入門→基礎→応用、という流れです
「…………ん?」
ガコン、と床の動く振動で目を覚ます。
エレベーター『大黒柱』。
いつの間にか、上昇が始まっていた。
(寝てた……の、かな)
しかし、それ以降の記憶が忽然と消えていた。
それも仕方がないのかもしれない。
魔眼を有する吸血鬼との戦いは激闘だった。
疲労困憊の果てに意識を失っていたとしても不思議ではない。
…………、本当に?
まだ
『姉』、『姉』、『姉』。頭の中で言葉が反芻される。何か。何かが引っ掛かった。理由も分からない喪失感。
「なにか、大切な話をしていたような──」
「──
────。
……寝ぼけて、いたのか。
いや、でも、何か。
何かが記憶の端っこに引っかかっている。
「姉さんは……何なんだ?」
「何って、失敬だな。私を忘れたのか?
僕の、
そうか。そうだった。
ずっと頭にあった違和感の正体が分かった。
『姉』は元々別の名前で、だけど、色々あって僕の義理の『姉』になったから名前の並びがしっくりこなかったのだ。
日渡アインソフ。『姉』の横文字が、違和感を助長していた。本当にそれだけの話。
「君が意識を失う前は、吸血鬼が持つ異能についての話をしていた。忘れたか?」
「……そう、か。そうだった。すまない、姉さん。気付かない内に疲れが溜まっていたみたいだね」
「構わないさ。何だって説明しよう。それで、弟くんは何が気に掛かっている?」
「……そうだね、『血』の変身。一つ気になっていた事があったんだった」
うん。そうだ。
思い出した。
意識を失う前、確かにこんな話をしていた気がする。
「人御末那子との戦いの最後、彼女の『
「……ふむ。恐らくは訳語だろうな。その言葉自体は知らないが、似たような現象ならば私にも経験がある」
「と言うと?」
「
ざざざざざっ! と。
頭の中に
無限に続く二重の螺旋。それを辿っていくような光景。
「怪物とは如何にして生まれたか。それは分からないが……原点に『神』が存在していたのではないかと推測されている。神が零落して怪物となり、終いには吸血鬼の因子の一つに成り果てたのだと」
「……っ!」
「ならば、異能の出力を高める事で、一時的に神話の権能を引き出す事ができる」
「神話の、権能……」
異能の最奥。
神秘の極限。
怪物の『血』の源。
怪物に零落する以前の、神話に謳われるカミ。
故に、その一撃は神の名を冠する。
「人の器が決壊し、怪物の『血』が暴走する。故に、人域血壊。
「それは……僕にもできるのか?」
「できるだろうさ。発動方法は簡単、ただ心拍数を早めれば良いだけ。異能は『血』に宿り、『血』は心臓で巡るモノだからな。異能出力の調整とは、すべて心臓で行っている」
とくとく、と。
心臓が不気味に脈打つ。
怪物としての本能が、その身に宿る『血』を存分に振るえる事に歓喜しているのかもしれない。
「だが、私としては最大出力……人域血壊を行うのは反対だ。人の身を──吸血鬼の身さえも超える異能を、我々は制御すらできない。暴走染みた出力に振り回され、極大化した弱点を突かれるのが相場だ。あの
「……まあ、そうだね。異能と弱点が紐付いているなら、人域血壊の発動時は弱点が大きくなっていて当然か」
「
吸血鬼ならではの一言だろう。
最大出力こそが最強ならば、神話に謳われるカミは現代まで生き残っていたはずだ。他の怪物が絶滅する事もなかったはずだ。
だが、現存する怪物はたった七体。それも全てが吸血鬼。弱肉強食など偽り。適者生存こそが真実。必要なのは強い力ではなく、
「……その点、弟くんは天才的だな。光を屈折する異能を持っていたとしても、一発目から思い通りに出力を調整する事など普通はできない。アイデアを思い付いても、想像通りに自分の心臓を操る事なんてできやしない。────
「………………………………。別に、大した話じゃないさ」
そう。本当に、大した事ではない。
『姉』だって知っているはずだ。
僕は生まれた時から
「
「────な、に……⁉︎」
僕の生涯を語る。
そのつもりで、口を開く。
……でも。
開いた口から声が出る事はなかった。
「……? どうした、弟くん」
「いや、……何だろう。何か、違和感が……」
ふと、不自然な事に気付く。
僕は途中、意識を失っていた。
だから、その違和感を見過ごしていた。
「
『大黒柱』は
だが、途中階がないからこそ、このエレベーターは直通で動く。一階分を移動するのに一秒以上……たとえ三秒もかかったとしても、せいぜいが五分程度の待ち時間。
五分。
そんな一瞬、とうに過ぎ去っている。、
いつの間にか、エレベーターは静かだった。
駆動音はなく、何処かで止まっている。
「……妨害か。第零区で蹴散らした
「そいつがエレベーターを止めたのか」
「あるいはエレベーターだけではないのかもしれない。『
エレベーターはうんともすんとも言わない。
上どころから下にさえも動く気配はない。
……さて、吸血鬼は何日くらいで餓死するのだろう?
「弟くん、君の出番だ」
「……まさかとは思うけど、姉さん」
「天井を破り、私を地上まで連れて行け」
「………………、」
当然のように『姉』から無茶振りが飛んでくる。
今が地下何階かは分からないが、最悪の場合は何百メートルも登る必要があるのだが……。
「冷静になれ、姉さん。あえて天井裏に誘き寄せるという敵の罠かもしれない。ここは慎重にだね……」
「罠を仕掛ける暇などなかった。そんな時間があれば、最初からエレベーターを止めればいいだけだ。それでも心配と言うのなら、私を天井裏に上げるまでに自分で確認すれば良いだろう」
僕の躊躇いは論破された。
仕方がない。『姉』のためだ、腹を括るしかない。
「それは……そうだな。よし、まずは確認だ。姉さん」
「うん? 何だ?」
「何って……確認だろ? 僕は目が見えない。確認できるのは姉さんしかいないと思うけど」
「くっ、なぜ私がこんな事を……っ!」
ブツクサと文句を言いながら、『姉』はエレベーター天井の点検口を慎重に開ける。
ちなみに『姉』の身長では届かないため(そして何故か『皮』の変身をしたがらないため)、僕が肩車をしている状態だった。
きゅっ、と『姉』の股が僕の首を絞める。
不安定な体勢を支えるため、『姉』の太ももをしっかりと持った。
「ぐっ、ぬお! 変態がァ!」
「どうした姉さん⁉︎」
「何でもない!」
「それならいいけど……」
「(……こいつ、我が鼠蹊部と太ももの感触を何だと思っているんだ……。せめてもっとドギマギして無様を晒せば良いものを、涼しい顔をしやがって)」
「本当に大丈夫なのか、姉さん?」
「大丈夫だ! くそう! 弟くんの首で股を擦ってやろうかこの野郎!」
「何言ってるか分からないけどやめてくれ」
そんなこんなで暴れる『姉』を宥めている内に、かぽっ……と天井が開いた、
「ごほっ、ぐごぼっ⁉︎ 開いたっ、開いたぞ!」
何十年も使われていなかったのか、天井裏から飛び出した埃に咳き込みつつ、『姉』は尻を振って這い上がった。
『姉』の僕の家族の
埃と煤で真っ黒だが、何の罠も見当たらない。頭上を見上げても真っ暗で何も見えないが、特に異常も感じられない。
「これで満足か! 私を辱めたんだっ、その分は働いてもらうぞ!」
「いや、別にいいけどさ……辱めたっていつの話?」
「今だ今! 今今今今! あっ、今まさに私の胸を触っただろう!」
「はいはい。話は後で聞くから」
僕もまた天井裏に跳び上がり、喚く『姉』を片手で掴む。
落としてはいけない。
「じゃあ、上がるぞ。……本当に危険だから暴れないでくれよ」
「弟くんは私を何歳だと思っているんだ……?」
「姉さんだから歳上だ。分かってるよ」
何歳扱いしているかは実年齢とは別の話だが。
あいて明言せずに、『姉』の視界越しに頭上を見据える。
プシュ! と手首から射出される
『骨』が壁に食い込み、
百メートル程度の垂直の壁面。
吸血鬼の身体能力からすれば大した問題でもない。
「このまま、駆け上って──」
だから、敵も予測できていた。
だから、僕も敵の罠を警戒していたし──
「……?」
わおああああ……と。
うおわあああ……と。
何か、音が反響している。
視覚を失って鋭敏になった聴覚がそれを捉える。
「なッ──」
「──
一瞬の交錯。
寸前で躱した落下物の正体を、『姉』の瞳が捉えていた。
「…………
響く、
研ぎ澄まされた聴覚はこう告げる。