最強の盾は橘福福しか見えなくなる。〈旧題:最強の盾〉 作:カブトムシの相棒
犬太郎の異能は次回に回します。何なのか予想して頂ければと。
では、本編です。
────怪物。
そう呼ばれた男が居た。
威圧、容姿、狂気、雰囲気、そして戦闘力。そのどれもが脅威的。
【鋼鉄の盾】と巷では謳われているが、戦闘になれば容赦のないその狂気性から、今では【怪物】の異名が通っている。
齢19にして、その実力は新エリー都内で間違いなくトップクラス。
「────テメェ等もっかい人生やり直しとけよッ!!」
”「ぼぎゃぁぁあぁぁ!!??!?」”
その男は現在、六分街にある弁当屋ニャン助にて半グレ集団を倒していた。
名を狼谷犬太郎。以前まで護衛屋として活動していたが、引退し、今は弁当屋の店員として働いている。
だが弁当屋になった犬太郎は過去の職業柄故、昔と変わらず敵は多い。
数週間経ったが、それでも犬太郎に恨みを晴らすべく挑む者の数は絶えない。護衛屋として働いていたツケが回って来たのだ。
”「かかか、かかかぁぁ……」”
「ふんッ、名も顔も知らねぇ雑魚共が。営業妨害だボケ……殺されねぇだけマシだと思いやがれ」
街道の真ん中に死屍累々が如く倒れ伏す半グレ達。
殴打、蹴り、頭突き、大剣の峰内。実力の半分以下も出さず制圧した様相が其処に描かれていた。
そう、犬太郎はもう人間を殺す気はない。こういう手合いを殺しても価値がないからだ。
”ピシッ…”
……だが、犬太郎は若干の違和感を感じていた。
「……まただ」
身体が疼く感覚。怪我はしていない。
だがそれには、覚えがあった。
「(タバコを辞めてからだ……何でか知らないが、筋肉を可動するような戦闘をして以来ヤケにパワーが増している………抑制が難しくなっている)」
先程云った様に、半グレ達には実力の半分以下も出していない。謂わば2割程度だ。
だから普通は多少の傷程度で済む筈の怪我が……顔面陥没に骨折など、半グレ達は大きな怪我を負わせられている。
そんな力は使っていないのに、だ。
「……どうなってやがる、クソッたれが」
「犬太郎ちゃんっ!大丈夫!?」
すると、店から出て来る女性が居た。
それは弁当屋の店長である優香。トテトテと走ってくる。
「大丈夫っス。安心して下さい、営業妨害されたんで半殺しにしときました」
「少しやり過ぎだけど、犬太郎ちゃんが無事なら良いのよ……治安局には通報しといたから、貴方は店の裏側で待機してて。治安局の皆さんに犬太郎ちゃんは、マズいでしょ?」
「任せて頂けるんなら有難いです。んじゃ、後は任せ……」
「────あっ!やっぱり犬太郎くんですっ!」
優香の機転により、犬太郎は店の裏側に回ろうとした時だ。
彼にとってずっと聞いて居たい声。可憐で、元気の良い、優しい女の子の声。
犬太郎は振り返る。そこにはやはり、居た。
「福福……福福じゃねぇか!!」
「わわっ!ちょ、急に接近して来ないで下さいよぉ!」
「イヤだね!福福を見つけたらどんな場所でもどんな環境でも接近するって決めてんだ!」
「どんな決め事ですか!?んもうっ……ぷっ!ふふっ、元気そうで良かったですっ!」
橘福福。雲嶽山の一番弟子だ。そして……犬太郎の恋仲の関係である女性。
福福は時間の合間を縫い、弁当屋をしている犬太郎に会いに来たのだ。
来る道中、何やら付近が騒がしいなと思い、急いで来てみれば……この有様だ。
「……って!犬太郎くん?何ですかこの惨状はっ!もしかしてまた喧嘩したんですか!」
「ちょ、待て待て早とちんなって!店の営業途中にこのバカ共が襲ってきたっから制圧した迄だよ。力加減ミスって、ちょいと痛めつけちまったが」
「ま、まぁそういう事だろうとは思いましたけど……犬太郎くんは怪我はしてませんか?」
「俺を誰だと?狼谷さんだぞ?」
「ぺっぺっぺー…いやなに言わせてるんですか!」
この会話。これが犬太郎の楽しみの一つ。
彼がボケ、彼女がツッコム。2人の会話はいつもコレだ。
互いに分かってる。非常に楽しい。
すると、優香が会話に入る。
「犬太郎ちゃん。もしかして例の彼女さん?そうよね?」
「えぇ、そうっす。福福、この方は弁当屋の店長の優香さん。俺の上司だ」
「へ!?この方が!?あ!こんにちはっ!ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません!えっと、雲嶽山の橘福福です!宜しくお願いしますっ!」
「あらあらお利口な娘さんで~!こんにちは、弁当屋ニャン助の店長、優香です。宜しくお願いします~。ふふ、貴女の事は犬太郎ちゃんからよ~く聞いてるわぁ」
「え?け、犬太郎くんから、ですか?」
「ちょ」
死屍累々の半グレを他所に、店の前でふんわりと始まる談笑。
それは、聞くに堪えない惚気話だった。
「写真通り綺麗で勇ましい子で直ぐ分かったわぁ~。うふふ、犬太郎ちゃんね、口を開けば貴女の自慢話ばっかなのよ?」
「ゆ、優香さん、それは…んぐっ」
「あの!詳しくお伺いしても良いですか!?」
福福は背伸びしながら犬太郎の口を塞ぎ、問う。
「そうね~例えば…『福福は可愛いけど同時にカッコいい女の子で、その在り方はダサい俺が尊敬する程なんすよ!しかも誰よりも優しいし元気で凄いんすよ!』とか…『俺みたいな不良でも分け隔てなく叱ってくれて、そこに愛情を乗せてくれるんす!そういう所も大好きですね』や、後は『どうしようもなく惚れちまったんです。可憐で綺麗で純粋で、同時に勇ましく在りたい心を持つ、誰よりもカッコいい女に……俺には勿体ないのは分かってるんすけど、誰にも渡したくない、俺だけを見てほしいって、そう思っちまう位…大好きなんす。くっははは!何だか恥ずいっすけど、本気で愛してるんです』……なんて言ってたわね~。若いわよね~ほんと!」
「もごぉ!むごごご!!!?」
「……ほへぇ~………」
マジで聞くに堪えない惚気。それを優香は聞いていたのだ。
だが、優香もその話を聞くのが好きだった。馬鹿にはしていない、寧ろ若い子等の恋愛ほど熱いものはない。それなりの歳を重ねた優香だからこそ、聞き続けることが出来たのだ。
「ぶはっ!ちょ、優香さんッ!」
「あっ!ごめんなさい私ったら気が利かず……久しぶりなんでしょう?福福さんをお連れしていいから、御二人さんは御店の裏側に行きなさいな!」
「へ?」
「はぁ!?」
「いいからいいから!さっ!治安局の方々が来る前に、ね!」
そう言いながら優香は犬太郎と福福を押し、店の中に入らせた。
されるがまま、2人は気付けば裏側に。優香は意外と強引らしい。
後始末を優香に任せてしまったが、今は…。
「……あー、福福」
「は、はいっ」
「優香さん結構強引っつーか、まぁ、何て言えば良いか………いや、今はいいや。その、会いたかった」
「っ!あ、あたしも会いたかったですっ!え、えへ、えへへへへ……ほんと元気そうで良かったです!」
「福福もな」
福福と話したかった。
護衛屋を辞めて以来、中々会う機会がなかった。
それこそ弁当屋に入ってからは会っていなかった。互いにやる事が重なっていたのも多い。
だからだろう。二人は気付けば……抱き合っている。
「んふぅ……んへへへ!ゴツゴツですねぇ」
「福福は相変わらず柔いな。尻尾もふわふわで気持ちいい……」
「これでも毎日お手入れしてますから!尻尾は自慢ですっ!」
「はは、そうだったな」
「んふふ~!それにしても、犬太郎くんってばあたしの事そんな感じで話してたんですね?」
「いや……まぁ、うん。引いたか?重いだろ、俺」
「いいえ、とっても嬉しかったですよ。可愛いってのは聞き捨てならないですけどね?」
「いやだって……な、なんでもない」
「えへへ、冗談ですよ。貴方になら……そう思われるのも、悪くないですし?」
「……可愛いな」
「んひゅっ!?きゅ、急に……ずるいですよぉ」
ハグ。正直、まだ慣れていない。
でも恥ずかしいというより、幸福感に満たされて幸せな気持ちが強い。
ずっと、こうして居たい。そう思う程に。
その気持ちが強くでたのか、犬太郎はほんの少し力を入れた。
”ギュゥ……ギチッ”
「んぁ…」
「ッ!す、すまん!痛かったか?」
「い、いえっ!大丈夫ですよっ!」
「……少し緩めるな」
まただ。
少しハグを強めた。ほんの少しだ。
なのに、あの福福にすら若干の痛みを覚えさせてしまった。
「犬太郎くんって力が強いですから、必然的にギュ―ってされて、えへへ…何だか安心しちゃいますね」
「……そう言って貰えると、嬉しいな」
犬太郎の微かな落ち込みを見たからか、福福はフォローするようにそう告げる。
きっと、彼女も気付いている。犬太郎の変化に。
「……犬太郎くん、最近なんかありました?」
「あ?な、なんだ藪から棒に」
「いえ、何だか気を張っている様に見えたので。何か隠してるなら離してほしいです」
「………」
犬太郎から言わない。そう感じた福福は、直接聞く事にした。
福福にそう問われてしまえば、答えないなんざあり得なかった。
犬太郎は一呼吸置き、告ぐ。
「……理由は分かんねぇんだが、最近力の抑制が効かなくなるんだ」
「力の抑制、ですか?」
それは福福からすればよく分からない内容。
だが静かに聞く。問うたのは己だ。彼が話す事、それを確りと聞かなければならない。
「さっきもそうだ。半端モン共をぶちのめしたのはいいモノの、力の制御が難しくやりすぎちまった……覚えてるか?前に俺が福福を抱きしめた時、力が強く成る時があったの」
「っ!確かにありましたっ……」
「それと一緒だ。俺としては優しく、傷付けないようにしようと思っても……身体が自然と力んじまう。卵を割る時や箸を持つ時だって、加減を間違えて割って壊しちまう。日常生活に支障をきたす所まで来ててな……正直に言えば、さっきみたいに福福を抱きしめる時も、少し怖いんだ」
「………」
力の抑制。初めて彼の口から聞いた。
過去を振り返れば、確かにそうだ。
事あるごとに犬太郎は福福を抱きしめたり、手を握ったりしているが……時折、犬太郎の抱く強さは痛みが生じるレベルで痛い時がある。
福福からしたら、そういう事もあるだろうと思っていた。パワーだけなら彼は右に出る者は居ないと、福福自身がそう実感してるくらい、彼は筋力が凄まじい。
だが、彼の口から告げられる事は……中々に大事だった。
「兆候とか、そういう変化が起きる前に変わった事とかはありました?」
「あぁ……ある。でもそれは……」
「……言って下さい。大丈夫ですから」
「………分かった」
犬太郎は告げる。
「タバコを辞めてからだ。それしか考えらんねぇ……四六時中タバコを吸っていたが、福福に叱って貰ってから辞めて以来、健康になったからか分かんねぇが……抑制が難しくなったのは多分タバコが原因だ」
「っ!!」
そう、そうなんだ。
タバコを辞めてから、犬太郎は力が増してきている。
それは捉えようによっては良い事だろう。だが、力加減が難しくなっているとなれば話は変わる。
タバコは依存性が高く、気を落ち着かせる効果がある。
即ち、犬太郎の力を抑制していた枷でもあった訳だ。
だがそれは言ってしまえば犬太郎の抑制の鍛錬の妨げ、妨害行為でもあった。
それを口頭で話せば、深く納得した。最早これしかないと、痛感してしまう程に。
「っ……あたし…」
福福の顔が愁いに帯びる。仕方なかったとはいえ、知らずに辞めさせてしまった。そう感じてしまえば、己にも一定の責があると、そう思ってしまう。
それを見抜くのは当然、犬太郎だ。
「言っておくが福福には感謝しているぞ。未成年が吸ってんだ、お前が叱ってくんなきゃ俺は何時までもガキのままだった。お前は俺を成長させてくれた恩人だ。だから気に病むとかはしないでくれ」
「で、でも……」
「これは俺の力不足だ。あいや、それだと何か変だな……自己管理不足って言えば良いな。抑制すら出来ない男だっただけ、それだけなんだ」
犬太郎は福福を優しく、花を愛でる様に優しく撫でる。
ぶっちゃけこの行為すら、犬太郎は怖い。少しでも加減を間違えたら、壊してしまうんじゃないかって。そう思ってしまう。
だから、ここで決心した。
「福福、俺の修行相手になってくれないか?」
「へ?」
それは突拍子もない発言。犬太郎は続ける。
「話した通り、俺はまだまだ未熟者だ。タバコに助けられてるなんざ、男として情けなさ過ぎる……だから福福、どうかお前に俺の抑制を制御できる修行の手伝いをしてほしい」
「あたしが……い、良いんですか?」
「寧ろ福福しか居ない。お前にしか頼めねぇ……お願いだ」
犬太郎は捨てられた子犬の様な顔で懇願。
追い詰められてるとまではいかないが、福福を抱きしめるのが怖いと思いながら過ごすのは、心底嫌だった。
しかも日常生活にも支障をきたしたら、仕事にも手を付けられない。
最悪……戦闘になれば、うっかり人を殺してしまうかもしれない。
それだけは避けたい。そう思い、懇願した……時だ。
「っ!分かりましたっ!あたしにお任せください!」
「ッ!!」
「あたしは犬太郎くんの恋人ですっ!恋人のお願いを断るなんて、そんなこと絶対にしません!あたしを抱くのが怖いだなんて、そんな寂しくて辛い事は絶対にさせません!あたしと一緒に抑制を抑える修行をしましょうっ!」
「……福福ッ!」
”ぎゅぅぅぅぅッッ”
「ふあっ……っ」
思わず、抱きしめてしまう。
先程よりもずっと強く、抱きしめてしまう。
抑えたい。でも、抑えきれない。
痛くないか、キツくないか。そんな事は頭にない。
ただ今は、愛してる人に、抱きしめたい一心だった。
「ぅぁ…っ……大丈夫、大丈夫ですよ。今はぎゅーーーって、抱きしめて下さい」
「あぁ、あぁ!ありがとうっ……寛大だな、ほんと……こんな優しい女の男に成れるなんて……俺は恵まれてるな」
「ふふっ!当然の事ですからっ……これ位の強さなら、あたしは大歓迎ですよ」
まるで大型犬を扱う様に、強烈なハグを受けながら優しく彼の背中を撫でる福福。
身長差や体躯の違いで分かり辛いが、これでも年齢差は2歳。犬太郎の方が年下なのだ。
生きた経験は福福の方が多い。しかも彼はこう見えて甘えたがり屋な一面がある。
自然と福福がお姉さんになる。
良い気しかしない福福がそこにはいた。
「かわいいですねぇ………優香さんって方が近くに居るのは少し怖いですが、これなら安心ですね」
「んぇ?今なんか言ったか?」
「ふふっ!いいえ、なんでもっ!」
「??そうか?」
胸中に抱えていた犬太郎よりも遥かに重い独占欲を呟く。
ちゃんと、聴こえない様に。
偶に確認しないと、この女好きの馬鹿は直ぐに他人に尻尾を振りかねない。
福福はそれをよく分かっている。
だけど、こんなにも自分に夢中なら。
その心配は、杞憂かも知れない。
「……ねぇ、犬太郎くん」
「え?なん……うぁ!?つ、爪が俺の背に!?くぅ、擽って…ッ」
……もし。
もし、彼が、犬太郎が……他のメスに現を抜かしたら。
「貴方は……あたしのですからね?」
「???……あ、あぁ。そうだな?」
「……分かってるのなら、それで良いんです!」
己は、本能を抑えきれるだろうか。
……なんて、嫉妬深い自分に腹が立つ。
頭が悪いのは自分でも分かってる。
キスじゃ子供が出来ない事も最近やっと知ったくらいだ。
子供の作り方を、己はまだ知らない。
……でも、全てを分からない訳ではない。
それ相応の手順が必要なのは、儀玄にそれとなく教授された。
儀玄が最後に言った言葉。
『────本能に従え。犬太郎の阿呆なら、お前さんからいけばぶっちゃけ止めはせんからな』
儀玄の言っていた事は、当時はよく分からなかったが、今ならよく分かる。
彼の匂い。
彼の身体。
彼の雰囲気。
彼の全てが、己の中のナニかを擽る。
己の本能を刺激する。
「(────心がドクドクしますね……その先に行けば、あたしと彼はもう戻れない。それで良いと思ってしまうあたしが居る……どういうタイミングが、良いんでしょうか)」
既に覚悟は決めている。だが、本能に従う以前に己は乙女。
犬太郎の前には、女の子で居たい側面もある。
それが、またもどかしい。進みたいのに、進めない。
若い男女の恋は甘酸っぱいで定番だが、これは特にそうだろう。
「……福福?大丈夫か?急に静かに成っちゃったけど」
「んっ……大丈夫ですよ。これからの事を考えてただけなので」
「そう、か?へへ、もう修行の事を考えてくれてたのか……やっぱ優しいなぁ、福福は」
「……当然の事、ですから!」
”ごめんなさい、犬太郎くん”
”あたしは貴方が思うような優しい女の子じゃないんです”
”貴方に叱っておきながら、貴方に対し痴情を抱えてしまう助平な女の子なんです”
”でも、あたしがそうなったのは貴方の所為でもあるんですよ?”
「……犬太郎くん」
「ん?今度はなに……」
だから────
「────責任、取って下さいね」
「……え?…あ、うん………え?」
”あたしをこうした貴方には、絶対に責任を取って貰います”
”絶対に、逃がさないんですからっ”
福福の心は、既に犬太郎に染め上げられていた。
忘れてはいけない。橘福福は【虎のシリオン】である事を。
犬太郎は純人間だが、彼女は虎。
茶トラ猫のシリオンや可愛い女の子と揶揄される事もあるが、本能のままに存在すれば……彼女は〈捕食者〉側の存在。
その事を、犬太郎はまだ……深く理解していないのであった。
────同時に、犬太郎はまだ気づいていない。
己が抱える変化。溜まっているフラストレーション、そして効かぬ力の抑制が……災厄クラスの事態を招く事を。
▽────1週間後…。
「………こういう日に限って暇なんだよなァ。いや良い事ではある……のか無いのか、よく分かんねぇけど」
その日、犬太郎は一人で弁当屋を営業していた。
それはつまり、店長である優香が居ないと言う事。その理由は……。
『ごめんね犬太郎ちゃんっ!まさか『アストラ』さんの開演チケットが当たるなんて思わなくって、しかも夫の分も……本当は休店日にするべき何だけど、お店の都合上4日前にはそういう趣旨を貼って置くべきだったのに、忘れちゃってて……』
『いえいえ大丈夫っすよ!それよりもアストラちゃ……さんのチケット当てるなんて凄いっすね?それに、優香さんと夫さん確かもうちょいで結婚記念日っすよね?なら少し早めのお楽しみをして行って下さい。店の事は俺が回すんで』
『犬太郎ちゃ~んっ!ホントありがとうねぇ!犬太郎ちゃんならお弁当や会計の事も全部任せられるわっ!お土産とボーナスは期待しててね!』
と、いうように優香はアストラのチケットを当て、夫と束の間の急速に出かけているのである。
結婚記念日と言う事もあり、2日は空けるとの事。
今日は2日目。昨日はかなり忙しかったが、今日はヤケに人通りが芳しく、犬太郎は暇をしていた。
「まぁ俺バイトじゃねぇし、こうして店を任せられんのは信用されてるって事でもあるし、悪い気はしないが……俺ってまだ1ヶ月経ってないよな?優香さん、凄いな色んな意味で」
料理を提供するのは非常にリスクが伴う。特に衛生管理に関しては最善の配慮をしなくてはならない。それなのに、まだ従業員に成ってから1ヶ月も経っていない犬太郎に2日間も店を任せるのはかなり大胆と謂えよう。
犬太郎自身、そう思ってしまう。まぁ任されてしまった分、全力は尽くすが。
「アストラちゃん、ねぇ……久しく会ってないが、元気にしてんのかな。まぁ『イヴリン』が居るんだし元気か。アキラさんとリンさんとも交流があるって聞くし」
犬太郎は在りし日の過去を思い出す。
アストラとその護衛エージェント『イヴリン』とは面識があった。
特にイヴリンとは彼が14(ド級の大荒れ期)の時、イヴリンが請け負った依頼が被り……それなりの事があった。
それもありイヴリンとは浅くはない因縁があった。今はその因縁は消え失せたが、互いに良い思い出はないだろう。
「んーにしても暇すぎる……誰か来ないかなぁ。まぁいいや、何か言っとこ」
犬太郎は気を引き締め、今日オススメの弁当を発語する。
「いらっしゃ~い。今日は鮭おにぎりと唐揚げ弁当がオススメですよ~。ウィかがですか~。ぷいぷい~~」
「……情報通りとはいえ、奴のあのような姿を見舞える事に成ろうとはな」
「あぁ、そうだな」
すると、2人の人影がぬるりと現れた。
気が抜けてしまったとはいえ、まさか己が店前に来るお客の存在に気付くのが遅れるとは。完全に油断していた。何か適当コイてしまった気がする。
犬太郎は直ぐに意識を覚醒させ、切り替えて目の前のお客さんに視線を送る。
「っと!すみません、気が付かず。今日は…………おーおー、コレまた意外過ぎるコンビで」
だが、その2人の人影を確認した瞬間。犬太郎は即座に極度の警戒の色を見せる。
なるほど、気が付かない筈だ。
「御注文はお決まりですか?なんて、弁当が目的で来た訳じゃねぇよなァ?」
「────犬太郎、この私と彼が居る事の意味を10秒以内に理解して答えて貰うぞ……対六課に加入するか、又は……」
そう、その正体は────新エリー都で蝶が付くほどの大物。
1人は対六課の課長にて【虚狩り】の称号を持つ最強の一角である星見雅。
強力な怒気と重圧を纏い、犬太郎を睨み付けるその姿は正に修羅。二度目の邂逅だが、あの日別れた時の哀愁は今はなく、彼を連れていく気満々の様相だ。
そして、もう1人……犬太郎にとっても予想外過ぎる男。
「────治安局に入るかだ。猶予はない、即座に決断して頂こう。同時、武力行使も厭わないとこの場で宣言しよう」
「……『セヴェリアン』まで登場とはな。そこまで俺に固執すんのかよ、上の馬鹿共は」
『セヴェリアン・ローウェル』
新エリー都治安総庁に属する上級監察官であり、戦闘力は正しく治安局最強。
即ち言うなれば────2人の最強が、犬太郎のスカウトに来たと言う事。
この2人が態々コンビを組み、犬太郎のスカウト基い……強制連行に赴く意味。
それは……それ程まで、上層部は本気であると云う事。
犬太郎はエプロンを脱ぎ、瞬足を用い街道に出る。
店の中じゃ不利だと感じたからだ。
その行動を静かに見据える雅とセヴェリアン。その双眼は、既に答えを得た眼つきだった。
2人は己の得物を構える。本気だ。本気で犬太郎を捕えるつもりだ。
「ふぅ……まぁ待て。まさかこの場でやるってのか?此処は……いや、そうか。ヤケに人通りが少ないのはそういう事か」
否。少ないのではない。
今まで通っていたのは全員局員。犬太郎が弁当屋で営業準備している間に、既に事は起こっていたのだ。
「俺の為に、そこまでするか。あぁ、そう、そうか。そうかよ────ふぅぅ…………はァァァァ……………ッとによぉ……」
「10秒経った。叶うなら、大人しく連行して欲しいが……」
「……いや」
犬太郎の声色が冷徹に低くなる。
同時、雅とセヴェリアンに悪寒が襲う。
「コッチは何度も断ってんだ。何度も何度も何度も、来る日も来る日も来る日も、俺には資格がねぇって、入る気はねぇって言ってんのによォ………俺には俺の夢があって、俺には俺の在り方があって、俺には俺の……人生があるっつってんのによォ」
「この雰囲気、全てを圧し潰す殺意……セヴェリアン殿」
「あぁ、分かっている。6年前と変わらん、いや……それ以上の狂気。未だ健在だった様だ」
雅とセヴェリアンに緊張が走る。
両者が感じるのは、底なしの畏怖。
空間を捻じ曲げる程の殺意。
周囲を圧し潰すレベルの重圧。
「福福と一緒になるまで暮らす為に、やっと見つけたこの職場にまで押しかけに来やがって。最近じゃ半グレ共も無鉄砲に挑みに来るわ、営業妨害して俺の邪魔するわで……ふざけやがってッ。護衛屋を引退してまで来るんだったらなァァ………」
そして……自動的に生命に警鐘を鳴らす、死を纏う狂気。
「────もう、堪えなくて良いよなァ」
護衛屋時代から毎日の様に続いていた過剰なまでの勧誘。
半グレや悪徳組織から未だ狙われる日々。
力の抑制が効かなくなってきたストレス。
そして、星見雅とセヴェリアン・ローウェルと云う各組織内最強の登場、武力行使も厭わないと豪語し強制連行しようとしてくる始末。
その全てがフラストレーションとして溜まり……ついに、彼の張り詰めていた糸を千切ってしまった。
まるで能面の仮面を被った様に、犬太郎の表情が消え失せる。
コレは────正式に狼谷犬太郎が怒狂した時の合図だった。
「────来いッ」
”ヒュン………ガチィィッッ”
瞬間。犬太郎の頭上から重々しい大剣が飛来する。
道理は不明。だが彼は、それを意図も容易くキャッチする。
犬太郎が大剣を使う時。それは……本気を出すという事。
「────幼馴染だろうが、過去の遺恨を持つ相手だろうが、誰であろうがッ……もう、関係ねぇ。俺の邪魔をするんなら……………無惨に殺してやる」
この絶望の化身二名を前にして、この狂気。
本来なら即座に降参か、或いは首を縦に振るのが自然な状況。
だが、この修羅場を迎えて尚、犬太郎が取る行動は……この両名を纏めて殺すと宣言したのだ。
これが……彼が、狼谷犬太郎が【怪物】と謳われる意味。
雅とセヴェリアンが対峙するのは、そういう男なのだ。
犬太郎の双眼が狂気に染まり、これでもかと開かれる。
雅とセヴェリアンは既に臨戦態勢。
出し惜しみなく、この男を捕縛せんと肉体に力を入れる。
「これは、我々も覚悟して挑まざるを得ないな」
「あぁ、その様だ……来るぞッッ」
その瞬間……六分街を、新エリー都を揺るがす。
────災厄の大戦争が勃発した。
次回
狼谷犬太郎の異能。
はい、まさかのセヴェリアンさん登場。しかも雅と一緒に。
誤字報告、感想、お気に入り評価ここすき、いつもありがとう御座います。