明朝。
6時45分という中途半端な指定時間に従い、城門へ。正門向かって左手にも小さな門があり、正確にはその前が指定場所だ。
そこでは、出場者は呼ばれるまで待つようにと立て札がある。
他には男性が一名、堀の水路にかかる橋の上で、下を眺めている。おそらく出場者なのだろう。
彼が一人ならと。私は同行していたブライ、クリフトは帰らせた。
ブライとクリフトには、8時にこの同じ場所集合と書かれたチケットが城から配られている。時間差を付けて客を集めるようだ。
その割には、今の時間この場所に観客が全く集まっていないことが気になった。
どういうスケジュールなのか。客の集まり始め、集まり終わりは? 第一試合はいつ開始だろうか。
そんなことを考えながら、一人。水路を眺める先客に話しかけたくもあるが、ボロが出たらどうすると脳内のクリフトが私をたしなめる。
これから戦うかもしれない相手と、何を話して良いかわからないし。
隅に腰を下ろし。門前のちょっとした広場の先、左右に伸びる通りの、か細い往来をぼうっと見ていた。
「ラゴスはいるか!」
と突然声が降ってくる。
見上げると、赤いシャツを来た男性が門から街側へ呼びかけている。先客の男性が手を上げる。
その二人は数秒話して、共に門の中へ消えていった。
なるほど。
すぐ同様に私の迎えも来た。
「レナさん、いますかー?」
迎えに来た男について行き、城の中を進む。
城の中、という表現は適切ではないか?
門はくぐったが、城の建物には入らず、外塀を内側に沿って城を回り込むように進む。
迎えの男は少し猫背で、ひょこひょこと歩く。20歳台とは思うが、体も顔も痩せており、もっと若いのかもしれない。
彼はツォルンと名乗った。彼もまた赤いシャツ。制服かな?
「大会は何時に始まるんですか?」
「10時目標です」
「10!? ……なるほど」
あと三時間ほど、そんな長い時間、やるべき事があるということだ。ゆったりと構えよう。
城の背後が見えるところまで回り込んで来た。そしてそこでは、城とは別の建物が姿を現す。これが大会会場、コロシアムか。
塔から見下ろして眺めた時と違い、近づくと一層、大きく感じる。
綺麗な正方形の立地で、一辺の長さは、200メートルくらい? 高い。20メートルくらい?
窓もなく、無骨な石ブロックの壁に、一つ堅牢で巨大な扉。扉の左右にはエンドールの赤獅子三角旗が垂れていた。これ自体が小さな城のよう。有事にはそう機能もするのだろう。
連れられて中に入ると、まずは受付スペース、だと思う。ただ、カウンターはあれどそこに人はいない。一方で赤いシャツを来た人達が右へ左へ忙しなく行き交う。
私に受付は不要のようで。
歩みを止めることはせず、左の扉の先へついて行く。
通路を抜けて部屋。最初、部屋の中が最初に目に入ったとき、中でテントを張っているのかと誤解した。
布だ。
部屋の天井の方に紐を何本も格子状に走らせて固定。その紐らに大きな布を複数枚かける。布が部屋を区切り、それらが、通路と小部屋群を、その大部屋の中に作り出していた。
その布の通路を誘導されて。部屋中央まで行って左折、突き当たりをまた左折、そして右手の、布で仕切られた小部屋に案内された。部屋には背もたれのない椅子二つ。
「じゃ、はい、ここで待機です」
「な、るほど」
だまされたと思って座ってみる。その粗末な椅子には、特に見た目以上の驚きは無かった。
布壁の向こうから不明瞭な小声が聞こえる。それは、そうだろう。布一枚挟んだ隣におそらく人がいるのだ。
同じく座っているツォルンにしばらく動きはないので、つい、しびれを切らしてしまう。
「大会開始、10時まで何をすれば?」
「えっと? 出番が来るまでひたすら待機ですけど」
「10時まで!?」
「声、大きいです。……10時からは開会式で、レナさんの出番はそれでもまだ先です」
それで話は終わりだというように、ツォルンは脇に抱えていた書類を読み出す。
「ええええ……。ちょっと待って一応確認だけど、他の人の試合は見られるんだよね?」
彼は上目遣いの視線だけ私に向けた。
「まさか、見れませんよ。あれ? 聞いてないですか」
「私の出番って、つまりそれは私の試合だけ? そんなことある?」
「そういう、もんですけど」
なんという無駄な時間! なんとか、なんとかならないのだろうか。
しかし彼は手元の書類に目を通すだけだ。
あれー? わたしは何をしたら。
暇だ。
なにか、考えることは、ないか。ありそう。そんな思考がツォルンにばれたようで。
「棄権、してもいいんですよ」
などと提案してきた。
「それは、それだと目的が、達成できない」
「目的って何です? 真面目に勝ち上がるってわけじゃないでしょう」
彼は書類を閉じ、膝の上に置いた。
「真面目に、勝つつもりだけど」
「嘘でしょ?」
話が噛み合わない。
「なぜ?」
「いやだってそうでしょ。全然強そうじゃない」
「強そうって……。年齢のこと? 性別、 見た目?」
「そりゃ、それは、もう全部だよそりゃ」
ああ、だめだ。会話できる気がしない。
「なるほどね、私が一回戦で負けると」
彼は押し黙った。それで会話は終わった。
私も今は言うべき言葉を持っていない。
さて、ではこの暇な時間。まずは、一回戦に勝ったときに彼に何と言葉をかけるか、考えてみた。
「すみません、一つ伝え忘れていました」
と彼の言葉で思考が遮られる。何、良い情報?
「出番が近づくと上に移動します。上に待機室があるんです。そこには外までの扉があり、それが大きくノックされたら──」
手順の話。私の待ち時間は変わらないようだった。
「ツォルン、次だ」
この布部屋に顔だけ突っ込んだ人のその言葉で、ツォルンと目が合う。
「行きましょう」
ちなみにこれまでの時間、半分は膝上に突っ伏して寝ていた。その後のストレッチは済んでいる。会場では音楽が流れていたようだ。楽しみたかったな。
誘導され布の通路をついて行くと、なんとなくこの部屋から出るのかと思っていたが、この大部屋(布で仕切る前の部屋という意味)の中央部に上り階段があった。
この大部屋、思ったよりも大きいな。
上った先は薄暗い小部屋。その部屋に入るとまず目に入る正面。そこには部屋の一側面をそのまま覆うような、巨大な扉が備わっている。
これか。
先ほどから外の風の音がうるさい。
少しの間、立ってここで待つ。
突如、雷でも落ちたかと思った。轟音と衝撃が部屋全体を襲う。
思わずツォルンを見たが、彼は平然としている。音の余韻が部屋を往復している中、彼の、
「どうぞ」
という声が聞こえた、と思う。
扉が開く。
いや、いやいや。
音が襲ってくる。
今いた部屋が薄暗かったせいか。まぶしくて目は機能しない。しかし指示通り、歩き出さないといけない。
森林の中を縫う強風をやり過ごすような。四方頭上から圧力を感じる。
思わず姿勢をかがめたくなるような。
音。
歩みを進める。
視界もホワイトアウトから帰ってこない。あ、帰ってきた。
人だ。無数の。
どの方角にも。背後にも。
すり鉢状に高く位置する観客席。
建物を塔から俯瞰したときから想定していた通り、と言えばそうだ。だけど、人が立ち上がり、あんなに波のように、弾けんばかりに蠢くのは、聞いてない! 彼らには座るスペースが無いのかな。
観衆の一人と目が合う。いや一人どころではない! 圧力が一段階増す。足を止めてしまいたくなる。
いや。
中央の、線のところまで歩こう。
しかし。
歓声、か。私への?
なにか反応した方が良いのかな?
王族としては、手のひらを振るのが正解。
商家の娘としては? お辞儀? 四方に? 変じゃない?
私は対応を諦めた。
そのまま中央に到着。進行役がそこで一人待っている。
私が到着して、彼は私の正面の方向を凝縮する。私が入場した場所とは反対のところ。そこにも扉。
開く。
そこから出てきたのは。
弁髪の青年。
私が今足を止めているので今回はよくわかる、大地が震えている。こんなことに、なる?
あれ? 歓声が、私の時よりも大分低い、ような。なんだろう。
彼が中央へ歩いてくる。なるほど、観客への反応としては、手を上げて左右を見るくらいで良いのかな。
身軽な格好。
あれ? 彼は、武器を、持っていない!?
途端に、自分のベルトに刺してあるナイフ二本が恥ずかしく感じられた。
ああ。
浅い角度の日の光でわかる、彼の肩から腕周りの陰影。鍛え上げられた筋肉とわかる。
私もあれを目指したいのだけど、それはどうもうまくいかない。
先生の見た目にも、鍛錬結果が現れていなかったという記憶。
筋肉体はやはり諦めようという結論に、今回も一瞬で辿り着いた。
彼の足が止まる。互いが互いの線の前。わたしとの距離は8mほどか。
口上は無い。
進行役が叫びながら、その腕を振り下ろした。
それは「試合開始」だ。
試合開始。
せっかくの合図なので、まだ距離があるとはいえ、つい、いつもの構えを取ってしまう。
そこで、奇妙なことが起きた。
状況の理解に2秒かかった。
彼も構えを取っている。
その構えが、非常に私のそれに似ている。
先行する左拳。
体の閉じ具合、腰の落とす位置。
硬直しているように見える彼も、同じ感想なのかもしれない。
嘘でしょう?
私は構えを解いた。つかつかと歩み寄る。彼は構えを硬直させたまま。
距離を詰めて再度、同じように私は構えた。左拳の裏同士が触れそうな距離。
すると次は、彼が動いてくれた。
こんと。左拳の裏同士が軽く当たる。これが合図だ。
体のスイッチが反射的に入る。
跳ね脚。体を左回転させ、溜めた右足で相手の頭を狩る技だ。
いや? 彼も?
私は左への回転を保ったまま、両腕を顔前に出し、彼の右足を受ける。
そしてバックステップ。一旦距離を取った。
……つまりだ。
鏡のように、いや、違うな。正確には、点対称にお互い、右足で頭を蹴り上げようとし、それを両腕で防ぎ、距離を取ったことになる。
これはもう、間違いなく、私と同門ということではないの!? そういうこと?
なになに!? 考えたこともない! クリフト相手に試せなかったことが、いろいろ試せるの!?
そして相手の攻撃の、この速さと威力。不足はない。
楽しい!
浮ついた足で、無造作につかつかとまた距離を詰める。
彼の唖然とした表情。
そう!
再度構える。彼も。
特に彼と上下の関係は特定できないため、次は私から仕掛けよう。まずあれ、やってみようか!
こんと、拳を当てる。
一瞬だけ、出方を待つ。
彼のその左拳がすっと下に下がろうとする。
三番か七番? どちらでも構わない。
その手首を左手でつかみ、こちらやや左へ強く引き込む。
彼の体勢を崩す。彼の体は私の左足の上まで来る。
よし、攻撃をキャンセルしきったかな。
そして無防備な彼の背中少し左下に拳を添えて。
左手による引きのため、私も今少し無理な体勢だ。強打ではなく、発剄!
手応えがある。
彼は左向こうへ吹っ飛んでいく。
あー。
手応えが良すぎる。
下の方のあばら骨は多分、折れたのだと思う。
彼は地面で悶絶していた。
あれ? もうちょっと、何かあっても、良かったのかもしれない。
そんな私の腕を進行役が掴む。
空に掲げられる。
歓声がひときわ大きく。
空と、それを囲う観客席。
あれー?
一回戦、これにて終了だった。