スザンナが消えてから、時間の感覚が曖昧になった。
仕事に集中していれば、ほんの一瞬だけ忘れられる。 だが、ふとした拍子に思い出す。 工具の置き方。 作業中の丁寧すぎる口調。 昼休みに見せた、気の抜けた笑顔。
「……いない、んだよな」
口に出すと現実として胸に落ちてくる。
事故だと聞かされた。 マザーコンピューターの実験中に起きた想定外の事象。 生体反応は消失。 遺体は未確認。
それは死亡とも生存とも断定できない、宙ぶらりんな言葉だった。
いない。
それを理解するたび、胸の奥が鈍く痛んだ。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
事故から数日後。
ゼインは再び、ハルトマンの執務室に呼ばれていた。
執務室の扉が閉まる。静かな音だった。
ハルトマンは立っていた。デスクに手をつき、複数のデータを表示している。
以前のような余裕ある笑みはない。
「ゼイン」
低い声。
「君を呼んだのは、技術者としてではない」
ゼインは背筋を伸ばした。
「君はスザンナと一番近くにいた。事故の直前まで、彼女が何を考え、何を話していたかを知る存在であーる。そして何より娘が、唯一フレンズだと呼んでいたからであーる」
「……はい」
ハルトマンは頷き、視線をデータへ戻す。
「だからこそゼイン、君にマザーコンピューターの事故について、現時点で分かっていることを話す」
空間投影に、歪んだ波形が浮かび上がった。
「事故発生時、通常のエネルギー暴走とは異なる反応が観測された。空間そのものが、局所的に破断している。理論上は、ディメンションホールと呼ばれているものに近い…」
ゼインは喉を鳴らした。
「……ディメンションホール、ですか」
ハルトマンは一瞬だけゼインを見る。
「言葉としては、そう呼ばれている…。だが、詳細は誰にも分からない」
アナザーディメンション。
異なる世界、果ては時すらも移動する事が可能とされる別次元の空間。
「理論上、存在するとされているだけの領域だ。どこへ繋がっているのか、何があるのか、生存が可能かもすべて不明」
ブラックボックス。
希望と恐怖が、同時に詰め込まれた言葉。
「……スザンナは」
声が震えた。
「その向こうに行った可能性が高い」
生きているとも、死んでいるとも言えない。
「……助けられるんですか」
問いはほとんど祈りだった。
ハルトマンはすぐには答えなかった。
「可能性はある。だが、今の我々には手段がない」
そこで、話は変わった。ハルトマンはゼインに紙の資料を手渡した。
「解析の過程で、奇妙なものが見つかった」
破損したマザーコンピューターのログ。本来、完全に失われているはずの領域。
そこに、わずかに残されたデータ断片。
「これは……」
ゼインでも分かった。
複雑で、雁字搦めの糸のように絡み合ったデータ。これはこの世界のものではない。
「マザーコンピューターの大元となっている物は元々我々が設計したものではない。そしてこれは星の夢の中核構造の一部であーる」
星の夢。スザンナが語っていた、会社の未来。
「そして、その由来が判明した」
ハルトマンは星図を表示した。
「ハルカンドラ」
その名に、ゼインは聞き覚えがあった。
「……スザンナが言ってました。すごい文明があったって」
「そうだ。だが重要なのはその場所であーる」
ハルトマンは静かに続ける。
「ハルカンドラはこの宇宙には存在しない。解析データが示しているのは、異なる物理構造。異世界、別次元…アナザーディメンションのどこかだ」
行けない。
辿り着けない。
誰も知らない場所。
「マザーコンピューターはそこから流れ着いた…だからこそ、正しく理解できれば……」
言葉はそこで止まった。
ゼインが継ぐ。
「スザンナが、どこへ行ったのか分かるかもしれない」
ハルトマンは、ゆっくりと頷いた。
「その通りであーる」
一瞬の沈黙。
「行きます」
ゼインは迷わなかった。
「俺も探します。スザンナを、取り戻すために」
ハルトマンはゼインを見つめ、
そして、初めて父の顔で言った。
「……共に行こう」
こうして、 失われた少女を取り戻すための旅路が始まった。
それはまだ、 誰も狂っていなかった頃の話。 父と少年が同じ希望を信じていた、最後の時間だった。