「……僕、何かやったかな?」
「何も」
むっすー、と。
明らかに不機嫌そうな顔で『姉』は頬を膨らませる。
さっきの『棺桶専門店』からずっとこうだ。
初めは疲れたのかと思って飲食店に連れ込んだが、それでも『姉』の機嫌は治りそうにない。
「えーっと、そうだ。観光案内によると、この店のお勧めはブラッドソーセージ。姉さんはどれくらい食べれそう? 見た感じ、結構な大きさがありそうだけど」
「……二本。チーズケーキもつけろ」
「了解。……あと、ドリンクもあるみたいだけど」
『姉』にメニュー表を見せる。
ドリンクの欄に書かれてあるのはアルコールやソフトドリンクの他、豚・牛・羊・鳥といった文字が書かれていた。
「……血液か。何の説明もなく書かれているという事は、この店だけのサービスではないな」
「みたいだね。きっと、
「ヒトの血はないのか」
「あったら怖いよ。……
「あんな味の薄いものなぞ飲んでたまるか」
たんたんたん、と『姉』の足が地面を叩く。
貧乏ゆすり。そんなにヒトの血が飲みたかったのか。
だが、そこら辺のヒトを捕まえて血を啜る訳にもいかない。衛生面が心配だし、そもそも清廉潔白な『姉』はそれを良しとしないだろう。
「あー、僕の血でも飲む?」
「……は?」
「吸血鬼が好きな処女の血じゃないし、そもそも僕はもうヒトじゃなくて吸血鬼だけどさ。姉さんの身近にいてすぐ飲める血はそれくらいかな」
『姉』は瞬きを繰り返す。
なにかおかしな事を言っただろうか。
でも、その顔に不機嫌さはない。良かった。
「い、いや……必要ない」
「そっか。まあ、あんまり美味しくなさそうだし」
「それは違う! 私が飢えていた事もあるがアレは大層な美味だった! 塩分過多な現代人の血液とは違いっ、まるで十年かけて雑味を除いたようなフレッシュな味わいの──」
「……飲ませた事あるっけ?」
「あっ⁉︎」
少なくとも僕に血を飲ませた記憶はない。
意識がない時……寝てる間にでも僕を噛んだのか。姉弟は毎晩一緒に寝るモノだから機会はいくらでもある。
……いや、おかしい。僕は吸血鬼になったばかりだ。というか、吸血鬼になったのはいつだ? あれ、吸血鬼になる前って『姉』は──
「な、何でもない! それより私は豚の血にしよう! 弟くんは何にする⁉︎」
「僕は牛にしようかな。ミルクは血から作られるって聞いた事あるし、牛の血なら牛乳とも割と近そうだ」
思考が途切れる。
何を考えていたんだったか。
ああ、そうだ。注文しなければ。
ケータイでQRコードを読み取り、ネットから食事を注文する。
何十年も前の注文方式だが、
チラリ、と周囲の客の様子を伺う。美男美女ばかりだが、顔立ちではなく持ち物や服装を盗み見る。
スマートフォンが現役で使われている上、インテリアやファッションだって少し地上の流行からは外れている。令和モダン、と言うのだっけ。
「一昔前の……僕らにとっては目新しい街並みと吸血鬼らしい異文化を押し出せば、普通に観光客が押し寄せそうなものだけど」
「ふん。そんなもの既に十年前に試されているだろう。だけど、失敗した。当然だな。……この街は治安が悪すぎる」
ガシャーン! と窓ガラスの割れる音が聞こえる。この店ではないが、近くの店──恐らくは同じデパート内──で強盗があったのだろう。
しかし、客は気にせずに優雅にランチタイム(外は暗いが今は昼なのだ、時間的には)を続けている。治安崩壊が極まってもはや強盗なんて日常に過ぎないのだろう。
どんな怪我をしても即座に治る吸血鬼でもなければ、こんな治安が崩壊した街で生きていくなど不可能である。
店員も強盗騒ぎに慣れているのか、動揺する事なく注文した料理をテーブルに置くと、懐から武器を取り出して店の外へ飛び出して行った。
ぼーっと強盗犯と店員の戦いを眺める。なんかもうヒーローショーを見ている気分だった。
気を取り直して、注文した料理に視線を戻す。
ブラッドソーセージにチーズケーキ、そしてドリンクの血液。何処に目をやっても赤、赤、赤。残念ながらチーズケーキもベリーソースがかかって赤かった。
病院で嗅ぎ慣れた血の匂い。
普段は気分が悪くなる所だったが、反射的に口の中でヨダレが分泌され、改めて自分が人間でなくなった事を自覚する。
「ん、意外といける。肉とかレバーとか、あんまり得意ではなかったはずだけど」
「味覚とは変わるモノだからな。人間から吸血鬼への特大の変化があったのだから、味覚の変化など些事に過ぎない」
いや、吸血鬼だとか以前にめちゃくちゃ美味しい。血もそうだが、香辛料か何かが舌をピリピリと刺激して味覚を満足させる。
こんなモノ、初めて食べた。そうだ、そうだった。初めてなんだ。
美味しいだけじゃない。ここまで楽しい食事は初めてだった。
「……ん? どうかしたのか?」
「いや、何でも……」
『姉』から目を逸らす。
不思議な気持ちが胸を満たす。
生まれてからずっと側にいた『姉』と初めて食事をする? 違和感があった。だが、その違和感を塗りつぶすだけの喜びがあった。
ああ、嬉しい。
『姉』は食卓を囲む喜びを教えてくれた。
それだけで十分だった。頭に浮かんだ違和感なんて、もうどうでもよかった。
「なんだ。欲しがりさんめ。そんなに私のチーズケーキが食べたいのか?」
「え、いや……」
「そうだなあ。丁度いい、口を開けろ。あーん、だ」
僕の視線をどう勘違いしたのか、『姉』はチーズケーキをフォークで切り分け、僕の口元に運んでくれる。
何処か意地悪そうな表情。清廉潔白な『姉』らしくない……でも、
(…………?)
でも、何かが違う。
『姉』らしくない。彼女らしくない。
さっきとはまた違う違和感を抱く。
今のはどこか演技のような印象を受けた。
餌付けされたチーズケーキを口に含みながら、僕は首を傾げる。
「ねえ、姉さん。ちょっと聞きたいんだけど」
「いいぞ。弟くんには特別だ。スリーサイズでも何でも教えてやろう」
「じゃあ遠慮なく」
今の流れで精神的な優位に立てたのか、何だか余裕そうな『姉』の顔。
エレガントに血液を口に運ぶ姿は絵画のようだった。
……まあ、見た目だけだが。
「さっきから僕に色目を使っているのはなんで?」
「ぶぼっっっ⁉︎⁉︎⁉︎」
口を開けばこんなもんである。
ギャグ漫画みたいに口から血を吹き出す。
幸いと言っていいのか僕に吹きかけられる事はなかった。
代わりに『姉』の口周りと服が血でビチョビチョになる。
「うわあ。せっかく白い服を着てたのに」
「ぶ、ごほっ、ば、ばな」
「バナナ?」
「バカな⁉︎ どこで気付いた⁉︎」
「いやバレバレだろ」
あれで気付かないのは鈍感ラブコメ主人公くらいじゃないか? まあ、僕は漫画なんて読んだ事はないのだが。
「そ、そんな……」
「一旦、血を拭かないか? 店員さんもタオルを持ってオロオロしてるし」
「私の……私の計画が筒抜けだと……?」
「あー、もう。僕が拭くよ。姉さんは大人しくしててくれ」
店員からタオルを借り受け血を拭いとる。
血も滴る良い女ではあるが、そのまま置いとくのは服が可哀想だ。あとついでに彼女も可哀想だ。
「中もビチョビチョだなあ。……失礼」
「……ひあっ⁉︎ な、ばっ、ちょ、そこは自分で拭く!」
「そうだね。それが良いと思う」
いくら弟とは言え、服の中に手を突っ込むのはね。
僕は全然気にしていなかったが、『姉』にも羞恥心というものがあったみたいだ。
「……なあ、弟くん。君はなぜ私の肌に触れても欲情しないんだ?」
「いや、『姉』に欲情する弟はいないよ」
「この造形美に欲情しない人間がこの世にいるのか⁉︎」
「綺麗だけど『姉』だからね」
まさか、それを確かめるために色仕掛けをしてたんじゃないだろうな。
どんな試し行動だ。『姉』の美貌でそれをやるのは洒落にならない、もしも僕が襲いかかってたらどうするつもりだったのか。
「そもそも姉さんって男のヒトに言い寄られるのは苦手なんじゃないの?」
「……どうして、そう思った」
「いや、さっきの『棺桶専門店』でさ、手を掴んだ時にちょっと強張ってたから。弟であっても、男の欲を向けられるのは苦手なのかもなって」
「そう、だな。私は、男に欲情されるのは気色悪く感じる。だが、それでも、何の反応もないというのはそれはそれで悔しい……! 私の造形美が否定されている気分だ……っ‼︎」
とんでもない事を言い出したぞ、この『姉』。好意に応える気はないけど好意は寄せて欲しいとかどんなお姫様だ。
なんて、心の中では悪態を吐きつつ、自覚せぬ間に口角は上がっていた。
「ははっ。割と最低な事を言ってないかな、姉さん」
「そ、そうか? もしや弟くんはアレか。人は
「いや、そんな事はないよ。僕は普通に面食いなんじゃない? そもそも他人が何を考えているかなんて知りようがないし」
内面が綺麗なんてのは嘘っぱちだ。
結局、他人の心の中は見えない。
僕らが好きなのは善人の心を持った人ではなく、善人のように見える振る舞いをする人でしかない。
「最低でも良い。心が醜くても良い。ハリボテでも、偽善でも、外から見て綺麗な人を僕は好きになる。……ま、初恋もまだな僕には早い概念だけどね」
自嘲するように頬を歪める。
恋だなんて考えた事もなかった。
だって、どう考えても僕には不可能だから。
ブラッドソーセージを口に運ぶ。
生き物の血肉を腸に詰めたグロテスクな料理。
でも、見えない調理工程がどれだけ醜悪であっても、目の前にある食べ物は美味しい。僕にとっては
「そう、か。……
「当たり前じゃないか。姉さんは姉さんだろ。姉さんが姉さんであろうとする限り、僕はあなたの味方だ」
「ふ、ふははははは。なるほど、弟くんも大概、最低な人間性をしているなあ。ならば……そうだな、色仕掛けはやめだ」
女は愉快に顔を歪める。
『姉』らしくないけれど、彼女らしい。
堂々ある笑みで、『姉』は告げた。
「君が死ぬまでは付き合ってやる。私は君の『姉』として、君を騙し切ってやろう」
「よーし、機は熟しましたー!
「……ぬ」
「雨? ……地下都市の裏都で?」
血で汚れた服を変えるついでに、観光地図に書いてあった服屋でも見て回ろうか……と足を進めた。
その先で、地下ではあり得ざるモノを見た。
雨。
塞がれたはずの
思わず立ちすくむ僕達の前で、道路をゆっくりと走る自動運転らしき車の機械音声はこう告げた。
『本日 第四区は 定期清掃日です。 水濡れや 滑りやすい地面に 注意して 歩行してください』
「……清掃のために天井から水を出しているのか。大規模なスプリンクラーみたいな……凄い事をするなあ」
音声を発していたのは自動洗浄車。
真っ白な洗剤を地面にブチ撒け、道路を鏡のようにピカピカに磨き上げている。
道理で人通りが少ない。
人為的な雨が故に、天気予報が間違える事はない。
元々この場所に居住しているような人以外は、わざわざ立ち入ろうとは思わないだろう。
「どうする、姉さん?」
「別の店に向かうしかあるまい。そうだな、確か観光地図によると、第三区にも────
ピタリ、と『姉』は動きを止めた。
その意図を聞くまでもない。
僕もまた、臨戦態勢を取る。
それは赤い光。
強盗かと思ったが、違う。
明らかに格好からして異なる。
ざっと数えるだけでも十人以上。
ヤツらは強盗とは真逆の存在。
個にして秩序を乱す犯罪者ではない。
群にして秩序を保つ執行者。
「動くな、手をあげろ」
「……あなた達は、」
「黙れ。我々が許可するまで発言は認めない」
ヤツらのうちの一人、一際身長の高い男は
「警視庁公安部吸血鬼犯罪対策室特殊部隊──