決着。
血みどろに浮かぶのは子供。
強盗を働いた優男は見る影もない。
元の
日渡昇悟は血溜まりに佇む。
勝者は何も語らない。
ただ、『姉』の命令を待つのみ。
物陰に隠れて戦闘を眺めていた『姉』は、満足そうに心の中で呟く。
(良い拾いモノをしたな)
『姉』と日渡昇悟は血縁ではない。
そもそも、特別な関わりなんて何もない。
雑用や戦闘を肩代わりする誰かを求めている時、たまたま目についた人間を
言うなれば加害者と被害者。怪物と無辜の民。それが二人と関係性。
日渡昇悟は『姉』の近くにいて、それなりに使えそうで、洗脳しやすい人間だった。
『洗脳』はそこまで強力な力ではない。自覚すれば解ける、あるいは強固な精神があれば自力で抜け出せる程度のもの。
だから、『姉』は
(洗脳しやすい弱者。何の信念も持たない空っぽな人形。だからこそ、大した役には立たないと思っていたが──才能があるじゃないか、弟くん。初戦で変身能力をここまで使いこなすなんて思わなかったぜ)
初戦。吸血鬼の体質なんて慣れていない状態でこれだ。
変身能力を十全に使う他、組み合わせてワイヤーにするという応用まで見せた。
(見つけた、オレの希望。逃げて、逃げて、逃げて、極東まで逃げ延びて。
少女の体に秘められたのは身の丈に合わぬ欲望。
それもそのはず。彼女は──少女などではない。幼くも、女ですらもない
千年を生きてなお飽くなき欲望。
この世全ての快楽を貪り尽くす怪物。
世界にたった七体しか存在しない
『耽溺公』アインソフ=オールナイト。
「上出来だ、弟くん」
ぐちゃり、とアインソフの足が血溜まりを踏み躙る。
血みどろの光景に似合わない笑顔で、吸血鬼は日渡昇悟を褒め称えた。
「オレの……私の想像以上だった。才能あるぜ、君」
「……そっか」
日渡昇悟はどうでも良さそうに答えた。
彼の目は焦点が合わない。
引きずり込まれそうな、ぐるぐるとした暗闇の虹彩。
洗脳されているから、というのもある。
だが、少年はアインソフと出会う前からそうだった。
空っぽで、虚で、不気味な瞳。
ただそこにいるだけのヒトガタ。
だから、洗脳する相手に選んだのだ。
「姉さん、この男はどうする。警察にでも突き出すのかな?」
「裏都の警察は信用できない。捕まった所ですぐに脱獄されるだろうさ。……
あっさりと、アインソフは告げる。
冷淡、冷酷、冷血。
アインソフ=オールナイトは自らを害する者に容赦などしない。
倫理も法律も吸血鬼には通用しない。
人の理を踏み躙る怪物。
それが少女の
「それは……やり過ぎじゃない? 彼は確かに強盗だったけど、それでも、命までは狙わなかった。姉さんの発言は罪と罰が釣り合っていないように思う」
「罪と罰? この私を害した、それだけで万死に値するというもの。ああ、だが……そうだな。君の言う通りだ、弟くん。
「………………、」
ただ殺すだけでは足りない。自分の手を煩わされた、それだけで既に損失なのだから。
ならば、せめて
日渡昇悟の返事を聞くまでもない。
彼は同意しかしない。
空っぽの人間を更に洗脳で縛ったのだ。
アインソフの提案を否定できる気概はない。
だから。
「
「………………ん?」
言葉の意味を理解したのは、日渡昇悟の手がアインソフの首元に添えられた時だった。
白い喉をなぞるように、少年の長い指が細い首に巻き付く。その、直後。
「あなたは誰だ。姉さんを何処にやった」
「が、ご、ぁ……っ⁉︎」
意味が分からない。
理解が追いつかない。
日渡昇悟に姉などいない。
そんなの全部、嘘っぱちだ。
そして、洗脳の結果生み出された『姉』は目の前にいる。
「わたっ、わたし、がっ……あね、」
「違う。違う違う違う違う。姉さんは正しい。姉さんは清廉潔白。姉さんは絶対正義。姉さんは絶対に正しい。
「………………っっっ⁉︎⁉︎⁉︎」
確かに、そうだ。
『姉』は絶対に正しいと洗脳したのはアインソフ自身だ。
ならば逆説、正しくないモノは『姉』ではないという論理は成り立つ。成り立ってしまう。
『姉』を守るために、『姉』でなくなったモノに暴力を振るうことが正当化されてしまう!
(まず、い。まずいまずいまずいまずい! 殺される! このオレがっ、ただのガキに殺される⁉︎ 何とかっ、何とかしなければっ!)
アインソフは赤い右目を光らせた。
洗脳。その上書き。
『姉』は絶対に正しいという洗脳自体を却下する。
しかし────
「……僕に、何かしたか?」
(
あり得ない。
あり得るワケがない。
洗脳を跳ね除けるだけの精神がない事から、日渡昇悟を選んだはずなのに。
(そう、か! オレが植え付けた『姉』を絶対とする洗脳自体がっ、強固な信念として精神に焼きついたのか⁉︎)
徹頭徹尾、自業自得。
アインソフ=オールナイトは、アインソフ=オールナイトが蒔いた種により首をへし折られる。
少年の歯が、アインソフの首筋に突き立てられた。
喰らうつもりだ。アインソフを喰らい、力を得て、少年は存在しない『姉』を探し求めて彷徨う怪物となる。
バケモノよりもバケモノ染みた怪物。
そんな未来に恐怖しながら、アインソフは変身して治した喉で必死に叫んだ。
「
ピタリ、と少年の動きが止まる。
淀んだ瞳が正気を取り戻し始める。
「そう、そうだ! 強盗犯は逃がしてやろう! この私の力で二度と強盗をしないと誓わせて、普通の日常に戻してやる! そうら!」
アインソフは手首に爪を走らせる。
ツー、と傷口からヨダレのように血が零れ、その一滴が強盗犯の口に入る。
洗脳。その力を引き出す。
ただし、日渡昇悟に仕掛けたような記憶や認識そのものに干渉するような大掛かりのものではない。
無意識に、何となく、強盗行為を辞めたくなる洗脳。元々強盗犯が日渡昇悟に抱いていた恐怖心を増幅し、強盗を行えば日渡昇悟がやって来る気がするといった恐怖を誘う簡単な精神干渉。
彼が二度と強盗を行わないとは断言できない。それでも、多分、しないだろう……ぐらいは言える。それならまだアインソフも安心ができる。
「ど、どうだ? わ、私は『姉』だろう?」
「……そうか、冗談か。姉さんは冗談が下手だなあ」
「そっ、そうだなあ〜」
アインソフは尋常じゃない冷や汗をかきながら、失敗した愛想笑いように顔を歪める。
(冗談じゃねえぞっ、このクソ野郎⁉︎)
そんな心の叫びは口に出せない。
『姉』は汚い言葉で話さない、なんて言われたら終わりだからだ。
アインソフはそっと左目に手を触れた。
冷たい銀の感触。アインソフに打ち付けられた銀の杭。それは実の所、左目だけではない。
左目。右肩。心臓。股関節。左太腿。計五箇所、アインソフ=オールナイトを戒める銀の拘束具。
全盛期のアインソフならば兎も角、弱体化し切った今のアインソフでは才能溢れる日渡昇悟には勝てない。
ならば、従うしかない。生きるためには、彼の暴力から逃れるためには、日渡昇悟の『姉』のイメージから外れないように必死に振る舞うしかない! 清廉潔白なイメージを崩した瞬間、アインソフは日渡昇悟の手で殺されてしまう!
「首元にアザがある。どうしたんだい、姉さん」
「ど、どうしたんだろうなあ〜?」
アインソフは日渡昇悟を洗脳した。
だが、本当に生き方を捻じ曲げられたのはどちらだったのか。
この日、アインソフ=オールナイトという怪物は清廉潔白な『姉』のロールプレイを強いられる事となった。
「ほいほーい。こちら
『オマケは不要です。自分達の目標は
「了解でーす」
その、一部始終を。
遠くから眺めている者がいた。
目隠しをして地べたに寝そべる女。
その周りを囲む、ガスマスクと
女は何がおかしいのかニヤニヤと笑いながら、無線機で言葉を交わす。
「いやあ、楽しい楽しい狩りの始まりですねー。ワクワクっ。やっぱり人殺しがこの世で一番娯楽ですよねー。班長ちゃんも来ますー?」
『清掃が終わり次第、そちらに向かいます。……くれぐれも、やり過ぎないように。自分達の任務は殺しではなく捕縛ですから』
「ほいほーい。……
『
うひひっ、と女は笑う。
獲物を前にした肉食獣のように、ヨダレを啜って舌舐めずりする。
「じゃあ、
ガシャ、と軍隊が動き出す。
なんてものを裏都に連れてきやがったのか、と。
規律正しい軍隊とは違い、女は気楽に体を伸ばした。
緊張感がない。だが、逆に言えば、この程度の殺し合いは女にとっては日常の延長線上に過ぎないのだ。
晩御飯は何にしようかなー、みたいなテンションで気軽に女は言った。
「さーて、正義ってヤツを執行するとしましょーか」