琴音は友達の家へと来ていた。そう友達だ。ありふれた言葉であるのに、琴音が使うと不思議とあり得ないもののように聞こえてくる。まるで、野良猫が突然「わたしは家猫です。」と名乗り出したような違和感がある。それはそれで可愛いな。
ただまあ、琴音もこの関係を友達と呼んでいいものかと疑っているし、相手から本当に友達と思われているのかも分からない。はたして本当に友達なんだろうか、ボブは訝しんだ。
「改めて、今日は来てくれてありがとう琴音さん。ゆっくりしていってね。」
「は、……はい。玲、奈……さん。」
琴音がやって来ていたのは西園寺玲奈の家だ。
西園寺家のお嬢様というのは琴音の耳にも入ってはいたが、その言葉に偽り無しと言うべきか、琴音は目の前に広がる光景を見て、すっかり萎縮していた。大きな洋館には圧倒された。綺麗に整えられた庭。その中央には、当然のように噴水まである。何というか住む世界が違うとはこの事を言うのだろう。
ただ、琴音の頭の中は別のことでいっぱいだった。
(もし、あの時のことを詰められたらどうしたら……。)
友達と言い切れないような相手の家にのこのこやって来たのには理由があった。玲奈の手の甲にキスをしたあの時の一件だ。
表面上は仲直りして友達になった流れだが、本当にそうなのかは分からない。そもそもあの流れでどうにかなったとは琴音には考えられなかった。適応中の身体が勝手にやった行動とはいえ、その責任からは逃れられないと琴音は少しだけ覚悟を決めていた。
招待された理由は友達を招きたいというものではあったが、建前かもしれない。本当の目的は死刑宣告であってもおかしくは無い。
あの時のことを言いふらしでもされたら社会的な死は確定だと内心でガクブルしている。玲奈の後をついて廊下を歩く琴音には、玲奈がその内心でどんな考えを持っているのか分からないでいた。
殆ど杞憂であるというのに、いつ罪を裁かれるのかと戦々恐々とする姿は実に滑稽と言えるだろう。
そうして屋敷内を暫く移動していると、前方から歩いてくる人影が目に映った。
「お父さん。」
「玲奈。……と、そちらの子は友人か?ふむ、初めまして、ゆっくりしていくといい。」
「あ、は……ぃ。」
「そんなところ。……文化祭の映像は後で見たんだっけ。彼女があの王子くんを演じてた九条琴音さん。」
琴音が廊下でばったり出会ったのは玲奈のお父さんだった。柔らかな声音。それでいて、言葉の一つ一つに妙な重みがある。
休日であるのに身だしなみがしっかりしており、一般的に想像する父親とはどこか違った印象がある。ただ、琴音がそんな事にまで気を回せるかと問われれば当然不可能だ。俯くばかりで顔すらまともに見れない。今世で男性への苦手意識が潜在意識に少しずつ蓄積されていったのかもしれない。
女性相手への拗らせからくるコミュ障だけだったのが、気づけば男性相手にも別の理由からまともに会話するのが難しくなっていた。子供の頃の方が学習も身につきやすいという説があるが、対話から逃げ続けたせいで身体に染み付いてしまったのかもしれない。
ただの挨拶一つで琴音はおどおどとした姿を晒していた。
「ほう、この子が?」
玲奈の父はそんな琴音の様子を見て気弱だからとか、コミュニケーションに難があるからといった可能性は低いと思考していた。
演技の腕はプロと比べて遜色無い、寧ろ勝っているとさえ言える。それだけの技量を身につけるだけの努力や、得難い才能を持っているのならそれ相応の自信が備わっているものだろう。
しかし、こうして顔を合わせてもそういった感じはない。逆に、まるで自信が無さそうだ。
理由として思い浮かんだのは娘である玲奈が何か弱みでも握ったのかというものだ。おどおどとした態度が焦りからきているものであるかもしれない。
無いとは言い切れない。娘の人間関係の構築が一般的なものとずれていることは父親としても理解していた。
当たらずも遠からず、事情を全く知らないのに大分いい線をいっているが、全ては琴音の勘違いとコミュ障が原因である。紛らわしい奴だ。
「映像越しでしか見られなかったことをあれほど悔やんだことはない。チープな言葉だが、君の演技は素晴らしかった。」
「そ、……そんな、こと……ないです。」
「謙遜することはないとも。しかし、あれほど真に迫った演技が出来る人が、まさかこんなに可愛らしいお嬢さんだとは思いもしなかった。」
娘が何らかの理由でこの子を取り込みたいのであればと考えた玲奈パパは、少し手をかそうと取り敢えず褒めることを選択した。娘が鞭を担当するなら自分は飴でもという考えだ。
とはいえ、伝えた言葉は嘘ではなく本心だ。これまでの人生で見た中であっても、彼女の演技はずば抜けたものだった。
しかし、そんな父としての気遣いが娘の逆鱗に触れた。主に後半の可愛らしいお嬢さんという部分が。
「……父さん。」
「ッ!?コホン、余り邪魔するのも悪いな。何か困ったことがあれば使用人に声をかけなさい。では、失礼させて貰おう。」
玲奈の発した底冷えするような低い声は、怒っているとかそんな次元ではなく殺意が込められていた。手を出すなという警告ではなく、手を出したのだから戦争だという決意表明だった。
玲奈パパは理由を察する前に撤退を選んだ。どれだけ富や名声を持っていても、娘から敵意を向けられては平静ではいられない。
「琴音さん、行きましょ。」
「?……は、はい。」
尚、琴音は終始キョドっていたので何が起きたのか把握していなかった。
そんなちょっとしたいざこざを終えて、琴音は玲奈に連れられて目的地に辿り着いた。
「どうぞ。遠慮しないで入って。」
「お、お邪魔します……。」
恐る恐る部屋へと入る。案内された部屋に足を踏み入れた琴音は、再び固まった。広い、そして豪華だ。家具一つ取っても、そこらの店で見かけるものとは明らかに違う。現代のお貴族様だろうか。琴音はここにいるのが場違いに思えてしまった。
「紅茶とコーヒーどちらが好き?」
「え、と。……コーヒーで。」
「分かったわ、こちらの琴音さんにはコーヒーをお願い。」
「はい、かしこまりましたお嬢様。」
窓の向こうには手入れの行き届いた庭園が広がり、調度品の一つひとつにも高級感が漂っていた。高級ホテルのスイートルームだと言われても納得してしまいそうだ。
「こちらへどうぞおかけください九条様。」
「は、は……ぃ。」
流れるように席へ案内され、言われるまま椅子に腰掛ける。
すると給仕の女性がテーブルにコーヒーカップを置き、慣れた手つきでコーヒーを注いだ。あまりにも自然な動作だったせいでスルーしそうになったが、本当に文化レベルが違っている。
食欲を唆る甘い香りと共にお菓子が並べられていき、玲奈の目配せで給仕は一人を残して退出していった。
◆ ◆ ◆
ついにあの日のことを問い詰められるのではと胃がキリキリしていたが、そんな不安とは裏腹に会話はいたって平穏なものだった。
ただ、話の内容は琴音がいざとなったら使おうと思っていた天気デッキみたいなその場しのぎのものではまるで役に立たず、そもそも口にする事すら出来ていなかった。
「最近はこちらの香りが流行っているみたい。ミドルがフローラル系だから使いやすいの。」
そう言って彼女は小さなガラス瓶を見せてくる。
手首に少しだけ付けて香りを確かめている。確かに良い匂いだ。良い匂いなのだが、琴音に分かるのはそこまでである。
今のような香水についての話であったり、新しく買ったアクセサリーの話やネイルや化粧品、シャンプーの話と雑談が続いた。
琴音は殆ど曖昧な相槌くらいしか出来ていないというのに、玲奈はスラスラと途切れることなく琴音の反応を見ながら言葉を紡いでいく。
会話一つとってもコミュ力の違いをまざまざと見せつけられた。
「こちらのフィナンシェもいかが?」
「あ、ありがとう……。」
お紅茶(コーヒー)を嗜みながら談笑する。女性の間ではこれがデフォルトなのだろうか。女友達ってこんな関係なのかと悩む。男友達であればゲームでもするのだろうが、何というか上品過ぎるのだ。
そもそも前世を含めても女友達はいないので判断出来ない。今世では既に10年以上ソロプレイだ。
何だこれは、わたしのデータにないぞと焦り散らかしているのだが、お前のデータは元よりスカスカだろ。
(た、耐えられない。もう自分でもマトモに話せてるか分からない。ど、どどうしたら。……って、あれ?)
琴音は適応して身体に任せてしまうかどうか悩みだしていた時、あることに気づいた。
◆ ◆ ◆
【西園寺玲奈視点】
友達を家に招くことを今回以上に悩んだことは無かった。九条琴音という人物を相手にするとどうにも普段通りにはいかない。常に自分に言い聞かせていないと、舞い上がってしまいそうだから。
文化祭から日にちが経って彼女の前髪ももう少しで目を隠すくらいにまで伸びてきている。綺麗な顔がまた見えなくなっていく。心の底で勿体無いと思ってしまった。
(身だしなみに関係する物には興味がなさそう。わざわざ隠そうとしてるくらいだし、本当に気にしてないみたい。反応があったのはお菓子くらいだけど、どれもいまいち。)
玲奈はさりげなく話題を出して琴音が好きなものは何か探っていた。
香水、アクセサリー、ネイル、シャンプー、化粧品と話の中に織り交ぜたけど反応は芳しくない。自ら地味なようにしているのだから、それもそうかと納得する。
反応があったのはお菓子についてだけど、あくまで他の話題に比べてだ。同学年の友人とは反応がまるで違う。
「好きなだけ食べて、おかわりは沢山あるから。」
控えている給仕に目配せして後で渡す用のお菓子を準備させておく。
渡そうとしたらきっと遠慮から入るだろうから、帰る直前にお礼だと言って渡すつもりだ。今の彼女を相手取るのであればこの方がいいだろう。まだ中学三年生とはいえ、玲奈にとって会話の中で情報を得るのは慣れたものだった。
とはいえだ、今のおどおどとした姿からはあの日の光景が夢であるかのように錯覚させられる。
(貴女は本当に不思議な人。)
どの九条琴音が本当の彼女なのか玲奈には未だに判別出来ずにいた。直接会話した機会は少なくとも、これまでずっと見てきたのにだ。
今のようなコミュニケーションをとるのが苦手な琴音さん、先生を相手にしている時に見せる聡明な琴音さん、それから何もかも委ねてしまいそうになる琴音さん。
そのどれもが本当の彼女であると感じられた。
(彼女の見せる姿は演技?そもそも、本当の九条琴音を表に出してすらいない?)
普段はおどおどした姿で、時折聡明な姿を見せる。これだけであればまだ理解できる範囲だ。とはいえ、自分が対面した彼女が加わってくると前提が崩れてくる。
複数の彼女がいることを理解した時、最初は多重人格者なのではと考えもしたが文化祭でみせた真に迫る演技を見たとき、判断はより困難なものとなった。
こちらを伺いながらビクビクしながらお菓子を頬張る彼女の姿が目に映る。可愛い。
「コーヒーのおかわりは?」
「は、はぃ……い、いただきます。」
ちなみに緊張から何かしていないとと、琴音はコーヒーを飲み続けている。既にお腹はたぷたぷだ。食べているお菓子の味すら分かっていなさそうである。
追加のコーヒーが注がれ絶望している琴音をスルーしている事に気づくことは無く、玲奈は紅茶に口をつけて一息つく。普段ならしないようなミスだが、琴音とは別ベクトルで玲奈も余裕がなかった。
結論は既に出ていた。あの彼女が多重人格の一つだとしても、演技だったとしても構わない。
(どんな貴女であっても私はありのまま受け入れる。)
冷静になって考えたことがあった。あの時の許しや、友達になろうと言う言葉は彼女に言わせてしまったものだったのではないかと。
あの時の自分は、少し、本当に少しだけ舞い上がってしまっていたから彼女の考えにまで気が回っていなかった。自分を宥めるために彼女に都合の良い言葉を口に出させてしまったと、後になって理解した。
事の発端は自分であるのに、また彼女の手を煩わせてしまったことを後悔した。
(今度こそ間違えたりしない。今は、貴女の友達になれるだけのメリットを提示してみせる。)
その場しのぎの言葉だったとしても友達だと言ってくれた事に誠意を見せるべきだ。
だから、友達の隠していることを無理に聞き出すつもりはないし、彼女が自ら言ってくれるように信頼を勝ち取るつもりだ。
何故、そこまで琴音に執着しているのか。結局の所あの日に、小学生の時の校舎裏での出来事に脳を焼かれてからずっと彼女の影が消えずに脳裏に刻まれているからなのだろう。あの日から彼女の事を考えない日などなかった。
それがこうして手を伸ばせば届く距離にいるのだから、少しでも仲を深めようと考えるのは普通のことだろう。
玲奈は逸る気持ちを抑えながら、表面上は冷静に振る舞っていた。カップをソーサーへと戻す。
そこでほんの少しだけ違和感を感じた。それが何なのか、直ぐに理解した。そう、先程から彼女と目が合っている。
「ぇっと、……その、こんなに良くしてもらって、いいのかな……。」
こちらをおずおずと見つめる彼女がそう問いかけてきた。
「私が琴音さんに提示出来るメリットなんて多くないの。」
「……メリット?」
「ええ。」
友人はいても、弱みを見せられるような友人はいない。人付き合いはどこまでもビジネス的なもので、玲奈にとって友人関係とは壁を隔てたような、一歩引いたものであった。西園寺家という看板は一般的な友人関係の構築から玲奈を遠ざけていた。
だから一般的視点からみると、この友人関係の構築の仕方は歪に見えるだろう。それでも、それが彼女の普通であった。
普段はメリットを提示される側だが、今回は
友人でいるための対価を琴音に示す立場にいる。
そしてこれが彼女を家に招いた理由だった。自分のメリットを提示し、友達から始めようと言ってくれた事への回答。彼女に言わせてしまった事を恥じた。だから、自分の口から言うのだ。
貴女の友人でいさせてくれますか、と。
「琴音さんが私の助けを必要としてくれるかは……分からないけど、もし琴音さんがいいなら、……友達でいてくれますか。」
「ごめん、なさい。」
後編も明日くらいまでには投稿出来る予定です。