「監視カメラに意味はない。目撃情報に価値はない。何せ、この
吸血鬼。ヴァンパイア。
現代に蘇った御伽話の怪物。
西暦二〇二〇年、東京を魔都へと変貌させた
この
逆説的に言えば、此処にいる者は皆んな吸血鬼──人間の血を吸う怪物だ。
「………………、」
……それは、目の前にいる『姉』や僕自身だって例外ではない。
目を背けていた事実を直視する。
もう逃げる事はできない。
僕は、
(僕はいつ吸血鬼になったんだろう……?)
思ったよりも
正直に言って、まだ実感がない。
だって、記憶がない。僕はエレベーターの中で目覚める前の記憶を失っている。
何があって吸血鬼となったのか。
どうして裏都に来たのか。
……きっと、全ての真実は『姉』が握って────いや、どうでもいい『姉』は『姉』で絶対の『姉』は『姉』だから正義。『姉』を疑う理由なんて何もな姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉姉。
「聞いているのか、弟くん?」
「……いや、」
一瞬、意識が遠のいていた。
自分が吸血鬼になったという事実に意外と
「むむむ」
『姉』は頬を膨らませている。
どうやら
「すまない、姉さん。ぼうっとしていた。それで、何だったか。スーツケースをひったくろうとした強盗を僕達で捕まえようって話?」
「むぅ、そうだ。裏都の警察は頼りない。犯罪者には私達の手で報いを与えねばならない」
「でも、どうやって?」
現行犯ならば兎も角、強盗は既に走り去った後だ。
逃げた吸血鬼を探し出すのがどれだけ大変かは、『姉』は自分で語っていたではないか。
「確かに僕達は犯人の顔を見た。でも、吸血鬼ってヤツは顔立ちも体格も自由に変えられるんだろう。強盗の見た目は美少女だったけど、今となってはあの犯人が本当に女だったのかすら怪しい。そんな手がかりが何もない状態で、どうやって探すって言うのかな?」
「ふん、あんな吸血鬼など大した事はない。常人では吸血鬼を追う事など不可能だろう。だが、忘れたか?
「……っ!」
ついに明言されてしまう。
『姉』の言葉で、僕は吸血鬼になってしまったのだと。
「ふむ、丁度いい。吸血鬼
「何だ、って……血を吸う怪物じゃないのか。あとは日の光が苦手だとか、銀の武器に弱いとか、流水を渡れないとか……」
「……見事なまでに弱点を把握しているなあ。吸血鬼が持つ特別な力について覚えは?」
「動物に変身すると聞いた事はある。他には不老不死だとか、催眠術を使うとか、鏡に映らないとか、見た者を金縛りにするとかかな」
「それだけ知っていれば十分だとも」
改めて自分で言って、その能力の多さに唖然とする。普通、能力なんて一人一種じゃないのか。こんなの何でもありではないか。
「弟くんの言った通り、吸血鬼の伝承では無数の能力と無数の弱点が語られている。……だが、その大半は真実ではない」
「というと?」
「吸血鬼という存在は複数の伝承が入り混じっている。例えば、不老不死だが銀の武器に弱いというのは狼男の伝承だ。本来、吸血鬼とは無関係の話だよ。吸血鬼の本来の能力。それはたった一つ──」
『姉』は勿体ぶる言い方をして笑う。
「──
変幻自在にして神出鬼没。
どんな姿形にもなれて、どこに紛れていてもおかしくない。それが吸血鬼という怪物。
「そして、この変身能力は大きく分けて四つ……いや、三つに分類される」
ピン、と『姉』は白くて細い指を三本立てた。
そして、一本ずつ指を折る。
「一つ、『皮』の変身。顔立ちや髪色、体格を自在に変化させる能力。言い換えれば外見の再設定。『皮』の変身を使った吸血鬼を目視で追いかけるのは困難極まりない」
一秒ごとに姿形を変えられる怪物。
こんなファンタジーを前にして、警察が役に立って訳もない。
「……なら、どうやって追跡するつもり?」
「私が使うのは二つ目の変身、『肉』の変身。筋肉量や神経の鋭敏さ、血液の循環速度、内臓機能の効率性など身体性能を強化する能力。言い換えれば
そう言えば、と思い出す。
ひったくり強盗の逃げ足はアスリート並みに速かった。あれはつまり、優れた身体機能を持った者が犯罪行為に手を染めていた訳ではなく、この街の者ならば誰だってあれぐらいはできるという事か。
「今回、私は神経系を鋭敏にして嗅覚を研ぎ澄す。あの強盗は外見を取り繕って逃げたつもりだろうがな、体にこべりついた体臭まではそう簡単には変えられない。体臭自体は『肉』の変身で変えられても、既についた匂い自体は落ちないのだからな。……
トントン、と『姉』は自分の鼻を叩く。
さすが姉さんだ。吸血鬼の能力にも既に対応しているだなんて。
でも、最後の意味がちょっとよく分からなかった。今までの話に僕の出番なんてあっただろうか。
「?」
「察しが悪いなあ。弟は姉に絶対服従。弟には姉を守る義務がある」
『姉』は美貌を歪めて嗤う。
これ以上ないってくらいの太陽のような笑顔でこう言った。
「追い詰められて激昂した犯人と戦うのは、弟くんに任せた」
走る。走る。走る。
赤髪の女は暗くて細い路地を駆け抜ける。
追ってくる気配はない。
だが、女は油断しない。
気配なんてものがどれだけ曖昧で、吸血鬼なんてヤツがどれだけ馬鹿げた存在なのか知っているからだ。
誰もいない廃墟。
そこでそっと息を潜め、ゆっくりと『皮』を変身させる。
「……突っ立てるだけ
低い、低い声だった。
赤髪の女……その姿形は跡形もなく消える。
黒髪の
……と言っても、この姿形だって本物ではない。むしろ、吸血鬼に本物の姿形など存在はしない。
誰だって好きな形になれる。その結果、美男美女が溢れすぎて外見に価値が見出せなくなったのがこの裏都なのだから。
廃墟を出て、暗い路地を歩く。
先ほどの狩りは失敗だった。
だから、次の標的を探して歩く。
(ま、あんな無防備なバカは他にはいやしねえだろうが……)
裏都にこの手の犯罪は多い。
当然だ。現行犯以外では捕まらないという吸血鬼の特性と、常に夜で明るい道がない裏都の特性。治安が崩壊するには十分すぎる理由だった。
なまじ吸血鬼という存在が常人よりも強靭で死ににくいのも、治安の崩壊を加速させた。どれだけ暴れてもやり過ぎないというのは、暴力のハードルを著しく下げる。
暴力沙汰なんて日常茶飯事。
強盗も通り魔も、この街じゃありふれた光景に過ぎない。
だから、黒髪の優男もまた日常の一部に戻ろうとして──
「……あ?」
────足を、止めた。
何か、何かが来る。
闇の中で生き抜いた野生の勘。
彼が今もなお加害者の立場でいられるのは、彼自身が自分の勘を疑わなかったからだ。
故に、その勘に従って優男は飛び退く。
自分でも理由が分からない一瞬の判断。
それが、彼の生死を分けた。
逃げろ。逃げろ、と勘が囁く。
そして、同時に勘はこうも言った。
落ちてきたのは一人の少年。
何の特徴もない、なのに吐き気を催すような不気味な瞳の誰か。
「テメェ、さっきのっ……目がイっちまってるキチガイ野郎か⁉︎」
「…………心外だな」
僕は悲しみを吐き出した。
横暴な『姉』に従って強盗を強襲してみれば、どうしてかキチガイ扱いとは。
「犯罪者より僕の方がマトモじゃないのか」
『……ふむ、私のせいかもな。副作用があったのか……?』
「姉さん???」
頭の中に『姉』の声が響く。
どうやら、殺し合いだなんて野蛮な場所に『姉』は出てきたくないらしく、精神的な回線だけを繋ぐと言っていた。
意味不明だが、家族ならそれくらいできると言われたらそんな気がしてくる。『姉』の言う事に間違いはない。家族なんだから頭の中で通じ合うくらいできる。
「……なに一人でゴチャゴチャ言ってやがる! このヤクチュウ野郎!」
ガッ! とコンクリートの地面が踏み砕かれる。
吸血鬼の脚力による踏み込み。跳躍じみた一歩で、優男は至近距離まで接近する。
何らかの方法で追跡されたと悟った事で、思考を逃亡から迎撃に
一流のボクサーも目を見張る速度で拳が迫る。
先ほどコンクリートを踏み砕いた筋力から考えると、直撃すれば痛いでは済まない。頭蓋骨は粉砕されるだろう。
「なッ──⁉︎」
痛い、どころではなかった。
頭蓋骨が陥没する。脳が傷つく。
神経を火で炙ったような熱が体に巡る。
人間の精神が悲鳴を上げる。
それでも、『姉』が言ったのだからこれで間違いはない。
『そうだ、それで良い。吸血鬼同士の戦いの場合、ただの損傷に意味はない。
驚愕で硬直する優男の体を掴む。
全身で抱きしめるように締め上げる。
必死の形相で抵抗する優男。だが、離れない。
僕の体内は、『肉』の変身により人間を超えた筋繊維を手に入れた。金メダリストのレスラーだってこの拘束からは逃げられない。
「──いただきます」
「ご、ァァアアあああああああああああ⁉︎」
そのまま、砕けた顎をより巨大なモノに変身させて優男の肩に噛み付く。
『吸血鬼にただの損傷は意味がない。意味があるのは
ゴリッ、ゴリッ! と骨を砕く音が響く。
僕の顎が優男の肉体を喰い荒らす。
同時、自分の肉体が癒えていくのを感じていた。
吸血鬼に損傷は意味がないと言っていたが、実際は攻撃されたら血液が飛び散るため、ほんの僅かであっても自分の質量は欠損する。欠損した質量は、変身でも戻せない。
だから、それを相手の質量で補う。零れ落ちた僕の質量を、優男の質量を食らって取り戻す。
『吸血鬼同士の殺し合いとは、結局は
行ける。
そう直感した。
相手は吸血鬼歴で言えば僕よりも先輩なのだろうが、吸血鬼同士の戦いに慣れていない。
殺し合いは避け、一方的な奇襲と強盗で生きてきたのだろう。そこに隙がある。
と、そこまで思考を巡らせた時。
肉を断つ白い刃。
優男の体内から突き出た
完全な切断には至らない。しかし、力が抜けて優男を拘束していた腕力が緩む。その隙に、男は必死で飛び退いた。
「はっ、はっ、はっ……」
「…………
優男は荒い呼吸を繰り返す。
追撃はしない。油断できないそれがあるから。
体内から飛び出した白い刃。それは一見すると骨のようだった。
『変身の三つ目、「骨」の変身。体内で鋼を超える強度の物質を生成し、それを好きな形に整えて体内へ吐き出す能力。気を付けろ、下手なナイフよりも危険だと思え』
「……そう言うのは先に言ってくれよ」
優男はハリネズミのようだった。
白い刃が身体中が飛び出す。
それだけでなく、徐々にではあるが僕に貪られた肩も治っていく。
「……欠損は治らないんじゃなかったっけ」
『見た目だけのハリボテだ。失った質量自体は戻っていない。そうだな……格ゲーのキャラと同じだ。ダメージは見た目には現れないが、そのHPは確実に削られている』
「なるほど」
僕が優位に立っている事を自覚した上で、それでも油断はしない。
僕が相手の質量を奪えたように、相手だって僕の質量を奪って回復できる。
「くそ、くそォ、くぞがァァアアああああああああああ! なんでテメェみてえなイカれ野郎がこんな所にいるんだよォォオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」
優男が選んだのは突進だった。
破れかぶれに見えて意外と最適解。
ハリネズミの男が突進すれば、どう対応しても切り傷はできる。切れ味は既に証明されている。
そして、相手を切断する欠損狙いの攻撃は吸血鬼相手には一番の有効打となる。
凄まじい速度で詰められる距離。
しかし、僕だってただ棒立ちしている訳ではない。
準備は完了した。掌を眼前に突き出して
「ぶぼっ⁉︎」
思わず、と言ったふうに優男は叫んだ。
まだ距離はある。そんな余裕の思考が激痛によって吹き飛んだのだ。
目だ。
直後、ぐんっっっ‼︎ と顔が歪んだ。
何か、フックのようなモノが眼窩に引っかかり、ものすごい勢いで引っ張られている。
優男の理解は追いつかない。
だから、きっと、第三者の『姉』の方が今の状況を理解していた。
『……ワイヤー、か? 「骨」と筋繊維でフック付きのワイヤーを作ったのか⁉︎』
まず、『骨』の変身でフックを形成。それを『肉』の変身で生成した筋繊維に結ぶ。『皮』の変身で掌に穴を開け、血を圧縮して解放する勢いでワイヤーを射出する。
狙ったのは目潰し。その上でワイヤーを眼窩に引っ掛け、相手を振り回す。
ハリネズミの体は一見するとと強いが、無数に突き出された『骨』の刃は自らも傷つける。変身で塞げる傷も、無理やり振り回されたら傷口を開かれる。
ほんの数滴の血なら問題ない。だが、全身から血が溢れ、しかもそれが終わらないのなら──やがて質量を失って失血死するだろう。
筋繊維のワイヤーを『骨』で断てば何とかなる。でも、できるか? 視覚を失い、ぐるぐると振り回されながら、ワイヤーの存在に気づいてそれを狙うだなんて。
「僕と姉さんを恨むな。恨むなら、姉さんに目をつけたあなたの見る目の無さを恨め」
優男は諦めた。
諦めて、やがて、意識を手放した。
3話目は本日21:30に投稿します。