私の大事な下心   作:づーーー

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書き溜めないけど、取りあえずある分は投稿。



メにはさもこそあらめ

 

 日常とは、何の伏線もなく唐突に終わりを迎えるモノである。晶の眼前に映る光景(それ)は、まさしく非日常の塊であった。

 ラッカーで汚され、中に画鋲が仕込まれた上靴。テープで固定された画鋲には、晶の血が赤く埀れているのがよく見える。見ているだけで、指がジンジンと熱くなった。

 

「……」

 

 晶は恐怖から声も出せない。身体から血の気が引いていくのが感じられるようだ。

 

──これはヤバい。完全に駄目な奴だ。

 

 そんな声が心の中で響く。今直ぐにこの場から逃げ出したい気分だ。見て見ぬ振りをして、この光景を忘れ去ってしまいたい。晶はそんな思いに駆られるが、その気持(きもち)とは裏腹に恐慌(ぱにつく)から頭は殆ど真っ白で、その場から動けずに居た。

 

 晶は血の付いた画鋲をじっと眺める。これが深く刺さっていたらどうなっていたのだろうか。もし踏んづけてしまったら。そう考えただけで自然と瞳が潤う。

 呼吸のやり方を忘れたように息が苦しくなった。

 

 下駄箱をボンヤリと眺める。何かの間違いではないかと脳が訴えるが、決して見間違いや幻覚などではなく晶の目にくっきりとそれは映っていた。

 

 

「……紙屑とかも、捨てられてる」

 

 下駄箱の中には(くだん)の上履きの他に、くしゃくしゃに丸められた紙屑が幾つか入っているのが見えた。まるでゴミ箱ような扱いである。

 晶はその一つを、恐る恐る摑んで広げる。

 

 

「……ぅえ」

 

 そこには、『売女(バイタ)』、『婬乱』、『汚物』、『×親』、『××××』と言った貶し言葉や、自死を願う言葉など様々な文字列が目に映った。

 

 ゾッとして肩が上に持ち上がる。

 咄嗟に紙を握り潰してしまう。軽率な行動であるが、身体が勝手に動いてしまったと言う他ない。恐怖から晶は身体を震えさせた。

 

(これ、駄目な奴だ)

 

 色々と考え込んでしまい、思考が上手く纏まらなかった。動搖のあまり息が荒れて、今まで無意識に出来ていた呼吸がしづらかった。

 

 (そもそも)の話、晶は正義感の強い人間ではない。誰かが動くならばそれで良い。そんな他人任せな思考がベースにあった。それが悪いことだとは決して思わない。

 

 クラスで回された募金活動は悪目立ちをしたくないからお金を入れるだけだし、ボランティアは内申点に影響しないなら行くことはない。自分が良ければそれで良い。そう聞くと酷く聞こえるが、何の得もなく行動できる人間はどれ程居るのだろうか。

 

 これが普通の人間だ。結局、自分の都合が最優先で、何か善行をするときは同調圧力か評価上げのため。

 

 しかし、目の前で起こっている出来事を何とも思わないかと言われれば、答えは否である。

 

 よくある例えだが、アフリカの飢餓問題が庭の先で起きていたような感覚。今ここで、目の前の光景を無視すればどうなるのだろうか。何か最悪の事態を招き寄せるのではないか。

 そんな言葉ばかりが頭に浮かぶのだ。

 

 過去にイジメという行為を見たことはある。

 無視や陰口、もの隠し、弄り言葉。それはスルーして良いのかと言えば、無論良くないことだが、口出しをして目を付けられるのが怖いというのと、数ヶ月で自然と治まったことから特に何をすることもなかった。

 しかしながら、ここまで直接的な行為というのは初めて目にしたもので、率直な話、戸惑いを隠せない。何ならこれ以上のことが行われている可能性だってある。だってまだ、下駄箱を見ただけに過ぎないのだから。

 

 この嫌がらせは一体誰に向けてのものなのか。誰がやっているのか。どうしてこんなことになっているのか。

 知ってしまった以上は考えずにはいられなかった。

 

 それは正義感だろうか、野次馬根性だろうか。そんなことは晶にだって分からない。ただ、頭が勝手に思考をするのだ。

 

 最低だ、なんて思う間もなく深い思考に耽る。

 

 晶の通う高校の下駄箱には名札は付いておらず、パッと見ただけでは下駄箱の主は誰なのか答えは出ない。知らない人の下駄箱の位置を──ましてや他クラスの人の位置など把握している筈もない。

 そんなことを覚えるぐらいなら、テストの公式の一つや二つを覚えるだろう。

 

 しかしながら、お手上げということでもない。手元にあるクシャクシャの紙が目に映る。

 

 そこに書かれた暴言の中に、『売女』という言葉が見える。娼婦を意味する罵倒語である。その言葉から推測するに下駄箱の主は女子生徒だろう。そして、下駄箱の位置から簡単な推測をすることぐらいは出来た。

 

(僕のクラスの向かい側の下駄箱……)

 

 晶のクラスは二年一組。その向かい側に置かれた下駄箱となると、二年二組の下駄箱である。そして、件の女生徒の位置は廊下側端の下から二段目。

 下駄箱は出席番号順に並んでおり、出席番号は男女混合の名前順になっている。ひとクラス四十人なのだから、すなわち相手は二年二組の出席番号三十九番、名前順では最後の方の生徒である。

 

 他クラスの出席番号など、詳しく覚えている筈ない。しかし、後ろの数人ぐらいは記憶を漁れば思い出せそうだ。

 無意識の内に、ワ行、ラ行、ヤ行、と順に遡って考えていく。

 

 直ぐに、二組に吉沢という生徒がおり、彼が出席番号の四十番であることに思い当たる。学年集会で、彼が一番後ろの位置に座っていた記憶が思い浮かぶ。

 この学校では、学年集会などでは男女混合の名前順で並ぶことになっている。では果たして、彼の前に並んでいた者は誰だっただろうか。

 ヨシ、ヨサ、ヨア……。ユサ、ユカ、ユア。ヤラ、ヤマ。

 

 そう考えてみると、一人の少女の名前が脳裡に浮かび上がった。

 

「……え、いや。あれ」

 

 しかしながら、浮かんだ名前は余りにもおかしなもので、直ぐさま首を振って否定をしようとする。

 晶は、何度か下駄箱の位置の確認をする。一番左の列の、下から二番目の段。その場所に間違いはなかった。では、四十番の少年と、今し方思い浮かんだ者との間に、他に生徒は居ただろうか。暫らく思考するも該当する者は居ない。

 

 晶はその名前を反芻したのち、少年は恐る恐る彼女の名前を口にした。

 

──ヤマノベツグミ。

 

 口にした所で実感が湧かない。否、実際のところ口を動かしただけで少年からは掠れた声すら出ていなかった。声の出し方を忘れてしまったかのように、晶は口を歪ませた。

 

「……いや、ヤマノベさんって」

 

 晶はもう一度下駄箱の位置の確認をする。彼女への印象と、目の前にある嫌がらせとが結び付かないのだ。

 しかし何度見ようと、彼女の下駄箱に違いなかった。

 

 晶は周りに人がいないか挙動不審に見回す。彼一人では上手く受け入れられないと、他に誰か状況を説明してくれる人がいないかと無意識に探してしまったが故の行動だ。

 しかし、こんな朝早くの校舎には人の気配はなく、静かそのものであった。

 

誰某(たれがし)だからどうだ、ということではない。でも……)

 

 晶は息を整えると、件の少女について知っていることを脳内でまとめようとする。

 

 彼女は二年二組の生徒で、うちのクラス一組でも可愛らしいと噂の聞こえる人気のある少女だ。晶自身、直接話をしたことはないけれど、学年集会等、彼女の姿を見掛けることは多々あり、明るく朗らかな少女だという印象を持っていた。

 髮型は黒髮のボブ、色白で活潑な雰囲気のする少女だ。前に一度見掛けたときは赤の髮飾りを付けていたが、いつもそうなのかは分からない。よく通る、綺麗な声をしていたことはよく覚えている。頭は良く、学年でも上位に入ると何処かで聞いたことがある。

 また性格も良いらしい。

 

──まさに非の打ち所のない少女だ。

 

(それが、一体どういうことだろう……)

 

 上靴の落書きに、画鋲、暴言の書かれた紙。どれも悪戯で済まされるレベルを超えていた。どう考えても、少女の名前と目の前との光景が結び付かない。出来の悪い夢のようだ。

 何があったのだろうか。いつからこのような状況だったのだろうか。想像すらできない。

 

 普通、こんなことになっていたら何処かのタイミングで気づきそうなものだ。いや、普段生きてきた中でそういう光景を見逃し続けたからこそ、大きなイジメを見たことがないという感想に至ったのではないか。

 晶の中にそのような疑念が生まれてくる。

 

 しかし、それにしたって以前見た彼女の様子からはかけ離れた現状である。ならば、これはつい最近始まったものなのだろうか。ここ一ヶ月の間に前触れなく始まったもの。

 そうでも考えないと、自身の節穴具合に嫌悪感を覚えてしまう。

 

 ラッカーの匂いの残り方からすれば、朝のうちに仕掛けられた可能性が高い。つまり、まだ近くに犯人がいるかも知れない、ということも同時に思い出して少年は身震いをした。

 別の人だったならという訳ではない。だが、なまじ人気のある少女に対するそれは悪い想像を搔き立てられた。

 

 『売女』という言葉が引っ掛かるし、運動神経が良さそうな活潑な少女と雖も、複数人相手となると流石に分が悪いだろう。

 

(……何はともあれ、学校に報告するべき問題だ)

 

 少年はそう結論づける。

 

 本人(ヤマノベサン)の意思だとか、告げ口に対する抵抗感だとかは関係ない。これは教師に告げるのが正しい答えであった。静観するか迷うラインはとうに越えていた。

 でしゃばって『自分が解決をしてやる』──なんてことをする程、脳が足りない自覚はない。

 

 軽率な行動を取り大事に至った場合、どう責任を取ると言うのか。既に大事に至っていると言われれば答えに窮するが、教師に事を伝えるのが最優先であろう。

 

 子供一人が動いて何とかなる問題の話でないのは、火を見るよりも明らかだった。積極的な行動を取るのは苦手である。しかし、そんな悠長なこと言ってられない。

 

 晶はスマートフォンを取り出し、いくらか写真を撮った。下駄箱の状態、上靴を取り出して画鋲が貼り付けられている様子など、必要なだけスマホに残す。

 ラッカーをどうにかすることはできないが、これをそのままにしておくことは流石にできない。テープを剝がし画鋲を取る。画鋲を踵で踏んづけてしまうイメージが脳裡に浮かび、少しだけ口元が強張(こわば)ってしまう。

 

 

「職員室に、いこう」

 

 晶は自身を鼓舞するように、息を吐き呟いた。彼はリュックを拾うと、少年は職員室へ向かって歩き始めた。

 




登場人物まだ主人公しか出てないってマ?
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