてはいられない。更にスポイラーを展開し揚力を潰す。
「必要なのは減速。」
レイは滑走路を横断する位置を見極め、所定の位置で停止させる。ケーブルは滑走路を横断するように張られている。
ケーブルの片端は、サイドブレーキで固定したもう一つの車体だ。その後方にもう一台、放置されていた燃料補給車を連結させ輪止めを噛ませてある。方向の修正には、半壊した滑車の残骸を利用してケーブルの角度を調整した。狙いは主脚だ、もし前脚に絡めば転覆する。
時間が無い中での即席、完璧ではないが、これで主脚に掛かれば減速出来る。
ついにレイの張ったケーブルへ突っ込む。
――次の瞬間。
鋼鉄が悲鳴を上げた。狙い通りワイヤーが主脚を引っかけた。ケーブルは瞬間的に張り切らず、ドラムが回転する。
トラクターが一瞬踏みとどまるも、次の瞬間その抵抗を破られ前へ引きずられていく。レイはブレーキを最大まで踏み込みながらサイドを固定する。車体重量そのものを錨に変える。ケーブルが唸る、火花が舞い散り金属の焼ける匂いがした。急停止ではダメだ機体が破断してしまう、必要なのは持続的な減速だ。
あと三百メートルで滑走路端だ。
機首が僅かに沈み込みながら減速していく。主脚が軋み、タイヤがスキッドを起こした。白煙が上がり焦げたゴムの匂いと共に一本が耐えきれず破裂する。白煙が滑走路を覆う。
二百。
ケーブルが最大張力域に入りドラムブレーキが唸る。
百。
速度が落ち、張力が徐々に緩みだす。
やがて――
ブレーキの悲鳴が消えていき、砂塵だけが舞った。張力が少し抜けたワイヤーは張り詰めているが破断はしていない。
機体は僅かにノーズダウンした姿勢で滑走路端の手前で静止した。ジャックが口を開けたまま言葉を失う。焦げたゴムの匂いと、熱せられた鋼の匂いだけが残った。
静寂。
アーサーが小さく言う。
『……止まった。』
ジャックが笑う。
「お前ら最高だぜ!」
◆ ◆ ◆
高級ホテルのフロアにて、ヴィランの親玉の一人――武器商人ヴァレンティンが、ゆっくり拍手を送る。
「エージェントレイ、噂以上だ。」
レイは無言で銃を構えている。足元には倒れた護衛が数名。
だが――向けられている銃口は十、二十、三十と、完全包囲だ。ヴァレンティンが微笑む。
「一人で来るとは勇敢だな、あるいは無謀なだけか。」
完全に罠に嵌められて孤立無縁だ。レイは呼吸を整える。
「効率を優先しました。」
「結果は?」
「これから修正します。」
引き金に指をかけるが敵の数が多すぎる。退路は無い。ヴァレンティンが手を上げる。
「撃て。」
ーーードンッ!!
銃声が鳴り響く直前、天井が爆ぜた。加えて煙幕が焚かれる。レイは驚きの目線をこれをしでかした張本人へと向けた。
「こんな楽しいパーティー、どうして呼んでくれないんだ!」
ジャックだ。天井からワイヤーで降下してくる。
間髪入れず左手の壁が破壊される。爆薬で穴を開けて突入してきたのはリンだった。ジャックを見て一歩出遅れたことを知り若干嫌そうな表情を見せたあと一直線に敵陣へ飛び込み、回し蹴りで三人吹き飛ばす。
「ここって風通しが悪いと思わない?代金はいらないわ、サービスよ!」
さらに照明が一斉に落ち、スピーカーからアーサーの声が聞こえてきた。
『照明を落とした。君たちなら問題ないだろう?』
そこへリュカが優雅に歩いてくる。
「脱出用の車は外に用意してある。」
「……あなたたちは。」
「文句は後で聞く!まずは生き残れ!」
ジャックが敵を撃ちながら叫ぶ。銃撃戦の再開だ、ガラスが割れ壁が穴だらけになっていく。リンが敵を投げ飛ばしながら言う。
「ここからはノープランよ!いつものことね!」
あんまりな物言いにレイはほんの少しだけ微笑んだあと答える。
「……東側、十秒後に爆破します。」
突入前に仕掛けておいた時限式の爆弾だ、それを聞いてジャックが笑う。
「十秒!?早すぎやしないか!」
「あと六秒です。」
「そいつはどうも!」
レイが窓を撃ち抜き、四人同時にダイブ。背後で爆発が起きフロアが炎に包まれる。
着地。息を整えたあと、ジャックが空を見上げる。
「なあ、いかしたダンスパートナーだったろ?」
レイは銃をホルスターに戻し答える。
「前言を撤回します。……いいリードでした。」
◆ ◆ ◆
爆破シーンの撮影が終わった直後のこと。セットの一部はまだ煙を上げている。
ジャックは耐火スーツのまま椅子に倒れ込んだ。
「いいニュースと悪いニュースがある!」
映画でのセリフを口にしたジャックにスタッフが笑う。リンがそんなジャックへとタオルを投げ、やれやれと苦笑いしながら聞いた。
「悪いニュースから聞くわ。」
「悪いニュースは、俺の眉毛が半分焦げた。」
リュカは手鏡をのぞき込みながら続ける。
「良いニュースは?」
ジャックは親指を立てて笑顔でこう答えた。
「俺のヒーロー顔は無事だ。」
スタジオが笑いに包まれたあと、まだ仕事は残っていた。
今日はワンシーンだけ出演する本物のアメリカ大統領が撮影を終えたところだった。何でもあちらからオファーがあったとかで、監督もこれを使わない手は無いと乗り気だった。話題性としては抜群だ。
「次は大統領様の接待ね、ならジャックがやればいいわ。」
「あれでも大事なスポンサー様だぞ、ほらどうせ今日だけだ。」
カメラが回る。後で舞台裏のオフショットとして特典映像に回すのかもしれない。
スタジオのライトが煌々と輝く中、琴音は控室から現場に歩み出す。
端的に言って大統領は随分と愉快な人だった。
なんと言うのか、この作品やキャストたちのファンのような、とにかく楽しんでいるというのがすごく伝わってきていた。終始和やかなムードだった。
そんな大統領の希望でワンシーン撮りたいとのことだった。お遊びのようなものだ。
レイの前に大統領が立ち、ヴィランの親玉の一人である相対するようにヴィクトールがハンドガンを手に持つ。メイクもバッチリでか弱いヒロインを守るかのような大統領対ヴィランである。
「まるでスーパーマンにでもなった気分になるよ。」
「一般人から見れば大統領もまたスーパーマンのような存在ではないですか。」
「ふっ、そうかもしれんな。さあ、続きだ。……ゴホン、ヴィランよどんな脅しだろうと私が国民を見捨てて逃げる事などない!」
「では、後悔はあの世でするといい。」
ヴィランが悪どい顔をして銃口を大統領へと向ける。それまでわたしヒロインですぅとか弱い女の子の演技をしていた内心で琴音は愉快な茶番劇を眺めていた。
(まあ大統領になる前は普通の人だったって考えると、何か普通のおっちゃんに見えて来たな。……こんな時間も悪くないのかな。)
などとのほほんと考えていた。何だかんだ、絶対に出来ないような体験をしていると思えば、それなりに楽しいのだ。
琴音はカメラを回しているからとしっかりエージェントレイの演技に戻した。どうせならこの大統領様が満足して帰ってくれればいいなと。
その瞬間、琴音の身体は『エージェントレイ』としての役割を遂行した。
(……え、なんで急に動いて。)
急に身体が動き出したことに琴音はなんだ?と疑問に思ったがまともに思考出来たのはそこまでだった。
レイはまずヴィクトールを止めようと大統領の前へと出た。
彼の持つ銃は本物だ。それも弾丸が装填されている。それを瞬時に見抜き、制止しようとした。
スタッフや他の共演者はまだ状況を理解していない。
「まッ……!」
制止の声をあげようとしたが、これでは間に合わない。
そのことを悟った瞬間、レイは思考を巡らせた。既に一歩前に出てしまった状況では大統領を体当たりで逃すことも出来ない。ヴィクトールは既にトリガーに指をかけてしまっている。
全てがスローモーションになった世界で、レイは解を導き出した。
ヴィクトールを止めるのも、大統領を逃すことも無理だ。
なら弾丸をどうにかするしか無い。
レイは弾丸が射出されるより前に体勢を整え全集中をこの瞬間に集結させた。その立ち姿は居合いのようにも見えなくもない。
弾速、距離、空気抵抗や反動、弾丸の微妙な偏差まで計算し、瞬間的に体の運動方程式を組み立てる。最高速度でブチ抜いたる!!と言わんばかりに琴音の身体はやる気満々だ。そしてまたしても何も知らない琴音さんである。
ーーー弾丸が発射される。
レイは弾丸の軌道に合わせるように身体の腰から肩、肘、手首の順に連鎖させ、エネルギーを末端へと伝達させる。さながら身体の各関節を鞭状にしならせ、末端速度を音速まで引き上げた。
レイの指先は放たれた弾丸と同速度で動き見事に捉えると、2本の指で挟み無理矢理軌道を逸らした。
指から放たれた弾丸は大統領にかすることも無く、後方へと飛んでいった。
レイは淡々と髪を払い、まるで何事もなかったかのように大統領へと瞬時に歩み寄り、落ち着いた声で言う。
「お怪我はありませんか、大統領。」
大統領は腰を抜かして座り込んでいた。「ああ……。」と何処も怪我をしていないのを確認して返事をしたが、直ぐに思い至る。
「……いや、たった今、腰を抜かした所だよエージェントレイ。」
大統領は無事。スタッフたちは全員、口を開けて固まっている。
ヴィクトールはハンドガンを握ったまま、冷や汗をかき、頭を抱えるようにして呟いた。
「……ちょっと待て、今……本当に当たらなかったのか?」
ヴィクトールは実弾で射撃をした経験があった。当然、撃った弾丸が何処へ飛んでいくのかもおおよそ把握しているつもりだ。
つまりだ、弾丸は大統領の身体の中心を捉えていたと射出された瞬間に理解していたのだ。この距離で外れることなんてまずあり得なかった。
遅れてスタッフたちが大統領にかけよって何処にも傷がないのを確認して一安心するも、事体を理解して顔色が真っ青だ。芝居道具の管理ミスで大統領が危険に晒されたなんて笑い話にもならない。
「ヴィクトール役の俳優が、芝居用の小道具の拳銃に実弾が装填されており気づかず発砲してしまい……。本来ならスタジオの安全管理下でしたが……こちらの管理不届きで弁明のしようもありません。」
いくら誰も傷ついていなかったとはいえ、一歩間違えれば死人が出ていたかもしれないのだ。監督は真っ青な顔で大統領に頭を下げた。
「こうして大した怪我もないんだ。彼を責める気はないが、……そうだな管理不届については後ほど話がいくだろう。」
大統領の言葉に監督が深く息をついた。ヴィクトールも肩を落とし、冷や汗をぬぐう。
「……大統領暗殺に俺の名前が載っていたかもしれないと思うと、心底ぞっとするな。」
「映画の悪役が刑務所行きなんて、なんて反応したらいいんだ?」
事態が一先ず収束し始めた時、ヴィクトールが口を開いた。
「そうだ、映像を……確認したい。」
「え?確かにカメラを回していましたが……。」
「いや、どうも引っかかるというのか。思い過ごしならいいんだ。」
あの瞬間、ヴィクトールは正面から琴音を見ていたからか冷静になって考えると不自然な動きをしていたことに思い至ったのだ。そう、琴音が何をしたのかなど誰も理解していなかった。ただ一つ、カメラが無ければ。
スタッフがヴィクトールに言われて映像を再生させた。
再生された映像には一つだけ不自然な部分があった。琴音だ、彼女だけが明らかにヴィクトールを止めようとしていたし、弾丸が発射された際の挙動が変だった。
それに銃声が二発鳴ったような音がしている。
「やっぱりそうだ。ここだ、彼女は何かをしていた。」
スタッフが再生速度を遅らせてスローにする。
弾丸が発射され、大統領に向かって飛ぶ――
その瞬間、琴音が体を鞭のようにしならせると指先が弾丸を捕らえて軌道を逸らしたのだ。琴音の指先が一時的に音速を突破したことで、まるで銃声が二発鳴ったかのように聞こえたということだった。
みんなの視線がモニターに釘付けになる。なんなら琴音の視線も釘付けだ。知らん……何それ……怖……、状態というやつである。
自分が何をしていたのかすら把握なんてしておらず、内心では銃声にびびって意識が飛びそうになっていたのだ。
「……弾丸を……掴んだ……?まさか……。」
「……信じられん。こんなことがあり得るのか。」
スタッフは息を呑み、大統領ですら驚愕の声を上げる。自然と琴音へと視線が集まっていく。琴音はエージェントレイとして演技をしているからか平然としているが、内心ではがくぶるだ、この状況をどうしたらいいのかさっぱりだった。
「忍者だ、日本には忍者がいたんだ!」
口々にそんな言葉がスタジオ内で叫ばれる。ジャックが琴音に向かって横から小声で言う。
「なあ、ホントは何処かに所属してるマジのエージェントなのか?」
「……機密事項です。」
「おいおい、マジにしか聞こえなくなっちまったよ!」
映像に映っていたのは目を疑うような奇跡の瞬間だった。
この場にいなければ誰も信じないような映像だ。今だって、これがドッキリで次の瞬間には種明かしでもされるんじゃないかと考えているやつもいた。でもこれは現実だし、フィクションではない。琴音は意☆味☆不☆明な状況になんかもう泣きそうだった。
そんな中で大統領はゆっくり立ち上がると琴音の前へと歩いていった。微笑を浮かべ、静かな声で言った。
「君には本当に感謝している……遅ればせながら、不名誉な死から救われたのだと理解したよ。」
「安全を確保しただけです、大統領。」
琴音は軽く会釈し、淡々と返す。もうエージェント霧島レイとして乗り切るしかないと琴音は神頼みしていた。この状況を作ったのはその神様から与えられた身体のせいなんだが理解しているのだろうか。
大統領は少し笑って続けた。
「あと少しでダーウィン賞を受賞してしまう所だったよ。いや、本当に命を救われた。」
その物言いにジャックが後ろで吹き出した。のちに誤射事件が巷を騒がせ、この映像が特典映像として収録されており更に賑わせたのは言うまでもないことだろう。
当事者の琴音は暫く反応を見るのが嫌でネットサーフィンが出来なくなったとか。
◆ ◆ ◆
【速報】九条琴音、ガチで弾丸掴んでて草も生えないwwwww
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
特典映像見たんだが何あれ
CGって言ってくれ頼む
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
忍者説、割とマジであり得ると思えてきた
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
スターの資質とかそういうレベルじゃねえ
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
てかまず実弾混入ってのがヤバすぎる
ハリウッドどうなってんだよ
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
炎上しかけたけど大統領無事だったから
「九条琴音すげぇ」方向に全部流れたの草
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
【検証】弾丸キャッチは可能か
→理論上ほぼ不可能
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
じゃあなんなんだよwww
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
弾丸を掴んでいると言うより逸らしてるっぽいしどうなんだ?
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
九条琴音=人類最終兵器
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
なんか笑ってるけど普通に歴史的映像じゃね?
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
なら達人も実在する、のか?
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
最初ただの微笑ましいメイキングだと思ったんだよな
大統領ノリノリで草って感じだったのに
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
分かる、琴音のヒロイン演技かわいすぎた
大統領の後ろでめっちゃか弱い女の子してるのに、一瞬で切り替わっててエグい
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
管理不届で罰則の記事出てるし
誤射はマジだったってことだよな
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
誤射事件は怖いけど
誰も死ななくて本当に良かった
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
銃器管理のチェック工程すっ飛ばしたらしい
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
大統領がホワイトハウスに琴音招待ってマジ?
弾丸逸らしもマジなん?
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
海外でもバズってるの笑えるんだが
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
“Real Agent from Japan”ってタグついてて草
◯風吹けば名無し:ID:xxxx
琴音は未来から送り込まれた人型に擬態した機械生命体でFA