『怪物を殺しなさい。怪物を殺すために生き、怪物を殺すために死になさい』
『磔刑』のクロイツ。
やがて、そう呼ばれる男が初めて耳にした言葉はそれだった。
男は千年続く怪物殺しの家に生まれた。
千年間、怪物殺しを生業とする一族。
怪物よりも怪物染みた執念で怪物を狩り、その技と知恵、そして怪物殺しに適した遺伝子を次代へ受け継ぐ狂気の家系。
だが、役割に反して怪物殺しの一族には執念と呼べるほどの
空っぽで、虚で、不気味な瞳。
ただそこにいるだけのヒトガタ。
誰も彼もが焦点の合わない暗闇の虹彩を持つ。
当然だ。執念は伝統と化し、伝統は呪いと化し、かつてあった怪物への憎悪は形骸化した。
そこにあるのはただの銃弾。千年前に撃ち放たれた弾丸が、慣性の法則で今もなお動いているだけ。
機械の歯車のように何も考えず怪物を処理する日々。きっと、かつての男には自我なんてものはなかった。
そんな人生が変わったのは、三つの出会いがあったからだ。
『手を貸せッ、怪物殺し! 俺とお前で理不尽に決着をつける! 怪物だから仕方がないなんて、そんな諦めはこの時代で終わらせてやるッ‼︎』
一つ目の出会いは、白銀の少年。
眩いまでの彼の善性は、空っぽだった男の心に正義を灯した。
少年だけじゃない。
『
どいつもこいつも男と同じような破綻者で、異常者で、怪物以上に人間離れした人間達。
一人じゃないと思えた。
それでも、別れは突然にやって来た。
二〇世紀の終わり。
『ふふふ。良いじゃありませんか。怪物殺しだからって人と関わるのを避けてちゃ、あなたまで怪物になっちゃいますよ?』
二つ目の出会いは、平凡な女。
平和になった世界で出会った、何処にでもいる普通の女性。
普遍的な女の愛情は、凍てついた男の心を暖めて溶かした。
怪物が絶滅して、怪物殺しが必要とされなくなった時代で、再び空っぽになろうとしていた男の手を取った女性。
初めて無償の愛を知った。同じだけの愛を返したいと思った。
二度の出会いを経て、男は変わった。
男はもう怪物を殺すだけの機械ではない。
『磔刑』のクロイツは中身ある人間になった。
ああ。
だけど。
ダメだった。
怪物殺しに愛を育む権利なんてなかった。
それに気付いたのは娘が死産した時だった。
男の遺伝子は怪物殺しに特化している。
歪に、不自然に、千年かけて進化している。
普通の女性には、異常な遺伝子を受け止めるだけの強度が足りなかった。あまりにも負担が大き過ぎた。妻は出産時に意識を失い、何年経っても目覚めない。
当たり前の事だった。
怪物殺しの遺伝子は、怪物亡き平和な時代には受け継げない。
娘は死んだ。生まれる事もできなかった。
妻は目覚めない。昏睡状態は永遠に続く。
男は絶望した。再び、男は空っぽになろうとしていた。
『ふ、ふははははは‼︎ そうかそうかァ、君がオレのパパというワケだな。「
「なあ、許せるかね?」
ドグン、と僕の心臓が脈打つ。
自分自身の制御から外れた鼓動。
それはまるで、目の前の老人の感情が直接伝わってくるかのような不思議な感覚。
「自分の娘が、生まれてくる事もできなかった娘の肉体が乗っ取られた。その亡骸を、その生涯を、その未来を
老人の目には熱が宿っている。
煮えたぎるような憎悪が爛々と輝いている。
「『耽溺公』アインソフ=オールナイト、貴様との出会いで空っぽだった我輩は
何の言葉も、返せない。
どうしようもないほどに自業自得。
朽ち果てるだけだった老人を、自らを屠る天敵へ変貌させたのは他でもない『姉』だった。
「我輩は『耽溺公』の唯一の弱点だ。だが、我輩の声を聞かせた所で動きを止める程度。我輩だけの力では『耽溺公』を確実に殺すには至らない。ああ、二〇二〇年の『
老人にとっても苦渋の決断だったのだろう。
どれほど合理的な意見を並べた所で、愛娘の体の中に怪物の精神を留めることを許せるのか。
許せなかった。許せないまま、唇を噛み締めて合理を優先した。その苦悩が更に、憎悪の炎に薪を焚べる。
「精神体を傷付けるというアプローチは失敗した。故に、正攻法。『耽溺公』の本体を見つけ、殺す。それが唯一の最適解。──だが、これが困難だった。『
そこには執念があった。
数十年の捜索が無為に終わっても、一歩でも復讐に近づけたと笑えるだけの執念が。
「く、くはッ! くはははははは! 見つけた時は呆気なかったなア! あんなにも探し求めた『耽溺公』の本体が見つかったのは何処だと思うね⁉︎
「……本体は『
「違う! 本体が見えないのには異能は関係がない!」
「……本体は地球の衛星軌道上を動いている、」
「違う! もっと近く! すぐ側に『耽溺公』は潜んでいる!」
見えず、動き回り、すぐ近くにいる。
そんな都合の良いモノなんて、何処にも──
「────、あ」
「
ある。あり得る。
だけど、可能なのか⁉︎
震える唇。
引き攣る喉。
そこから、たった一言分の声を絞り出す。
「────
目に見えないほど小さく、肉片のウイルスのサイズにまで分散するように変身する。
他者に感染し、太陽光の当たらない人間の体内で身を潜め、人間を媒介として自由に動き回る。
存在するだけで人類を蝕む病。
人類史を貪り尽くす耽溺の獣。
それが『耽溺公』アインソフ=オールナイトの正体。
「最初に見つかったのは我輩の血中だった。『
普通はあり得ない。考えもしない。だって、脳構造が保てなければ思考もままならない。
だが、『姉』には『
「幸い、感染力は皆無。そもそもが太陽光を避けて体内に潜む肉片だ。空気感染など起こるはずもないし、唾液のような浅い粘膜に潜む事もない。あり得るとしたら血液感染くらいだろうよ。だから、感染者はそう多くない。────
「そう、か。『
「
最低でも裏都の全員。
彼らの中に潜むウイルスを処理しない限り、『耽溺公』が死ぬことはない。
「この
「そうだ、賢い生徒だな。『耽溺公』の本体は裏都に住まう吸血鬼全員の中に拡散して宿っている。では、『耽溺公』を確実に殺すためにはどうすれば良いと思う?」
「……裏都ごと爆弾で吹き飛ばす?」
「一点だけ減点だ。裏都ごと、ではない。──
────。
息が、止まる。
「
会議の予定を告げるみたいに当たり前に。
老人が言ったのは問答無用の死刑宣告だった。
「知っているか? 通常、吸血鬼は吸血鬼にしか殺せないとされているが、それは都市部に入り込まれた場合のみだ。被害を考えなければ、人類の兵器でも吸血鬼を殺す事はできる」
「……っ」
「純粋水爆。水素の核融合反応で莫大な熱と光を生成する兵器。生み出された光は吸血鬼を一掃する。科学的には小さな太陽を生み出すのと同じ事だからな。故に、その爆弾の名は『
クロイツの枯れ木のような指が空を指す。
漆黒の夜空には何も見えない。
だが、音が。空気を裂くような何かの音だけが聞こえる。アレは飛行機、か?
爆弾が投下される準備は既に整っていた。
日の出と共に投下、というのは単に念の為の撃ち漏らしがないように……くらいの意味合いだろう。
きっと、何か不具合が起こればすぐにでも爆弾は落ちる。東京都は、消滅する。
「安心しろ。純粋水爆は原子爆弾とは違ってクリーンな兵器だ。長期に渡った土壌汚染など存在しない。そして、今の日本は二〇二〇年の『
「あなたは……『
「違う。我輩は復讐鬼だ。……そもそも何を悲しむ事がある? 見ろ、この小綺麗な街並みを。汚泥を地下に押し込んで、外から見える地上ばかりを整えたハリボテの首都を! なんて醜い。見ないフリをしてきたツケが回って来たのだ。滅ぶなど当然の報いだろう」
「…………っ‼︎」
言いながら、老人は一歩も動かない。
そこには覚悟があった。
だって、感染者が全て殺されると言うのなら、それはクロイツだって例外ではないのだから。
「我輩も、貴様も、『耽溺公』を宿した感染者は皆、此処で死に絶える。今更我輩一人を殺した所で無駄だ。我輩はな、冥府の底から誰も逃がさないための番人でしかないのだ」
朝が迫る。
それは残酷なまでのタイムリミット。
「
東京都、消滅まで。
残り三十分。
知らない爆弾だ……(何度も同じ過ちを繰り返す作者)