新章という感じ。
#011 上昇
西暦二〇二〇年。
東京。
「────────、」
雨が、降っていた。
赤い雨が。
鉄錆の匂い。
靴を汚す体液。
吐き気を催すグロテスクな
赤い、赤い、赤い。血の雨が、降っていた。
「ふは、ふははッ、ふははははははははははははははははははははははははは‼︎‼︎‼︎」
全身に血を浴びながら、男は笑う。
血のように真っ赤な瞳、金の混ざった
死体の如く青褪めた肌、口から飛び出す犬歯。
身に纏うのは時代錯誤なマント。その格好は、分かりやすいほど
「オレの勝ちだッ、諸君! もはやオレを
カツン、と。
男の背後で足音が響く。
吸血鬼の
それは吸血鬼とは真逆──神父の格好をした男だった。首には錆びた銀の十字架がかけられている。
神父が握るのは十字架を模った大剣。処刑人のようにゆらゆらと忍び寄り、吸血鬼に向かって
「──『
「…………」
神父は何も答えない。
ただ自らの髪を掻き上げ、顔を見せた。
神父の顔にもまた十字架があった。
額から顎にまで走る縦の傷と、二つの眼球を切り裂く横の傷。
十字の傷跡が、西洋人の顔に刻まれていた。
その顔を見て、吸血鬼は膝から崩れ落ちる。
体に力が入らずに、倒れ込む。
「っ、は。そう、か……それがオレの
「…………」
「ふはは、オレを殺すか? だが、不可能だ。この肉体を滅ぼし、一時的にオレを退ける事はできても、オレを──『
「………………、」
「心配するな。オレが人類を絶滅させる事はない。オレはな、君達を愛している。君達が生み出した娯楽を貪って我が生を謳歌できている俗物だからな。だから、君達を害する事はない。
身勝手な吸血鬼の言い分を耳にして。
神父はようやく口を開いた。
「そうか。なら、此方も貴様を殺す事はない。──
「ごっ、ァァアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉︎⁉︎⁉︎」
痛い。痛い。痛い。痛い。
吸血鬼の喉が絶叫する。
千年生きた吸血鬼でさえ初めて感じる類の痛み。
まるで、神経が内側から焼かれているような──
「覚えておけ、吸血鬼」
苦しむ吸血鬼を踏み付け。
十字傷の神父は宣言した。
「いつか、人類は貴様を殺す。弱点のない怪物などいない。
『
そう呼ばれた事件の、終わりの話。
「話をしようか、弟くん」
カンカンカン、と金属の部屋に音が響く。
無骨で殺風景な銀の箱。
ここは裏都第零区に聳え立つ、地下の地上を繋ぐ全長三百メートルの巨大昇降機。
エレベーター内には、ボタンが二つしかなかった。即ち、
『姉』は迷わず1のボタンを押す。
古いエレベーターだからか、それとも長い間使われていなかったからか、ぎこぎことエレベーターは不気味な音を立てる。
動き出すまでは、まだ当分、時間がかかりそうだった。
「改めて、自己紹介だ。……私の名はアインソフ=オールナイト。
動かない床に足を伸ばして、『姉』はそう告げた。
アインソフ。
……どうにも違和感がある。僕が名前を覚えていないだけかもしれないが、それでも、何かが違うと本能が告げる。
「『耽溺公』……」
「さっきも言ったが、決してえっちな意味ではない。これは私達七体の吸血鬼──
「……罪? 姉さんが?」
「まっ、待て! 早まるな!」
?
何が???
『姉』はなぜか、一人で焦っている。
「たっ、確かに私には罪がある。だが、それは人類が後天的に犯す罪とは違う。私たちが生まれながらにして抱く罪。吸血鬼の原罪。吸血鬼は存在自体が罪だというワケだ」
「…………、」
「私の場合は『耽溺』の原罪。人類ではないモノが、人類の資源を食い潰す罪。私という吸血鬼は、命ある限り人類の資産を使って放蕩する怪物だ、とな。……でも、信じてくれ! 私は私の生存のため、人類にある程度の迷惑をかける事はあるだろうが、人類を害したいと思った事はない!」
そうだ。そうに決まっている。
『姉』は清廉潔白なのだ。
『姉』に罪があるなど冤罪だ。
生きている事が罪だなんて、そんなの正しくない。
……本当に、そう思っている。
心の底からそう考えている……はずなのに。
なのに、なぜか頷けない。
何か『姉』の言葉に引っかかるモノがある。
「でも、それだけじゃないだろう。あの女……
「そ、れは……そうだが。だが! 勘違いするな! 私に人類を害そうなどという意思はなかった! 私は、
「…………は?」
思わず、言葉が漏れた。
繋がらない。
『姉』の言葉と行動が繋がらない。
この女の考えている事が何一つとして理解できない。
「私は吸血鬼だ。世界にたった七体しか現存しない純血の吸血鬼だ。……だから、私のためのサービスというモノはこの世界にはない。世界は私の需要を満たさない。当然だ。現代社会とは最大多数の幸福を目指すもの。マイノリティ極まりない吸血鬼の意見など多数決に呑まれて消える」
「……おい、まさか」
「
アインソフ=オールナイトは
だから、生き続けるだけなら問題はなかった。元の世界のままでも、まあ死ぬ事はなかった。
でも、アインソフには欲があった。
もっと良い生活、もっと便利な文明、もっと楽しい生涯を求めた。
その結果がこれだ。血を血で洗う殺し合いなんて日常茶飯事、息をするように犯罪が起こる悪性都市・
「ずっと計画していた……なんて言えればカッコいいのだろうがな。実際には単なる思い付き。
「…………ッ!」
「私の手はその手段があった。『
西暦二〇二〇年。
東京は吸血鬼という存在によって一変した。
だが、特別な理由があった訳じゃない。
人類に対する憎悪とか、あるいは逆に人類に対する愛情とか、そんな特別な動機はなかった。
千年かけて積み上げた計画とか、無数の人々が賛同した理想とか、そんな大層な事情もなかった。
本当に、それだけ。
たったそれだけの、数秒後には忘れている程度の思い付きが、一千万の人々の人生を捻じ曲げた。
「人間は私が思った通り凄かった。私が千年かけても辿り着けない楽園──
「…………」
「信じてくれ、弟くん。私は『
さあ、どうする。
彼女の言葉を信じるか、信じないか。
目の前の吸血鬼は
「
僕は。
そう、はっきりと告げた。
「……信じるも信じないもないよ、姉さん。心の中でどう思っているかなんて関係ないんだ。結局、正しいか正しくないかは心の善悪ではなく、行動が倫理や秩序に沿っているかだろう?」
「ぅ、そう……だが」
「中身なんて分からない。だから、僕はカタチを見る。動機も感情も関係ない。心が善人だろうと、殺人を犯したのならそれは罪だ。……勿論、状況にもよるけどね。同じように────」
「──
「────────っ」
……口が、開かない。
唇が縫い合わされたかのように、薄い息だけが漏れる。
「分かった。わかったよ、弟くん。君が守るのは『姉』であって、オレじゃあない。……そうだ。そうだとも君の言う通りだ」
「────」
「オレは清廉潔白なんかじゃない。絶対正義なんて名乗れない。ふはは、オレは何を期待していたんだ? 当たり前じゃないか。正論じゃないか。そうだ。だから、何も傷付かない。オレはオレだ。誰に迷惑をかけようとも、オレは生涯を楽しみ続ける」
「──────────、」
どくどく、と心臓が脈打つ。
彼女は僕を諦めた。
つまり──この後に、僕の未来はない。
「最後に見せてやろう。オレが有するもう一つの異能──『■■■■』を」
目が、女の左目が赤く輝く。
それと感応するように、僕の体の奥底から熱い何かが湧き上がってくる。
そして、引き金を引くように。
女の妖艶な声と共に僕の中の何かが弾けた。
「