星見神社へ続く道には、夏祭りを知らせる提灯が吊るされており、赤や橙の明かりが彩っている。ぼんやりとした温かな光は、まるで小さな星が地上へ降りてきたようだった。
「帯、苦しくない?」
「うん、大丈夫。」
そう答えて振り返った少女は、両親の顔を見上げてにっこりと笑った。
まるで妖精のように可愛らしい少女だ。白色の浴衣にアサガオが涼しげに散らされており、帯は柔らかな桃色をしている。浴衣に合わせて母が選んでくれた花の髪飾りもよく似合っている。大人びて見えるのに、どこか幼さの残る愛らしい雰囲気があった。
「本当に似合ってるわねえ。」
「うー……そうかな、変じゃない?」
「恥ずかしがらないで、すごく可愛いわ。」
浴衣を着る機会なんて殆ど無い。だからだろうか、慣れない浴衣をいじりながら少女は恥ずかしそうにしている。
「お父さんはどう思う?似合ってる、かな?」
「もちろんだよ。普段にも増して今日は一段と綺麗だ。」
「えへへ、そっかぁ。」
少女が父を見上げると、父は少し照れたように答えた。少女は恥ずかしそうに笑って、ほんの少しだけ頬を赤くした。両親にとって、この愛らしい娘が何よりも大切だった。
「じゃあ、行こうか琴音。」
「うん!」
この完全無欠に可愛らしい超絶美少女が誰か、そう琴音である。
◆ ◆ ◆
これが二人の娘として生活している時の琴音だ。二人の前では適応を止めた素の姿を見せたことは無い。それが琴音なりのけじめだった。
二度目の生を得た時、あの神のごとき存在から与えられた情報によれば、二人の間にはどれだけ望んだとしても子供を授かることが難しい状態だった。
だから琴音の誕生は奇跡であり、望まれたものだった。
本来誕生する筈だった赤ん坊の人生を乗っ取って生まれた訳でも無い。それでも、琴音は二人に申し訳なさを感じてしまっていた。
自分がこの二人の立場であったらどうかと考えてしまうのだ。他人が自分の子供として生まれてきたとしたら。
少なくとも琴音は手放しに受け入れられるとは思えなかった。
知らずに済むならその方がいい。この二人に余計な心労を与えたくはなかった。
告白する勇気が無いだけで、この考えは逃げなのかもしれない。だとしても、嘘でも死ぬまで騙し続ければそれは真実になる。そう信じて、この秘密だけば墓場まで持っていくと決めていた。
「ちょっと周りを見て回ってくるね。」
「はしゃぎ過ぎて転ぶんじゃないぞ。」
「もう、そんな歳じゃないでしょう。」
「いやー、そうだな……。もうあんなに大きくなって、子供の成長は早いもんだなあ。」
二人の会話を背にして琴音は屋台が立ち並ぶ人混みの中へと紛れていった。
(年に一回のお祭りだし楽しまないと。大人になると、あんまり行かなくなっちゃうんだよなあ。)
前世では社会人になってからお祭りに行くことがめっきり無くなってしまった事を思い出す。
何故行かなくなったのかと考えてすぐに思考を止めた。周りにいるのは子供連れの家族、カップルに、友人同士で来ているだろうグループ。お祭りに参加する理由が琴音には足りなかったことは明白だ。琴音は心の内で泣いた。
毎年の事とはいえ、浴衣の感覚に慣れない。根本的に身体を優しく包む柔らかな女性の衣服に慣れる日は一生来なさそうだ。そんな琴音の内心の戸惑いが適応中の外面に出ることはない。
そんな自分のことで頭がいっぱいになっている琴音へと多くの視線が周囲から向けられていた。
屋台の鉄板で焼きそばを作っていた店員が顔を上げる。金魚すくいの水槽を覗き込んでいた小さな子供が、母親の手を引きながら振り返る。射的の景品を眺めていた女子高校生たちも、いつの間にか視線を琴音へと向けていた。
「……ん?」
「どうしたの?」
「いや……あの子めちゃくちゃ可愛くない?」
そんな小さな声が、あちらこちらから聞こえて始める。
いい子モードではヘアピンで前髪を留め、お祭りとあってヘアアレンジもばっちりだ。端的に言って琴音の美貌が完全に露出してしまっている。
琴音は前髪ガードで時折忘れがちになるが、容姿もまた神から与えられたもので軽視していいものでは無い。
もう中学三年生だ。すでに可愛らしさに加えて美しさや妖艶さが増して来ている。立つ、歩くという日常動作ですら絵になるような究極生物である。
一般的にどれだけ美人な人がいたとしてもじろじろと見続けることはしないだろう。
しかし、芸能人や俳優といった有名人だと分かる相手であれば視線を向けてしまう人は多くいる筈だ。相手が見られることを仕事にしているからか、心理的ハードルが下げられる。
琴音は勿論有名人ではないけれど、放っているオーラは一般人のそれとは大きく違う。今のように適応した状態で、容姿を隠していない場合では特に。
「すご……めっちゃ可愛い。」
「え、モデル?」
「いや、どうだろ。芸能人とかじゃない?」
「でも中学生……くらいだよね。cmとか出てたかなあ。」
誰かがそう呟く。その声を聞いた別の誰かが振り返り、琴音を見る。そしてまた別の誰かが琴音へと視線を向ける。
一人、二人と視線が釘付けになり、その数がどんどん増えていく。
「あの子じゃない?」
「何が?」
「ほら、さっきからみんな見てる子。」
当の琴音はそんな周囲の声を聞いていなかった。祭りの喧騒がシャットアウトしたからだ。子供たちの笑い声に、屋台から響く威勢のいい呼び声。盆踊りの音楽が流れており、そんな雑多な音の中に紛れてしまえば、人々の囁きなど琴音にとっては背景音と変わらなかった。
(賑やかだなあ。)
呑気にそんな事を思いながら琴音が人の流れに沿って歩いていると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。視線を向ければ、たこ焼き屋の屋台がある。ただ、その周囲だけ妙に人が少なかった。
屋台に立っているのは、いかにも強面のおっさんが一人。
体格ががっちりしていて太い眉にサングラス。頬には古い傷まである。どう見ても祭りでたこ焼きを売っている人間というより、裏社会で何かやっていそうな雰囲気だった。
「おう、琴音ちゃんじゃねえか。久しぶりだなぁ、去年の夏祭り以来か。」
「こんばんは、お久しぶりです。」
「大きくなったもんだなぁ。」
「そうですか?」
低い声が飛んできた。そう、この三人くらい殺ってそうなおっさんは一応琴音の顔見知りである。
(顔は怖いけど、悪い人じゃないんだよなあ……たぶん。)
知人に分類するかどうかが微妙な位置で、毎年この夏祭りでたこ焼きを売っているおじさんと、毎年夏祭りに来ているお客というだけだ。
「それに、去年よりまた綺麗になってんじゃねえか。二度見しちまったよ。」
「もう、褒めても何も出ないですから。」
どう反応すればいいのか分からず、琴音は曖昧な笑みと共に返した。
何というか、このおっさんが普通に笑っているだけでも別の意味があるのではと勘繰ってしまうくらいには凄みを感じてしまう。適応中でなければ言葉に詰まって返答できていなかった事だろう。
「ほれサービスだ、持ってきな。」
おっさんはパックに詰めたたこ焼きを手に取り、琴音へと差し出した。
「え?ダメですよ……ちゃんとお金払いますから。」
琴音が首を横に振る。買うかどうかは考えていなかったが、タダで貰うことなんて出来ない。
するとおっさんは腕を組み、盛大にため息を吐いた。
「男ってのは可愛い子がいたらサービスするもんだぜ。それに、手ぶらで帰らせちゃあ男が廃れちまう。」
可愛い子がいても話しかけることすら出来ない琴音はその土俵にすら立てていないことになる。まあ事実か。
「おっさんのちっぽけなプライドを守らせちゃくれないか?」
「そんな風に言われたら断りづらいじゃないですか……。」
いい笑顔でたこ焼きのパックが目前に差し出される。
「……ありがとうございます。」
「おう、祭り楽しんできな。」
琴音は差し出されたたこ焼きのパックを両手で受け取った。
他のお客さんが来たら邪魔になってしまうからとお店の脇へと移動し、口にしないのも失礼かと思い少し食べることにした。
パックを開けるとソースの香りが鼻腔をくすぐった。
祭りの屋台で買ったものを食べるというだけで、どうしてこうも美味しそうに感じるのだろう。
琴音は小さく息を吹きかけてから一口食べた。
「いただきます、……ん。」
焼きたてなのか熱々で、美味しい。思わず頬が緩む。周囲にいた人々の視線が琴音へ集まった。
琴音が気付かないまま、次のたこ焼きに爪楊枝を刺して持ち上げ。ふーふーと息を吹きかけ口へと運ぶ。その一連の動作は妙に絵になっていて、何かの撮影中であるかのように完成されたシーンみたいだった。
「あのたこ焼きすごく美味しそうじゃない?」
「確かに、一つ買おうかな。」
一人が足を止めると、その隣の人も立ち止まる。さらにその後ろから歩いてきた人まで、足を緩める。
おっさんはそれに気付いていた。そして、口元をわずかに吊り上げる。まさに計画通りという奴だ。
「たこ焼き一つください。」
「おう、五百円な。熱いから気をつけろよ!」
先ほどまで閑散としていた屋台に、次々と客が並び始める。
「二つくらい買っとく?」
「えー食べきれるかな?」
「いけるって。」
「毎度あり!」
あっという間に行列ができていく。琴音は目を丸くして、その様子を眺めた。
(ちょうど空いてたタイミングだったのか。ここに長居しても邪魔になるだけか。)
そう結論づけた琴音は、たこ焼きのパックを片手に屋台を離れた。人の流れに沿って歩いていた琴音だったが、直ぐに足を止めることになった。
「あれ?あの子……。」
屋台と屋台の間。人通りから少し外れたところに、半袖のシャツに短パン姿の小さな男の子が立っていた。小学校低学年くらいだろうか。俯いたまま、何かを堪えるようにじっと地面を見つめていた。
「……おかあさん……。」
そして、小さな声が聞こえた。母親とはぐれてしまったのか、迷子だろうか。
できれば関わりたくないというのが琴音の内心だった。知らない人に話しかけるのは、琴音にとって決して得意なことではない。むしろ苦手で、子供に対してもそうだ。相手が本当に困っていそうな子供であっても二の足を踏んでしまう。
(誰か他に助けてくれそうな人は……。)
そんな考えが浮かんだ次の瞬間には琴音の身体は動いていた。
「どうしたの?大丈夫?」
適応中の琴音は逃げられなかった!両親にとってのいい子へと適応している状態では困っている子供を目の前にして放置して離れるなんてことできる筈がなかった。
驚くほど穏やかな声で男の子へと問いかける。男の子がゆっくりと顔を上げた。
「……ぅう。」
「うん、ゆっくりでいいよ。」
「おかあさん……どこか行っちゃった……。」
今にも泣き出しそうな顔だった。琴音の身体は、自然な動きでしゃがみ込む。視線を男の子と同じ高さに合わせる。
「そっか。お母さんとはぐれちゃったんだね。」
「……うん。」
「怖かったね。大丈夫、大丈夫だよ。お姉ちゃんが一緒に探すからね。」
「……。」
男の子は唇を噛んでぐっと堪えているようだった。琴音の手が伸び、ぽんと小さな頭へと優しく触る。
「お母さんとはぐれちゃったのは、君が悪いわけじゃないからね。」
「……でも……。」
琴音は優しく微笑みながら男の子が落ち着くのを待つ。
「……おかあさん、見つかるかな。」
「もちろん。それまで、お姉ちゃんがそばにいるからね。」
「……ほんと?」
「ほんとだよ。」
迷いなく即答する琴音。とんとん拍子で進んでいく会話に、もはや心の中の琴音には傍観することしか出来なかった。
(……まあ急いでる訳じゃないし、これくらいなら適応が何とかしてくれるからいいか。)
これがいい子に適応した状態なのだ。両親を安心させる、困っている人を放っておかない、泣いている子供がいれば慰める。正しく善人としての選択を迷いなくとれる。
男の子がぐすっと鼻を鳴らす。琴音は男の子の目をまっすぐ見つめて言う。
「だから、もう一人で頑張らなくていいよ。」
「……うん。」
男の子は小さく頷いたあと目元を擦った。
「いい子だね。怖かったのに、ちゃんと頑張ったんだね。」
「……がんばった?」
「そうだよ。」
琴音は微笑む。その言葉には、年齢からは想像できないほどの安心感があった。内心では早くお母さんが見つからないかなと考えているが、身体だけは完璧な優しいお姉ちゃんとして振る舞っていた。
「とってもえらいね、よしよし。」
琴音が男の子の頭を優しく撫でる。その姿には、妙なほどの包容力があった。
そしてそんな光景を偶然目にした人物がいた。それは屋台を見て回っていた男子中学生三人組の内の一人だ。
この光景を目撃してしまったのは右端にいる少年で、敗因は琴音のいる側に近かったからだ。田中は完全に足を止めて固まってしまった。屋台で誰といるかまでは見えなかったが、手前側にいた彼女の姿と話し声は聞こえた。
「……田中?どうした、いきなりぼーっとして。」
「……。」
「おい、マジで大丈夫かよ。」
田中は琴音のクラスメイトだ。同じ学校とあれば住んでいる地域の関係で、お祭りのようなイベントで出会うこともあるだろう。
学校で見る九条琴音は、前髪で表情を隠した少女だった。自分から積極的に誰かと話している姿はほとんど見ない。それでもふとした瞬間に見せる彼女本来の表情は美少女の一言で表せないくらいには脳裏に残るものだった。おめかししており顔面がコンニチワしている姿を見るのは初めてであっても直ぐに九条琴音だと理解出来た。
「……。」
田中の顔が琴音を向いて固まった。まるで全てを包み込んでくれる聖母のような言葉を誰かに投げかけている彼女の姿は劇薬に等しいものであったからだ。
田中の脳裏では琴音の姿がフラッシュバックし続けていた。
エプロン姿で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる琴音。疲れを癒そうと優しく頭を撫でてくれる琴音。やっぱり耳元で囁いてくれる琴音かな。ことーねいつもありがとう。
「…………ぐふっ。」
「田中ァ!?」
情報の奔流に耐えきれなくなった田中がドゴォンと効果音がつきそうな勢いよく倒れた。ただ、田中の表情はとても満足気で安らかなものであった。
「しっかりせえ!」
「おい、おい!」
必死に二人が田中へと声をかけるが返事は無かった。し、しんでる……。
そんな騒ぎが直ぐそばで起きていることも知らず。
「じゃあ、お母さんを探しに行こうか。」
「……うん。」
祭囃子が鳴り響く。提灯の明かりが揺れ、人々の声が響く。
まさか琴音もクラスメイトの一人の性癖を捻じ曲げて、同年代か年下の女の子のバブみにしか反応出来ない悲しきモンスターにしてしまったとは夢にも思わないだろう。
◆ ◆ ◆
一つの悲劇が人知れずありながらも、琴音が知ること無く男の子を連れて歩き始めた。
「お母さん、どっちに行ったか覚えてる?」
「……わかんない。」
「そっか。大丈夫だよ、焦らずゆっくり探そうね。きっと見つかるよ。」
男の子はこくんと頷いた。お祭りとあってかなりの人がいる。この中からヒント無しで見つけ出そうとするのは困難だろう。まして琴音は相手の顔も知らない、この男の子が見つけられるかどうかにかかっている。
(……早く見つかるといいんだけどな。)
琴音自身はそんなことを考えていたが、お祭りの本部にでも連れて行って会場にアナウンスを流してもらうのが一番無難だろう。
しかし、そんな行動すら足止めされてしまう。
「ねえ。」
「……?」
声を掛けてきたのは、琴音より少し年上に見える二人組の男子だった。二人とも高校生くらいだろうか。
髪型を整え、服装にもそれなりに気を遣っている。ただし、ものすごく頑張っているのが分かると前置きがつく程度のものだ。お洒落をしようとしている努力そのものは伝わってくるのだが、残念ながらその努力が本人たちの素材と完全には噛み合っていない。
「君、もしかして一人?一緒に屋台巡りしようよ。色々奢るからさ。」
「まじ、一人で回るより楽しいっしょ。」
「……。」
(え、こわ。普通知り合いでも無いのに誘ったりする?というか一人じゃないんだが。)
明らかにナンパなのだが、琴音にはそっちの方が衝撃的だった。ここまでアグレッシブに行動しろとは言わないが、琴音も少しは見習うべきだろう。
とはいえ、まるで台本でもあるみたいな誘い方だ。そばに男の子がいるというのに臨機応変さが足りないという奴だろう。
「せっかくの祭りなんだし、どう?」
「絶対に飽きさせないって、な。」
琴音が黙っていたことを悩んでいると解釈したのか二人は畳み掛けるように言葉を続ける。
そもそもお祭りにくる人でフリーの方が少ない。二人はナンパを成功させて勝ち組になることに必死だった。まあ、二人組で一人相手にナンパをしようとしている時点で自信の無さが浮き彫りなのだが。
「ごめんなさい、今は忙しくて一緒に屋台を見て回ることは出来ません。」
きっぱりと断る琴音だが、声色は柔らかく、表情も穏やかなものだった。それこそオーケーされたように感じるほど自然で優しい物言いだった。
そのため、拒否された二人は一瞬どう反応していいか分からなくなっていた。
「え、あぁ……それならさ、その用事?か何かの後でもいいからさ。」
「そうそう、それくらい待つよ。」
言われたことを理解したが、直ぐに諦められるものではない。何とか琴音との関係を維持しようと必死だ。琴音がこういった相手に嫌悪的な感情を向けられていたなら話は変わっていたかもしれないが、今の状態では善性が全面に出てしまったおり相手に押せばいけると思わせてしまっている。
それに二人からすればこれ以上ないくらい可愛い美少女を諦めきれないでいた。
「お母さんとはぐれちゃった子がいて、どれくらい時間がかかるか分かりません。待たせてしまうのも悪いです。」
「……ああ、そういうこと?だったら俺たちも一緒に探してあげるよ。」
「そうそう。一人より三人の方が見つかりやすいって。」
善意なのか、下心なのか。まあ下心だろう。視線はずっと琴音へと向けられているし、少なくとも二人が自分についてきたいだけなのが分かる。
玲奈セコムがあればこんな事は滅多に起きないのだが、あいにくと琴音の休日の過ごし方までは把握していなかった。
「それにさ、君みたいな子が一人で歩いてたら危ないじゃん。」
「俺たちが一緒なら安心だろ?」
「その……。」
どこからそんな自信が出てくるのだろうか。この迷子の男の子のことを微塵も気にしていなさそうな二人がいても邪魔になるだけだろう。琴音が何か言おうとした、その時だった。
「おーい。」
聞き覚えのある声がした。人混みの向こうからやって来たのは、たこ焼き屋のおっさんだった。救世主現るというやつだ。二人からすれば地獄の使者だろうが。
その姿を見た瞬間、二人組の男子の顔が引きつった。二人はチラチラと琴音とおっさんを見やってマジかという表情を見せている。
「なんだ、揉め事か?」
おっさんは琴音の隣にいる男の子をちらりと見た。
「……で?」
「えっ……と、なんすか?」
「何してんだ?」
怖い顔のおっさんにいきなり話しかけられて先程までの青春ウキウキパラダイスから一転、心身ガクブル地獄だ。寒暖差で風邪ひきそうである。
「いや、その……ちょっと話を。」
「この子に何か用か?」
「い、いや、別に……。」
おっさんは二人の顔を交互に見て何をしていたのか聞いただけだが、妙な迫力があった。
「そうか、……聞いたか?用は無いんだとよ。そら、さっさと行きたいとこに行きな。」
「ありがとうございます。」
「礼なんざいいさ、目に入ったから来たってだけだ。」
琴音がいる位置から少し離れた場所にいたおっさんは三人組の男子グループの一人が倒れたとかでちょっと手を貸していた所だった。偶然にも琴音のいる方だったので、こうして琴音のちょっとしたピンチを目にして来てくれたという訳だ。田中某くん様々だ。
この足止めされた状況から抜けられるならそれに越したことはない。
「すみません。急いでいるので。」
「あ、いや……。」
「失礼します。」
琴音はぺこりと頭を下げ、そのまま二人の横を通り抜けた。二人は呆然と琴音の背中を見送ることしか出来なかった。
「大丈夫?怖くなかった?」
「……うん。」
男の子は小さく頷いた。まあ、本当に怖い思いをしたのは怖そうなおっさんとランデブーを繰り広げる事になったあの二人組なのだが運が悪かったという事にしておこう。
提灯の明かりが、琴音の足元を柔らかく照らしていた。逸れないようにと琴音は男の子の手を握って、しっかりと歩いていく。
握ったその小さな手は、ひどく冷たかった。
◆ ◆ ◆
屋台の並ぶ場所から少しずつ離れていくにつれ、祭りの喧騒も遠くなっていった。
聞こえていた呼び込みの声が小さくなり、盆踊りの音楽もいつしか遠くのものになる。提灯の明かりもまばらになっていく。
気付けば二人は、神社の境内の端まで来ていた。そこから先には、木々が並んでいる。ひどく静かだった。
「うーん、こっちに人は来てないみたいだね。」
琴音は周囲を見回した。少し勢い任せに来てしまったが、男の子が反応を示さない所を見るに道中に彼のお母さんはいなかったのだろう。
「やっぱり運営本部のテントに行って、迷子のアナウンスをしてもらう方が確実なのかな。」
「……お姉ちゃん。」
「ん?どうしたの?」
男の子が琴音の手をぎゅっと少しだけ強く握った。小さな手だ。
「お母さんも……探してくれてるのかな。」
「もちろんだよ。きっと今ごろ、一生懸命探してるよ。」
「……ほんと?」
「うん。だって、自分の子供がいなくなったんだよ?心配しない親なんていないよ。」
男の子が不安になっていると判断したのか琴音はしゃがみ込み、男の子と目線を合わせてそう告げた。
「……。」
「自分の子供が可愛くない親なんて、いないんだから。」
そこまで言って、琴音は安心させるように笑顔を見せた。
(もし、二人がわたしの事を全部知ったら……この関係は。……考えるのはやめよう。)
男の子へと投げかけたその言葉は、思いのほか、内心でこの光景を見ていた琴音自身の胸に深く刺さっていた。生まれてからずっと付き纏うしこりのようなもの。
自分の子供が可愛くない親なんていない。そう言った瞬間、琴音の脳裏に二人の顔が浮かんだ。
浴衣を着せてくれて、似合っていると何度も褒めてくれた母。綺麗だと言ってくれた父。
あの二人にとって、自分は娘だ。間違いなく。二人は自分を娘として愛してくれている。 けれど、何も知らない二人の前で、本当の自分を隠して過ごして来ていた。二人が望んでいた子供として。
自分がどんな存在かを打ち明けた時、どんな反応をするのか分からない。考えれば考えるほど、分からなくなる。
だから琴音は、ずっと秘密にしてきた。余計な心配をかけたくない、知らない方が幸せなのだと言い訳して。それは本当に相手のためなのか。それとも、自分が傷つきたくないだけなのか。
(……分からないな。)
けれど、今はそれを考えている場合ではない。目の前には、母親を探している小さな男の子がいる。
「だから、大丈夫だよ。ね?」
「……ううん。」
男の子は頷いた。けれど、その表情は先ほどまでとは少し違っていた。泣きそうな、不安そうなものではなく、どこか、覚悟を決めたような顔だった。
「……お姉ちゃん。」
「なに?」
「これ。……お母さんに会ったら、渡して。」
「え?」
男の子がポケットから何かを取り出したのは小さなキーホルダーだった。
動物を模した子供向けのものだ。けれど、随分と古いものなのか表面には傷があり、薄汚れている。男の子は琴音の手のひらに、それをそっと乗せた。
突然のことに琴音は目を瞬かせた。
「もう、かえるね。」
「……帰る?急にどうしたの?それに、このキーホルダーも自分の手で渡さないと。」
琴音は男の子にキーホルダーを返そうとするが受け取ろうとしなかった。男の子が顔を上げる。ただ、その表情は少しだけ寂しそうだった。
琴音の胸に、妙な感覚が走った。何かがおかしい。ただ何がおかしいのか分からない。
「……お母さん、きっと心配してるよ?」
「うん。」
「だったら……。」
「だから、……もう心配させたくない。」
男の子は琴音の言葉を遮るように言った。確かに家に帰れるのなら必ず家族と再会出来るだろう。しかし、それならキーホルダーを琴音に渡す必要なんてないのだ。
どこか噛み合わない会話に、何か見落としてしまっていることがあるみたいだった。
「このままだと、お母さん。ずっと探しちゃうから。」
琴音には、その言葉の意味が理解出来なかった。けれど、考えるより先に男の子は背を向けて行ってしまった。
「お姉ちゃん、ありがとう。ばいばい。」
「待って。」
琴音は手を伸ばしたけれど指先に残っていたのは、冷たい夜風だけ。琴音はその場に立ち尽くした。
男の子が去っていった方を、ただじっと見つめている。もう人の姿はない。
「……一人でいかせてよかったのかな。」
手のひらに残された、小さなキーホルダー。そんなことを考えていた、その時だった。
「……あの。」
「……?」
背後から声がして、琴音が振り返る。そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
夏祭りだというのに浮かれた様子のないひどく落ち着いた女性だ。まるでお祭りではなく、追悼に訪れているような。
女性の視線は、琴音の手のひらへ釘付けだった。より正確に言うなら手のひらに乗せられているキーホルダーにだ。
「すみません、それを……見せてもらっても、いいですか?」
「このキーホルダー、ですか?」
「はい……、お願いします。」
声が震えている。琴音は少し戸惑ったけれど、何か強い思いがあるのだけは感じる。震える手を胸元で握りしめ、必死に感情を抑え込んでいる。
「どうぞ。」
琴音はキーホルダーを差し出した。女性は両手で受け取った。触れた瞬間。小さく息を呑み、まるで、それだけで何かを確信したようだった。
指先で表面を撫でる。傷の位置まで確かめるように、何度も何度も触れている。
「……間違いない、あの子の……。」
「……?」
女性の声が途切れた。必死で耐えているように見えた。女性が顔を上げる。
「すみません、こちらを……どこで見つけましたか?」
「えっと……、さっきまで小さな男の子がいたんですけど。」
「……!」
「小学校低学年くらいの子で。お母さんとはぐれたみたいだったので、一緒に探していたんです。」
琴音の言葉を聞いて女性はひどく驚いていた。それでも口には出さずに女性は黙って聞いている。
「途中で、その子が急にもう、かえるねって言って……。」
「……。」
「その時に、このキーホルダーをわたしに。お母さんに会ったら、渡してって。」
女性の指が、きゅっとキーホルダーを握りしめた。
「……そう、ですか。」
「……あの、もしかして……あの子のお母さんですか?」
「……はい。」
女性は消え入りそうな声で答えた。何というニアミスだろうか。まさかこんなに早く会えるとは思わなかった。もう少しあの子が離れるタイミングがズレていればすれ違うことも無かったのにと思えてしまう。
けれど、そういうことなら納得できる。迷子の我が子の持ってるキーホルダーを見知らぬ人が持っていたら驚きもするだろう。何なら怪しいのは琴音だ。
(あれ、わたしが誘拐犯みたいになってないよな。だ、大丈夫、だよな?)
そんな不安が一瞬頭を過ったが、彼女を見る限りそういった考えは無さそうだった。
「他には……何か、言っていませんでしたか?何でもいいんです。」
「えっと、『もう心配させたくない』って言ってましたよ。」
「……そう、ですか。」
女性は目を閉じた。堪えるように、ゆっくりと息を吸う。ただ、俯いたまま肩だけが小さく震えている。
すると女性が突然、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「いえ、そんな……私は何も。」
「本当に……ありがとうございます。」
琴音は慌てて手を振った。ただ、一緒に探しただけで結局、お母さんを見つけることすら出来なかったからだ。もう少しあの子を引き留めておくべきだったと後悔したが後の祭りだ。
(うーん、まあ家に帰れば会えると考えればこの人にとってはよかったのかな。ここまで感謝されるほどの事じゃないけど……。)
何度もお礼を口にする女性を後にして、琴音は何だか釈然としない気持ちでその場を離れた。
琴音がその場から離れた後、女性はもう一度両手でキーホルダーを優しく包み込んだ。
「おかえりなさい……。」
その言葉だけが、夜の静けさの中に消えていった。ただ、森の木々を揺らすように、優しい風が吹いた。
遠くから祭囃子が聞こえてくる。その音に混じって、どこかで子供の嬉しそうな声がした気がした。
◆ ◆ ◆
「探したぞ琴音、友達にでも会っていたのか?」
「うーん、そんなところかな。」
「ねえ琴音そろそろお友達を家に連れてきて。ずっと楽しみにしているのに。」
「もう、家に誘うのは恥ずかしいって言ってるのに!」
(ごべーんッ!!家に誘えるような友達はぁッ!誰ひとりッ!いませんッッ!!)
【後書き】
琴音が行動は成功かクリティカル出してくれるのに、目星とか失敗したせいで何かよく分からんけど解決したからヨシッ!みたいになってしまった。
(転生してイージーモードを読んでくださっている方で、自分はこんな作品書いてるよという方がいればこっそり教えて下さい。感想欄だと多分規約に引っかかるのでお時間があれば活動報告の方にお願いします。書いてる人がいるのかも分かりませんが、読んでみたいです。)