翌日。
デザフェス、は、もうやっていないだろう、ゼクラス砂漠までの道を南下し、海岸が見えたところで東転する。デザフェスが開催されたゼクラス砂漠は西ということで、逆だ。
当時見られた道端の賑わいは嘘のように、人影は一切見られず。
幻のイベント。デザフェスを途中で抜けるなんて、貴重な時間を逃してしまった、などと感じた。いや、後悔とは違う。また今度だ。
さて。
右手に海を眺めながら、そのまま東に進むこと3時間ほど。
教会かも判断付かない朽ちた遺跡が、海を見下ろすちょっとした崖の上に立っていた。
石造り。燃えたのかというくらい、まず黒い。おそらく天井は既に落ちているように見える。壁面も上部は崩れ落ちており、一体どんな建物だったのか推測もできない。青空と相まって、その黒い存在は異物だった。
そしてそんな廃墟に不釣り合いの、整然とした鉄柵。ぐるっと……廃墟を囲んでいる。
その正面に門があり、そこには
近づく。彼はすぐに跪いた。
「アリーナ姫、ですね? まさかこんなところでお見かけするとは、思いませんでしたが」
青い短髪を後ろに流した、優しげな青年だ。役職にはついていないが、相当の実力者、だったような。
「立って頂戴。アリーナ姫は今王城に謹慎中のはずよ」
「承知しました、では」
と、立ち上がる。
「このような場所に何の御用でしょうか?」
私が知っていた彼よりは、柔和ではなく、緊張している風だ。これは、この場所が危険であるという意味に感じ取れた。
「この中に用があるの」
と、許可証を出す前に、馬鹿な、と彼は呟いた。
遺跡への入場許可証を見せる。彼の眉間に皺が寄る。いや、ちゃんと書いているでしょう? 二番隊隊長直筆。ブライ様が同行されるため護衛不要、と。遺跡からの帰還に数日かかることも留意せよ、と。
彼は丁寧に許可証を丸め直し、クリフトに返した。
「承知、しました。お通しいたします。いえ、あの、目的だけでもお教えいただくことは、可能でしょうか?」
「ごめんなさい、機密につき、できません」
「わかりました、失礼しました」
こちらの身を案じてくれているからこそ、なんだか申し訳なく思う。
「どうぞ。くれぐれもお気をつけください」
鉄柵の門は施錠されておらず、ぎいと開けてもらい、すんなり通ることができた。
三人、敷地の中へ。あとはブライの誘導に従う。
建物自体に扉は無く、あるいは破壊されたのか、入口は扉など無く、ぼっかり開放されている。
中に入るが、天井がないため、まだ屋外という印象だ。そんな、すかすかな建物の中央に不自然に、地下への床扉があった。木製で、上から取っ手を引っ張ることで開く。
「では」
とブライが松明を持って、扉の先、下へ続く階段を誘導する。
「魔物は出ない、で合っているんですよね?」
とクリフトが少し心細そうだ。然り、とだけブライは言った。
階段を下る。階段や周囲はひたすらに石造り。だが建物は黒いブロックだった一方で、こちらは元々の色なのか、白に近い灰色。
4mほど階段を降りた先で細い通路が始まり、こちらを進むも、それもすぐに扉で突き当たる。
「ここで終いにございます」
「あそう」
扉の先は、10m四方ほどの小部屋だった。一つの点以外は、何の特徴もない。
それは。
青白く光る無数の光の粒による、床いっぱいを覆うくらいの大きさの円が敷かれていた。光の粒は時計回りに渦を描くように地面を流れている。
床が特殊なのか、光の粒が特殊なのか?
「なに、これ」
ブライが答える。
「古代の転送円陣にございます。旅の扉と呼ばれております」
「呪文?」
「わかりませぬ。魔力は感じず、しかし呪文以外の何物かというのは、誰にも」
「そう……」
転送。
呪文。
なんだかそんなものの前に、まず、綺麗だった。
しゃがんでみる。
光の粒は床を這っているものもあれば、10cmくらいの高さを浮遊して回っているものもあった。手をそこにかざしてみるも、風も何も感じることができなかった。光の粒は私の手のひらを貫通する。
ブライが言う。
「では私めから参りますか。次に姫、最後にクリフトと」
「承知しました」
ブライは渦の円の上に足を踏み入れる。途端にブライがまばゆく発光した。
目を瞑ってしまう。
そして目を開けたときには、ブライはもうそこにはいなかった。
消えた!
そういうことか。この円の上に入れば良いのね。変わらず回り続ける光の粒を凝視してしまう。
「次、行かれますか」
とクリフトに聞かれる。いや、行くけども!
「ちょっと怖いけどね」
「では私が先に?」
「いや変わらないでしょう大して!」
一人残されたほうが、余計なことを考えてしまう。
「あなた、こういうの、平気?」
と聞いて、呪文が使える人間に聞いてもな、と気づいた。
「不気味であっても、使えるものは使いたいところです」
しかし意外と、今の私の心境を代弁してくれる。私は大して素直になれず、そう、とだけ答えた。
「さて、では、行くわ」
「はい」
円の中に入るべく、足を一歩進めた。
円の中に入る? 違った。穴に入る、が正しかった。
その一歩。
踏みしめるべき地面がなく、バランスを崩す。
どこが地面かわからない、軽いパニックになる、多分大声を出した、周りは白過ぎてなんのヒントにもならない。
という、夢?
目が覚めた。地面にうつ伏せに寝ていた。
ガバっと起き上がる。
私を見下ろすブライと目が合う。
「私、寝てた!?」
「いえ、そんなことはありませぬが……。何かありましたか」
クリフトがすっと発光しつつ私の隣に立って現れる。
「大丈夫、でしたか? その、尋常ではない声が聞こえましたが」
つ、次はもう少しうまく振る舞おう!
「大丈夫よ……」
と私はその場に座り直した。
そこは薄暗い、貧相な木造小屋の中だった。外の光が窓やら扉やらから、線として漏れる。
座っている地面、手のひらの下を改めて見る。木板が敷き詰められた、特に不審なところは無い床。円陣は無い。
「一方、通行?」
こちらにも円陣があるかと誤解していた。
「いえ、ここも、旅の扉の上にございます」
床を俯瞰する。小屋入り口の方は、木板が床に敷き詰められていない。
床板は持ち上げられる? できた。その下にはばっちりと、光る旅の扉が確認できた。
床板ごと転移はしないのか。板で塞ぐことができるのだ。
持ち上げた床板は戻しておく。
蓋をすると、行くことはできなくとも、来ることはできるのか。
不思議。
さて。
この部屋の外は屋外ということで。そして外への扉は施錠されていた。
しかしそれは外側から開かないようにするためのもの。内側からは鍵が不要で、鍵つまみを回すだけで扉が開く。
外に出た。
小屋の外。
遠巻きに木々で囲まれている印象で、小屋の周りは広々としたスペースになっている。左右の木々の奥には海も見える。
ここは岬? 逸る気持ちの前に、まず旅の扉の小屋だ。これはエンドール国管轄の施設ということ。解錠したままにしておくというのも良くないということで、しっかりと、模倣鍵で外から鍵をかけた。
模倣鍵についてクリフトが呟いたセリフが記憶に残る。
「そろそろ罪悪感が無くなってきて、よろしくないですね……」
改めて小屋の外を見る。
気になるのは、50mほど離れた場所にある、もう少し大きな建物。
ブライは言う。
「あれは宿にございます。無論、旅の扉と関係ありとはうたっておりませぬが。単に景勝地の宿ということにございましょう、国営の」
「旅の扉の小屋を隠蔽する目的かな」
「はい、おそらくは」
旅の扉の新規作成や移設ができないのだろう。ぽつんと、旅の扉の小屋が存在しては怪しまれる。宿があれば、例えばその倉庫として、近くに小屋があっても、まだ怪しまれることもない。
「なるほどね。ここからエンドールへはあと何時間ほどでつく?」
「ざっと四時間ほどかと」
「そう、ならわざわざこの宿に泊まることもない、先に進みましょうか」
「御意」
エンドールの方向を示すのはブライだが、隊列としては変わらず、クリフト先導、次に私、最後にブライという配置だ。
獣道のように伸びる未舗装の道を歩く。
左右を疎に囲んでいた木々が段々深まる。登りの様相。
しばらくそうして登り、遭遇した大型サソリ二体を倒した後。
サソリが現れた茂みの方の遠くから、規則正しくがしゃがしゃと音がする。似ている音に心当たりがある。
「鎧?」
「このサソリと戦闘していたパーティー、などでしょうか。エンドールの兵士かもしれません」
などと楽観視していた。
実際、全身鎧姿の二人が現れたとき、そうなのだと思った。彼らは抜いた剣を手に、やけに無造作に距離を詰めてくる、とは思った。
ブライが杖を掲げ、声を上げる。
「そなたら! 魔物でなくば止まれ!」
魔物でなくば? 彼らは止まらない。
「魔物じゃ!」
ブライが呪文を放つには近すぎた。直撃に失敗。
戦闘開始!?
一体ずつ、私とクリフトで受け持つ。太刀をかわす、受け流す。
しかし、どういうこと!?
「魔物が鎧を着るの!? 人型ということ!?」
兜の隙間から顔を伺うも、空っぽのようにしか見えないのだが!
「おそらく! 甲冑そのものを操る魔物にございますれば! 人と見なして攻撃でよろしいかと!」
え、人と見なしてって、どういうこと? 鎧の一部がすんなり取れるのかと思い、敵の手甲を蹴り上げるも、まるで人を相手したように、重い手応えが返る。
人と見なす? 人と見なす。
人として見るのであれば、鎧の中にダメージを与えることを考える。
中身が無いかもしれないのに? いや、あると思えということか。
何度目かの斬撃をかわし、敵の胸元に手を添える。
軽く勁を込める。少し距離が生まれる。
なるほど、意外と重たい。本当にこれが効いているかはまだわからないが、もう少し試してみよう。もっと近い距離で打ちたい。
ちなみにクリフトはというと。ちらりと見た印象だが、どうも鎧の隙間に狙いを定めて剣撃を放っているようだ。
なるほど、人と見なしての戦いね。
「関節部を狙って効果あるでしょうか!?」
「ある! 中の魔力を一部分断することができよう!」
「承知しました!」
などと二人の声を聴く。
さて、こちらだ。
3度勁を放ったが、敵の動きは衰えない。攻撃方法を変えないといけない? 私もブライに何か質問しようかと思ったが、その前に、1つ気づいた。
私の今相手している、フルプレートの敵のいる場所の、もっと先の茂み。スライム。いや、あれは、知っている。
ホイミスライム!? 治癒する能力を持つスライムだ。遠隔から鎧の敵を治癒?
「ブライ ! ホイミスライムがいる! 進行五時!」
ブライの位置を確かめようと、ブライを見る。
あれ、鎧三体目!?
丁度ブライはその相手を始めたところのようで、
「三体目にございます!」
とブライが叫ぶ。
ブライと三体目はあの至近距離だ、ブライは防御一辺倒だろうが。
まずい、膠着しそうだと思った。その頭が次に真っ白になる。
ちらりと。
奥に四体目の鎧の存在。
誰だ。誰が請け負える。
このままだと。破綻する。まずい。
いや。
こういう場合は逃げる一手だったはず。
しかし3人は分断されており、逃げるとしても、ブライとクリフトが来た道を、私がエンドール方向を、となってしまう。
それぞれその方向に逃げたとして、その先に危険が無いのか。本当にその選択で良いのか。2秒もたっぷり逡巡してしまう。
クリフトも似たことを考えていたようだ、そしてその先まで。
「私が敵全体の動きを少しの間止めますので、姫はこちらに!」
敵全体? クリフトが止める? どうやって!?
そんなことを聞いている暇は無い。敵の太刀が甘いタイミングがあった。空いた首を回し蹴りし、その隙に横をすり抜ける。
全力でクリフトの方へ駆ける。
あれ、クリフトの剣、なんだか短いなと気づいたが、折れている!? 大事に使わないから! いや二本目の所持に難色を示した私が悪い? いやいやまず剣が無い状態でこれを本当に乗り切れるの!?
クリフトは拳を眉間に当て、詠唱中? 聞いたことのない。何の呪文だろう?
しかしその呪文のためか、確かに4体の鎧の魔物、全て動きが鈍くなっている。
ブライも敵と距離を取ることに成功した上で、詠唱準備に入っていた。その呪文も逃げのためかな。
しかし結局、ブライの呪文は放たれることはなかった。
その前に鎧4体が同時に崩れたからだ。ばらばらになった鎧はもう動かない。
いや、徐々に、光に溶けようとしている? 終わった?
ホイミスライムは逃げたようで、姿は見えなかった。
終わった。
「あー……、どうなるかと、思った。数って、重要ね。いきなり溢れてしまう。ところで何、あの呪文?」
とクリフトに話しかけるが、彼はその場で座り込み目を瞑り、深呼吸をしていた。
魔力の消費が激しい?
ブライが口を開く。
「それは、邪教の術ではないか?」
じゃきょう? 邪教?
「さすがです、仰るとおりです」
とクリフトは視線を合わせず、自嘲気味に呟く。
「おぬし」
ブライの語気には、ひりつくものがあった。
遮るようにクリフトが続ける。
「私はサントハイム聖教の人間です、身も心も、嘘偽りなく。この術は父上もご存知のこと。まあ、使うなとは言われていますので、それはお叱りを受けるかも知れませんが」
ブライは短く呻くだけだった。
「あの、私はよく知らないのだけど、どういうこと?」
と聞いてみる。
「それは、……道中にて」
とクリフトは疲れた顔をした。
一列に歩きながら、会話をする。
邪教。
それは後世の呼び方であり、本来はメシア教という。
当初は救世主を待つ宗教だったのかもしれない。今では、死は救いという教義しか伝わっていない。
まだ年端の行かないクリフトが王城の図書室で偶然手にしたのは、その教義書だった。
その背景に気付かぬまま独学でその救いの術まで習得してしまったことは、当時のクリフトの純粋さ故、すぐに一部の大人に知られることになった。
クリフトは更生させられ、書物は封印された。
「なるほど、確かに、そんなことがあった」
以前、まとまった図書が図書室から隔離されたことがあった。時期は合う。あれは、クリフトが原因だったのか。
客観的にこうして話を聞くだけでは、その教義の異常さはその話の通りにしかわからない。
しかしそのころ私はクリフトと机を並べていた時期。
……何も気づけなかった。
だからか、今の私には何も言えなかった。
「しかし、あそこまで術が上手く成功するとは思いませんでした。祈りの時間が足りていないのかもしれません。精進いたします」
聖教への信仰が薄れたために術の効果が上がったのでは、ということだ。
この旅の中で、祈りの時間なんて、さらに追加する余地は無いだろうに。
クリフトはもう一つ続けた。
「ただ今後も、それに最善の可能性があれば、躊躇なくこの術を使うだろうとは思います。申し訳ありません」
謝らずとも。
「それ一辺倒になってしまっては困るけど?」
「はい」
だめだ、私の表情を見てくれないと、冗談だと伝わらないじゃないか。
彼にとってはそれほどの問題なのか。
「深く考えなくても、良いのではない? あなたが何者か変わるわけでもないし。あなた、そんなに聖教に対し信心深いわけでもないでしょう」
「なんと!」
とブライが狼狽えた。ん? 信心深くないというところに?
クリフトは、少し考えて、
「そう、割り切れれば良かったのですが」
と、こぼした。
「割り切れていない?」
「いえ、今はもう大丈夫です」
「それで、教会を離れるって?」
彼は近い将来、教会を離れると言っていた。
「それでと言いますか、私が合っていないがために、邪教も理解できましたし、教会から離れようとも考えました。向き不向きがあるというだけです」
「まあ、そういう捉え方も、あるわね」
それは、達観した、さみしい考えに思えた。でも私がそう思うのも、それが他人事だからだ。
私だって、どうにもならないことはある。そこに原因なんて考える価値は無い。
そういうことだ。
クリフトは、話しただけで多少スッキリしたようで、行きましょう、とやや元気な声で、歩き続ける。
「疲れてない? もっと休んでもいいけど」
「問題ありません」
「魔力の消費が激しそうだったけど」
「そんなことは。気持ちの切り替えに多少手間取るだけです」
「そう? なら、良いけど」
気持ちの切り替えとは、またよくわからない言葉を。
呪文はそういうものなのか。
いや、今、私の理解し得ない、クリフトの深淵に触れたのだと、そう思った。
そのまま先に進んで。
引き続き、木々に囲まれた、若干視界の悪い獣道を上る。しかしすぐに下りに変わる。
一方で木々は空も覆うほどになる。
これは本当に、あの大都市エンドールに続く道なのだろうか? そんなことを考えていたが、突如平野に合流し、視界が開ける。
あれだ。
遠いが正面に城壁が見える。
想像よりはこじんまりとしている、ような。城壁しか見えないが、あの中に街があるのか。
近づくにつれ、感想は変わる。単に、城壁が異様に高いのだ。
巨大な都市。世界の中心地。
それがエンドールだ。