転生してイージーモード!   作:ハニラビ

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誤字脱字報告ありがとうございます。読み直してはいるのですが中々気づかないもので……。


Miss.琴音

 

 どんな奇跡か玲奈に通報されることもなく、何日経ってもお巡りさんが逮捕にやってはこなかった。

 琴音が思っている全部が勘違いであるのだが、そんなことを知る由もない。琴音は内心では怯えながら日常を過ごしていたが、喉元過ぎれば熱さ忘れるというし、段々と普段通りに戻っていった。

 

 

 

 大人になると学生時代の気楽さを恋しく思うことが増える。前世を独身社畜で終わらせた琴音にはそれが骨身に染みて分かっていた。

 学生も確かに勉強と部活で忙しいけれど、それは終わりのある忙しさだ。社会人は違う。終わらない、逃げ場もない、報酬で誤魔化されているだけの消耗戦だ。

 やはり子供の時の方が社会人の時に比べて圧倒的に肉体的、精神的な負荷は低かった。ただこれは学生側からみたら理解し辛いことだ。

 

 

 

 人生二周目である琴音は転生後に、最初は溢れんばかりの自由な時間を満喫していた。

 仕事に追われることも、残業でへとへとになることもない、家に帰ってただ寝るだけの人生でもない。圧倒的な自由だ。そんな夢のような時間に浸っていた。

 

 

 歌でもひとつ歌いたいようないい気分だと心躍らせていた。

 

 

 

ーーー途中まで。

 

 

 

「暇だ……、すごい暇だ。」

 

 

 

 琴音は自室のベッドの上で琴音は人間としての形をギリギリ保ちながら、溶けるようにうなうなしてしていた。だらしなくぐでんと崩れている。

 

 

 暇すぎるのも問題だった。

 

 

 社畜生活に慣れすぎた代償である。休日の過ごした方のレパートリーがとんでもなく少なくなっていたのだ。勉強は毎日しているが、それでも時間が余る。

 致命的なのは一緒に遊ぶ友達がいないことだろう。

 

 

 ゲームでもやればいいだろって?ゲームは一日1時間までだ、常識だろ?というのは半分冗談で、琴音は意図的にゲームを長時間やらないようにしていた。

 理由は一つ、両親を心配させたくないからだ。子供へのクリスマスプレゼントにゲームを選ぶくらいは普通にある年代とはいえ、まだまだゲームがもたらす悪影響が心配されていたりする。昔から続くアレだ。本の読みすぎ、テレビの見過ぎ、ゲームのやり過ぎ、ネットの見過ぎと実際にどのような影響があるかは別として心配の種であることに変わりはない。

 

 

 

 琴音という存在はかなり特殊だ。神様のような存在によって、子供が欲しくても産めなかった両親の元へとやってきた。

 ただ、両親からしてみれば奇跡的に子供を授かったくらいの認識だろうし、見ず知らずの他人を自分たちの子供として産みたいとは考えていなかっただろう。

 

 だから琴音は自分という存在について墓場まで持っていくつもりだし、両親の前では適応した身体に任せて違和感のいの字もなく二人の子供として振舞っている。

 いい子として過ごしている九条琴音が一日中ゲームをして過ごす訳にはいかない。

 

 

 

 琴音はぼんやりと天井を見上げながら、一つ思いついた。

 

 

 

「……そういえば。」

 

 

 

(めちゃくちゃ運がいい人に適応したらどうなるんだ?)

 

 

 

 そんな馬鹿みたいな暇つぶしが頭に浮かんでいた。頭の上はお花畑にでもなっているのだろうか。

 琴音は立ち上がり、意識した。適応自体は一瞬だ。今ここにいるのは『超運がいい琴音』である。歩いてるだけで空からお金でも降ってくるのかとわくわくしている。

 

 

 ただ、そのまま突っ立っていても何も起きなかった。アホ面を晒して立っている琴音がそこにいるだけだ。首を傾げているが、顔がいいだけに妙に様になっているのが腹立たしい。

 食パンを二枚持ってきて琴音の顔を挟んでやろう、馬鹿のサンドイッチの完成である。

 

 

 

 

「……何にも起きないな。」

 

 

 

 何もなかった。窓から金塊が飛び込んでくるわけでも、突然湯水のようにお金が湧いてくる訳でもない。

 

 

 

「まあ、そんなもんか。」

 

 

 

 肩透かしな結果に少しだけ気落ちした。今回はそもそも適応出来ていなかったのだと琴音は考えた。幾ら身体が万能に近いものであっても不可能があることは知っている。

 それこそ、かめはめ波とか、魔法とか、忍術とかは使えないし、存在しない事象には適応できないのだ。

 

 

 因みにだが琴音には本当に適応出来ているかどうかを確認するすべはない。

 適応することを意識した後、実際に行動してみて結果が伴っているのかを見て、そこで初めて適応出来ているのかを認識出来るのだ。

 

 

 

 立った拍子に窓の外の様子が自然と目に入った。

 いい天気で散歩日和というやつだろう。こんな馬鹿みたいなことをしていないで外に出た方が運動にもなって余程建設的だと言われているようだった。

 

 

 

(天気もいいみたいし、外出するか。)

 

 

 

 家にずっと篭っていても仕方ないと外出する準備をする。特に目的地は決めていない。時間に追われていないからこそ、時間を無駄に消費することにそれほど抵抗は感じない。

 琴音は上着を羽織ると家の外へと出て、自転車に跨った。

 

 

 

「気ままな散策も偶にはいいかな。」

 

 

 

 街の散策は暇つぶしにはもってこいなので、本当にやることが無くなった時にはこうしている。見慣れた景色とはいえ時間と共に変化していく街並みに飽きはこない。

 住宅街の道を進み、大通りに出てしばらく漕いでいると目についたのは自販機だった。

 

 

 

(……飲み物でも買おう。)

 

 

 

 手が伸びたのはホットココアだった。お金を入れてボタンを押すとガコンという音と共にココアが取り出し口に落ちた。

 

 

 

 ピロピロピロ♪

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 すると軽快な電子音が流れてきた。小さなディスプレイに数字が表示されていく。どうやら数字が揃えばもう一本無料のキャンペーンをやっていたようだ。

 

 ファンファーレの音と共に表示されたのは7777の数字。

 

 

 

「当たった……。」

 

 

 

 琴音は無難にホットのお茶を選んだ。手にした戦利品を眺めたあとココアを一口、甘さが口いっぱいに広がっていく。

 

 

 

「適応自体は出来てるのか?」

 

 

 

 そういえば適応出来ていないのかと思って、適応をやめずにそのままだったと気がついた。

 結果から見たら運がいい人への適応は恐らく出来ているのだろう。ただ、これくらいなら偶々運が良かっただけの可能性もなくはないが、プラシーボ効果だったりするのだろうか。

 

 

 こうして飲み物が一本当たったりはしたけど、なんかというか。

 

 

 

(地味だな……、もっとこう……ドーンって来ないのか?)

 

 

 

 飲み物一本分だとどうにもインパクトに欠ける。当たったのは勿論嬉しいのだが、何か凄いお宝を見つけるとかではないのだろうか。

 

 

 

 そもそも運がいいってどんな状況なんだ。

 

 

 

 琴音は頭を左右に振って、思考をリセットした。こんなことを考えたとしても大した意味はないと思ったのだろう。元から一般人的な思考しか持ち合わせていない琴音には、難しい話は苦手なのだった。

 

 

 

(まあ、運が良かったことに変わりはないし、ラッキーだったってことでいいか。)

 

 

 

 ココアをちびちびと飲んでいく。空を見上げれば快晴で青々とした空に、燦々と輝く太陽がある。

 時間をかけて一本飲み終えた。もう一本に目がいくが、自転車のかごに入れてそのまま持っていくことにした。二本も飲んだらお腹がたぷたぷになってしまうだろうから。

 

 

 

「次は何処に行こうか。」

 

 

 

 また自転車を走らせる。涼し気な風が気持ちいい。橋が見えた所で曲がって川沿いを進んでいく。

 琴音自身は気づいていないが、その足取りは目的地を決めていないのに随分と迷いがないものだった。

 

 

 

(川沿いは景色もいいし、見ていて楽しいな。)

 

 

 

 川のせせらぎを聞きながら進み、その途中で自転車を漕ぐのをやめた。

 何か面白いものを見つけたとかではなく、視線の先にいたのは息を切らして今にも倒れそうな男子高校生だった。

 

 

 

「けほっ、こひゅー……ひゅー……っ、ぜぇっ……!」

 

 

 

 見た目からして男子高校生くらいだろうか。服装はランニングスウェットだが、身体付きはどうも運動をしていたようには見えない。

 なぜ走っているのかは大体察せる。きっと親に言われて家で一日中ゴロゴロしていることを責められて追い出されたのだろう。悲しきモンスターだった。

 

 

 琴音は自転車のカゴに入っている一本のお茶に目が行く。

 普段の琴音ならそっと見ないふりをして通り過ぎていた。知らない人間に話しかけるのは怖いし。

 

 ただ、最近になって自分のコミュニケーション能力の著しい低下を自覚して嘆いていたこともあって琴音は勇気を出すことにした。

 それに無料で手に入ったものだし、あげても損した気にもならないのもポイントが高い。

 

 

 

「……そ、その、大丈夫ですか?……よかったら、これどうぞ……。」

「ぅ……ぅえっ!?あ、ありがとう。」

 

 

 

 男子高校生くんは声をかけられて頭を上げた際に、琴音の顔面を至近距離で見て変な声を上げ思わず渡されたペットボトルを受け取った。

 何かのドッキリじゃ無いよなと半信半疑であったし、何なら琴音の容姿が一般人のそれではない事もあって美人局を疑っている。あまりの美少女具合に二度見ならぬ五度見ぐらいしてしまっている。ただ、心配そうに自分を見つめる美少女の誘惑には勝てず受け取ったお茶に口をつけた。

 

 

 

「……そ、それでは……。」

 

 

 

 琴音はやりたいことはやったとそそくさとその場を離れようとした。これ以上話を広げられないし、別に会話を続ける気もなかったからだ。

 琴音が自転車で行ってしまう前に、男子高校生くんが慌てて呼び止めた。

 

 

 

「そうだ!お礼に、えっと。お金くらいは払うよ!」

「……え、っと。大丈夫ですよ……?」

「いや、ほんと助かったからさ!これくらい受け取って!」

 

 

 

 ポケットから財布を取り出すと迷わず五百円を手に取って琴音へと差し出した。

 素早い行動に琴音は拒否することも出来ず渡されるままに受け取った。男子高校生くんが何度もお礼を言いながらその場を離れていくのを見つめた後、手の中にある五百円を見る。

 

 

 

(これは運がいい……のか?)

 

 

 

 なんだか自分の行動とその結果が適応によってもたらされたものに感じてなんとも言えないような気持ちになった。

 因みに先程の男子高校生くんは毎週土日はランニングを欠かさずするようになった。別に偶然会いたい人がいるとかそんな理由では無いったら無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 気を取り直して琴音は散策を続けていた。川沿いから離れると、また街の方へと来ていた。

 

 

 

(新しい建物も結構増えて来たなぁ。あっちは、ゲーム屋か。)

 

 

 

 そんなことを考えているとぽつり、と頬に冷たい感触が落ちた。

 

 

 

「雨?」

 

 

 

 見上げた空は、相変わらず青いままだった。太陽も出ているし雲も薄い。

 

 

 

(狐の嫁入り、だっけ。)

 

 

 

 不思議な天気だが、別に珍しくもない。あんまり濡れるのも嫌だと琴音は自転車を押して近くの建物へと避難する。目に入ったのは、昔ながらの喫茶店だった。

 木製の看板に、ガラス越しに見える落ち着いた店内。店先にはちょっとした屋根があり、雨宿りにはちょうどいい。雨もどうせ直ぐに止むだろうし、少しだけ雨宿りさせて貰おう。

 

 

 

(この感じなら直ぐに止むでしょ。)

 

 

 

 コンクリートに落ちる雨音が静かに響く。雨と湿った土の匂い。なんとなく、嫌いじゃない時間だった。

 

 

 

「あの、お時間少しいいですか?」

「……えっ、と?」

 

 

 

 そうして雨宿りしていた琴音へと声をかけてきた男性がいた。目の前まで来て正面から声をかけられれば、流石の琴音でも自分に話しかけられたと分かるようだ。

 そこにはスーツ姿の男が立っている。年齢は二十代くらいだろうか、割と若そうに見える。整った身なりに営業スマイルが印象的だ。

 

 

 男は一度軽く頭を下げたあと言葉を続けた。

 

 

 

 

「アイドル活動に興味はありませんか?」

「……アイ、ドル?」

「はい、アイドルです。」

 

 

 

 琴音は石像みたいに固まった。頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 アイドル、流石に存在は知っている。それがまるで自分と結び付かなかった。一生自認が男なので急に言われると頭がバグるのだ。

 

 琴音が直ぐに断らないところを見て男は脈が少なからずあると思ったのか話を続けた。

 

 

 

「もしよろしければ、詳しいお話を中で。ちょうど雨も降っていますし、温かい飲み物でもいかがですか?」

「えっ、と……。は、い……?」

「ありがとうございます!」

 

 

 

 ぱぁっと表情を明るくするスカウトマン。琴音の曖昧な返事を了承だと捉えたのだろう。嬉しそうな表情を見せる男性に訂正することも出来ずに琴音はついていくことしか出来なかった。

 カラン、と鳴ったベルの音と共に二人はそのまま店内へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 喫茶店の中は外から見えた通り、落ち着いた雰囲気の場所だった。独特のいい匂いが漂っている。

 席に案内され向かい合って座る。メニューを見たあと温かい飲み物と、ついでにケーキまで注文された。琴音は借りて来た猫のようになっており、視線をあっちこっちへと彷徨わせている。

 

 

 

「遠慮せずどうぞ。代金はこちらで持ちますので。」

「……あ、ありがとうございます。」

 

 

 

 テーブルに置かれるカフェオレとショートケーキ。ほんのり甘い香りが広がる。

 

 

 

「改めまして、ステラプロダクション所属の黒瀬と申します。スカウト兼マネージャーをしています。こちらをどうぞ。」

 

 

 

 男はそう言うと、スーツの内ポケットから名刺入れを取り出した。慣れた手つきで一枚抜き取り、琴音へと差し出す。琴音はそれを受け取って目を落とした。黒瀬健一という名前らしい。会社名、所在地、電話番号とちゃんとしている。

 事務所の名前は聞いたことはないが、そもそも琴音が知っているアイドル事務所なんてなかったのでそれも仕方のない話である。

 

 

 

「いきなりこんな話をしてしまって驚かれていると思いますが、まずは時間を取って下さってありがとうございます。」

 

 

 

 黒瀬はぴしっと背筋を伸ばしてそう言って言葉を続けた。

 

 

 

「街中でいろんな人を見てきましたけど、貴女ほど目を引いた人は他にいません。貴女には絶対にアイドルの才能がありますよ!」

「そ、……そう、なんですか?」

「勿論ですよ!逆に自信が無さそうなことに驚いてるくらいですから。」

 

 

 

 営業トークだと分かっていても、具体的に言われると少しだけむず痒いと琴音は曖昧に視線を逸らした。

 

 黒瀬は琴音の気弱な反応に少し困惑を見せていた。綺麗な人が裏でどれだけ気を使ってケアをしているのかを良く知っているから、並々ならぬ努力をしているのだと思っているのだ。そうした自分への投資を惜しまない人はそれなりの自負を持っていることが多い。

 普通だったら、まさか何の努力もなく今の容姿が維持されていると思うはずが無いのだ。

 

 

 

「今、うちは新しくグループを立ち上げる準備をしていまして。コンセプトは王道のアイドル路線なんです。アイドルが社会現象にまでなった今こそ原点に立ち返ってみたいんです。」

 

 

 

 ここ数年でアイドルブームが再燃して巷を賑わせており、テレビを通してそれは琴音も知っていた。

 つまり彼の事務所は現在のより身近で会いに行けるアイドルではなく、手の届かないスターで憧れの存在であったアイドルをプロデュースしたいということだった。

 

 

 

「レッスン費用についてはこちらで負担します。ただ、報酬に関してはある程度活動が軌道に乗った段階で売上の分配という形になります。」

 

 

 

 聞こえの良い言葉だけを並べることなく現実的な部分も黒瀬は伝えていく。

 

 

 

「最初はアイドル候補生としてレッスンから入ることになります。歌とダンス、それからトークや表情の作り方ですね。いきなり表に出るというよりは、半年から一年くらい基礎を固める形になります。」

「……結構、長いんですね。」

「ええ、大手はそのくらいはやります。逆に、そこをやらないと売れないので。」

 

 

 

 そこで一度区切り、男はコーヒーに口をつけた。それから少しだけ表情が変わった。

 

 

 

「……正直に言うと、楽な世界ではありません。」

「……。」

「デビューできるかどうかも保証はないですし、人気が出るかどうかはもっと分からない。途中で辞める子も多いです。」

 

 

 

 これは本音に近い部分なのだろう。相手をアイドルにスカウトする際に話すべきではない内容だろう。それでも口にするのは誠実さの表れであるのかもしれない。

 

 

 

「それでも、挑戦する価値はあると思っています。――貴女なら。」

 

 

 

 視線がまっすぐ琴音に向け、断言した。琴音は少なくとも見た目はまだ中学生なのに、大人がこうして真っ直ぐに真剣に向き合おうとしていることに熱意が感じ取れた。

 

 

 

「その、……情熱的、ですね?」

「あっ、す、すみません。」

 

 

 

 随分と前のめりになっていることに気づいたのか姿勢を正した。ほんの一瞬、迷うような間の後、少しだけ照れたように笑い言葉を続けた。

 

 

 

「実は……仕事は建前みたいなもので、半分はただのアイドルオタクなんです。」

「……え?」

 

 

 

 予想外の一言に、琴音は間の抜けた声を出した。男は慌てて手を振る。

 

 

 

「あ、いや怪しい意味じゃなくて!ちゃんと仕事はしてます、本当に!ただ、その……好きなんですよ、アイドル。」

 

 

 

 黒瀬は少し早口になる。でも表情は、営業スマイルとは明らかに違っていた。

 

 

 

「アイドルになりたいってうちに来る女の子たちはてっぺん取ったるみたいな気概で来るんですよ。それで数十分のステージに立つために裏で何十倍も練習するんです。」

 

 

 

 黒瀬の言葉は営業というより語りに近いものだった。

 

 

 

「そんな子たちがステージに立って、名前を呼ばれて、ペンライトを振られてるの見ると……ああ、この仕事やっててよかったなって思うんです。」

 

 

 

 自分で注文したコーヒーにまともに手も付けずに話を続けている。思っていたスカウト像と違っていたが親しみやすさを感じて、強張っていた肩の力が抜けた。

 

 

 

(本当に好きなんだな。)

 

 

 

 琴音は内心でそう思った。スカウトマンと話すより、一人のオタクと会話していると思った方が気が楽だった。

 

 

 

「長々とすみません。私はアイドルではありませんのでステージ上の景色がどれだけ素晴らしいものかを正確に伝えることは出来ませんが、ステージに立った彼女たちの笑顔がどれほど素晴らしかったかは良く知っています。」

 

 

 

 そう言い切った、彼の見せた笑顔は晴れやかなものだった。

 

 

 

「私は貴女があのステージに立つ姿が見てみたいんです。」

 

 

 

 黒瀬は少しだけ照れたように笑う。そんな一世一代の告白のような言葉を受けた琴音の内心はというと。

 

 

 

(……アイドルかぁ、男にモテてもしょうがないし、別にアイドル活動に興味がある訳でもないんだよな。)

 

 

 

 何一つとして響いていなかった。これ以上ないくらいの外面詐欺だろう。普通の女の子であったなら多少なりとも考えてみようかと思いそうなものであるが、残念ながら此処に居るのは琴音だ。

 

 

 アイドルという概念に求めるものは人それぞれだろう。注目されたい、ちやほやされたい、誰かに認められたいとか理由なんて様々だ。歌って踊るのが好きでその出力の先として合致したのがアイドルだったなんて人もいるかもしれない。

 ただ、今の琴音にはその部分に魅力をあまり感じたりはしていなかった。

 

 

 

 それでも一点だけ、琴音にとって魅力的に感じる部分はあった。

 

 

 

(アイドルと知り合いになれる環境って、普通にレアじゃないか?)

 

 

 

 それは黒瀬が特にアピールしていなかった部分であるアイドルを育成する事務所という部分。

 琴音の前世は男だし、女性に好かれたいという考えは変わっていない。アイドル候補やアイドルが集まる場所であれば自然とお近付きになれるという算段だ。それは正直、ちょっと魅力的だった。

 

 

 可愛い子とお近付きになりたいなら鏡でも見ていればいいのに。

 琴音を捕まえたいなら恐らくハニートラップで一発だろう。なんて悲しき生き物なんだろうか。

 

 

 

 その時、視線を彷徨わせていた琴音の視界に店内のテレビが目に入った。ちょうどスポーツ番組が流れている。特番か何かだろうか、サッカーの試合だった。

 

 

 

(スポーツ……、あー、部活……。)

 

 

 

 テレビの内容から連鎖的に思い出したのは所属していた一年生の頃にバレー部が空中分解してしまったことだった。

 出来れば記憶の底に沈めて蓋をしておきたい内容だ。

 

 

 

(アイドルも多分グループ活動だよなぁ。)

 

 

 

 琴音が気にしたのはそこだった。素のポテンシャルではアイドル活動なんて出来ないことは容易に想像出来る。必然的に適応した身体に頼ることになるだろう。

 つまり、一年生の部活で起こったことの焼き直しになるかもしれない。ここで自分で一から頑張るぞと思わない所が琴音と言えなくも無い。

 

 

 

(バレー部の時みたいになったら嫌だな。)

 

 

 

 目の前の彼の熱意や笑みが、バレー部の顧問をしていた先生の申し訳なさそうな表情に変わった。

 

 

 本当に、なんとなく。それは嫌だった。

 

 

 

「……すみません。」

 

 

 

 気づけば断りの言葉が自然と口をついて出ていた。琴音はしっかりと目線を合わせて答えを返した。

 

 

 

「やっぱり、その……お断りします。」

「そう、ですか。」

 

 

 

 一瞬だけ、残念そうな顔。だがすぐに営業用の笑顔に戻る。

 

 

 

「連絡先はそちらに書いてあります。もし少しでも興味があれば、気軽にご連絡ください。」

 

 

 

 そこで一度言葉を切り、柔らかく笑った。ポケットから何かを取り出す。

 

 

 

「話を聞いていただいたお礼です、こういうのもご縁ですから。いつでもお待ちしています。」

 

 

 

 差し出されたのは千円分の図書カードだった。

 琴音はおずおずと図書カードを受け取った。琴音の手の動きがほんの少しだけ止まる。黒瀬の言葉が頭の中で反芻される。

 

 

 

(ステージに立つ姿が見てみたい、か。)

 

 

 

 アイドルになりたいとは思わないけど、一つ頭に浮かんだことがあった。

 

 

 

 

 もし、アイドルに適応したらどうなるのか。

 

 

 

 

 黒瀬が見せていた表情から、少しだけ興味が湧いた。

 それにだ、アイドルを目指すことは無いだろうから、一度どんな感じになるのか見てみたかった。琴音はほんの一瞬、意識を向けた。

 

 

 

(ちょっとくらいアイドルに適応してみるか。)

 

 

 

 運がいい琴音からアイドルに適応した琴音へと変わった。

 

 

 

 ――その瞬間だった。

 

 

 

 内心で気落ちしていた黒瀬は空気が変わったと感じた。そう存在感だ、それが突き抜けるみたいに広がった。そしてその発生源は目の前の少女なのである。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 黒瀬の口から、間の抜けた声が漏れる。目の前の少女から発せられる圧倒的な存在感。一般人がテレビの向こうの人物を見ているようなそんな感覚。見た目は同じはずなのに何かが決定的に違う。

 黒瀬のように他の席に座っていた客も吸い寄せられるように琴音へと視線を向けていた。

 

 アイドルとは何か。それを一言で表せはしない。ただ、誰かを夢中にさせる存在であることは確かだろう。琴音が行う適応とは瞬時にその到達点へと引き上げる。

 

 

 

 

 つまり誰もが目を奪われて、惹きつけられて、目が離せなくなる存在となる。

 

 

 

 

 琴音がゆっくりと顔を上げる。

 

 

 

 

 それだけの動作なのに黒瀬は一瞬たりとも見逃したくないと思ってしまっていた。

 

 

 黒瀬にとって最高の瞬間だと心の底から言えるのは、アイドルを目指した子たちがステージに立ち歓声を受けてアイドルになった瞬間だ。     

 何故か今、それと同じものを感じた。ステージでも何でも無い、応援の声もない、衣装だって無いのに。まるで舞台のスポットライトが当たったように見えた。

 

 視線が合う。たったそれだけで、心臓が跳ねた。

 

 

 

(な、なんだ……これは……!?一体何が!?)

 

 

 

 黒瀬の思考が追いつかない。その瞳はまるで星々を散りばめた宝石のように美しくて、目を逸らせない。いや、逸らしたくなかった。

 琴音の動き一つ一つを写真にして切り取ったとしても、全てが絵になるのだろう。そこにいるだけなのに、存在感が空間を支配している。 

 

 固まってしまった黒瀬を見て琴音がほんの少しだけ首を傾げた。柔らかな髪がふわりと揺れる。不思議そうな視線を向けた後、琴音はお礼の言葉を続けた。

 

 

 

「黒瀬さん、今日はお話ありがとうございました!」

 

 

 

 ただの別れの挨拶であるのに一言一句全ての単語が脳に刻まれていくようだった。妙に耳に残る。

 

 

 

 琴音は、ふっと微笑んだ。

 

 

 

(っ……!!)

 

 

 

 その瞬間、まるで呼吸が止まってしまったかのように黒瀬は感じていた。頭が真っ白になる。それは営業スマイルでも、作り笑いでもない、完璧な笑顔だった。

 彼女の立っている場所全てがステージの上であるかのように錯覚させられる。

 

 

 

(この子は売れる、売れないとかそんな次元にいるんじゃない。)

 

 

 

 見た瞬間に、理解してしまう。彼女はアイドルだ。

 アイドルと一般人の違いは何か。それは認識の差だ、誰かにアイドルだと思わせた時点で、その人はアイドルになれる。黒瀬には彼女がアイドルに見えた。

 

 

 

「そうだ!さっき、言ってくれましたよね。わたしがステージに立つところ、見てみたいって。」

 

 

 

 視線が絡む。純粋な未完成の少女のようでいて、完成された大人の清廉さが合わさって見える。

 声音は柔らかいのに、まっすぐ刺さる。琴音はゆっくりと、ほんの少しだけ身を乗り出した。黒瀬との間の距離が近くなる。

 

 

 

 

「応援、してくれるんですよね?」

 

 

 

 

 いたずらっぽく、でもどこか優しさも感じる。その言葉に、黒瀬の思考が完全に吹き飛んだ。

 

 

 

「っ、は、い……!……もちろんです!」

 

 

 

 反射的に即答していた。黒瀬は迷わなかった。そもそもアイドルですらない一般人であるとか、そんなこと気にすらしなかった。この瞬間、黒瀬は確かにこの名前すらしらない少女のファンだった。

 

 

 その答えを聞いた琴音は、ぱっと表情を明るくする。

 

 

 

「よかった。」

 

 

 

 その笑顔はさっきよりも無邪気で飾り気のないものだった。

 まるで初恋を感じた時のような、甘酸っぱい好きという気持ちが溢れ出す。初心に戻ったような、マネージャーではなくファンとしての気持ちが強く思い起こされた。

 

 

 

 その答えを聞いて満足したのか琴音はお店を出ようと背を向けて歩いて行っている。ドアへ向かう背中を、黒瀬はただ見ていることしかできない。

 

 

 

 まるで何千人もいるような観客席の中から、自分を見つけ出してくれて、光を当てられたような感覚だった。

 世界から音が消えたみたいで、喫茶店のざわめきも、食器の音も、全部が遠のいていく。残るのは目の前の少女だけ。

 

 

 

 黒瀬の視線を感じたのか、琴音が振り返った。すると琴音が人差し指を自身の唇へと向けて、指差した。

 

 

 

 それから琴音の唇がゆっくりと動いた。琴音は声に出さなかった。

 

 

 

『あ り が と う』

 

 

 

 無音のままそう告げられる。黒瀬の心臓が強く打つ。

 

 

 

(っ……!?)

 

 

 

 カラン、と軽やかなベルの音と共に彼女の姿は見えなくなった。

 

 声に出していなかった筈なのに、はっきりと聞こえた気がした。むしろ声が無かったからこそ、強く印象付けられた気さえする。

 

 

  

 その瞬間、黒瀬の思考は完全に停止した。一瞬でその全てが脳裏に焼き付いた。

 目を閉じたままでも分かる。細部までありありと思い出せる。まるで何度も何度も再生される映像のように、脳裏に刻み込まれていた。

 

 

 

「……は、はは……。」

 

 

 

 乾いた笑いがぽつりと漏れる。椅子に深くもたれかかる。天井を見上げながら、ぼんやりと呟いた。

 

 

 

「推すしか、ないじゃないか……。」

 

 

 

 仕事としてではない、一人のファンとして黒瀬はこの日、たった一瞬で完全に堕ちたのだった。彼の中に消えない記憶が一つ、生まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 ベルの音を背に、店の外に出た琴音はアイドルへの適応を止めて幸運な琴音へと戻した。

 

 

 

「うーん、さっきのがファンサって奴?思ってたより控えめな感じだったなあ。」

 

 

 

 一人の男の人生に横殴りをしておきながら出て来た言葉はそれだった。琴音からしたらどれだけ異常な存在感を醸し出していたのか理解出来ずに、割と普通だったなと馬鹿の結論を出していた。

 イケメン女子への適応は行動と言動が分かりやすく過激なものだったから琴音もそのヤバさを理解していた。しかし、今回のように自分以外の人間が影響されるだけだと視野角が一しかない琴音にはその危険度をまるで知覚出来ない。

 

 その場で大した行動も、言動もせずに他者を惹きつける存在の異常さを本人は認識出来ない。

 

 

 

「まっ、いいか。」

 

 

 

 思わせぶりな発言をしておいてアイドルになるつもりが欠片もない琴音は、いつの間にか雨は止んだ空を見ながらそう口にした。 

 黒瀬は泣いていい。あの流れでアイドルにならない奴いる?と。

 

 

 

 もう帰ろうか、と琴音は一瞬思った。自販機の当たりや、見知らぬ人からの謝礼、スカウトと、さらにそのお礼。それなりに満足感もある。

 

 

 

 今日はもう十分、運がいい日だった。

 

 

 

(……いや、せっかくだし図書券使ってから帰るか。)

 

 

 

 読んでいた漫画の新刊が出ていたはずだ。どうせなら外出している今日のうちに買ってしまおうと、琴音は近くのデパートへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 休日の午後で、それなりに人は多い。デパートへと辿り着いた後、琴音は本屋で目的の本を手に取りレジへと向かった。

 

 

 

「588円になります。」

 

 

 

 図書カードを差し出して、会計はすぐに終わった。

 

 

 

「こちらのレシートが抽選券になりますのでお間違えの無いようにお願いします。」

「……抽選、ですか?」

「はい、五百円毎に一回ガラガラを回せるキャンペーンを行なっております。」

 

 

 

 手渡されたレシートを見ながら思い返す。そういえば本屋に来るまでに人だかりがあった場所があったなと。

 

 

 

(まあ、せっかくだし行ってみるか。)

 

 

 

 しない理由もない。特設会場へ向かうと、抽選ブースが設置されていた。かなり大々的にやっているようでぱっと見でもお金がかかっているように感じた。

 列に並びはしたものの長時間待たされるということもなく、自分の番がやって来た。

 

 

 

「レシートを確認しますね、はい、一回どうぞー!」

 

 

 

 店員に促され、琴音はガラガラを回す。コトンという小さな音と共に一つ、玉が出てきた。

 

 

 

「……あ。」

 

 

 

 店員の動きが止まった。出て来た玉は金色で明らかに特別感が出ている。どう見ても参加賞ではないだろう。

 

 

 

「お、おめでとうございます!!!特賞です!!!!」

「……え?」

 

 

 

 場の空気が一気に変わる。カランカランとベルを店員が鳴らすと、周囲の視線が一斉に集まった。

 困惑したのは琴音だった。前世も含めてこの手のものでまともに当たった事はなく、どうせ参加賞のティッシュだと考えていた。今が超絶運が良い状態であることの自覚がなかったのだ。これなら鶏の方が賢いだろう。

 

 

 

「特賞はですね、なんと当デパートの対象店舗である服屋、靴屋、美容室、化粧品店、アクセサリー各店の店長による全身コーディネート一式プレゼントになります!!!」

「……?????」

 

 

 

 あまりの情報量に理解が追いつかない。流石に特賞という目玉にしているだけあって中々の利害を度外視したものだ。それだけこのデパートも本気だったというやつだ。

 恐らくこの場にいる人の中で一番困惑していたのは琴音だったことだろう。

 

 

 

(いや、待ってどういうことだ?コーディネートって、つまりコーディネートしてくれるって事か??)

 

 

 

「すぐご案内しますね!本日中でも対応可能ですので!」

「い、いや、その……。」

 

 

 

 琴音は当然断ろうとする。十数年女性として過ごしているとはいえ、女性らしい服装を着る事に抵抗があった。仕方ないと割り切っているとはいえ進んで着ようとは思わない。スカートの心許なさは異常である。

 だが、そんな琴音の内心とは裏腹に周囲では盛り上がりを見せていた。

 

 

 

「いやあこれはすごい!」「特賞出たとこ見たの初めてよ!」「めちゃくちゃ可愛い子じゃん……。」

 

 

 

 周囲の視線に、ざわつき。そして何よりキラキラとした目線を向けてくる店員。

 

 

 

「ぜひ、最高に可愛くさせてください!」

 

 

 

 琴音には耐えられない圧だった。ノーと言えるほど琴音の心は強くなかった。

 

 

 

「……お、お願いします……。」

 

 

 

 小さな敗北宣言。こうして琴音は、流されるままに全身コーディネート企画へと連行された。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 最初に向かったのは服屋だった。店長によるコーディネートと言いながら、接客していない店員もあれよあれよと集まって琴音を着せ替え人形にし始めた。

 

 

 

「これはもう方向性決まってるでしょ。」「いやぁ、何着せても似合いそうだ。」

 

 

 

 選ばれたのは淡いクリーム色のニット。柔らかく身体に沿うシルエットで、主張は強くないのに目を引き易い。

 ボトムスは膝丈のフレアスカート。色は落ち着いたネイビー。歩くたびにふわりと揺れて、軽やかさが出る。それから赤のチェックマフラーを巻いた。シンプルだが、それが素材の良さを引き出してくれる。

 

 

 

(ひ"ん"っん"ん"ん"ん"!?)

 

 

 

 どんどん着飾られていく琴音の精神はボロボロだった。

 靴屋が持って来たのはレースアップシューズで、靴下もネイビーに合う同色系統のものを選んだ。それからシルバーアクセサリーで合わせて、大人っぽさを醸し出している。

 

 

 

 次に行ったのは美容室である。

 

 

 

「素材が良すぎる……。」「ナチュラル寄せでいこう。」「すごいサラサラなんですけど……。」

 

 

 

 鏡の前に座らされ、髪を整えられていく。長さは大きく変えない。

 だが、毛先に軽くレイヤーを入れて自然な動きを出す。前髪は整えられ、目元がよりはっきり見えるようになった。仕上げに軽く巻かれた髪は、光を受けて柔らかく揺れる。

 

 

 

 最後に連行されたのは化粧品店。

 

 

 

「お肌ぷるっぷる……、え、ノーメイク??」「ベース薄めでいい、この肌なら。むしろ乗せすぎ厳禁。……てか綺麗過ぎない?」

 

 

 

 ファンデーションはごく薄く。アイメイクも控えめに。

 まつ毛だけは丁寧に整えられることで、目元の印象が一気に強くなる。リップは自然な血色を足す程度にとどめる。

 

 

 

「……完璧。」

 

 

 

 誰かが呟いた。全員が満足げに頷いている。琴音以外はさぞ楽しかったことだろう。

 そうして連れてこられたのはガラガラ抽選のあった場所だった。宣伝も兼ねているということだ。きっと今の琴音になら客寄せパンダの気持ちが理解出来るのだろう。

 

 

 

「ちょっと歩いてみてください。」

「……は、い。」

 

 

 

 言われるままに一歩。ひらり、とスカートが揺れ、髪がふわりと動く。琴音へと視線が注がれる。

 

 

 

「やば……、超可愛い。」「あの人、お人形さんみたーい!」「モデルじゃん……。」

 

 

 

(過呼吸)(瀕死)(精神崩壊)(思考停止)

 

 

 

 女装は男性にしか出来ないから最も男性らしい行為だと琴音は自分にいい聞かせる。

 尤も、琴音は女性なのでその言い訳は通用しないのだが、正常な思考など出来ていないのだろう。

 

 

 きっとこれだけ運がいいことに琴音は喜び咽び泣いている筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 その光景を、少し離れた場所から見ていた男子がいた。

 彼は琴音と同じクラスの、どこにでもいる男子生徒だ。

 

 

 

(あれって九条、だよな?)

 

 

 

 話したことは残念ながら殆ど無かったが、前髪を切った状態の彼女の容姿は目に焼きついていた。

 

 

 

(できれば、一回くらい……ちゃんと話してみたかった。)

 

 

 

 そう思うくらいには気になっている相手であった。そんな彼がたまたま家族の買い物に付き合わされて、このデパートに来て今の状況に遭遇したのだ。

 

 

 

「ちょっと歩いてみてください。」

 

 

 

 店員の声。そして、一歩踏み出す琴音。ふわり、とスカートが揺れた。光を受けて、髪が柔らかく動く。

 

 

 

(……は?)

 

 

 

 思考が止まる。知っているはずの顔であるのに、別人のようにも見えた。大人びて凛とした姿に衝撃を受けた。

 普段の制服姿とは違う姿に、目を奪われる。修学旅行で私服姿の女性陣を見た時のような感覚だ。しかも、この場にいるのはフルカスタムされた完全究極体の琴音である。勝てるわけがない。

 

 

 

「やば……。」「めっちゃ可愛い……。」

 

 

 

 周囲の声さえまともに耳に入らないほど見入ってしまう。

 彼は、ただ立ち尽くしていた。心臓の音が、やけに大きい。

 

 

 

(こんなの……反則だろ。)

 

 

 

 彼は何かの間違いで琴音と付き合ってたことに何ないかなと思った。

 

 

 

「……っ、あの、もういいですか……。」

 

 

 

 小さくそう言って、視線を落としている。耳や頬がほんのり赤い。明らかに恥ずかしがっている。

 さっきまでとの印象とのギャップに破壊力が跳ね上がる。あまりの情報量を叩きつけられたことで意識がとび物言わぬ彫像のようになってしまった。

 

 

 

 琴音はクラスメイトの一人をノックアウトしたことにすら気づいていないだろう。

 

 

 

(もう、早く帰りたい……。)

 

 

 

 ただ、それだけを思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「本当にありがとうございました!」「最高でした!」「またぜひ来てくださいね!」

 

 

 

 満面の笑みで見送る店員たち。達成感に満ちた顔だった。

 

 

 

(こっちはそれどころじゃないんだが……。)

 

 

 

 琴音は引きつった笑顔のまま頭を下げ、早足でその場を離れた。

 視線が痛い。明らかに、さっきまでよりも人の目を引いている。

 

 

 

(無理無理無理、これで人混みとか無理だ……。)

 

 

 

 琴音は視線に耐えきれなくなって逃げるようにデパートの奥へと行き。やがて辿り着いたのは、裏手を出た先の駐車場だった。

 こちらは表側とは違って人気はほとんどない。さっきまでの喧騒が嘘のように静かだ。

 

 

 

「……はぁ……。」

 

 

 

 壁にもたれ、小さく息を吐く。ようやく人の視線から解放された事に安堵した。

 全身コーディネートに、周囲からの注目、知らない人たちの熱量。どれも現実感が薄い。文化祭の舞台での経験も似たようなものだと思うかもしれないが、あちらは適応した身体に任せていただけで琴音も観客の一部のような気持ちだったのだ。

 

 

 

 ふと、足元に視線を落とす。

 

 

 

「……?」

 

 

 

 地面に紙片が散らばっていた。何枚も、何枚も。

 

 

 

(……スクラッチ?あー、外れたから捨てたとか?)

 

 

 

 宝くじの、削るタイプのやつだ。削り終わったものばかりで雑に捨てられている。

 妙に生活感のある光景に、さっきまでの非日常が、すっと遠ざかる。

 

 

 

(なんか、落ち着いてきた。)

 

 

 

 しゃがみ込み、何となく一枚ずつ拾い集める。

 風で散らばりそうだったし、見た目もよくない。ただそれだけの理由だった。ただ、何枚か拾ったその中に一枚だけ削られていないものが混じっていた。

 

 

 

「……あれ?これまだ削ってないな。」

 

 

 

 見落としたのか、それとも、途中で飽きたのか。

 周囲を見渡すが人影はない。少しだけ待ってみるが誰も来ない。こんなにばら撒くみたいに捨てたのだ、拾いに来ることなんてないのだろう。

 

 

 

(……まあ、いいか。)

 

 

 

 どうせゴミとして捨てられていたものだ。拾って片付けた対価、ということにして削られていない一枚をポケットに入れた。

 少し時間をおいて落ち着きを取り戻した琴音は自転車を停めた場所へと戻ってそのまま家へと向かった。

 

 

 

 琴音はちょっと後悔した。先に着替えればよかったと。

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 自室で今日の戦利品を並べる。買ってきた漫画に、図書カードの残り。貰った名刺に、それから五百円玉とスクラッチ一枚。

 

 コーデ一式は見ないものとする。

 

 

 

(……なんか、一日で色々ありすぎだろ。)

 

 

 

 軽く息を吐く。琴音はスクラッチに手を伸ばした。

 五百円玉で銀色の部分を削っていく。シャリ、シャリ、と軽い音がした。一つ目、二つ目、三つ目……。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 手が止まる。削った部分をもう一度、見る。

 

 

 

「……いや、待って。」

 

 

 

 あり得ない、とは言い切れない。スクラッチなのだから当たりは存在する。

 揃っているのはデフォルメされた宝箱のマーク。金額欄を見て一瞬脳が理解を拒否した。

 

 

 

「ひゃ、ひゃくまん円?」

 

 

 

 呼吸が浅くなって胸が苦しくなる。拾っただけのゴミみたいに捨てられていたスクラッチが大当たりの100万円だ。理解が追いつかない。

 前世で社会人を経験をした琴音にとって100万円自体は手の届かない大金という訳ではないが、何の労力もなく手に出来る金額でもない。

 

 

 

(なんで、なんでこんな……。)

 

 

 

 自販機の当たり、お礼の五百円、アイドルへのスカウト、抽選特賞に、このスクラッチ。

 

 

 

(……これ、全部が運がいい状態に適応してたから?)

 

 

 

 超運がいい状態への適応を直ぐに止めた後、琴音は半泣きになりながら両親に説明しに行った。迷惑をかけるなよ馬鹿!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




偶々デパートにいた西園寺玲奈「    」



 両親に泣きついたのは『拾った』スクラッチが当たってしまったから。これ大丈夫なのかと不安で眠れませんでした。捨てられていたとはいえ、元は他人のものだからという思考があるからです。だったら拾うなという話ですが、拾おうという気分に偶々なっていたのでしょうがない。

 琴音は怖くなって幸運への適応をやめました。
 例えばいきなり飛行機が落ちて来たとして、その場で琴音だけが生き残ったとしたら超幸運ですよね。

 これ以上適応を続けるのを止める判断をしたのも運がいいからかもですね。


 そういえば、Twitterで転生した時点でTSではないだろ(つまり女性として生まれてるんだからTSしてない)というツイートを見たのですが。ツイート自体は他の作品へのものでしたが、タグでTS転生としているので変えた方がいいのでしょうか?例えば『前世:男→今世:女』みたいな。正直10年以上前からTS転生という言葉自体はあったので使ったのですが、ツイートに賛同している人が結構いたのでご意見募集します。(色々とご意見を頂いて最終的にはTS転生タグは残しておく事にしました。)
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