転生してイージーモード!   作:ハニラビ

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星の王子さま、もしくはあのときの王子くんを事前に読んでおくといいかもしれません。それから個人的な解釈をしている場所や端折っている部分がかなりあるのでこんな感じに解釈したんだ程度に思ってください。


最終兵器KOTONE

 

 体育館のパイプ椅子は、相変わらず硬い。それでも今日は、そんなことはどうでもよかった。

 

 

 

 目の前にあるのは、娘の沙羅の舞台なのだから。

 

 

 

 綾瀬麗華は今日がくるのを楽しみにしていた。隣に座る夫が、少し落ち着きのない様子で周囲を見回してから私の耳元で小声で言った。

 

 

 

「娘の晴れ舞台だしな。しっかり目に焼き付けないと。」

「ええ、そうね。」

 

 

 

 私は微笑んで頷く。すると夫は、なぜか一拍置いてからしたり顔で続けた。

 

 

 

「舞台だけに――な。」

 

 

 

 …………。私はゆっくりと横目で夫を見る。冷え切った視線、という表現はきっとこういう時に使うのだろう。

 

 

 

「は、ははは……、その、すまん。」

「はぁ……。」

 

 

 

 夫は乾いた笑い声を出して、誤魔化すように前を向いた。

 本当に、この人は余計な力を抜く方向にしか才能を発揮しない。

 

 

 視線を舞台へ戻す。

 

 

 簡易的に組まれたセット。星を模した背景、中学生の文化祭らしい素朴で手作り感のある舞台。

 

 

 

(沙羅は……。)

 

 

 

 舞台袖に目をやると、まだ娘の姿はない。聞いている限り、彼女の役は「飛行士」役をするそうだ。

 原作では語り部であり王子さまと出会い、理解し、そして別れを受け入れる存在。

 

 

 なんであれ、上手くやろうとしなくていい。台詞を噛んでも、動きが固くてもそれでいい。

 

 

 

(楽しめていれば、それで……。)

 

 

 

 そう思っていた。やがて、会場が暗転する。ざわめきが、すっと引いていく。

 

 

 ――始まる。

 

 

 照明が、ゆっくりと舞台中央を照らした。そこに立っていたのは、飛行士らしい姿の沙羅だった。

 簡素な衣装。飛行帽にゴーグル。中学生らしい体つきなのに、不思議とその“役”の輪郭がはっきりする。この感覚は麗華の好きな瞬間だった。

 

 

 彼女が見ているのはどこだろう。観客席ではないだろう、遠くを、砂漠を、空を見ているのだ。

 

 

 

「ぼくは……砂漠に、不時着した。」

 

 

 

 落ち着いた声。決して大きくはないが、体育館の空気をちゃんと掴んでいる。

 

 

 

 ――大丈夫そうね。

 

 

 

 そう思った瞬間、私は胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。

 原作を思い出す。大人になってから読み返した『星の王子さま』は、子供の頃とは全く違う顔をしていた。理解できなかったものが、痛いほど分かってしまう物語だ。

 

 砂漠に不時着した飛行士は不思議な少年、王子くんと出会う。王子くんは自分の小さな星から旅をしてきたと語り、これまでに訪れた様々な星で出会った大人たちの話を聞かせてくれる。

 それから地球にやってきた王子くんは道中で 学びを得て、飛行士と出会い別れる。

 

 

 飛行士は大人であり、でも大人になりきれなかった人。だからこそ、王子さまに出会うのだろう。

 

 

 

 ――王子さまは、飛行士の子供心の具現化。

 

 

 

 私の解釈はいつもそこに行き着く。忘れてしまった感情、置いてきた問い、合理性の裏に押し込めた疑問。

 舞台上の沙羅は、工具を手に飛行機を直す仕草をしながら語る。

 

 

 

「ぼくは、子どものころ……絵を描いていた。」

 

 

 

 照明が少し落ち、プロジェクターによって一枚の絵が映し出された。

 細長い、茶色の少し歪な形をした何か。一目見ただけではこれが何かは分からないことだろう。盛り上がった地面だろうか、それとも禿山?

 

 

 

「大人たちは言った。『それは帽子だ』と。」

 

 

 

 沙羅は、少しだけ間を取る。その間の使い方が、上手かった。

 

 

 

「でも、ぼくが描いたのは――。」

 

 

 

 写真が切り替わる茶色で塗られた部分が透けて見えるようになる。それは象を飲み込んだボアの絵だった。

 会場からは小さな声が起きる。子供たちの「おお……」という声。保護者の、懐かしむような息遣い。

 

 

 

(……ええ、そうね。)

 

 

 

 私は、胸の奥で頷いた。物事の表面上でしか捉えられない大人たち。子どもと大人の認識の違い。そして、理解されることを諦めた飛行士。

 

 

 

「それから、ぼくは絵を描くのをやめた。だって、ボアに呑まれた象の絵を見せたって口々に言うんだ、だから何ってさ。」

 

 

 

 沙羅の声が、少しだけ低くなる。

 

 

 

「大人たちは、肝心なものが見えてない。」

 

 

 

 ――だからこそ。

 

 

 

(だからこそ、王子くんが現れる。)

 

 

 

 飛行士の心が、完全に大人になりきれなかった証として。

 忘れたはずの子供心が、形を持って現れる存在として。観客の意識が、自然と一点に集まっていく。

 

 

 

 ――次に、何かが現れる。

 

 

 

 そんな予感を、舞台全体が孕んでいる。私は、無意識のうちに背筋を伸ばしていた。

 

 

 

(……さて。)

 

 

 

 飛行士が忘れられなかった何か。それを演じるのはどんな子なのだろう。中学生の文化祭だ、拙くていいし上手くなくてもいい。そう思っていたはずだったが、胸の奥で演技をする者としての感覚が期待してしまう。

 

 ――これは、思っていたより、ずっと“舞台”になるかもしれない。

 

 

 

 舞台中央。飛行士が、壊れた飛行機の傍らに膝をつき工具を手にしている。

 

 

 

「……エンジン、直るかな……。」

 

 

 

 

 そのときだった。

 

 

 

「ねえ。」

 

 

 

 声。子供のものでも、大人のものでもない。澄んでいて、まっすぐで、なのにどこか遠い。

 

 

 

 そこには王子くんがいた。

 

 

 

 ざわ、と小さな空気の揺れ。観客が息を整える音が波のように広がった。体育館の空気がぴたりと止まる。声を出すまでそこにいたことにまるで気づかなかった。本当に唐突にそこに現れたみたいだった。

 

 

 

「ひつじの絵を、かいて。」

 

 

 

 ――あ。

 

 私は、思わず息を呑んだ。王子くん役の顔立ちがはっきりと露わになっている。

 

 

 

(……なんて……。)

 

 

ーーー美しい。

 

 

 それは、精巧に作られた美だった。その綺麗な瞳に吸い寄せられるようだった。これは誇張でもなんでもない。ただ、そこにいるだけで成立してしまう存在感。

 衣装は簡素だが圧倒的な存在感が全てを納得させてくる。

 

 

 

(あの子が……王子くんだ……。)

 

 

 

 頭の中でその言葉が自然に浮かんだ。観客席がざわつき、小さな囁きがあちこちから漏れる。

 舞台上の飛行士――沙羅も、完全に動きを止めていた。工具を持つ手が、わずかに宙で止まる。台詞が続かない。

 

 

 それも無理はない。そこにいたのは物語の中から、そのまま歩いてきた“王子くん”だった。

 

 

 

「えっと……、ここで、何をしているの……?」

 

 

 

 沙羅の声が、少しだけ震える。それは演技なのか、本心なのか区別がつかなかった。

 

 

 九条琴音――王子くんは、首をかしげる。

 

 

 その仕草一つで、観客の視線が吸い寄せられる。

 

 

 

「ごめんください……、ヒツジの絵をかいて。」

 

 

 

 これは演技でも、役になろうとしている訳でもない。最初から、王子さまとして存在していると麗華は感じ取った。

 沙羅は、次の台詞を忘れたように、ほんの一瞬だけ間を空ける。けれど、それすらも物語の一部として成立してしまう。

 

 

 唐突すぎる出会い。理解が追いつかないまま、会話が始まる。

 

 

 

 九条琴音は、王子くんとして舞台の中央に立った。

 

 

 

 照明が彼女を包む。その光の中で髪の艶、白い肌、綺麗な顔が惜しげもなく晒される。

 

 

 

「……絵を描いたのは、随分昔なんだ。」

「だいじょうぶ、ぼくにヒツジの絵をかいて……。」

 

 

 

 王子くんは忘れられたはずの感情が、形を持って現れた存在。

 読み手からみたら飛行士の中に残っていた、何故を問い続ける部分。観客席は静まり返っており、誰も咳払いすらしない。ただ続きを待っている。

 

 

 その瞬間、私は確信した。

 

 

 

(……これは、成功する。)

 

 

 

 娘の舞台を見に来たはずだった。中学生の文化祭だと思っていた。

 気づけば私はパイプ椅子の上で微動だにせず、舞台に釘付けになっていた。舞台の空気が完全に物語の世界へと引き込まれていた。

 

 

 

 飛行士――沙羅は、一瞬だけ深く息を吸う。

 

 

 

(……戻ってきなさい、私。)

 

 

 

 相手はクラスメイト、の筈だ……。でも、目の前にいるのは――王子くんそのもの。というか本当に九条琴音なのか分からない。こんなにプロのように演技が出来て、人形みたいに綺麗な顔の人間をこれまで見たことがなかった。

 沙羅はゆっくりと工具を置き、王子くんを見て直ぐに目を逸らす。演技を忘れて魅入ってしまいそうだったからだ。

 

 

 

 飛行士は諦めたように机へ向かう。そこに置かれた紙と鉛筆。

 照明が、ほんのりと飛行士側を明るくする。観客に今から描くという行為をはっきりと示すための演出だ。

 

 沙羅は、紙に向かいながら、意識的に肩を落とす。疲れた大人の背中。水も少なく、余裕もない状況をしっかりイメージする。

 

 

 そして、描く。

 

 

 王子くんは絵を描いている飛行士にくいっと一歩近づく。歩幅は小さく、足取りは軽い。けれど舞台全体がその一歩に引き寄せられる。

 琴音と沙羅の身長は本来それほど変わらないのに観客席から見た王子くんは明らかに子どもに見えた。自然に立ち位置を調整し、絶妙に身体の角度を適したものへと変えそう見せているのだ。

 

 

 

 飛行士が描いたのは、大人たちが帽子だと言う象を丸呑みにするボアの絵だ。

 

 

 

「……これで、いい?」

 

 

 

 王子さまは、紙を見る。覗き込むように、少し身を乗り出す。王子くん――九条琴音は、首をかしげる。その動きが、あまりにも自然で観客は本当にそこに王子くんがいるように感じられた。

 王子くんは目を細め、ほっぺたを膨らませて唇を尖らせる。

 

 

 

「ちがうよ!ボアのなかのゾウなんてほしくない。」

 

 

 

 即答だった。飛行士はこの時、どんな思いを抱いていたのだろうか。

 

 

 

「……じゃあ、これは?」

 

 

 

 次に書いたのは年老いた羊だ。絵をじっと見つめた王子さまは、首を振る。

 

 

 

「この子はよぼよぼだよ、ほしいのは長生きするヒツジ!」

 

 

 

 言いながら、指で紙の端をちょん、と触れる。

 まるで本当に、そこに生き物がいるかのような仕草。

 

 

 

(……上手い。)

 

 

 

 子供らしさとは、声を高くすることでも、動きを大きくすることでもない。子どもらしさを演出する上での一つの要素ではあるもののそれではまだ足りない。

 必要なのは“本気で信じている”という態度だ。

 

 

 

 飛行士は王子くんにずっと構ってあげる訳にもいかなかった。飛行機を直さなくちゃいけない、ちゃんとやらなきゃいけない事がある。

 飛行士として疲れと焦りを滲ませる。観客に向けて、飛行士は大人である姿を見せる。

 

 

 肩を落とし深く息を吐く。照明が、ほんの少しだけ暗くなる。そして飛行士は、最後に一枚の絵を描く。

 

 

 プロジェクターで映し出されたのはただの箱、四角い箱だ。

 観客席が一瞬ざわつく。飛行士はその箱の絵を投げやりに掲げる。

 

 

 

「……これは、箱だ。中に、ヒツジが入ってる。」

 

 

 

 子供騙しのような絵だった。大人がやるような屁理屈的な対応。

 

 

 

 ――だけど。

 

 

 

 王子くんの顔がぱぁっと明るくなる。まるで、星が灯ったように。

 

 

 

「……これだよ!」

 

 

 

 声が弾む。身体が、自然と跳ねる。一歩、二歩。飛行士の周りをくるくると回る。

 

 

 

「このヒツジが、ぼくのほしいヒツジだ!」

 

 

 

 その無邪気さに観客席からはっきりとした笑いと安堵の息が起こる。

 王子さまは、絵を抱きしめるような仕草をする。そこには、何もないはずなのに。

 

 

 ――でも、見える。

 

 

 確かに、見える。

 

 

 

 飛行士はその様子を呆然と見つめ、そして、小さく笑う。

 作られた笑顔ではなかった。それは理解されていることへの安堵だろうか。どこか戸惑い混じりの笑み。

 

 

 

「……きみは……本当に、変わってる。」

 

 

 

 王子さまはにっこりと笑う。その笑顔は子供そのものだった。表情はくるくると変わり、喜びも、期待も、疑問も、すべて隠さない。そのすべてが役として、完璧に噛み合っている。

 

 

 

 観客席は、完全に引き込まれていた。これがただの一文化祭で、中学生の演劇。そんな前提はもう誰の頭にもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




唐突に更新が止まったら残業でダウンしてるんだなくらいに思ってください。(うんちみたいな納期で仕事を突っ込む営業のせいです)
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