#017 最後
人域血壊、『
発生した莫大な斥力は地下街を吹き飛ばす。
「…………っ」
爆風と土煙に目が眩む。
光や電磁波を屈折できる『
下半身を失った僕は勢いに耐えられず、後方へ飛ばされそうになる。しかし、その手を『姉』が掴んだ。
『姉』の手を借りて爆破をやり過ごす。
やがて、衝撃は終わった。
次の瞬間、僕の目に飛び込んだのは──
「────
──
水越涙涸の自爆は地下街の天井をすべてブチ抜き、二十メートルほどの縦穴を生み出した。
地上が見えた、という実感は少ない。
空はまだ暗くて、裏都との違いが分からない。
だが、唯一違うとすれば、空に浮かぶ孤独の月だろう。
裏都にはない光源。
夜を象徴する天体。
……なのに、不思議な気持ちが湧く。
僕は心臓を動かさない静的行為として、天体観測が趣味だったのだが……
「弟くん、あまり月光に当たるな。体に悪い」
「……吸血鬼って、むしろ月の光で強化されそうなものだけど」
「月は太陽光を反射している。直射日光ほどではないにしろ、吸血鬼には害あるモノだ。私達が強化されるのは新月の夜か、日蝕や月蝕の真っ最中くらいだな」
『姉』は下半身のない僕を月光が当たらない陰にまで移すと、小さな白い手で僕の唇に触れた。
「じっとしていろ。いいか、今からの行為を誰にも言うな。弟くんもすぐに忘れろ」
「…………待って。待って待って、怖い。何をするつもりかだけでも聞いていいかな???」
「わっ、私の口から言わせるつもりか……⁉︎ この変態!」
「わあー、恐怖心のボルテージだけ上がっていく……」
声色だけでは『姉』の感情は読み取れないが、それは怒りよりもむしろ照れているような言い方……なのか?
分からない。僕の瞳は光を映さず、『姉』から共有される視界も不安そうな僕の顔しか映さない。
「これは……緊急措置だ。人命救助だ。後からこんなのは
「だから、何をやろうと────」
──
(…………へ?)
思考が停止する。
頭が真っ白になる。
上手く言葉にならない感覚。
驚きと共に強張る体。
そんな僕の様子を無視して、『姉』は舌を捩じ込む。
躊躇なく、容赦なく、僕の口内を蹂躙する。濃厚な粘膜の接触。気持ち悪いのにキモチイイ。
まるで、快楽か何かを直接流し込まれているかのような────
(お、ぇ……)
反射的に喉が嗚咽をこぼす。
眼球からは涙が溢れる。
鼻を突き抜ける鉄錆の匂い。
雨の日の後の鉄棒みたいな味が口を満たす。
吐瀉物を口移しで飲まされているみたいな、そんな不快極まる感覚。
吐き出したくなる本能。それを抑え付けるように、『姉』は小さな手で僕の顔面を鷲掴みにする。
たっぷり、一分。
長いファーストキスは、ようやく終わりを迎えた。
「……ぅぇ。勘弁してくれ、姉さん」
「わ、私だって好きでやった訳じゃない! これは人工呼吸みたいなものだ!」
「何を言って……は?」
……質量が戻った。
消失した下半身と同じだけの質量が、取り戻される。
反射的に『肉』の変身で下半身を再生しようとして……気付く。
「どうした? 修復しないのか」
「いや……このままじゃ僕、下半身丸出しの不審者にならないか?」
「ぶほッ! ……良いじゃないか。地上に弟くんの醜態を曝け出そう」
「絶対嫌だ!」
『骨』で隠すか、筋繊維を編むか。
そう考えているとガサゴソと音がして、僕の手に何かが渡る。
「仕方あるまい。私のズボンをやろう」
「……待て。それじゃあ姉さんが下半身丸出しの痴女に──」
「
──────あ。
気付く。ようやく気付く。
『姉』は僕に質量の口移しをした。
自らの質量を減らして、僕に分け与えた。
なら、今の『姉』はどうなっている……?
「姉さん!」
「安心しろ。ただ幼い見た目になっただけだ。ズボンのサイズは合わないが……シャツが下半身も隠してくれている。服装に問題はない」
「問題は……あるだろ。だって、質量っていうのはゲームのHPみたいなものだ。姉さんがそう言った。『姉』を守る弟のために、姉さんが命を削ってどうする」
「弟くんは頭が硬いな。元より私は戦闘に向いていない。ならば、弟くんの肉体を優先する事が私の安全に繋がる。ただそれだけの事だろう?」
「……そうか。それは……姉さんらしいな」
自分のために他者を救う。
良かった。いつもの『姉』だ。
「納得したか? では、早く体を再生させろ。弟くんが復調しなければ私も安心できない」
「ああ。ちょっと待っててくれ」
下半身を再生させる。
肉体の約半分を一から作り出す。
……慣れが足りない。再生にはちょっと時間がかかりそうだ。
再生が済むまでの休憩時間。
僕は気になったことを『姉』に尋ねる。
「姉さん。
「ああ。最後の最後に言っていたハッタリか……」
……ハッタリ?
あれが、何かの嘘なのか?
「良いだろう、吸血鬼講義最終編だ。講義テーマは────
どぐん、と。
僕の心臓が、あるいは僕の『血』に宿る怪物の因子が脈打った。
「一九九九年、御伽話で謳われる『怪物』のほとんどは絶滅した。現存するのは七体の吸血鬼、絶滅しない
「…………っ!」
「時代の変化? 環境の変化? あるいは怪物同士の共喰い? 違う、どれも違う。理由はたった一言で言い表せられる」
忌々しい、とでも言うように。
最高級の畏敬と憎悪を込めた声が放たれる。
「──
耳を疑う。
何かの比喩かと、そう信じたかった、
「なん、だって?」
「人間が自然環境を破壊したから……なんて迂遠な話じゃあない。もっと直接的に、人間はその手で怪物を狩り尽くした」
「待って、待ってくれ。人間が、怪物を倒した? あり得ない。人間と怪物じゃ
人間じゃ怪物には敵わない。
それはこの世界の大前提ではなかったか。
「そう、不可能だ。人間が怪物を超えるなどあり得ない! 星さえ砕く兵器も都市部に入り込んだ怪物には使えない! 人間が怪物を絶滅させるなどあり得ない! あり得ない……はずだった。
「……それ、が」
「『
人の身にて神話に手をかける偉業。
怪物の方がまだ現実的だった。
古今東西の怪物を一掃した、本物の英雄。
「なあ、もしかして、いるんじゃないのか? その『
「──それはあり得ない。あり得ないから、その警告はハッタリなのだ」
心の底からの安堵を込めて、『姉』は息を吐いた。
「『
「……でも、」
「
そう、なのか?
胸の中にうずく疑念。
しかし、それを口に出す事はなかった。
言葉にするよりも早く、再生は終了した。
「では、そろそろ地上に向かうとしよう」
地上に向かう。
天井に空いた大穴を見上げ、月を睨む。
地上にさえ出れば、国際条約によって『姉』の身の安全は保障される。
此処が最終目的地。辿り着いたゴール。
しかし、僕の心を満たしたのは達成感ではなく────寂しさ、だった。
(……これで最後、か)
『姉』は身の安全のために僕を弟にした。
自分を守る弟という肉盾に洗脳した。
裏都の治安の悪さを何処かで聞いていたのだろう。国際条約の効力が届かない地下都市に赴くからこそ
ならば当然、地上に出て『姉』の安全が約束されたなら、『姉』は
『姉』を安全な場所まで届けさえすれば、僕達はお別れだ。それまでは、僕は『姉』を守る従順な弟でいよう。
だが、最後の最後。別れの際には質量を『姉』に返そう。口付けをして、喉奥に僕の血肉をブチ込んでやる。戸惑う『姉』の顔を見れないのは残念だけど……。
(ああ。でも、そんな最後なら悪くない)
寂しさを噛み砕いて笑みを浮かべる。
最後の最後まで、僕は弟を全うしよう。
左手で『姉』を抱え、右手から
『姉』は軽かった。短い手足が僕を掴む。自らの弱みを見せる事に躊躇いもなく、僕に全体重を預けてくれる。それが嬉しい。
「行くよ、準備はいいかい?」
「ああ。私を守ってくれる地上へ────」
「────
プツン、と。
地上と地下を結ぶか細い線が、あっけなく。
「──────は、」
耳元で、『姉』の息が止まった。
視界に映る姿を見て、少女の体から力が抜ける。
二十メートル先。
大穴の淵、地上に男は立っていた。
痩せ細った枯れ木のような
老い。それは、男が人間である事を示していた。
その爺さんは一目見れば忘れられないような、特徴的な姿をしている。
身に纏う神父服。首にかかった錆びた銀の十字架。傷だらけの手が握る、十字架を模った大剣。
そして、何よりも──顔に刻まれた
「──そうか。まだ我輩は
爺さんが言葉を発する度に、『姉』の体から力が抜けていく。
雷に怯えて縮こまる幼子のように、少女は僕の腕の中で震えていた。
「ねえ、さん?」
「……なぜ、動けている? あり得ない。百歳も超えた
「人間を舐めるな。全盛期を過ぎ、搾りカスに過ぎない我輩でも貴様を殺す事くらいはできる」
「破るのか……?
震える声で何かに縋る『姉』。
しかし、切り捨てるように爺さんは言葉を吐いた。
「
「あ、ああああ──」
「
「──あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉︎⁉︎⁉︎」
地上へ出れば救われる。
国際条約が安全を保障してくれる。
──全部、嘘だった。今、目の前に立っているのは、世界全てを代弁する吸血鬼殺し。
「
『人間』。
何の異能も持たず、
最後にして最強の敵が、僕達の前に立ちはだかった。
人間がラスボスなんだ……
色々な変更があったため、#011の神父登場シーンから青年という言葉が削除されています。急遽ラスボスに抜擢されたのでね、仕方がない。
▽
『癇癪公』
核兵器とかをバンバン投入すれば理論上は殺害可能だが、シンプルに強すぎるため惑星の半分は焦土と化す。一番スタンダードな最強の吸血鬼。
『貪欲公』
合衆国の経済界を支配しているため、殺害すると世界恐慌が引き起こされる。人類大好き派で耽溺公の親友。
『独善公』
人類の味方をしているため、殺すと他の
『堕落公』
解凍までにあと三千年かかるとされる南極の氷山で眠っているため、殺したくても殺せない。最年長。
『悪食公』
無限に増殖・分裂を繰り返しているため、殺しても殺し切れない。本体はとっくに死んでいる。
『羨望公』
存在しているのは確かなはずだが、人類の中に紛れ込んでいて見つけられないため殺せない。正体不明。
『耽溺公』
殺せる。美少女のカタチをした最悪。