本日2話目、最終話です。
最後の最後まで作者のプロットに存在しない展開ですがよろしくお願いします。
見ず知らずの赤子は蘇った。
老人は我が子にもう一度触れる事ができた。
純粋水爆が落ちる事もなく、東京都が消滅する事もない。
ハッピーエンド。
これ以上ない大団円。
────
拳を握る。
唇を噛み締める。
まだ、『姉』が救われていない。
他人の命も、東京都の命運もどうでも良い。
『姉』だ。『姉』だけが僕の最優先事項だった。
人類が救われて、世界が救われて。
でも、その中に『姉』がいないのならば何の意味もない。
(姉さんは、命を狙われている。殺す方法が見つかった
するべき事は分かる。
なのに、体が動かない。
当然だ。限界なんてとっくに超えていた。
吸血鬼最大の弱点たる日光を利用した報い。
内側から灼かれた肉体には
指一本動かせない、ではなく。
動かすだけの指一本分の質量も残っていない。
思考がほつれていく。
意識を伝達するための脳構造さえ保てない。
灰も残らず体が消える。
それはまるで、吸血鬼が霧に変身するみたいに。
消える。消える。消える。消える。
彼女と触れ合った掌も。
彼女に与えられた質量も。
彼女との思い出さえも消えてゆく。
消える事に恐怖はなかった。
僕は元々、空っぽで透明な人間。
弟という役割を与えられなければ、世界に何の痕跡も残せなかった男。
何もかもが消え失せるだなんて、僕にお似合いの結末だろう。
(ああ、でも────)
心残りがあるとするならば。
『姉』の未来が心配だった。
僕がいなくても大丈夫かな。
彼女は死んでしまわないだろうか。
何とかなると嬉しいな。
何とかなると……寂しいな。
無意識に、残った質量で唇を
最期に何か言葉を遺そうとしたのか。
自分でも分からない、死に際の行動。
「────────」
でも、言葉は紡げない。
唇があっても、空気を震わせる喉がない。
何も見えない、何も聞こえない暗闇で。
何を遺す事もできず一人朽ち果てる。
ああ、それはなんて、
『
なのに、それなのに。
最期にあり得ない幻聴を聞く。
聴覚を再現する質量もないのに声が聞こえる。
光も熱もない、何の感覚もないはずの暗闇に、『姉』の声だけが響いている。
『言っただろう。姉を守るのは弟の義務だ。……見捨てるなよ。君は未来永劫、私を守り続ける弟なんじゃなかったのか』
無茶言うなよ。
そりゃあさ。僕だってずっと一緒にいたかった。
ずっと、ずっと、永遠に。あなたとバカみたいな話をして笑っていたかったさ。
でも、すまない。
僕は此処で死んでしまう。
あなたを置いて逝ってしまう。
『許さない。君が死ねば私はどうなる? 不死身のトリックは暴かれた。私は世界に殺されてしまう。守ってくれよ、弟くん。この哀れで可愛らしい姉を助けてくれ』
無理だよ。
僕が生きていたって救えない。
世界相手に、僕ができる事なんて何一つとしてない。
『いいや、それは違う。発想の転換だよ。私が生きている限り殺されるのならば──
見えない何かと、口付けする。
何かが流し込まれ、
「…………ま、て。待って、くれ」
『「耽溺公」アインソフ=オールナイトは殺される。……でも、ただの少年なら? 「耽溺公」の質量を与えられただけの普通の少年なら、世界から見逃して貰えるんじゃないか?』
「だって、それじゃあ……姉さんは。あなた、は」
『死ぬ訳じゃない。……確かに意識は失うかもしれない、本体を失って精神体すら形を保てなくなるのかもしれないけど』
彼女の存在は消える。
肉体も、精神も、消える。
質量を全て譲渡するというのは、つまり、自らの人生全てを放棄するという事なのだから。
それは違うだろう⁉︎
彼女が欲しかった永遠は、永遠に楽しい人生であって、ただ死んでいないだけの結末じゃあなかったはずだ!
違う。違う違う違う! こんなの絶対に違う! 他人を救うために自分を犠牲にするなんてちっとも『姉』らしくない!
『……でも、それでも。いつか、君が世界に貢献して、世界中の人々から認められたら──
だけど、心の底から理解する。
『姉』は本気だ。
嘘でも欺瞞でも、照れ隠しでもない。
自分の命を救うため、本気でこれが最適解だと思っている。
弟を助けようとか、僕を救おうとか。
そんな感情は一欠片しかない。
心の底から、自分が生きたいという一心で僕の肉体を修復している。
ああ。なんてハリボテの自己犠牲。
ちっとも中身なんて篭っていない。
なのに。
「…………っ」
なのに、どうして涙が流れるのだろう。
見えない誰かは、ふふっと笑った。
『君の目が見えていなくて良かった。こんなドロドロのヤツとのキスシーンなんて、視覚が働いていたら耐えられなかっただろうよ』
「……綺麗だよ、姉さんは。少なくとも僕にはそう
『く、くはは! 確かにそうだな! 思い出の中の初恋というのはいつだって美しい!』
「茶化すな、バカ」
中身がどれだけ醜くても。
外見がどれだけ醜くても。
僕にはそれは見えない。
僕に見えるのは、思い出の中の『姉』。
不器用で、無様で、それでも『姉』であろうとした彼女の
それだけで十分だった。
僕が
『私を助けてくれ、弟くん』
「……当然だ。姉さんが姉さんである限り、僕は姉さんを助ける」
長い夜が明けて、数日後。
隣にはもう『姉』はいなかった。
でも、大丈夫。
この体にまだ、『姉』は生きているから。
コンコンコン、と扉を叩く音が響く。
僕が返答する間もなく、容赦なく扉は開いた。
侵入者の顔は見えない。視界を補ってくれる誰かを失って、僕の目にはぼやけた何かしか映らない。
「生きていたか、怪物」
「その声……『磔刑』のクロイツか。あなたこそ、あの怪我でよく生きていたね」
それは車椅子の老人だった。
包帯でぐるぐる巻きにされたみっともない姿ではあるが、老人はまだ生きていた。
そして──
「……その子が、」
「ああ。……クリスティーナ、挨拶しなさい。この男がクリスティーナを助けてくれたんだ、忌々しい事に」
金の混ざった
「ぱぱ?」
「パパじゃない! この男は断じてパパじゃないぞ!」
「パパ以外の言葉を知らないだけだろ。あまり怒るなよ、お義父さん」
「貴様にお義父さんと呼ばれる筋合いもないが⁉︎」
赤子の肉体は返還された。
老人の復讐心はその動機からへし折られたらしい。
燃え盛る炎のような憎悪は形を潜め、残るのは孫(実際は娘だが)を甘やかすジジイだった。
「元気そうだね。この後はどうするつもりかな」
「取り敢えずは妻に会いに行く。彼女も寝たきりだが……娘の『
「なんだ、良かった。ハッピーエンドじゃないか」
「忌々しいが、『耽溺公』のお陰だな。……貴様の方こそ、どうするつもりだ? 処分は聞いた。吸血鬼であっても未成年。保護観察にはなるだろうが……殺される事はないのだろう?」
あるいは、黒泥が噴き出した際に地下で
僕が罪に問われる事はなかった。
『姉』から与えられた
何処にでもいる普通の少年として、ありふれた日常を手にした。
無論、吸血鬼である事は確かなため、地上での生活は不可能なのだが。
「
「裏都がある限りは『耽溺公』は生き続ける、か。人生全てを捧げるつもりか?」
「人生全てを与えてくれたんだ。恩は返さなきゃだろう? あなただって、だから復讐鬼になった」
「……そう、だな。我輩にとっての妻や娘が、貴様の姉だったか。……いや、姉ってなんだ???」
「姉さんは姉さんだよ」
『姉』は『姉』だ。
少なくとも、彼女がそう在ろうとする限りは。
「姉さんに与えられた人生を、弟として生き続ける。いつか姉さんに、与えられた命を返す時まで。……安心しなよ。別に僕の命を粗末に扱うわけじゃない。だって、そんなの命をくれた姉さんに失礼だからね」
いつか、胸を張って『姉』に命を返せるように。
僕は『姉』に相応しい自慢の弟として生き続ける。
滲む涙を拭って、不器用に笑う。
「大丈夫。弟として生きるのはすっごく楽しい。僕は姉さんの分まで人生を楽しみ尽くすよ」
それが、たとえ『姉』の存在しない空虚な人生であったとしても。
『いや、私が死んだみたいな口振りじゃないか?』
…………ん??? え???
パチパチ、と。
瞬きを繰り返す。
それでも、幻覚は消えない。
異能の代償にぼやけた視界も、涙で滲む景色も、全てを貫通して
「ど、どうした?」
「……見えない、のか?」
「何の話をしている? まさか、洗脳された後遺症でもあったのか……」
「いや、でも……幻覚、なのか?」
『失礼だなあ。この私を幻覚扱いとは。姉は絶対正義だぞ、弟くん』
「………………っ」
見えない。
誰にも見えない。
幻覚だ。
理性はそう告げている。
でも、本能が、
……本当、に?
いるのか、『姉』が。
『「
「………………、」
あり得ない、とは言い切れない。
だけど、本当に?
そんな奇跡が起こりうるのか?
『全てから切り離された精神体は、暗闇の中に放り込まれたようなモノだった。物理的な現象が通じない代わりに、あらゆる感覚が失われる虚無の空間。……だが、そこに弟くんという光が刺した。君は暗闇に光るテレビみたいなもので、何もかもを失った私が感じられる唯一無二の刺激だったんだ』
「……ねえ、さん」
『私を退屈から救ってくれよ、弟くん。君の人生の側に私もいさせておくれ。君にしか見えない、現実には存在しない姉で良ければね』
「ああ、良いよ。当然だろう」
老人は黙ってナースコールを押した。
怪我人が急に独り言を言い出したのだ。
側から見れば僕は狂っている。
でも、構わない。
誰からどう見られるかなんて気にしない。
たとえ目の前の彼女が幻覚でも、あるいは今までの記憶が洗脳されたものでも、もう何だって良い。
僕は僕の目に見える『姉』を優先する。
何も見えない世界で、唯一見える『
その中身が醜い怪物でも、千年生きたジジイでも、僕が作り出した幻想でも構わない。
「死ぬ時までずっと側にいるよ、姉さん」
アイラブユーと囁くように。
いつか聞いた言葉の返答を、そう返した。
最後の『姉』が本物か、偽物か。
何を信じるかはあなた次第!
…………。
あれれ〜? こんな展開、プロットにないぞ〜?
ホントに何がどうしてこうなった???