真面目新訳第二章 おてんば姫の望見   作:赤色ねんね

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(01) サントハイムにて

母と、本を読むことが好きだった。

文字の読めない幼い私に代わって、母が読んで聞かせてくれた。

今となってその本の内容は思い出せないけれど。

当時ももしかすると、その内容なんて理解できていなかったかもしれないけれど。

新しい世界を知る、その原初が詰まっているように思えた。

やさしさと一緒に。

温かさと一緒に。

 

そんな記憶がフラッシュバックし、意識が急浮上した。

意識がどこかへ行っていた時間はほんの一瞬のはず。

自室、机に座って突っ伏している私。

本を先ほどから開いていることに気が付く。

本の感想もそのまま蘇り、そのまま出た。

「……つまらない」

本を脇にどけ、ゆっくりと机に横顔を載せる。

「ふふ。面白そう、ではなかったのですか?」

部屋で一緒に読書を楽しんでいた侍女、コーネリアが顔を上げる。

「今日はただでさえ、想像力が働かないみたい」

「想像力って……」

コーネリアは呆れた顔で私の本の背を覗く。

植物百鑑。

彼女から感想を求められているように感じたため、言ってみる。

「ずいぶんと他の書物から引用があったから楽しみだったけれど、うーん……、

文章だけで説明しきるというのは、違うのでは?」

起き上がって本の内容を見せる。

「最初はまだ挿絵があるの、これ、これ。だけどこれ、これ、これ!」

と、心が黒づいていった流れを、見せながら続ける。

「一つ一つがなんだかわからない! 掲載数の多さに価値があるかもしれないけれど、これは、後の研究者は解釈に困ったでしょう。使われることが考えられてない。これ! 例えばオルフェンという花。青に白縁の花びらが4枚から6枚で? 春に咲く花、というだけ? 絵はある。そしてこちらの方に、キリ草という花があって、ええと……、これ! 紺に白縁の花びらが5枚から6枚で? これも春に咲く花。高緯度山岳地帯に生息? 区別できるこれ!? 本当に別の花!? 情報が集まらず自信が無いからあえて簡素な説明にして、ページを離して掲載してるとしか思えなくなってくるわ……」

「姫様らしくない感想でございますわね」

と彼女はにこやかだ。

「……ごめんなさい、今、目が滑ることの理由をとにかく後付けした気がするわ。そうね、多数の花に名前を与えようとしたことで、この本は評価されているのかしらね」

この最後のコメントは、いつもの私ならすぐに思いつくコメントなのかも知れない。

私の心は今、別の方を向いているということ。

コーネリアにはいつも心を見透かされている気がする。自分の単純さが恥ずかしくなる。

そんな様ですら彼女にはお見通しで。

また彼女はくすっと笑った後、

「雨も止んで2時間ほどですか、そろそろ乾いてきたかもしれません」と囁いた。

「ああ! もうだめ、集中できるわけがない」

座った椅子の上。体をさらに上に伸ばすついでに、天井をにらむ。

石造りの天井であっても、私には青空しか想像できなかった。

そのまま、外の誘惑に負けようか。

「お着替えを用意させましょうか」

「お願い」

コーネリアはあきれ顔1割の笑顔で、部屋を後にした。

私は頭の鈍さをかき消すように、一度頭を横に振り払う。

さて。

では、外で体を動かす前の準備運動を、先にやっておきますか。

 

「……最っ高!」

息を軽く切らしたまま、私は中庭に敷かれた、厚手のじゅうたんへ身を任せた。

その隣でコーネリアはいつもの通りに紅茶を楽しんでいる。

たまに私と目が合い、微笑むその表情がなんだか卑怯だ。

私はあおむけで動悸しながら少しの間、曇り空を背景とした彼女の顔を下から眺めていた。

また目が合い、彼女はつぶやいた。

「まだ準備ルーチンだというのに」

「それよ!」

「あら」

勢いをつけてがばっと起きてしまう。

「見てもらいたい発勁があるの!」

「あらあら」

先日思いつき、試したくて、見てもらいたくて仕方がなかったこと。

起き上がり、絨毯近くの、いつもの木の前に立つ。

コーネリアは武術に詳しくないが、物の美醜の判断は的確なように思う。

彼女が思う美しい振る舞いというものを、私の一つの指針にしていた。

「こう右拳を突いて、通すとき、こう、左足かかとを前に出そうと思うの。

これでコンパクトに、そして安定すると思う、きっと」

「ふふ、どうぞ?」とコーネリアは楽しそうだ。

いや、それ以上に私が楽しそうに見えているのだろう、その自信はある。

「じゃ、やってみるね?」

試そう。

樹皮のはげた、いつものポイントに右拳を当てる。

昨日までの発勁のイメージは、ただ向こうに突き抜けること。

それを少し変える。

抜けた後に左へ若干、本当に若干、えぐる。脊髄中心の回転を意識して。身体をもっと載せるように。

イメージを先行させ、次に右拳接点を意識し、そのまま右肩、右膝、左膝へ爆発をフローさせた。

視界が揺れる。

「──えっ?」

微動だにしない木のはずだった、私をいつも受け止める木のはずだった。

拳が幹に飲み込まれたかと思った。

いや、そのまま、打点を中心に木が上下に割れる。

音。

木がこちらに倒れてくる。

一方で私の体は、左へ回転を継続していて。

視界も左へ左へ移る、左端にコーネリアの驚いた顔が映る。

待って。

この方向、この距離。

倒れる木が、コーネリアの方まで届くかもしれない。

そう気づいた瞬間、私はすぐに両手両足の位置を確認する。

存外、体はさほどぶれていない。

体は左へ回転を続けている。左手は体の後ろにある。

これ、もっと回転すると左の裏拳が使えるわよね?

スローな世界の中でゆっくり、左腕をもっと後ろ、上方へ伸ばす、限界まで、頭を低める。

左の裏拳が倒れようとする幹を捉えた。

この木を、できるだけ遠くへ飛ばさないと。

ん、ここでも左足のかかとを内向きに回したらどうか。

左足と左手が関連づくのがわかる。

発勁が、打てる――!

 

そうして、音が戻った。

木は地面へ。巻き込まれた人は!?

急いで振り返り、確認する。少し危なかったが……巻き込まれた人は無し!

忘れていた呼吸を戻す。一息付けるかと思ったが、呼吸がすぐには休まらない。

ひとまず膝をついた。

その状態のまま、無理させた左肩の状況を右手で確かめていたところ、

駆け寄ってきたコーネリアに抱き着かれてしまった。

がすぐに私の両肩を持ったまま、コーネリアは私の体を離して正面から、

「びっくりした!!」

と言い放った。

「わ、私も……」

私は彼女の声の大きさにびっくりした。

そしてすぐに、彼女を危険に晒してしまった情けなさに、私は遅れて襲われていた。

しかしコーネリアの視点は少し違うようで、

「怪我はありません!? 肩、肩の調子?」と私の心配をする。

仮に痛めていたとして、彼女が力強く、にぎにぎと肩の具合を確かめるのはどうなのだろうと思いながら。

大丈夫大丈夫と言いながら。

改めて周囲の被害を確認するも、倒れた幹が向こう低い垣根の一部を乱した程度のようだ。

大きな音がしたのだろう、衛兵が駆けて来る。

公然ではあるが一応は非公式の鍛錬である都合上、このお転婆は、少々大丈夫ではないかもしれない。

コーネリアと目が合う。

彼女は駆けつける衛兵を一目見、軽く表情をしかめ、顔を横に小さく振った。

 

夕食後自室に居ると、私専属メイドであるサリーが衛兵を伴って部屋を訪問してきた。

「……なんです?」

私の部屋にとって異質な存在である衛兵に、疑うように聞いてしまう。

「はっ! 王命の伝達に参りました!」

「王命」

お父様の命令。メイドのサリーからではなくわざわざ衛兵が?

「申し上げます」

と、衛兵は一枚の紙を広げて読み上げる。

「アリーナ姫様を自室での、無期限の謹慎と、致します……」

「な、そんなことになる!?」

昼のあのちょっとした騒動を受けてのお父様の判断だろうが、しかし。

王命書を取り上げ、中身を確認する。

「これ、城内法じゃない! そこまでする!?」

この対象は私ではない、城内の人すべて。全ての人をもって、私の外出を禁止するものだ。

こんな早い通達は、お父様の独断ということ。こんな例は知らない!

一体何を考えて。

「も、申し訳もございません……」

と、目の前の衛兵の様子に気が付く。

この規則のため、例えば彼らが私を監視することになるのだろう。

彼の罪悪感が目に取れた。私に対してもこの内容は報告しづらかっただろうと思う。

「……ごめんなさい、少々興奮してしまいました。確かに、承りました。ご苦労様」

衛兵が退室する。

サリーは残る。その表情が悲しげに見え、私はすぐ目をそらしてしまった。

数秒の静寂。耐えきれなく、

「ああああ……なんだか頭が回らないわ」

と、つい彼女に愚痴をこぼしてしまった。

生きる楽しさを奪われたら、混乱するに決まっている。

狭い庭であっても、息苦しさを忘れられるのは、外の自由が垣間見られるため。

いや、外にあるものが重要ではない。城内に何もないのだ。

なのに。

「お察しいたします。まさかここまでなさるとは」

「そんなにあれは良くないこと? ううん違う、良い口実なのねこれは」

私が武術に興味を持っていることを、お父様は元々良く思われていない。

昔、武術の先生が突如解雇されたことを思い出した。

別の話だが、図書一部を取り上げられたこともついでに思い出し。

そう、こんな感じ! 私の大切なものを軽々奪って、私は自分の無力さにイライラして! そして私の思いは絶対お父様に届かない!

この時間には普段入れない紅茶を、サリーは用意してくれた。カップに手を伸ばそうとし、やはり手を止め、私は聞いた。

「お父様は今どちらに?」

夕食は一緒ではなかった。城外か。

「確か、ですが、今夜は業務統括長官のお屋敷、だったかと」

一方的に私に命令したいことを命令しておいて、自分は聞く気もないという態度?

ああああ……、頭の中が断続的にほてって仕方がない。怒りと無力感で、次の言葉を絞り出すことで精いっぱいだった。

「ごめんなさい、あとは一人にしてもらえるかしら?」

そうして、自室に一人となった。

私の振る舞いがお父様の目に余るのはわかる。であっても、伝え方というのがあるのではないだろうか? これは子供のわがままか? にしても!

……だめだ、先ほどから思考が繰り返されて仕方がない。

許せない、情けない。

ピクリと右手に力が入る。そのまま右手の平を目の前に出し、固く握ると、私の嫌な感情が手に集中していく様がわかった。

ちらりと壁が目に付く。堅牢そうな壁。そこへゆっくりと近づく。壁を軽くノックしてみる。木板の向こう、頑強な石造りの壁が、壁紙に覆われていても、感じることが出来た。

右拳を壁に添える。目をつむる。頭の中が静かになる。

拳にイヤな感情が集中している。発散させるためには?

私は壁に対して、右手へ注がれる流れを放った――。

ああ、ああ。

デジャブだ。いやデジャブじゃない。

てっきり私を打ち返すだけかと思った堅牢な壁だったが、まず表面の壁紙がめり込み、中の木板を割り、拳が突き抜けてしまった。

……。

部屋は静か。もともと静か。私は冷静になった。

「ああ、ああ……」

腕が壁にめり込んだ以外には、特に周囲に異状はない。

さて。イヤな感情は発散したというより、それを忘れるほどの事態だ。

ひとまずゆっくりと、腕を壁から引き抜く。特に腕に怪我は無いようだ。袖が無いため服に被害も無い。

次に、壁に空いた穴を覗き込んだ。壁の中を構成する石ブロックの一つ、縦30、横50、奥行き20cmほどのもの。

それが豪快に奥に押し込まれ、しかし壁から外れるほどには、外に落下するほどには、押し込まれ切っていない。

とはいえ、その石ブロックは、今にも落下しそうなぎりぎりの位置を保っている。そしてそのブロックのずれた左の隙間から、暗いとはいえ、外の緑が見えた。

……しばし、その緑を凝視していた。

はっと意識が戻り、落ち着こうと、いったんソファに座る。

壁面破壊。

また問題を起こしてしまった、とはどうしても思えない。やるところまでやってしまったという、清々しい気持ちに今は襲われていた。

カップに口をつける。

そのままふと壁に目を戻すと、穴からは、先ほどよりも若干外が広く見えることに気づき、その直後鈍い衝突音が外から聞こえた。多分、物理的な振動も伴った。

城内が騒ぐ数秒前だった。

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