翌日昼過ぎ、コーネリアがいつものように私の部屋を訪問した。
客人用のソファにメイドのサリーも、強制的に座らせる。大事な話があると言って。
「私、家出をしようと思うの!」
コーネリアは少し絶句し、
「な、なるほど」
とこぼした。
メイドはちらりと、壁の穴をふさぐ石ブロックの暫定壁を見た。新たな石ブロックが部屋内部で縦に4段積まれただけの壁。彼女のその何か言いたげなその視線に対し、
「何よ?」
と率直に問うと、「いえ……」と彼女は濁す。
微妙な沈黙。
なんとなくこの空いた時間に耐え切れなくなり、私はぽろぽろと語った。
「壁にストレスをぶつける自分には、それは軽蔑もしたけれど、おかげで気付けたことがあるわ」
「何に、気付かれました?」
と問うコーネリアは微笑を取り戻していた。
「己の力と可能性に!」
そこでメイドがうさんくさそうに口を挟む。
「それ、意味が重複していません?」
「まずは聞いて? 力というのは、まあそのままね。私の力で壁に穴を開けられるとは思いもしなかった。そして可能性というのは」
まくしたて気味なことに気づき、一息つく。
「……私はこの部屋があまり好きではなかったの。飽きもあるけれど、私の可能性を体現したような空間、何も無い。そう思うと憎くも思えた」
二人は真剣に聞いてくれている。
「図らずもそれに穴を開けてしまったことが、とても爽快で。悩んでいた自分がバカみたいに思えたの。この部屋の特性が変わったように、私の行く末も変えられるのではと」
「悩まれて、いらっしゃったのですね……」
そう言うコーネリアは途中からうつむいていた。
「それが晴れたという話よ! だめ?」
「いいえ!」
コーネリアは顔を上げる。その頬は涙で濡れていた。
「えっ!? 何、何!?」
「いえ……」
しかしコーネリアの顔はわずかに震えだし、涙も止まらず、その手で顔を覆ってしまった。
10秒ほどはそうしていただろうか。
「失礼しました」
と、コーネリアは落ち着いたよう。ああせっかくのお化粧が。
「私が家出して、こうして会えなくなることが、悲しい?」
彼女がどうして悲しむのかわからず、恐る恐るそう聞いてみた。
「そう、ですね……」
言葉を出すにはまだ数秒必要だったようで、深呼吸を一度行った彼女は、私の目をまっすぐ見て続けた。
「悲しいというのは、もちろん、あります。ただ他にも、どう表現してよいか、自分にはもっと今日に至るまでに、できたことがあるのではと、情けなく思えてきてしまいます……」
正直、彼女の思いを完全に把握はできないけれど。
情けないというのは、私もその通りだ。
6年前、突然私に侍女がつくことになった。それがコーネリアだった。
私にとっては、興味のあるものを好きに勉強できた生活から、淑女生活への転換点。
その一つが、侍女としてコーネリアがつくということ。歴史は浅いが力のあるスタンフィード家。その本家の末娘だ。
しかし私はその期待には今日に至るまで、やはり応えることができなくて。
……その時からずっと、良い子ではなかったということ。我ながら、今更少し、情けなく思う。
しかしコーネリア、彼女も似た立場であって。彼女も生活を変えられ、期待されて私の侍女となり、それは私のせいで期待を達成できなくて。多分それが彼女に、今情けないと言わしめているのではと思ってしまう。
まるで私のよう。
立場としては私は何も言う権利はないけれど。立場ではないところで、言えることは間違いなくある。
うつむく彼女の隣に座る。顔を上げさせ、抱きしめる。
「あなたは私の立派な親友。周りの人がなんと言おうと、ね。帰ってきたら、また一緒に過ごしましょう」
「うぅぅ、うぅぅぅうううう!」
おおっと、元気づけるはずが、また涙が、決壊してしまったようだ……。なだめ、静かにはなるも、まだ話せる状態ではなさそうで。
彼女をひとまずそっとしておこう。
「あなたにも、多分、迷惑をかけるわね」
と、メイドのサリーに話を振る。
「そうなのですか?」
「いえ、どうなんでしょう、勝手に家出するのだけど、そうするとあなたの仕事は、私付ではなく、つまり変わることになるわね。迷惑?」
「それが仕事ですので」
「帰ってきたらまた私付をお願いしたいのだけど」
サリーは使用人然として、感情を出すことは普段少ない。
だからこそ私はわかる、今彼女は口角をわずかに上げ、それは微笑で、
「帰られるのですか?」
と問う。
「帰るわよ! 気が済むか、お金が無くなったら家出はおしまいでしょうね。それまで、装飾品を売ってなんとか過ごすでしょう」
「私の思う姫様は──」
サリーの考えを聞ける機会というのは少ない。たまに聞けるそれは、いつも私を楽しませていた。
「──外に適応されるのではと危惧します。それがどういう形なのか想像もつきませんが、ただ」
「ただ?」
「姫様にこの城は狭かろうと存じます。いえ、どのような城であっても。ですのでお帰りになる絵が、どうもお似合いになりません」
私の器の広さのことを言っているようで、しかし私の飽きっぽさも指しているようで。褒められているか貶されているのかわからない、と言おうとしたところ、隅ですんすんと泣いていたコーネリアは元気になったようだ。
「それです!」
と大きな声を上げる。
「な、なに?」
「私は道中の姫様の心配はしておりませんが、より手の届かない場所に行かれるのではと思ってしまいます!」
「あ、そう?」
そんな気はないのだが。手の届かない場所というのもよくわからない。この国で? それはどこ?
「それも姫様の無意識の下に!」
「そ、そう……」
そしてサリーはそれに同調する。
なんだか私の性格を非難されている気もするが、しかし優しい非難だなと思う。
私の選択を誰も非難しない。
また、こうしてサリーも交えて会話をするのは珍しい。
もう少しこういった機会があれば良かったと今、一つ後悔が生まれてしまったことを、私は苦笑して受け入れた。
その後はコーネリアによる、外のお作法に関する講義となった。
「お二方、そろそろです」
とメイドのサリーはコーネリアに伝える。いつも解散する夕方の時間だ。
「もう、行かれますか?」
とコーネリアは私に問う。
今日家出をするか、という意味だ。
「さすがに今日は」
これは嘘。お父様がサランの聖堂に宿泊なさる予定の今日、決行すると決めている。
コーネリアは深呼吸をした。息を吐きながら私を見つめながら、彼女は微笑を形作る。
「何かあれば父のスタンフィード商会を、ぜひお尋ねください」
「わかったわ。商会の、あなたの自室で再会するのも良いわね」
「……わくわくさせないでください!」
笑顔で怒られてしまった。私もつられて笑う。
良い別れだった。