(殺されるのが、ボクで良かった…!!)
それが最後の記憶だった。見えてはいないけど四肢は折れ曲がり顔面の各パーツが潰れたりなくなっていたりともうまともに動ける身体ではないんだろう。ボクの意識は混濁し、オーラさえ満足に練ることができなくなっていく。チカチカと瞼の裏が点滅し莫大なオーラの奔流が段々と近づいてくるのを感じる。死が近づくにつれ記憶の連続性が途切れていく。
「頼んだぞ、ピトー」
その命令の全てを果たせたかどうか、ボクにはわからない。本当ならここでゴンを殺して王と共に残党を蹴散らすのが最善なんだろうけど、万全のユピーでも今のゴンには勝てないだろう。
鼓動が弱まっていく。
コムギは人間ではあるがゴン達侵入者にとって守るべき対象ではない。コムギを侵入者から取り返すことができたらしいけどそれでも不安だ。王が王でなくなってしまうことを恐れているプフから到底逃れられるとは思えない。負傷を治療したとて彼女が生き残る確率はそう高くはないだろう。ボクは本当の意味でコムギを守ることができているのだろうか。一番の心残りは王が侵入者を殲滅し、その後世界中全ての生物を統一し玉座に座する王を見ることができないことだ。ボクがそのサポートをできたらよかったのに。
脳が乾いていく。
最後の力を振り絞ってボクはボク自身の
(ああでも、この子には悪い事したかもニャ…)
好奇心で人倫を冒涜し、ネフェルピトーは思えば壊すことはすれど王の命令以外で何かを治すことはしてこなかった。死の際、頭を殴り潰さる間際、なぜ今自分がこんなにもゴンに強い憎しみを向けられ殺されそうになっているのかを理解していた。
ネフェルピトーは初めて自身の行いの結果をその身で受け止める。コムギに対する王の感情を察していたのも相まってネフェルピトー少しだけ後悔していた。
「…え?」
ネフェルピトーは思わず呆けた声を出す。気づけば両の手をついて床の上に座っていたからだ。うっすらと覚醒する意識、状況がよくわかっていないピトーを他所にその瞳に光と情報がまんべんなく侵入する。
罅割れたコンクリートの壁、煤汚れた木製の床、錆びのような汚れでべたつき汚れた両手。夢見心地のような感覚だったそれが段々とそれが現実であることを認識し始める。
「?、??」
当然のようにピトーの頭は疑問符で埋め尽くされる。生きて意識を取り戻していることが信じられなかったからだ。ピトーはペタリと自身の顔に手を当てると乾いた葉のようながさついた触感が返ってきてあの世ではないという事実を自分の体から伝えられていた。
「あー、いー」
喉の調子を確かめるが掠れてあまり大きな声は出せない。自分の調子が万全な状態ではないということを把握したピトーはしかし本当に何でボク生きてるんだろうと最初の疑問に立ち返る。
(ユピーでもあの状況から生きて帰るの無理だと思うんだけどな…。いやそんなことよりも今ボクがやるべきことは状況の把握だ。円で周りの様子を探って、)
「うるっせーーぞッ!!!」
「ニ゛ッ」
ピトーは頭上にてガシャーンとガラス瓶が砕ける音が鳴り響き、それと同時にじんじんと頭部が痛み出す。ピトーは生前で感じる機会の少なかった痛みをその身に受け誰に殴られたかを気にするよち先に、
(ボク、もしかして痛がってる?王に不敬を働いた時と最期だけしか"痛い"と感じたことのないボクが?)と衝撃を受けていた。
「さっさと飯食って働け、このダボ!」
頭を抱えつつ振り向くとそこには大柄の男が怒気を振りまいていた。汚いズボンと所々破けた下着は不潔感をピトーに与え、そしてその男の瞳に理性は感じられずそんな存在が上から見下ろしてくる事実にピトーは不快感を抱く。
「ちッ、馬の方がまだ役に立つぜ」
(体が、動かない?)
苛立ちに身を任せて即座に手刀にて男の首をはねようとするが、動けない。厳密にはほとんど動いていないと言った方が正しい。膝に力を込め飛び掛かるという意思に反してその膝はガクガクと笑い出し枯れ木のような腕は上げるだけでも一苦労を必要とする。
「なんで…」
「俺が仕方なく養ってやってんだ。与えられるのが当然と思ってるガキが、俺は一番嫌いなんだよ!!」
ドスンと腹に蹴りを貰いピトーの体は容易く吹き飛んでいく。軋む胴とせり上がる胃の内容物。無遠慮な暴力に晒されるピトーは、しかし物理的な痛みなどどうでもよい程に精神的に削られていた。
(なんで、なんでこんな取るに足らない人間の蹴り一つでボクの体はこんなにも痛がっているんだ…。嘔吐く身体を止められず、人間の男に逆らえない…?)
「はあ…、採掘場でトミーの爺さんの手伝いしてこい。給金持って逃げたら承知しねえぞ」
バタンと勢いよく閉まる扉の後に残るのは痛む鳩尾を抱えるピトーとぐちゃぐちゃ残飯が盛られている器だけだった。
ガラリガラリと黒い鉱物が入ったトロッコは今のピトーにとってとんでもない重さだった。約1.5tというその荷重は細い腕でただ押すだけではびくともせず、ピトーが全身全霊でかつ全身の筋肉を使ってようやく動き出す。それが万が一今のピトーに向かって走り始めたら止めようと抵抗する間もなくペチャンコにされるだろう。
「というか…、なんでボクが…、こんな事を…、」
ピトーにとって途方もない労働時間を経て数枚の紙を渡される。恐らくこれがここの紙幣なんだろう。そこら中から暴力の息遣いを感じ盗まれないようそれをポケットに詰め込む。
ピトーはよたよたと道を歩く。木片、布、錆びた金属を継ぎ合わせた箱のような住まいが互いにもたれ合うように並び、ゴミや屋根の破片が隅に溜まっている。舗装されていない道路は歩く旅ボロボロの靴の中に土や石を仕込んでくる。足を振るとカラリと音が鳴った。
喉が渇いたピトーは井戸の底から水をくみ上げ桶から手のひらを皿にして水を掬う。その水に映っていたのはキメラ=アントの王メルエムに使える護衛軍の一人、ネフェルピトーではなかった。
猫の形質である耳と尾、そして瞬発力に優れた肢体は失われそこにあるのは何度も改造していくうちに見慣れた人間のそれだった。意識が戻ってすぐは暴力に晒され、今に至るまでは重労働により思考をする暇を奪われ、ようやく状況整理をする暇を手に入れたピトーは自身の変化を正面から目の当たりにする。
「理屈はよくわからないけど、ボク、人間に生まれ変わってる…?」
過酷な環境から逃げ出そうとすれば逃げ出せたはずのピトーはそれとも、目を逸らしていたかっただけなのかもしれない。
「仕えるべき王も、指針を定めてくれる
ピトーは幸せな人生を過ごしたと言えるだろう。生まれた瞬間から人生の目的を持ち、他者を文句なしに跪かせ恐怖させる力を持ち、自身の好奇心を満たせる玩具は環境が惜しみなく与え、最期まで誇りを貫いて死んだ。
そんなピトーは生まれて初めて抑うつという経験をする。何もかも与えられずにピトーはこの世に生まれ直したのだった。
ピトー(転生後):顔はネフェルピトー(蟻)とかなり似ている。蟻ピトーと違い与えられたのは蟻の頃の記憶だけ。ゴンより2歳早く生まれている。