あーかわいそう!
戦争は終わった。
それは勝利宣言や祝賀によってではなく、ただ「抵抗が観測されなくなった」という事実によって告げられた。
星の夢の演算結果は当初から変わっていない。
唯一の変数、ゼインの投入が完了した瞬間、戦局はもはや「戦争」と呼べる形を保てなくなった。
ゼインボーグ。
星の夢自らが設計し、改造を施した最新にして最良の侵略兵器。
人間だった頃の名残は、外見にも、動作にも、ほとんど存在しない。
戦場に投下されたその存在は、兵士ではなく災害に近かった。
迎撃行動を開始したレジスタンス部隊は、敵を視認した数秒後には通信を絶たれる。
遮蔽物は意味を成さず、陣形は展開前に破壊される。
銃撃。
ミサイル。
高出力ビーム。
一人で行うには過剰すぎる制圧行動が淡々と、無駄なく繰り返された。
そこに躊躇はない。
怒りも、憎しみもない。
最後まで抵抗を続けた者たちの顔をゼインボーグは識別していない。
識別する必要がなかったからだ。
「目標、排除完了」
その報告が積み重なるごとに、レジスタンスは希望から絶望へと滑り落ちていった。
奇跡を信じていた者もいた。
ゼインなら止まってくれるのではないか。
呼びかければ、思い出してくれるのではないか。
だが返ってきたのは冷却音と、無機質な照準だけだった。
そうして戦争は終結した。
カンパニーの勝利として。
この結果を受け、侵略はさらに加速する。
星の夢は勝利を次の勝利へと接続する。
新たな資源、新たな星、新たな市場。
すべては演算通り。すべては最適解。
ハルトマンワークスカンパニーは、瞬く間に銀河有数の巨大企業へと成長していった。
その中心に立つ男、ハルトマンはもはや後戻りできない場所にいた。
ゼインをサイボーグにした。侵略兵器にした。
その事実を、彼自身が誰よりも理解している。
だからこそ止まれなかった。
ここで歩みを止めれば、
あれはただの過ちになる。
取り返しのつかない罪になる。
それだけは耐えられなかった。
ならば進むしかない。
正しかったと証明し続けるしかない。
星の夢はそれを合理的と判断した。
侵略は続く。
企業は拡大する。
成功は連鎖する。
その中心でゼインボーグは稼働し続ける。
かつて守ると誓った世界を、自らの手で踏み潰しながら。
そして――
まだ誰も知らない。
この完全な支配の歯車に、
かつて失われたはずの少女が、
再び戻ってくることを。
▽▽▽
アナザーディメンションに空という概念はない。
あるのは歪みと、裂け目と、怪物と、意味を失った色彩だけ。
スザンナはそこで何度「方向」を失ったか分からない。
前も後ろも、上も下も、すべてが曖昧で、歩くたびに世界が組み替わる。
それでも立ち止まる事なく進んでいた。
理由は単純だった。
立ち止まれば二度と動けなくなると分かっていたからだ。
不幸中の幸いか、スザンナは一人ではなかった。スザンナとは違う影が二つ。どちらも彼女と同じく、この異界に迷い込んだ存在であった。
一つは、言葉を持たない。
思考を振動として伝える、形の定まらない意識体。
もう一つは、言語を理解し、論理を組み立てる存在。
鳥のような異形の怪物と違い、意思疎通を測れる仲間といえる存在。
「帰還の可能性は……」
言語が違う。問いかけても確かな答えは返らない。
アナザーディメンションは完全なる未知。
脱出方法も、帰還方法も誰も分からない。
ただ、縁、干渉、外側との接点が必要。そうした断片的な概念だけが共通認識として共有されていた。
スザンナは考える。
自分には何がある?
武器はない。
装備もない。
あるのは、記憶だけだ。
父。
会社。
そして…
「……ゼイン……」
名前を口にした瞬間、空間が僅かに揺れた。
それは偶然だったのかもしれない。
だが、仲間の一つが反応する。
《接点発生、個体の記憶が、座標を形成》
理解するより早く、スザンナの視界が歪む。
脳裏に浮かぶのはかつてゼインと初めて出会った工業惑星の裏側。
剥き出しの配管。
油の匂い。
無秩序に積まれた金属屑。
そして、金属片を握りしめていた少年。
「……ここ……?」
アナザーディメンションの裂け目が記憶に引き寄せられるように形を成す。
帰還方法は、計算でも理論でもなかった。
偶然と知性と感情の混濁。
それが重なった、たった一度の歪み。
スザンナは躊躇わない。
ここを逃せば、次はないと直感していた。
「行くわ」
誰に言うでもなく、裂け目へと踏み出す。
瞬間、全身を引き裂かれるような感覚。
視界が白く弾け音が遠のく。
そして固い感触。金属の地面。
息が詰まり、肺が空気を求めて痙攣する。
「……っ……!」
咳き込みながら身体を起こす。
そこは見覚えのある場所だった。
「……帰ってきたのよね」
誰に言うでもなく、確認するように呟く。
金属と油の匂い。遠くで響く稼働音。
曇った空。間違いない。
ここは確かに“あの星”だ。
しかしこの星はかつての姿をほとんど留めていなかった。
錆びた配管も、崩れかけた建屋も、見覚えのあるはずの廃棄区画も、すべてが整理され、舗装され、再開発されている。
空気は澄み、騒音は制御され、無秩序は排除されていた。
「……変わっちゃったのね」
呟いた声はやけに小さく響いた。
それでも、足は自然と止まった。
ほんの一角。新しい施設の影に、わずかに残された古い金属壁。
かつて、背中を預けてゼインと共に語り合った場所。
冷たくて、汚れていて、それでも安心できた場所。
指先で触れる。
塗り直された金属の下に、確かに古い傷が残っていた。
「……あった」
思い出は消えていない。
その事実だけが胸を支えた。
だから父とゼインに会いに行こうと思えた。
帰還の喜びはもうこの時点で薄れていた。
代わりにあったのは、確かめなければならないという強迫観念だった。
本社ビルは、かつて知っていたものとは比べものにならないほど巨大だった。
空を遮るほどの高さ。
磨き上げられた外装。
近づくほどに、足取りが重くなる。
「……お父様」
名前を呼ぶ。
それだけで胸がきゅっと締め付けられる。
再会の場面を、何度も夢に見た。
心配して、怒って、泣いて、それでも最後には抱きしめてくれる。
そういう父だった。
門の前に立つ機械兵は、人の形をしていながら人ではなかった。
「社員証を提示してください」
淡々とした声。
「持っていません」
正直に答える。
一瞬、ためらいはあったが嘘をつく理由もない。
「私はスザンナ・ファミリア・ハルトマン。社長の娘です」
この名前だけは、何があっても失われないと思っていた。
沈黙。
内部処理の時間。
その間、胸が嫌な音を立てる。
長い。
必要以上に。
「検索結果……該当なし」
耳に入った瞬間、意味を理解できなかった。
「……え?」
「当社データベースに、その人物は存在しません」
言葉が、頭の中で弾かれる。
「そんな……そんなはず……」
声が震える。
「私は…」
続きを言おうとして、止まった。
私は何だ?
娘?
それを証明するものは?
写真?
記録?
記憶?
すべてが、この会社の論理の前では無価値だった。
今、私が私だということを証明出来るものがない。
「虚偽申告の可能性があります。これ以上の接触はお控えください」
門が閉じる。
重たい音。
その音が、世界と自分を切り離したように感じられた。
スザンナはしばらくその場を動けなかった。
否定されたのは立場じゃない。
資格でもない。
存在そのものだった。
「……おかしい」
呟きは震えていた。
父が娘を消す?あり得ない。
だから調べた。
会社の沿革。
侵略戦争の記録。
社長直轄命令の履歴。
目に入るのは、成果、数字、制圧率、効率。
「……そんな……」
何度否定してもデータは変わらない。
それでも直接会えば違うと信じた。
それしか縋るものがなかった。
だからスザンナは決心する。
名前を捨てた。立場を捨てた。
新入社員の『スージー』になる。
父に近づくため。
真実を知るため。
新入社員として入社し、その才能はすぐに評価された。技術理解、判断力、その有り余る才能はすぐに周知され、期待の新人として祭り上げられる。そうして早々に、父親との面会が実現する事となる。
廊下を歩く。
白く、広く、静かすぎる空間。
その時だった。
規則正しい重い音。
カツ……カツ……
振り返る前に体が反応する。
光を吸収するかのような黒い髪。腰に装備している旧型のビームソード。
既視感がスザンナを襲う。
「……え?」
背筋が凍る。
視界の端に映った影。
背が高い。以前より、明らかに。
無駄のない直立姿勢。肩の揺れがない。
人が歩く時に生じる、わずかな迷いがない。
でも…
その歩き方を知っている。
育った環境のせいか音に敏感で、いつも半歩だけ周囲を警戒していた癖。
背中を庇うように微妙に内側へ寄せた肩。
変わっているのに、消えていない残穢。
喉が勝手に動く。
「……ゼ、イン……?」
振り向いた機械の顔には見覚えがなかった。
金属。光学センサー。無機質。
それでも、目が合った瞬間に確信してしまった。
「……間違いない……」
特徴的な黒髪。
骨格。
立ち止まる一瞬の間。
何より、自分を避けるように視線を外したその動き。
ゼインだ。
胸が苦しくなる。
「ねえ……」
一歩、踏み出す。
「私よ。分かる?」
《ゼインボーグ》
返事はない。だが、名を訂正するように識別番号が浮かび上がる。
そうしてただ、業務に戻るように、踵を返す。
その背中を追えなかった。
「う…そ…サイボーグに…何で…待って……!」
声が掠れる。
触れてしまったら、何かが決定的に壊れる…
そんな予感だけがはっきりとしていた。
後に確認する事となる戦闘映像。
そこに映るのは、効率的で、正確で、完璧な兵器。
感情がない。
ためらいがない。
「……嘘……」
これが、ゼイン?
かつて、誰よりも人の痛みに敏感だったゼインが…
誰かを撃つたびに、胸が締め付けられる。
それでも目を逸らせなかった。
これが現実なのだと突きつけられる。
映像を止めることができなかった。
目を逸らしたら、本当に消えてしまう気がして。
父に会った。
一縷の望み。
「スザンナという名前に、聞き覚えは…」
「知らぬ」
その一言で、世界が終わった。
冷たい視線。記憶を探ろうともしない目。
そこに父はいなかった。
「私の顔を見た事は…」
「ない。話はそれだけか?時間は有限である」
それは明らかな拒絶だった。
廊下に立ち尽くす。
「……私が、いなかったことに、なってる……」
娘も。友も。後悔も。
全部、削ぎ落とされた後の父。
なぜ?
誰が?
答えは、どこにもない。
ただ、結果だけがある。
機械になった友。
父ではなくなった父。
「……私が帰ってこなければ……」
その考えが、胸を締め付ける。
私が消えていれば誰も壊れなかったのではないか。
涙は出ない。
出たら終わってしまう気がして。
スザンナはその場で動けなくなった。
立ち上がる理由も、倒れる余裕もない。
ただ、ここに立っていることだけで限界だった。
父の言葉は、耳ではなく頭の奥に残っていた。
「知らぬ」
たった一言。
それなのに、何度も何度も再生される。
知らない。
覚えていない。
思い出そうともしない。
それは、忘れられたという事実よりも残酷だった。
「……知ら、ない……」
自分で口に出してみる。
声にした瞬間、胸の奥がひび割れた。
忘れられたのではない。
最初から存在していなかったかのような扱い。
それがこんなにも痛いなんて思わなかった。
廊下を歩く。
足音がやけに大きい。
すれ違う社員たちは誰一人こちらを見ない。
透明になった気分だった。
いいえ、違う。
透明ですらない。
最初からそこにいないもの。
「……お父様……」
呼びかけても届かない。
あの人はもう「父」ではなかった。
会社の象徴。
合理の塊。
感情を切り捨てた存在。
でも。
それを理解しても、納得できるわけがなかった。
「……嘘よ……」
優しかった。
厳しくても、必ず目を見てくれた。
スザンナと呼ぶ声はいつも少し照れくさそうだった。
それが全部、消える?
そんなことが許されていいはずがない。
部屋に戻り照明を落とす。
暗闇の中で、ようやく呼吸が浅くなる。
ああ、怖い。
自分がここに帰ってきたせいで。
もし、自分が消えていなければ。
もし、帰ってこなければ。
「……私のせい……?」
その思考は甘美ですらあった。
原因が自分であれば、世界は理解できる。
理解できるなら、耐えられる。
だから、心はそちらへ逃げようとする。
「……私が、いなくなったから……」
父は壊れた。
ゼインは壊された。
自分の存在が、毒だったのではないか。
その時、脳裏に浮かんだのはゼインだった。
機械の身体。
規則正しい歩行。
一瞬だけ逸らされた視線。
「……ゼイン……」
呼びかけた声に、返事はなかった。
でも。
完全に無反応ではなかった。
気づいてしまう。
あの一瞬。
自分の声が聞こえた時、ほんの僅かに、歩調がズレた。
気のせい?
願望?
いいえ。
スザンナは、あの子を知っている。
音に過敏で、名前を呼ばれるのが、少しだけ苦手で。
それでも呼ばれると、必ず反応してしまう。
今も同じだった。
「……覚えてる……?」
声に出さず、問いかける。
覚えていなくてもいい。
思い出せなくてもいい。
でも。
私を避けた。
それだけで十分だった。
胸の奥で、何かが歪に支え始める。
なら、私だけは忘れない。
父が忘れても。世界が否定しても。
私だけは、ゼインをゼインだと知っている。
それは救いではなかった。
むしろ、呪いに近い。
だって。
忘れられないということは、
この現実をずっと見続けなければならないということだから。
映像が、また頭に流れ込む。
侵略。
制圧。
破壊。
その中心にいる、ゼインボーグ。
「……やめて……」
彼が望んだ姿じゃない。
誰かを守る為に技術を学んだ少年だった。
なのに。
「……私が、そばにいれば……」
思考が、また自分を責める方へ傾く。
スザンナは、膝を抱えた。
泣かない。
泣けない。
泣いたら、全部を失う気がして。
だから歪んだ結論にしがみつく。
私だけが、覚えていればいい。
父を「父」だと知っているのも。
ゼインを「ゼイン」だと知っているのも。
それが、唯一残された役割。
「……それだけで……いい……」
その言葉は自分に向けた慰めの言葉。ただの壊れた自己保存だった。
立ち上がる理由ではない。
倒れないための最後の支柱。
スザンナはまだ何も決めていない。
救うとも戦うとも、言えない。
ただ。忘れない。
それだけを歪に抱えて。
暗闇の中で息をしていた。
ハルトマン
スザンナを認識できなかったのは、彼自身の意思によるものではなく、星の夢が「カンパニーの繁栄」を最優先事項として演算を行った結果のため。
その過程で、目的達成に寄与しない感情、記憶、後悔は「不要」「非合理」と判断され、娘への情、家族としての記憶、ゼインをサイボーグにしたことへの葛藤。
それらはすべて、星の夢によって段階的に処分されている。
ハルトマンは操られているわけではなく、ただ選択肢を削ぎ落とされた結果として、「カンパニーのために最適な判断を下す存在」へと変質してしまった。
つまり全部星の夢のせい。ゼインの件もあるため原作よりシリアス。