私の大事な下心 作:づーーー
一先ずのストック。
職員室。それは学校の教員が授業の準備など様々な校務を行う場所で、どんなに小さな学校であっても設置されている施設である。当然少年の通う高校にも存在している。
晶はそんな職員室へ向かって足を進めた。
いくら息を吸っても、脳は酸素不足を訴える。理由は何か。それは勿論、下駄箱の惨状を思い出し呼吸が無意識に浅くなっているからだ。しかし、彼は気持の悪さを
これを告げ口と言う勿れ。正義感がどうだのと言っている場合ではなかった。
職員室に着くと、こんなに早い時間にも関わらず、部屋の外からでも分かるぐらいには教師の姿が多く見られた。
校門が開いていたので学校に誰か居るのは当然であったが、職員室前からでもかなり賑わっているのが確認でき、教師が如何に大変な職であると認識せられる。
職員室に這入る前に深呼吸をする。人と会話をする際に、こうして緊張するのは晶が小心者であるゆえだ。なるだけ注目を浴びたくない。そんな彼をして自ら動こうと決心する現状がそこにはあったのだ。ウダウダ言っていられない。
晶は扉を軽く叩く。失礼しますという言葉を発し職員室へ入ると、一人の男が晶に近づいてきた。
「おお市川。朝早くから来て貰って悪いな。体調は大丈夫か?」
彼はそう言って晶に話し掛ける。当然彼の姿は知っている。担任の教師の
大柄で肌は日に焼けており、顎には髭が少しだけ生えている。髪はいわゆるスポーツ刈りというやつで、何だか体育教師面をしている。だが、これでいて数学教師というのだから、ステレオタイプというのは当てにならない。
しかしながら、朝から悪いなとは何のことだろう、と晶は首を捻る。
教師の姿を見ると、彼の手にはプリントが数枚摑まれており、ペラペラと枚数を数えている。
「中間テストの直前に夏風邪とは、お前もツイてないな」
ハハハと笑う教師を見て、晶はようやく思い出した。下駄箱の件で頭が一杯になっていたが、もともとは休んでいたときの連絡事項のために学校に呼ばれたのだった、と。
「……ええと、はい。体調は大丈夫です。その、連絡事項とプリントですね」
話が長くなるであろう下駄箱での件は置いて、連絡事項を先に済ませようと考え、晶はそのような言葉を発す。
「ああ、連絡事項な。取り敢えずこのプリントだが──」
彼は晶に近づくや否や、そのような言葉を投げかける。彼はプリントを一枚づつ晶に見せつつ、手短に説明を付け加える。
叮嚀な教師である。彼、峯岸は真面目というか何と言うか、兎に角いい先生なのだ。周りを気に掛ける情の厚い教師という評価が適切だろう。
晶は職員室の中で忙しなく教材か何かを準備する教師たちを眺めつつ、担任の言葉を聞く。プリント五枚分の説明を受けると、彼はクラスメイトがコピーしたという板書を渡される。手厚いサポートで有り難い限りである。
連絡事項はこれだけのようだ。峯﨑は以上だと言うと、彼は職員室の自席へと戻ろうとする。
しかし、晶はそれに待ったを掛けた。
「……あの、先生。少し、宜しいでしょうか?」
晶はそう言って教師を引き止める。教師は一体何事だと訝しむ表情で少年の姿を見た。どうして彼を止めたのかと言うと、当然下駄箱での件を話すためだ。
晶はポケットからクシャクシャの紙と、自身の携帯電話を取り出した。
「その、これなんですが──」
下駄箱に丸められていた暴言の書かれた紙。そして、ラッカーで汚された画鋲が仕込まれた上靴の写真を見せたのだ。要するに少女に対する虐め行為の証拠であった。
晶は、下駄箱で起きていた詳細について、あったことをそのまま話した。その上で、大人に対処を仰ぎたいという言葉も付け足した。
「──その、
話し終えたあと、教師は目を瞑って何かを考えるような仕草をしていた。
これで対処をしてもらえるだろう。少年は一足早いが、胸を撫で下ろしたような気持で一杯だった。伝えることは伝えたし、後は先生たちが何とかするに違いないと、ほっと安堵しようとした。
(これで一先ず役目は終えただろう)
そんなことを考えていると、次の瞬間にはその感情は消え失せることとなった。
「あー、それだけか。うん。──まあ、そんなことより、中間テストの勉強ちゃんとやっておくんだぞ」
彼はそのような言葉を吐き、職員室の中の自席へと戻っていった。
「え、はい。その、はい……」
晶は何とか言葉を絞り出す。
教師の口から「もう行っても良いぞ」という言葉が吐き出される。直後に、チッと何処かから吸着音が聞こえる。舌打だ。
少年はびくりとして職員室内を見ると、彼が腕時計をみて時間を確認する素振りを見せていた。
普段、温厚な担任教師らしからぬ態度に、晶は身体が固まっていた。
滞りなく報告が終わり、また自身への連絡事項も伝達された。しかしながら、少年の表情は職員室に来る前よりも悪くなっていた。
それは一体どうしてなのか。答えは先程の教師の返答を聞けば分かる通りだ。
(……え。真面目に、取り合って貰えなかった?いや、でもそんな筈は)
説明下手だったのか。そう思うも、直ぐに否定の言葉が脳裡に浮かぶ。
写真と自死を願うような言葉が書かれた紙を見せているのだ。説明下手でも、ただ事でないことは伝わるだろう。
──それなら、これは特段問題視することでもなかったのか。
そう考えるも、直ぐに否定の言葉が浮かんだ。現実の法律に当て嵌めると、器物損壊とか名誉毀損とかに当たりそうなものだ。遊びの
取り合って貰えていないと感じるのは、ただの晶の勘違いだろうか。そう考えようとするも、彼の言葉と小さな舌打ち音がその考えを否定する。
疑心暗鬼になりすぎて、些細なことに関しても敏感になりすぎているのかも知れない。
「あっ。そうだ、市川。教室の鍵は壁に掛けてあるから、施錠頼むな」
職員室から、担任の教師の声が
何かが可怪しいという疑念を抱えながら、晶は教室へと向かった。
◆◇
晶は自教室である二年一組まで辿り着くと、職員室から取ってきた鍵で扉を開けた。当然のことながら、鍵を開けた直後のため教室には誰も居ないガラリとした空間が広がっていた。
彼は教室の中に入ると、リュックを机の橫に置き、教科書類を机の中へと詰め込んだ。
一息ついた所で、晶は掌へと視線を向けた。視線の先を追ってみると、そこには教室の鍵が一本収められていた。鍵にはプレートが付けられており、プレートには『2年2組』と記されている。
「……これ、どうしようか」
晶は気弱げに独り
そう。晶は、職員室で自教室の鍵を手に取る際に、誰にも見られないように二組の鍵を拝借したのだ。くすねる、掠める、パクる。表現は何でも良い。大事なことは、バレたら面倒臭いことこの上ないということだ。
そして、普段の晶ならば絶対にしない行動でもある。
職員室から二組の鍵を拝借した理由はただ一つ。二組の現状について探りたかったのである。
(……虐めが起きているのは、ほぼ確実。本当は先生に任せるべきこと。でも──)
晶は先ほどの職員室での出来事を思い返す。あの厄介そうな顏をして、何事もなかったかのように話を受け流す教師の姿を。
ガサツそうな見た目をしているが、彼は生徒想いの良き教師だと晶は記憶していた。しかし、今は人が変わったような雰囲気を彼から感じていた。
いや、正直な話それだけなら別に良かった。彼が舌打ちをしていようが、少女への虐めをスルーしようとしていようが、ここまで来ると何だって良かった。
彼はそういう人間だったと、そのように考えれば話は片付くのだから。そうなれば、また別の大人を頼れば良いだけの話だ。
だが、問題はそこで終わらない。晶と教師が会話を交わしたのが職員室だというのが、事態をややこしくさせた。
すなわち、職員室には多くの教師がそこに座っており、そこで晶と担任教師との会話を聞いていた筈なのだ。しかし、周りの教師は彼の言動を問題視することなく、むしろ山辺静実の名前を聞いた途端に嫌そうな表情を浮かべていたのだ。啞然とする
(……全員が全員じゃない。遠くの席に居た先生には会話は聞こえていなかっただろうし)
晶は、そんな言い訳染みた言葉を発してみる。しかし、例え聞こえていなかったが故の無反応だったとしても、何の慰めにもならなかった。
もしも彼らに少女の件を話して同じ反応をされたらと思うと、怖くて他の教師を頼ることが出来なくなった。
そう。晶はある種の人間不信に
──僕が大袈裟に騷ぎ過ぎているだけなのか。
晶はこの状況に、そんなことさえ考えてしまう始末であった。しかし、頭の冷静な部分はそれは違うだろうと全力で訴えている。これは、消極的な性格の彼をして黙っては居られない状況なのだ。
だからこそ、晶は虐め行為の確証を得たかった。もはや十分すぎるかも知れないが、証拠は多ければ多いほど良いだろう。
それに、何か具体的な行動に移すとして、何をするべきなのか、昇降口での出来事だけではなく、正確な現状を知りたかったのだ。
右のような理由から、晶は二組の鍵を取ってきたのである。教室を探れば、何か見つかることもあるだろうと考えて。
「…………行こう」
晶はそう呟いて見せる。それは決心が鈍らないように、敢えて行動を声に出してみせたのだ。
彼は掌中にある鍵を握り締めつつ、二組の教室まで向かった。
移動時間なんて殆どない。隣の教室であるのだから当然だ。先入観からか二組の扉の前はドンヨリとした空気が漂っているように感じて、晶は怖じけそうになる。
しかし、ここで帰る訳にはいかない。
彼は教室の前に立つと、鍵を鍵穴に差し込んで捻ってみせる。
──ガシャリ。
鍵の開く音だ。廊下の様子を確かめると、まだまだ人が来そうな気配はない。時間的に後十分は持ちそうだ。晶は二組の教室の中へと這入っていった。鍵を黒板橫のフックに掛けると、彼は真っ直ぐ教壇まで向かった。
「……やまのべ、やまのべと」
教壇に置かれた座席表から少女の座席を確かめた。
何か事を起こすとなれば彼女の私物に対してであろう。そう考えると、私物が収められているロッカーや机を探るのが手っ取り早いと言えた。
教壇から確認した彼女の座席に目を向け、少女の机まで歩み寄ろうとする。遠目から見ても分かる、異質の塊とも言える机に向かって歩み寄った。
ここまで来ると、最早予想通りといったモノでしかなかった。
──学校に来るな。×違い。死ね。雌狗。蛆蟲。消えろ。××。ウザい。ブス。馬鹿。呪。クズ。ゴミ。
まず目立って見えたのが、机に書かれた落書きである。黒と赤のマーカーペンで汚されている。首を吊る棒人間のイラストや、ゴミ箱のイラスト、手首から血が流れ出ている様を描いたイラスト。加えて暴言の数々である。
また、机の表面は
感情を抑えて机まで辿り着くと、椅子の汚れが目に付いた。これは何だと触ってみると、スライムのような感触がする。粘り気があって大層気持が悪い。
これは一体何なのだろうか。汚れの付いた親指と人差し指をくっつけたり離したりする。粘着質で皮膚が少し引っ張られる。接着剤のような何かだろうか。
晶はこの汚れをどうにかしようと、椅子を引き全体を拭き取ろうとした所、ムワッと鼻を刺激する悪臭がした。一体何事かと思い、机の中を覗くと、動物の死骸が中から姿を現した。
「──わっ」
これには堪らず声が漏れる。晶は数歩後ずさった。虐めというものは此処までやるものなのか。怖さからか、彼の口からは乾いた笑い声が出るのみである。
──何の死骸だ。黒っぽい、モワッとした空気が周囲を漂う。
暫く身動ぎ一つ満足に出来ず、晶は宙を見つめる。しかし、現実は何時までも呆けていられない。
荒らされた机を見て、晶が出来ることと言えば片付けぐらいである。このままの状態で放置するのは心情的に許容ならない。
フゥーと息を吐き目を閉じる。震える手を無理やり治めて行動に移る。
晶は椅子のネバ付いた液体を
次に彼はゴミ箱を机の近くへと持ってくると、黒板に掛かっていた指示棒を用い、動物の死骸を捨てた。何かの鳥の死骸のようだ。もはや、死骸を入れた本人の方がダメージを負いそうな所業である。感染症などは大丈夫なのだろうか。
机のマジックに関しては放置である。触ってみたところ油性であるようで、今の晶には綺麗にする術を持たなかったのだ。
一通り後始末をしたのち、彼は他に何か嫌がらせをされていないか確認しようとする。チラリとロッカーに目を向ける。少女のロッカーを探し確認してみると、こちらは特段異状は認められなかった。
寧ろ、周りと比べて綺麗に整頓されており、普段の彼女の清潔感が見えて来て、下駄箱や机の悪意が強調されて感じる。これが本来の彼女の姿なのだろうと。
ふと窓の外を見る。いつの間にか長い時間が経っていたようで、何人かの生徒が学校に到着していた。もうじき、この教室にも人が増えてくるだろう。
潮時だ。確認したいことはもう終えたことだし、ここから出るれきだろう。晶は自教室へと戾らんと、鍵を黒板横の鍵掛けに置いて教室を出たのだった。
記念すべき2人目の登場人物は担任教師です。華やかになりましたね。