誤字脱字報告助かります。
琴音の生活にもちょっとずつだが変化があった。
中学三年生にもなれば二年以上同じクラスメイトとして過ごした人も出てくる。琴音側からのアプローチは無理だとしても、琴音の人となりを理解してくれたクラスメイトから歩み寄ってくれるようになったのだ。胸を張るな琴音、お前は何もしてないだろう。
落ちた消しゴムを拾って返したことをコミュニケーションだと思うな。グループ学習中に返答を身体に任せたオートに頼っているくせに会話している気になるな。
まともな会話をしていなかったせいで琴音の脳みそはバグってしまったのだろう。前世の記憶はどこへやら、今世に生を受けて十数年、仙人でも何でもない琴音には十分過ぎるほど長い時間だ。つまり、会話をしない事に慣れてしまった悲しきモンスターが生まれてしまった。
琴音の意思でしたまともな会話と呼べるものは家族とのものだけだ。なまじ望めば神様に与えてもらった力で身体が勝手に何でもしてしまうから、それが成長の機会を奪ったのだろう。琴音は知らず知らずのうちにクソザコになっていた。どれくらいクソザコなのかと言うと、校門前で立っている委員会の生徒や先生に朝の挨拶を出来ただけで満足してしまうほどだ。
(文化祭まであと少しかあ……結構楽しみになってきた。)
そんな琴音だからこそかクラスで何かをするというのが割と好きよりになってきていた。最悪、身体に任せてしまえば絶対に失敗しないので気楽である。
「……消しゴム落としましたよ。」
「あ、ありがとう九条さん。」
とはいえだ、彼女を作りたいならまずはその身体に任せるのを止めるところからだ。
(『星の王子さま』の演劇、リアル中学生だったらまともに理解出来てなかっただろうな。)
琴音のクラスは演劇をやる事になっている。題材は『星の王子さま』だ。
読み手によって大分印象や解釈の変わる物語で、琴音は今だからこそ自分なりに解釈出来ているが前世のそれも子供の時に読んでいたら全く違う感想が浮かんでいただろうと思っている。
(演劇をやるって聞いた時は難しそうだと思ったけど、心配する必要もないくらい順調だし……。)
クラスに演劇に詳しい子がいて、知り合いの劇団からちょっとした小道具なんかも借りて準備はさくさくと進んでいる。
その子が綾瀬さんで、なんと修学旅行でヤンキーに絡まれていた子だ。
ちなみに琴音は綾瀬沙羅のことを助けたとは微塵も思っていない。どうも身体に任せてしまっている際の行動は自分がしたことだと思っていないのだ。感覚としては着ていた着ぐるみを褒められても自分が褒められたと感じないようなものだろうか。
話を戻して綾瀬さんのお母さんが女優だそうで、そちらへの繋がりが強いらしいというのを小耳にはさんだ。
演劇のレッスンもしているそうで実際にプロから教わっている分、演劇部所属の人よりも経験豊富そうだった。
クラス内では実際に演技をする人、衣装小道具準備班、照明やライトなどの演劇中の環境を整える班、全体の進捗管理と必要な時にフォローするマネジメント班に別れている。琴音はマネジメント班だ。呼ばれたら手伝いに行く、なお、会話機能は搭載していません。
(彼女を作るのは無理そうだけど、今だけは文化祭の雰囲気を楽しむのもいいかな。)
彼女以前に友達すらいないのだから琴音はもっと危機感を持て。判断が遅過ぎる。
◆ ◆ ◆
【クラスメイト視点】
九条琴音がどんな奴なのか、俺はいまだによく分かっていない。
文化祭のための準備中。教室はいつもより少し騒がしくて、机は壁際に寄せられ中央には簡易的な舞台模型やら進捗表やらが広げられている。俺は照明班で、今日はステージ上のライト位置を決める日だった。
「じゃあ、次は飛行士が倒れるシーン、ここ少し暗くしたいから——」
そう言って前に出てきたのが、マネジメント班の九条だった。
実際、進捗管理表を片手にどの班が何分遅れててどこを詰めれば当日間に合うかを一瞬で把握して、必要なところに必要な人間を的確に差し向けていく。指示する声は頭に残って妙に聞き取りやすい。
「ここ、……王子のマント照明に少し反射する素材だから、ライト角度三度下げた方がいいかも。今の位置だと、客席側にハレーションが出る。」
「え、そこまで分かる?」
照明班の女子が目を丸くすると、九条は一瞬だけ黙って、進捗表に視線を落とした。
「……はい。」
それだけ言って、もう次の仕事に移っている。俺は内心、ちょっと引いた。引いたというか感心したというか。こいつ、こんなに仕事できたっけ?
文化祭準備中の九条は、とにかく無駄がない。誰かが困っているといつの間にか横にいて、道具を渡したり代わりに重い物を運んだり、資料をまとめ直してたりする。なのに自己主張は皆無で、気づいたらいなくなってる。
一家に一台九条、って誰かが冗談で言ってたけどあれは割と的確だと思う。
準備が一段落して、今日はここまでって先生の声がかかった。
途端に空気が緩む。みんなが雑談しながら片付けを始める中、俺はふと九条が一人で段ボールを畳んでるのに気づいた。
……今なら、話しかけられるんじゃないか。そう思って、俺は声をかけた。
「九条、さっきの指示助かったわ。照明かなり良くなったと思う。」
すると、九条の動きがぴたりと止まった。その姿はまるで油を差し忘れたブリキのおもちゃみたいだった。
「……え?」
え、じゃないだろ。と思った瞬間、彼女はゆっくりこっちを向いて——視線は、俺の胸元あたりで止まったまま。
「え、と……その……。」
さっきまでの切れ味はどこへやら。言葉が迷子になってる。段ボールを持つ手も、微妙にぷるぷるしてる。
「……あ、いえ、その……役に立ったなら……よかった、です……。」
声、小っさ。俺は一瞬、頭が追いつかなかった。同一人物だよな? さっきまで全体を俯瞰して指示出してた九条琴音だよな?
「あ、いや、マジで助かったって。ああいうの、誰にでもできるわけじゃないし」
「…………。」
沈黙。
九条は完全にフリーズしていた。視線は相変わらず合わないし、前髪の奥で何か考えてるのか、単に固まってるのか分からない。数秒後、ようやく口を開いた。
「……その……ありがとう、ございます……。」
なんで敬語なんだよ。俺は思わず苦笑した。悪い意味じゃなくて、純粋に拍子抜けしたからだ。
「準備中と、今とで別人みたいだな。」
「……す、すみません……。」
「いや、謝るとこじゃないって」
その一言で、九条の肩がびくっと跳ねた。慌ててフォローすると、九条はますます縮こまった。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。すげえ身近に感じたみたいな。
仕事が終わった途端に急に人見知りになるその姿は、変に人間くさくて。
「文化祭どう、楽しみ?」
思いつきで聞いたその質問に九条は一瞬だけ考えてから、小さく頷いた。
「……はい、たぶん……。」
多分なのかよと心のなかで突っ込みを入れながら、その答えを聞いて俺は嬉しくなった。
◆ ◆ ◆
【文化祭前日】
体育館に広がる空気は、これまでとは少し質が違っていた。
仕上げの確認、最終リハーサル、照明、音響、立ち位置、台詞の間。ここまで来た、という安堵と、ここで失敗できないという緊張が混ざり合った、独特の重さ。
簡易ステージの上では、おうじさま役の女子が軽やかに走り、くるりと振り向き飛行士役の綾瀬沙羅に向かって台詞を投げる。
子供心を象徴する役。自由で、感情表現が大きくて動きが多い。
……はずだった。
「――っ!」
乾いた音が、体育館に響いた。
次の瞬間、王子くん役の子がバランスを崩し、舞台の上で不自然に足を引いた。倒れはしなかったが、その場にしゃがみ込み顔を歪める。
「あ……、痛っ……。」
一瞬、時間が止まったような錯覚を覚えた。
「ちょっと、止めて!」
真っ先に声を上げたのは綾瀬さんだった。飛行士の衣装のままステージに駆け寄り、しゃがみ込む。
「大丈夫? 足、どうしたの?」
「……ひねった、かも……。」
足首を押さえる指に、力が入らない。立ち上がろうとして、すぐに無理だと分かる仕草。体育館の空気が、目に見えて沈んでいく。
琴音は、少し離れた位置からその様子を見ていた。
マネジメント班として進捗表を持ち、チェック項目を一つずつ潰していた最中だったが、ペン先が止まる。
(……これ大分まずくないか。)
もし復帰が難しかった場合、代役を立てることになるが役が特殊過ぎた。『星の王子さま』の“王子くん”は、ただ立って台詞を言うだけでは成立しない。
保健の先生が呼ばれ、状態を確認する。腫れているのが目視でも確認出来る。
「今日はもう無理ね。明日も……正直、厳しいと思う。」
その一言で、誰もが察した。
「……ごめん、……私……。」
俯いて謝るその子に、誰も責める言葉を投げない。投げられるはずがなかった。
これまでどれだけ練習してきたかは皆んなが知っていることだった。この状況で一番悔しい思いをしているのが彼女だってことも分かっていた。
「謝らなくていい。」
沙羅が、はっきりと言った。声は落ち着いていたがその奥には焦りを含んでいた。
「今は、保健室行こ。無理したら余計に長引くから。」
先生と数人で支えながら、その子を体育館の外へ連れていく。扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
残されたクラスメイトたちは、立ったまま、座ったまま、言葉を失っていた。その中心で、沙羅は一度深く息を吸い、全員を見回した。
「……今日はここまでにしよう。私が、明日までに代案を考えるから。」
誰も反対しない。その言葉は強かったが、でも、同時に――無理をしているのが分かる強さだった。
「配役の変更か、演出の調整か、最悪……脚本の一部改変。とにかく、何かしら形にする。だから、今日は一旦解散。各班、明日朝また集まって。」
ざわり、と小さなざわめきが起きる。不安、焦り、諦め。いろんな感情が混ざった音だった。琴音は、その場に立ったまま動けなかった。
(……雲行きが、怪しい。)
クラスメイトたちが、ぽつぽつと帰り始める。
「どうするんだろ。」「代役、できる人いる?」「台詞、間に合わなくない?」そんな声が、耳に入っては消えていく。
琴音は、進捗表を胸に抱きしめた。代役を立てるにしても、台詞、動き、感情表現。一日でどうにかなるものではない。演出を変えるなら、照明、音響、動線、すべてに影響が出る。
沙羅の背中が、体育館の出口に向かっていくのが見えた。いつもより少し、肩が重そうに見える。
(文化祭、楽しみだったんだけどな……。)
その気持ちだけは、確かに胸の奥にあった。
帰り支度を終え、体育館を出た廊下はもう薄暗かった。
夕方と夜の境目。校舎の蛍光灯だけがやけに白く、床に反射している。進捗表はカバンにしまい、やるべきことは全部終えたはずだった。
「九条さん。」
背後から名前を呼ばれて、琴音の肩が小さく跳ねる。
振り返ると、そこにいたのは綾瀬沙羅だった。まだ飛行士役の練習着のまま。表情はいつもより硬かった。
「あ……えっと……。」
「ちょっと、時間ある?」
「ぁ、ぇと、はい……。」
断る理由は思いつかない。というより、思いつく前に身体が頷いていた。
「……いきなりで、ごめん。」
「い、いえ……。」
沙羅は一度、深く息を吸った。
「単刀直入に聞くね。」
そう前置きして、沙羅は琴音を見る。前髪の奥を、真っ直ぐに。
「――九条さん、……王子くんの役、できない?」
「…………え?」