「終わった、か……?」
「ひとまずはね」
ひょっこりと『姉』が顔を出す。
血が飛び散った殺人現場のような惨状。
視覚を失った僕がその光景を見る事はなくとも、その陰惨な匂いに眉を顰める。
一方で『姉』は慣れているのか気にした様子もなく、むしろ、僕の姿形を見て弾んだ声で面白そうに笑った。
「ふはは。カワイイ姿になったものじゃないか」
「……僕の趣味じゃないよ。質量が足りてないんだ、仕方ないだろう」
今の僕は幼児化していた。
人御末那子に肉体を喰われ、元の
ゲームで言えばHPが足りない瀕死状態である。
ずれ落ちる服装を
恐らく、あと一撃でもマトモに何か攻撃を受ければ、生存に必要な最低限の質量さえ失われるのではないだろうか。
「それよりも……彼女、どうする?」
小さな手で地べたを指差す。
そこには倒れ伏した女──
動きはない。呼吸も心音も聞こえない。
自らの異能の最大出力──人域血壊と言ったか?──を
あれは本来、『姉』が辿らされる未来だったという事だ。……心底ゾッとする。
ペタペタ、と『姉』は女の体を無遠慮に触る。
女性同士でもそういうのって良くないんじゃないのかなあ……と素朴な疑問が湧いてきた。
……というか、今も僕と『姉』の視界は繋がっているんだ。こっちにまで伝わるからやめて欲しい。あ、やめろ。女の子の胸を勝手に触るのとかやめて欲しい。何を見させられているんだ僕は。
「死んで……いや、心停止しているだけだな。無論、放っておけば永眠と変わりないだろうが……安全のためだ。ここで殺しておく──
「なんだ、冗談か。びっくりした、いつも通りの姉さんだな」
良かった。『姉』じゃなかったらどうしようかと思った。
…………。あれ? 『姉』はなぜ黙っているのだろうか? ガタガタ、と痙攣するように『姉』の震えがこちらまで伝わった。
「でも、姉さんの言う通りかもしれないね」
「そっ、……そうだろう?」
「ああ。殺すのは流石に正しくないけれど、戦う力を削ぐくらいは許されるだろう」
言って、自分の掌を変身させる。
口。牙。あるいは注射器。
そんな
「
ごり、ぼり、ごき、むしゃあッ‼︎ と。
聞き慣れない異音が響く。
掌を使って女の血肉を貪り喰らう。
人間の味にも慣れてしまった。
たった一日で、僕も随分と吸血鬼に染まったようだった。
ゆっくりと、僕の体が元の
やがて、人御末那子が小学生女児並みの体格にまで質量を失った頃、僕は肉体は元々の身長にまで大きくなった。
「むう」
「どうしたんだい、姉さん。そんな不服そうな声を出して」
「君のさっきの姿、弱そうで可愛かったのだかなあ……」
馬鹿にしているのか、残念がっているのか、声だけではその感情は読み取れない。
僕の失った視界は『姉』が補っているが、それはあくまで『姉』視点。彼女の
「子供が好きなのか? ……性的な目で見てたり?」
「違う! ……前から思ってたが、弟くん。君は私の事を何か勘違いしていないか? 私はその、……えっちではないぞ」
「でも、『耽溺公』って酒池肉林を楽しんでそうな異名じゃないか」
「あれはもっと単純に、私が娯楽目的で生き続けている欲深い吸血鬼だからだろう。……なんだ。私はまだ
「へえ」
「〜〜〜〜ッ、もっと何か反応があるだろう! 君は貫通済みの女が好みなのか⁉︎ それならホラッ、私も銀の杭で穴だらけだぞ⁉︎」
「どこで張り合っているんだ姉さん。言ったろ、弟は『姉』に欲情しないものだ。それに、清廉潔白な姉さんが未経験な事くらい元々知ってるよ」
「(……まあ、
「待った、何か言ったか?」
「…………い、いや? 何も言ってない。聞き間違いではないか〜?」
こういう時、視覚を捨てた事を後悔する。
馬鹿な事を言って、顔を真っ赤にする『姉』を見るのが僕は好きだったのだと、今更ながらに理解した。
清廉潔白で絶対正義な『姉』が好きだ。
空虚で中身のない
しかし、それと同時に。
『姉』の
彼女の醜態が好きだった……というよりも、醜態を晒す癖に取り繕おうとして、どうにかして清く正しい『姉』であろうと奮闘している彼女の姿が好きだった。
ずっと見ていたかった。
だが、もう遅い。
『血』の変身は不可逆で、『目が見えない』という弱点は生涯消えない。
この先、一生、日渡昇悟は『姉』の顔を見ることはない。
吸血鬼の寿命がどれほどなのかは知らないが、伝承で語られる通り不老不死なのだとしたら、それは一体どれだけの────
「──弟くん?」
「……いや、何でもない。それよりも、何だっけ? 姉さんが子供好きな理由だっけ?」
「好きというか……まあ、そうだな。私は子供が相手だと安心できる。矮小でちっぽけな
「…………」
「私はな、生きたい。何が何でも生きたい。生きて、生きて、生きて、生きて、我が吸血鬼としての生涯を楽しみ尽くしたい。……だから、側にいるものが弱いと安心するのだ。子供が好きなのではない。子供以外が、怖いのだよ」
……それ、は。
それが、意味するのは。
「姉さんは……
「────、」
つまり、そういう事だ。
僕に幼児のままで居てほしいというのは、『姉』が僕の事だって脅威と感じているという事なのだから。
ショックはない。
薄々気が付いてはいた。
僕にとって『姉』は絶対だが、『姉』にとっての僕はどうでも良い駒の一つだ。
『姉』は僕の力を頼る事はあっても、僕に心を許す事はないだろう。
「……すまない。だけど、強いままの僕でいさせてくれ。弱いままじゃあ弟としての責務を果たせないだろ」
「あ、ああ」
「でも、安心しろよ、姉さん。僕は弟だ。弟が『姉』を脅かす事はない。そうだろう?」
「それは……そうだが。だが、私が『姉』でなくなれば君は──」
「姉さん?」
はくはく、と『姉』の息遣いが聞こえる。
何かを言おうとして、何も言えずに口を閉じるように。
「……『大黒柱』に向かおう」
「姉さん?」
「なに。エレベーターが九十九階分を降りるまでに時間はあるし、乗ってから上がるまでも時間はある」
タンタン、と『姉』の靴が地面を叩く。
その音に導かれるようにして、目の見えない僕も『姉』に追い縋る。
「そこで君が聞きたがった話をしようじゃないか。アインソフ=オールナイトとは何者なのか、『
声だけは分からなかった。
『姉』は一体、どんな表情でその言葉を告げたのか。
「──
「………………」
無線機を手にする、一人の男がいた。
彼は部下から上げられた報告を聞いて、重たく溜め息を吐く。
「はあ。
班長。
その役職を与えられた男は、自分達に与えられた役目が失敗した事を悟る。
簡単な仕事のはずだった。
それがどうだ。特殊部隊の男達は新米吸血鬼にボコられ、頼みの綱の
泣きたくなる。
でも、泣くわけにはいかない。
「……自分一人でも任務は果たしましょう。そもそも、自分も地下に行っていれば何か変わったかもしれません。部下の責任ではない。自分の指示が誤りだった」
めき、めきめきめきめき‼︎‼︎‼︎ と。
男の肉体が服の中で蠢いた。
『皮』の変身。根本的な体格が変わる。
否。男の──という表現すら誤り。
彼は確かに男だが、
「自分の外見で侮ってくれるようなバカなら助かりますが……そうではないでしょうね。ですが、相手が引っかかる可能性は低くとも、仕込みをしない理由はない」
声が変わる。
外見が変わる。
極めて合理的な理由で、男は女へと変わる。
最後に。
「彼を──
第二の刺客。
共喰らいの吸血鬼、