彼は学校に通うのをやめ、日中は家の中に引きこもっている。つい最近の話だった。
そして夜になると外へ出ていき、人目を避けながらあてもなく町中を歩き回る。
「よぉ、お前プレイヤーだな?」
こういう事態を予想してのことだった。
振り返ると見知らぬ青年が居る。派手なオレンジ色の髪色で素行の悪そうな外見であり、黒原が普段から意図的に避けたがるタイプの人物だ。
そもそも黒原は内気な性格で他人と関わることを苦手としており、学校に通わなくなったのもこれ幸いといったところで、学校も生徒との交流も以前から好んでいなかった。
見た目からしてコミュニケーションが苦手であろうことはわかるはずだ。小柄な体にボサボサで伸びっぱなしの黒髪。着用している黒いジャージの襟元を上げて口元まで隠そうとしていて、目元には濃い隈がある。見るからに内気そうな少年だったのだ。
声をかけられた理由は一つだけ。
日中であれば無視して走ってでも逃げただろうが、今の黒原にはすでに覚悟があった。
「“ソナー”があるからわかるんだよ。別に逃げてもいいけど無駄だぜ」
そう言って青年はスマホを掲げて見せた。少し距離があって辺りは暗いものの、遠目に見ると地図を表示しているようだ。
その機能ならば黒原も知っているため驚かない。
緊張はしている。しかし動けないほど固くなってはおらず、深呼吸を繰り返した。
「お、逃げねぇのか。じゃあさっさと終わらせちまうぜ」
「ハァ……まあいいや。今でよかった」
青年は勝ち気で身構える。明らかに黒原の外見を見て侮っていた。
それはそうだろうと思いつつ、黒原は彼に対してさほど興味を見せていない。
その時、青年の背後でどこからともなく集まってきた砂が大きな塊になり、まるで最初からそうであったかのような自然さで鮫の姿を模る。
大口を開けて鋭い牙が並び、青年よりも大きなイタチザメである。
「俺の能力は“サンド・シャーク”! 砂のサメを見たことあるかァ!」
「あるわけないでしょ……」
黒原は微塵も驚くことなく砂の鮫を見ていた。
反応が乏しいことをビビっているとでも思ったのか、青年は彼のリアクションを気にせず、すでに勝った気になっているらしい。
深くは考えずに勢いよく右腕を振るった。
「やれェ! あいつを食っちまえェ!」
空中を泳ぐように、或いは、銃弾から放たれた弾丸のように飛び出した。
砂の鮫はまっすぐに黒原の下へ接近していく。
「僕の能力は――」
そして彼の体に大きく口を開けて噛みつこうとしたその瞬間、地面から飛び出すようにして大きなホオジロザメが砂のイタチザメに噛みついた。
その外見はボロボロで、ところどころ肉体に穴が開いてひどく汚れているのだが、意思を持って音もなく動いている。幽霊やゾンビといった不気味な鮫だ。
「なっ、なにぃいいいいいいいいっ⁉」
「“ゴースト・シャーク”。どこからでも現れる」
幽霊のようなホオジロザメ、ゴースト・シャークはサンド・シャークへ強烈に噛みついていた。
砂とはいえ本物の鮫より強靭な肉体。しかしゴースト・シャークの牙が砂の体にめり込み、本来であれば斧やノコギリでも傷つけられない頑強さを物ともしない。
ゴースト・シャークが改めてガバッと大口を開いた時、青年は嫌な予感がして絶叫した。
「やめろぉおおおおおおおおおおおっ⁉」
バクッ、バクッ、と何度かの噛みつきで、ゴースト・シャークがサンド・シャークを食べた。
体に穴が開いているが砂が漏れ出ることはなく、食べたものは忽然と消えてしまう。
かと思いきや、ゴースト・シャークの周りで小さな砂が浮遊しており、今やゴースト・シャークの支配下であるかのように動いていた。
絶望した表情の青年が何も言えずに地面へ膝をつき、がっくりと項垂れてしまう。
思うことはない。黒原は冷たい目をして彼へ言うでもなく呟く。
「お疲れ様」
鮫を操るには意思の力が必要不可欠。敵意や殺意、覚悟が強くなればなるほど鮫の能力が強くなる特徴があり、念じるだけで動かすことができる。だが逆に恐怖・悲観・慢心が大きければ大きいほど鮫の力は弱くなり、本領発揮することさえできないだろう。
ゴースト・シャークがサンド・シャークを一瞬にして捕食することができたのは、個体差や能力を上手く使ったのもあるとはいえ、黒原の意思の強さも間違いなく影響している。
鮫を食われた人間は死ぬことこそないとはいえ、魂の一部を失う。
その影響がどう出るかはその人間次第。
身体機能の一部が損なわれる、記憶を失う、再起不能になるなど結果は様々だ。
そして彼は踵を返して、青年を残したまま家へ帰った。
ああならないために死ぬ気で戦う。すでにそう覚悟を決めているのである。
サメバトルとは!
プレイヤーが与えられた鮫を操り、鮫の能力を駆使して戦うゲームである!
主催者は宇宙を遊泳する全ての鮫の神こと“ユニバース・シャーク”!
ゲームの参加者に与えられる鮫は全てこの鮫から生まれたのだ!
そして互いを食い合って、最後に残った一匹が次なる鮫の神になるのである!
従って勝利する方法は相手の鮫を食らうのみ!
もちろん人間にもメリットがある!
鮫は食べた鮫の能力を奪い、自らの能力にすることができる!
最後まで残ったプレイヤーはサメマスターとなるのだ!
ある日突然、目の前に鮫が現れた。
言葉を話すことはできないが思念で会話することができ、半ば強制的に契約を結ばれて、バトルに参加することになった。
出会った瞬間は驚いたものの、この状況に黒原は困るどころか喜んでいる。
どうせいつ死んでもいい身。
それならばとやる気になって学校に行くのをやめて、戦いに集中することにした。
サンド・シャークを食べた後で、ゴースト・シャークが黒原の傍を遊泳する。
空中を泳いで、音を立てず、風を起こさず、周囲に影響を及ぼさない。存在しているようでしていない、しかし逆に存在していないようでしている、不確かなもの。
「これでいいの?」
《ああ。上々だよ》
黒原の問いかけにゴースト・シャークが思念で答えを返した。
《私たちは皆、ユニバースから生まれた。人間の観点から言えば兄弟なのだろう。だが残念だね、最後の一匹にしか力が与えられないのならそうするしかない》
「鮫って子宮の中で共食いするらしいね……一部の鮫は」
《そうだよ。ユニバースにとってこの星は子宮の一部だ。共食いさせるのも一匹の強い鮫を残そうとするのも遊びみたいなものでしかない》
「親が子供を共食いさせるって、人間からするととんでもない話だけど」
《その人間もユニバースにとっては子宮の中で微生物が繁殖しているようなもの。無力な微生物がどう動こうとユニバースにはなんの影響もない》
「なんかスケールがでか過ぎて……まあいいや」
考えるのもめんどくさいとばかりに黒原は小さくため息をつく。
いわゆる能力バトル的な作品は見たことがあるものの、なぜ鮫なのか。ユニバース・シャークという存在は本当に居るのか。
以前抱いた疑問に答えなど出ていないが、起きていることは事実。今はもう気にしていない。
「最後の一匹になったらどうなるの? ユニバースに代わって神になる?」
《それはないね。ユニバースはお前たち人間が宇宙と呼ぶもの、その物と言っていい。私たちが成り代わることは絶対にあり得ないよ》
「そっか」
《だけど、この地球の神になることくらいは簡単かもね》
黒原はそれを聞くと、珍しいことににこりと笑った。
「ああ、それはいいかもね」
《そう思うならせいぜい気を付けることだよ。私たちをただのサメだと侮らないことだ》
「初めからただの鮫だなんて思ってないよ」